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2009年10月 9日 (金)

水が足りない‐バーチャルウォーターの話

最近どうもネタにつまることが多いのですが、どうもインプットが不足しがちなのかもしれません。インターネット上で接する情報はそれほど少なくないとは思っていますが、それも表層的らしく、響いていないため、ブログで書くアウトプットまで持っていけないことが多いようなのです。

厳密に言えば、インプットをきちんと消化していない、ということかもしれませんが・・・。

さて、会社の掲示板で書いてしまったこともあって、いまいち気分が乗らないのですが、今日は先日の「水が足りない」の続きを少々。

バーチャルウォーターの話でちょっと考えさせられてしまったのは、日本は本当に「モノ作りの国」として身をたてるべきだったのか、という話です。

バーチャルウォーターは、元々は中東の様な水の少ない地域において、水に起因する争いが起きないのはなぜか、という研究の中で編み出された考え方だそうです。こうした地域では、食料などを輸入することによって、その生産に必要な水を仮想的に輸入しており、結果自地域での水不足を補っている、というのが基本的な考え方で、水自体を直接移動させることは難しくても、そうしたバーチャルウォーターとして流通をさせることで、地域間の水をやり取りし、世界的な水供給のバランスを図ることができるのではないか、というものです。

水の問題がグローバルでありながらローカルな問題なのは、地域ごとにまったく状況が異なる上、そのバランスをとるために移動させることが物理的に難しいためなのですが、バーチャルウォーターの考え方であれば、そうした水の流通が可能になるというわけです。

そこで大量の食料を輸入している日本ですが、元々それほど水ストレスが高くなく、むしろ豊富と言われながら、食料輸入を通じて水を輸入しているわけですから、そこにはかなりのアンバランスがあることになります。
(もっとも、人口一人あたりで考えると、東京の水ストレスはなどは中東並み、という話も聞いたことがありますが・・・。)

そんな話を聞いて考えてしまったのが、実は日本はそうした自然環境を生かした農業国として身を立てた方が、世界にとっては役に立つのではないか、ということです。日本は林業資源についても、世界的に見るとかなり豊富な国という話を聞いたこともあるのですが、そういった自然環境とはまったく関係ない工業国として生きる道が、本当に世界にとって意味があるのか・・・そんなことを考えてしまったのです。

モノ作りといったって、せいぜい明治維新以降の話ですし、日本人が「古来」モノ作りに長けた民族だったという根拠が特にあるわけでもないでしょう。むろん伝統工芸品などには目を見張るものがありますが、そういった「伝統工芸品」は、きわめて自然に密着している、ということを考えれば、むしろ「自然と共に生きる」ことに長けた民族としての選択があってもよいのではないか・・・そんな気がするのです。

「モノ作り」といっても、高品質で安価なものを大量に作る「モノ作り」と、社会や環境のニーズにあわせた技術とデザインを提供する「モノ作り」とでは若干意味合いが異なります。実は前者で邁進するよりも、後者を突き詰めることを考えるべきだった(もちろんこれからはそれを目指さざるを得ないので、むしろこれまでの社会が目指してきた方向に対する反省として)のではないでしょうか。

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