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2009年10月 1日 (木)

多様性を受け入れ、信頼する社会

演奏会を挟んでしまいましたが、先週お受けしたインタビューの話など。以前エントリーした「理想的な社会」の続きです。

結局、「理想的な社会」については、

・多様性を受け入れる社会
・信頼する社会

という2点を挙げました。どちらにも共通するのは、「相手が」ではなく「自分が」であることです。

多様性を「受け入れてもらう」のではなく「受け入れる」。「認めてもらう」のではなく「認める」。
最近は「Only One」がもてはやされていますが、それは自分以外の多様性を拒否し、認めないことで成り立っているのではないか・・・そんな話をしました。

ただ、次の質問で「その理想的な社会を実現するにはどうしたら良いか」という質問があって、これには少々困りました。多様な価値観を受け入れる社会というのは、究極的にはある統一された理想像を持ち得ない社会でもあるからです。様々な価値観を受け入れるがゆえに、実現のための特定の方向性を持ち得ないとでも言えるでしょうか。

ただ、「多様性を受け入れる」というのは、様々な価値観を受け入れるだけでなく、それを拒否する価値観をも受け入れることを示しています。「そういう考え方もある」と認めることと、「その考え方を(自分は)是と思う」はまったく違うことなので、そこの部分を調整するために社会のルールがある、という話をしました。

ある価値観に基づいた合意で動く社会、ではなく、多様な価値観のぶつかり合いの中から生まれた一定の妥協から生まれるルールに基づいて動く社会、ということです。

社会あるいは集団というのは、どこかで多様性を拒否しなければ成り立たない側面も持っています。それを価値観の統一でむりやり成り立たせるのではなく、ルールや契約によって成り立たせることが必要ではないか・・・そういった意味では昨今のCSRの議論は倫理という価値観ベースで進められているのが多少気になる、なんて話もしたように思います。

もう一つは信頼する社会。
これは単純に言えば、「相手の行動に頼って信頼させられる」のではなく、「自分が信頼するという覚悟を決める」という感じでしょうか。

そもそも、「信頼を裏切られた」という考え自体、信頼の基準が自分ではなく相手にあった証拠ではないか。そんな相手に左右される考えを「信頼」と表現して良いのか・・・そんな話です。
「多様性を受け入れる」とリンクして考えるのであれば、「相手の離反」という考えの相違も想定してこそ「信頼」でしょう。そして、想定しているのであれば、それは「裏切り」ではなく、自分の信頼の範囲内での行動に過ぎません。

「信頼を裏切られた」というのは、そもそも相手を信頼していなかったからこそ出てくる感想ではないか、という気もするわけです。まぁ別にだからといってショックを受けるなとは言いませんが・・・。

こちらの考えは「企業はステークホルダーに信頼されようと躍起になっているが、そもそも自分の方ではステークホルダーを信頼していないのではないか」という話をすると、なんとなく分かってもらえたようです。企業に必要なのは、ステークホルダーに信頼される自分ではなく、ステークホルダーを信頼する自分であり、その信頼に基づいて何をするべきか、という考え方ではないか、という気がするのです。

ちなみにこの考え方、以前自社の社訓とうまくリンクさせることができて、個人的に悦に入ったことがあったのですが、インタビューの時にはすっかり忘れてしまっていて、話すことができませんでした。
ああ、もったいない・・・。

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