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2010年2月16日 (火)

多様性を考える

今日は人間ドックのため休暇をとっている。実際には9時前には終わるので、出社をしても良いのだが、慌ただしいので休みをとるようにしているのだ。

で、ブログの更新はこんな時間になったわけだが、せっかく時間があるので多様性について考えてみる。(というか、明日KM学会の部会で発表しなければならないので、今ごろ、という感じではあるのだが・・・。)

この多様性というのは、最近CSRの分野で注目を集めている生物多様性ではなく、職場における人的多様性の話。KM学会の部会のテーマなのだが、何度かこのブログでも書いている。

最初は会社における取り組みを・・・とも考えたのだが、許可もなく内実をベラベラしゃべる訳にはいかない。そこで、個人的に考えたことなどを中心に、議論の話題を提供する、ということを考えてみる。

一つ目は「辺境と多様性」というテーマ。この「辺境」というのは、変革を進めるためには、自らを組織の辺境に置く必要がある、というものだ。組織の中枢ではなく、周辺に身を置くことが、創造性や知的生産性を高めるというのは、感覚的にはよく分かる。

(ただ、一方で知的労働においては地方への拡散ではなく、中央への集中が生産性を高めるという話もある。ネットの充実により東京でなくても仕事ができるようになったかというとそうではなく、むしろ一極集中が進んでいるからだ。これはネットというインフラが当たり前になることで、それ以外のコミュニケーション手段の重要性が増したことを示している。)

この「辺境」の話で考えさせられるのは、多様性の問題を解決するために、例えば女性や外国人といったマイノリティの数を増やし、マジョリティ化することは、逆に変革の芽を摘むことになるのではないかと思われることだ。マジョリティはすなわち中央であり、マイノリティが辺境であるとするなら、多様性を生かす組織戦略は、そのマイノリティを「マジョリティにすることなく」増やすことに他ならない。

そもそも、辺境が変革を生むのは、そこに何らかの不便や障壁があり、それを乗り越えようとするからだ。しかし、それを肯定してしまうと、働きやすさを追求するのは、実は組織の構成員を安穏とさせるという話も成立してしまう。

そのあたりにジレンマがあるのではないか。それはどのように乗り越えることを考えるべきか、というのが一つ目のテーマになるだろうか。

二つ目は「マーケットと多様性」。これは、アメリカの企業で多様性に関する議論が始まったのが、マーケットにおけるアングロサクソン以外の台頭・・・ヒスパニッシュなど未知のマーケットに対応するためだったという話がきっかけだ。

日本のマーケットはそういった意味ではアメリカのような多様性を持っているとは到底言えない。女性の社会進出が進む一方で、男性の市場進出は相変わらず進んでいないし、多民族化することもない。

そうしたマーケットであれば、組織に多様性を持ち込む必要があるのか、という疑問が生まれてくる。アメリカのような、対応しなければつぶれるような切迫感もなく、構成員の働きやすさという側面でのみ語られているのが、日本における多様性の議論の限界ではないか、という疑問だ。

そもそも多様性に富んだ組織というのは、コミュニケーション一つとってもハードルが高くなり、構成員には負荷を強いるものではないかと思うのだが、そうした議論が日本ではあまりないような気がするのだ。

三つ目は、「人材確保と多様性」だ。今後人材を確保する上で、多様性の受容は避けられないという議論だ。

これはその通りなのだが、一方で企業にとっては当たり前の側面もある。こうした対策を通して企業が受け入れたい人材には、共通した冠があるからだ。

それは「優秀な」人材である。

つまり、能力という尺度において「多様性」を受容するわけではないのだ。性別や国籍といった能力とは関係ない評価尺度を廃し、能力という一律の基準で評価をするのが、多くの多様性に関する議論の中心だ。

あるいは「価値観」という尺度もある。ものの考え方、では広すぎるのであれば、会社への忠誠心でも良い。組織の構成員として、求められる条件というのは必ず存在し、その条件において多様なあり方を認めることは考えにくい。極端な話だが、キリスト教の教義に基づいて活動する組織に、イスラム教を信奉してキリスト教を否定するメンバーを加えることはまずないだろう。

一方で、「能力」という尺度で考えた場合、CSRの考え方の中には、そうした人たちを訓練し能力を高めるのも企業の役割、という捉え方もある。その場合は若干違ってくるかもしれないが、いずれにしても、多様性に富む組織というのは、必ずしもなんでもありではなく、受容にあたってどういった条件が必要なのかという議論は必要だろう。

四つ目は、「居心地と多様性」とでも言えるだろうか。うまい言葉が思いつかない。

多様であることは、必ずしも居心地のよさを保証するものではなく、むしろ居心地の悪さにつながるのではないか、ということだ。コミュニケーションのハードルもそうだし、そもそも変化に富む状態というのは、人間にとっては不安につながる要素だ。

だから多様性を否定する、という訳ではなく、そうしたことも受け入れる必要があるということだ。そう考えると、実は多様性の受容というのは、「総論賛成各論反対」になりやすい気がする。ここの事象においては様々な軋轢が発生するはずだ。そもそもその「軋轢のある状態」こそが、多様性があることの証明に他ならない。


・・・と四つほどテーマを考えてみた。あとで資料として整理しなければ・・・。

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