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2010年6月30日 (水)

理解しないのは知らないから

月曜日に出席したアカデミーヒルズ「最先端の知」シリーズ。今回のテーマは「科学コミュニケーションがつなぐ私たちの未来」というもので、講師は東京大学 大学院理学系研究科 広報・科学コミュニケーション 准教授の横山広美氏。

科学コミュニケーションというのは、科学と社会をどのように結びつけていくか、という学問のようなのだが、ぶっちゃけていえば、「どう説明したら理解してもらえるか」ということだろう。科学的な知見というのは、意外と理解されにくい。

理解がされなければ、支持を得るのは難しい。それが端的に表現されたのが、事業仕分けにおける「一番でなければダメなのか?」発言だという。実際のところ、特に基礎科学の領域というのは、社会にとっての有用性も分かりにくく、なぜその研究が必要なのか、ということが不明確だ。そもそも「必要なのか」という問いかけ自体が馴染まないものなのかもしれない。

で、そんな話がしたい訳ではなく、昨日のエントリーに関連して考えさせられたのが、そうした社会とのコミュニケーションについて考察された「ボドマー・レポート」とその評価の話だ。

ボドマー・レポートというのは、一言でいえば「たくさんの情報を提供すれば、市民は自ら正しい判断ができる」というものらしい。市民(社会)が理解しないのは、理解するための情報を知らないからであり、理解してもらうためには、より多くの情報を提供していけば良い、ということのようだ。

これは昨日書いたベナンのHFW事務局長のメッセージに共通する考え方だ。個人的には自分の考え方もこれに近い。

ところが、この「ボドマー・レポート」は、その後間違いだったのではないか、と否定されてしまう。否定は言い過ぎかもしれないが、そうした反省が生まれるきっかけになったのが、イギリスでのBSE問題だ。このあたりの話は端折られていてよく分からなかったのだが、ようするにイギリス政府は当時この問題に対してボドマー・レポートに沿った対応を進めたのだが、それが必ずしも効果につながらなかったということらしい。
(とは言うものの、実際には当時のイギリス政府の発表には隠蔽があり、それが問題になったといった話もあって、そのあたりの経緯はよく分からない。)

そのボドマー・レポートへの反省というのは、知ることは重要だが、それが社会の知りたい気持ちに答えられているとは限らないというもの。ようするに闇雲に開示すれば良いものでもないよ、ということだとは思うのだが、こうした考え方は一歩間違えれば、発信者による恣意的な情報操作にもつながるため、注意も必要な気がする。

BSE問題での情報開示については、日本でも同じような状況があり、科学的には正しい対応がされながら、コミュニケーションの面では、情緒的な安心感が優先されてしまい、全頭検査という無駄なコスト(安心上、あるいは非関税障壁としては有益かもしれないが、安全上は無駄なコスト)につながっている。

(この話で気になったのが、自分は比較的早い時期にそうした情報に触れる機会があり、知っていたし理解もしていたのだが、例えばメディアや消費者団体というのはそうした「科学的事実」を知った後も、全頭検査をするべきと考えていていたのか、ということだ。いたのだとすれば、その理由にとても興味がある。実際には理解できていなかっただけなのか、それとも別の理由があるのかだ。)

話がずれてしまったが、ある問題について知ること、理解すること、共通の認識をすることとには、意外と大きな隔たりがあるということを考えさせられる内容だったのは確かだ。そういった意味で、ベナンのHFW事務局長が言っていた言葉も、そのまま受け取るのは難しいかもしれない、などと考えてしまった。(ああ、かなり強引なまとめ。でも時間が・・・。)

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