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2010年7月30日 (金)

iPadをビジネスに使う

先週、会社のブログぐらいは朝書こうと宣言してみてから、何故か会社で書くネタが急増し、結局このiPadで書く機会には恵まれていない。すでに来週分の予定もほぼ埋まってしまっているというのは嬉しい悲鳴だが、なんだか皮肉な現象ではある。

で、実はこのiPadはほとんどこのブログを書くためにしか使っていないのだが、大木さんがこんなことを書かれていたので、自分も少し考えてみた。(すみません。まだ本は買ってません・・・。)

「飽きた」っていうのは、そもそも「話題になっていたから買っただけ」という、自らの購買動機を宣言しているだけで、だったら別に使わなければ良いことだ。世の中にはそうしたモノが溢れている。自分の場合、iPadはそうではないが、そういう動機で購入したモノもある。

いわゆる衝動買いの類いだが、個人的にはあまり後悔をする事はない。少々懐が苦しくなったにしても、別にそのモノに害を与えられた訳ではないからだ。そんな訳で「飽きた」という言葉でわざわざ自分を納得させる必要性(おそらくそうした言葉を口にする人は、そんなモノを買ってしまった自分の判断が認められないから、モノのせいにするのだ)は感じていない。

一方で、今の使い方に満足しているか、といえばそうでもない。大木さんが書かれているようなビジネスでの活用というのはほとんど皆無状態だし、大体はメールとブログだけ。メールはiPhoneでもチェックできるから、実質的にはこのブログの更新にしか使っていない。

ただ、それで今のところの使い途としては十分なだけだ。

では、現状ビジネスで活用できるか、ということを考えた時に、はたと思い当たってしまった。
活用できないというのは、自分のビジネススタイル(というかワークスタイル?)の幅が狭いからではないか。自分の仕事の進め方に、iPadのようなツールを活用するだけの幅がないから、活用できない(と感じてしまう)のではないか。

iPadを使うためにワークスタイルを変えるというのは、一見本末転倒なようだが、転換するという意味合いではなく、拡大するという意味で考えれば、ここしばらく抱えている仕事の進め方に関する壁をぶち破る突破口になるかもしれない。

考えてみれば、自分のワークスタイルって10年ぐらい前から全然変わっていない気がするんだよね・・・というわけで、まずは iPad on Business を読んでみなくては。

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2010年7月29日 (木)

生物多様性ファンド

住友信託銀行が、生物多様性の保全に積極的な企業に投資するファンドを開発したそうだ。

生物多様性ファンドの設定について
http://www.sumitomotrust.co.jp/pdf/100716-1.pdf

いわゆるSRI(社会的責任投資)の一つということになるのだが、ふとこういうファンドってどうなんだろうかと考えてしまった。

仮に生物多様性への配慮が将来的に高いパフォーマンスを生むということが(プロの目から見て)ある程度確かであるなら、別にこうしたファンドを組む必要はなく、通常の投資の枠内で対応ができるはずだ。
生物多様性への配慮も投資判断の材料の一つであれば、こうしてことさらに強調する必要はない。

考えられる理由は2つある。

一つは、世間の耳目を集め、資金調達を容易にしたい場合。
もう一つは、現状ではリターンが望めないほどパフォーマンスが低く、通常の投資判断ではリスクが高すぎる場合だ。

おそらくは両者が組み合わさっているのだろうが、それって見方を変えるとほとんど詐欺ではないか。特に後者のようなリスクというのは、きちんと説明がされる必要があるはずだ。通常の投資枠内でできない理由は何か、という点だ。

ただ、だから問題があるかというと、ちょっと違う考え方をしても良いのではないかという気がする。
投資者へのリターンを求めるものではなく、社会への還元を求める、一種の寄付のようなものと考えてしまうのだ。

企業にはNPOのような寄付による資金調達方法がない。しかし、特に新しい領域、これまで手がつけられていなかった(事業リスクが高く手を出しにくかった)領域に手を出す場合、そうしたリスクに投資をしてくれる資金が必要だ。場合によってはリターンはほとんど望めない、ハイリスクローリターンの投資。投資領域によっては、投資者ではなく社会に多大なリターンを生み出す可能性があるのであれば、それは寄付と言えないか。

そうした場合の投資領域を決めるのがSRIの考え方ということになる。

で、そういうものであれば、ファンドを開発する側としても企業支援的な要素を強くして、手数料を取らないとか、通常とは違った運用も考えて良いと思うのだが、どうなのだろうか。

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2010年7月28日 (水)

テレビでのコメント

昨日のエントリーは仕事の話だが、実はオケの方も結構やばかったりする。

・・・などと書こうと考えていたのだが、やめよう。リアルな知り合いも見ているこのブログで、自分の大変さをアピールしてどうするのか。同情が欲しいのか。助けて欲しければ直接求めるべきだし、それもしないで自虐的なことを書いても意味がない。

という訳で昨日の話。

まだ内容その他は公にできないが、テレビの取材を受けてしまった。本来の予定どおり休みをとっていれば・・・と後悔しても後の祭り。5分程のレポートで内容は他にもあるので、使われるかどうかさえ分からないのだが、その程度の(程度の、というのは失礼かもしれないが)ためにかかっている労力ってすごいな、などと感じてしまった。

それと思った通りにコメントするというのは難しい。今回の場合、個人的にはすでに惰性的にやっていることに対するコメントを求められただけに、そもそも「思った事」があったのかどうかさえ怪しいのだが、とっさに発言内容が頭の中でまとまらないのだ。

いやいや、待ち時間の会話の中ではそれほどよどみなく受け答えができているのだから、「カメラが向けられている」状況で発言するのが難しい、ということかもしれない。基本的にはテレビ的にも会社的にも「こう話して欲しい」という話の流れがある訳だが、それを意識すればするほど「自分の」言葉が出てこなくなる。

原稿を作ってくれ(作らせてくれ)と言いたくなるのだが、撮影に時間がかかる割には、そうしたことを考える時間はほとんどない。質問内容を書き出してもらい、目の前にキーボードさえあれば、5分もかからず台本はできてしまうのだが、不思議とそれができない。ライブ感を重視したいということかもしれないが、実際の発言はといえば、ライブにもかかわらず原稿の棒読み(それもやたらと稚拙な原稿)のようになってしまうのがなんとも情けない話だ。

結局のところ、これは慣れということもあるのだろう。オケのステージなんかと同じだ。実際にコメントしなくても場に同席したことが多いとか、そうした無意識の中のシミュレーションと訓練の積み重ねが、テレビの中で違和感のない(実際にリアルに話していると、抑揚もオーバーで違和感バリバリなのだが)発言につながるのだ。レポーターの口振りなどを見ているとつくづくそう思う。

(それと、カメラアングルの関係だと思うのだが、レポーターとの距離が近かったのもまいった。レポーターがきれいとかそんな話ではなく、そもそも自分の場合、普段それだけ近い対人距離での会話に慣れていないのだ。相手が誰でも緊張してしまう距離だったのだが、自分が他人に対して一歩ひいて話す傾向があることを改めて実感した瞬間だった。)

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2010年7月27日 (火)

遅れる理由

本当はとっくにCSRレポート(と世間的には言われるもの)の作成を終了させて、今週はゆったり休みを取る予定だったのだが、いまだにグズグズと作業を抱えている。毎年バタバタするのだが、今年は輪をかけてひどい。

普通は経験をつめばより効率的にこなせるようになるはずなのに、こうなってしまうのはなぜなのだろう。今年に関していえば、クオリティさえ落ちている。普通に仕事として考えられない。

言い訳はいくらでもできるが、それは言い訳にすぎない。言い訳ができる事というのは、言い換えれば原因が分かっている事なので対策も打てる事だ。その対策ができていない理由がはっきりしなければ意味がない。

一体どこで歯車が狂ったんだろうか。そう、個人的には狂ったように感じている。その理由が分からない。渦中にいて振り返る余裕がないということもあるかもしれないが、どうしてここまで遅れてしまったのか、いまだにバタバタしているのか、その理由がさっぱり分からないのだ。

アクティブ・ノンアクション状態だから?そうかもしれない。
でも、なぜそうなったのかが分からない。去年も似たような状態だったが、ここまで遅れていない。

要求レベルが上がって、より高いクオリティが求められるようになったから?それはない。
現実問題としては、クオリティも下がっていることが問題だ。バタバタしている影響が昨年以上にモロに出てしまっている。

マンネリ化によりパフォーマンスが落ちているから?でもどのように?
先日他社の担当者が「正直飽きました」と言っていたのに奇妙な共感を覚えたのは確かだが、それが影響するような仕組みにはしていない。確かにモチベーションが低下している事は自覚しているが、高まる事でパフォーマンスが上がる事はあっても、下がる事でパフォーマンスが下がるような仕組みにはしていないはずだ。

・・・いや、それは思い込みで、やはりモチベーションに左右されているのかもしれない。作業の優先順位が下がっているのは確かだ。ただ、作業全体のボリュームはそれほど変わっていないのだから、結果こなせる総量は変わっていないはずで、そういった意味では全体として遅れている今の状況は異常だ。

つぶやいてもつぶやいても答えは見えてこない。甘えがあると断じるのは簡単だが、何故何に甘えているのだろう。

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2010年7月26日 (月)

けっこういいんじゃないか?

先週は諸事情により入手できなかったのだが、ようやく府中の定期の録音を入手して、早速聴いてみた。といっても、iTunesに取り込んで、iPhoneで、通勤中に聴く、というのは少々さみしいような気もするが・・・。

「けっこういいんじゃね?」

というのがとりあえず聴いてみての感想。いやいや、こんなに上手かったか?というのは言い過ぎかも知れないが、かなり良い演奏になっている気がする。普段以上にホールの響きに助けられているということはあるだろうが、それにしても良くまとまっている。

もっとも、ここまでくれば欲も出てくる。もう一段上をめざすことができたのではないか、という欲だ。

表情のつけ方でいえば、もっと強弱の落差はあって良いだろう。もちろん全体としてみれば大きい音は大きく、小さい音は小さく演奏できているのだが、より細かい部分の強弱の変化がなく、どことなく平板な気がする。楽譜の指示のレベルではなく、フレーズの取り方とか、一音一音の弾き方のニュアンスに統一感がなく、結果的にすべてが同じような音に「ならされて」しまっている気がするのだ。

これは特に集団で弾く弦楽器の課題だろう。大人数で個々のレベルにばらつきがある以上やむを得ないかも知れないが、パートリーダーとしては、もっと個別の弾き方にまで気を配って指示を出していくべきだった。もっとも、そうした指示が出せる程明確な音楽のビジョンがあった訳ではなく、そういった意味では、そんな自分の音楽への向きあいかた自体が最大の課題かもしれない。

次は惑星を演奏する訳だが、そうした細かい部分に注意を払っていくためには、早い段階で楽譜を習得して、より深い読み込みができるようにする必要がある。楽譜を追いかけるのに精一杯の状態では何もできないからだ。

とはいえ、口でいうは易しだが、これは相当難しい。あるいは、弾けない段階からそうしたことを考えていく方法というのを見つけ出す必要があるのかもしれない。

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2010年7月23日 (金)

twitterの発散効果

今日は直前にtwitter上で発散をしてしまったので、ブログに書くネタがない。厳密にいえば、書くためのモチベーション、欲求が薄い。一言で済んでしまうというのもさみしい話だが、意外とtwitter上でのつぶやきは発散効果があって、「とりあえずつぶやいたからいいや」みたいな感じになる。

実際にはもう少し言葉を重ねて考えを整理する必要が(特にメッセージ性の強いものであれば)あると思うのだが、それはそれでしんどい事だし、一言の制約の中でズバッと言い切ってしまう開放感というのは確かにあるのだ。それはテレビのキャスターやコメンテーターが、一言で言い切ることに近い。

本当は議論につなげていかなければならないのだが、強く言い切ることでそうした対話を拒否するといったニュアンスもある。個人的つぶやきに突っ込まれても困るという捉え方もあるだろうが、個人的にはそういった意見にこそ口を挟みたくなってしまうのが悪い癖だ。
(それも、それなりの人数をフォローしているはずなのに、ある特定の人のつぶやきについつい反応してしまう自分がいる。多分別の意味で「波長があっている」のだろう。いや、あっていないというべきか・・・。)

まぁそんな日は無理矢理書いても仕方がない。他にもやる事があるので、残りの時間はそちらに使うか、もう少しtwitter側で発散する事にしよう。当然ながらiPadだとiPhoneからよりもつぶやきやすい。

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2010年7月22日 (木)

朝にやっておくこと

昨日のエントリーを書いてから、そういえば優先順位がそれほど高い訳でもないのにほぼ毎日追われていて、かつ朝などの就業時間外でも出来るタスクがあることに気付いた。

それは会社のブログを書くことだ。

会社のブログ更新は、自社ネットワークにつながっていなくても進めることの出来る数少ないタスクの一つだ。それこそ、iPadからでも出来る。もちろん社内のリソース(写真とか)を使うこともあるので、完成させることまでは難しいが、おおよそのプロットを書いておくだけでもずいぶん違ってくる。

何よりも、日中「今日は何を書こうか」と頭の片隅で考えておかなくて済むのが良い・・・はずだ。企業ブログの多くはかなり事前に原稿を書いているケースが多いようなのだが、自社の場合はライブ感重視というか、行き当たりばったりというか、その日にネタを考えたり仕込んだりすることも多いので、常にどこかで「今日の更新」の事を考えている自分がいて、これは結構他の作業の足を引っ張るのだ。
(なるべく切り分けるようにはしているのだが、特にネタがない日などは、目の前のタスクからの逃避的にブログの更新を意識してしまう事も多い。)

さらに自分の場合、「何を書くか」「どう書くか」を考える頭の働きは、おそらくこの時間がもっとも高い。変な話だが、長年ブログを書く中でそのような「頭」に作り上げてきたからだ。

個人的には業務時間として与えられた時間外にそうしたことをする事には抵抗もあるのだが、ブログの更新ぐらいなら良いだろう。そもそも、かなりパーソナルな要素が強いものでもある。「会社の」ブログではなく、「会社に勤める自分個人の」ブログをあえて意識して作り上げてきたものだからだ。

めずらしく今週はネタが埋まっていて、今日の分もすでに出来ているので(かなり珍しい事態)、実際に取り組み始めるのは来週からになりそうだが、しばらくそのように進めてみても良いかもしれない。

もちろん、朝はこのブログの方が優先なので、あくまでもこちらが書き上がって時間が残っていれば、という話。

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2010年7月21日 (水)

優先順位

一番優先しなければいけない事は分かっているのだが、他におされてなかなか着手できないタスクがある。

理由の一つは、他のタスクに比べて若干締切がゆるい事だろう。終わらせることは重要だが、遅れること自体は「すみません」で済んでしまう。それに比べると、他のタスクは重要性がそれ程高くない割に、締切はデッドで「今この瞬間にやっておかないと後回しでは意味がない」というものが多い気がする。

そうした重要性が低いタスクは、思いきって切り捨てる事も必要なのかも知れないが、意外とやる事自体の負荷は高くないため、ついついやってしまうのだ。一方で重要なタスクの方は負荷が高く、他を切り捨てなければ着手自体が出来ない。

そもそもの優先順位が間違っている事は分かるのだが、では実際に切り捨てられるのかといえば、そこまで重要度は低くない。かくして、締切がゆるいものからズルズルと後回しになっていってしまうのだ。

あと、かなりの集中力が必要なので、そもそも日中自席でやるのはノイズが多すぎて非効率、というのもあるんだよなぁ・・・カフェとかで、職場から切り離して臨んだ方が効率は良いような気がする。そのための環境は一切整っていないけど(笑)

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2010年7月20日 (火)

諸般の事情により

週末に宮城の父の実家に行ってきたのだが、直接的には影響ないものの、間接的には仕事やオケへの影響が小さくなく、特に仕事については宮城行きに関係なく遅れに遅れている。

という訳で、今週は仕事シフト。なんとか今週中に決着をつけたいのだが・・・。

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2010年7月16日 (金)

ノー残業デーに定時退社できても・・・

※今日は社内向けのコラムを書いている時間が(日中)ないので、文体を変えてこちらで下書きします。

ノー残業デーにきちんと定時退社できる人の割合は?ーアイシェア調べ
http://journal.mycom.co.jp/news/2010/07/12/041/index.html

20代から40代のネットユーザーが対象ということで、若干対象に偏りはありそうですが、アイシェアが実施した「ノー残業デー」に関する意識調査の結果によると、ノー残業デー制度がある職場の就業者で、実際に定時退社が出来ているのは58.6%だったそうです。

これを高いとみるか低いとみるかは考え方次第ですが、そもそも「ノー残業デー」を設ける会社というのは、「残業が一般的だから」その対策として設けているのでしょうから、実際には制度通りに退社出来ていない実態があるというのも、分からない話ではありません。
制度を導入した担当者としては悩ましい話でしょうが、結果としては妥当な気もします。

(余談ですが、「ノー残業」というのは、会社としては「効率を上げろ」というメッセージなので、こうした制度を導入している会社はよりコスト意識が高いという事は言えるでしょう。制度の実績が上がらないというのは、会社としては「労働効率が上がっていない」という評価になります。逆に残業を制限しない会社というのは、そうした効率化には無頓着ということかもしれません。)

さて、記事では調査結果の一部しか紹介されていないので、そこからだけで判断するのは稚拙かもしれませんが、気になったことが二つ。

一つは「ノー残業デー」に定時退社出来る人は、「普段は」定時退社出来ているのか、ということ。普段出来ているし、ノー残業デーも出来る、というのと、普段は全く出来ないけれども、ノー残業デーなら出来る、というのでは大きく事情は異なります。質問の仕方によっては、そうした部分が浮かび上がっていない可能性もあります。

もう一つは、「ノー残業デー」がない会社の実態はどうなのかということです。そもそも残業という習慣がないからノー残業デーもないといった会社もあるかもしれません。その辺りを比較してみたら面白いのではないかと思いました。(実際、回答ではノー残業デーがない職場の方が多いので、そうした意味でもそちらの集団の実態を知りたいような気がしました。)

個人的には「ノー残業デー」は他の日の残業を是認しているかのような印象を与えるので、「残業デー」というのを設けた方がいいんじゃないか、なんて考えてしまいますけどね。

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2010年7月15日 (木)

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

機会があって、ダイアログ・イン・ザ・ダークというイベントに参加してきた。これは完全に光を遮断した暗闇の世界を体験するというもので、8人がグループになり、視覚障害者のアテンドにサポートしてもらいながら、真っ暗闇の空間を歩き回る。

何も無い空間ではなく、実際の社会を模しているので、足元は普通の地面のようだし、途中テーブルがあったり、ブランコなども(遭遇しなかったが)あるそうだ。
(ブログ等でどんどん紹介して欲しいとは言われたのだが、これどこまでネタバレして良いのかな・・・。)

例えば視覚障害者を擬似体験するものとして、アイマスクなどを利用する方法もあるが、それとは少し趣が異なる気もする。「大変さを体験する」という感じが薄いのだ。もちろん不安は感じたりするのだが、むしろ見えないことで感じることや、分かることがあると気付かされるポジティブな体験というべきだろうか。
闇の中で的確にサポートしてくれる視覚障害者の凄さなども実感したりする。

エンターテイメントとうたっているのだが、なるほど、という感じだ。

もう一つ特徴的なのは、また行きたいという感覚になることだ。アトラクションというのは何度か体験すれば飽きるものだが、そういった感じが無い。何回体験しても全てが分かる事はなく、慣れる事はあっても、飽きる事は無い気がする。
もちろん、ああ前回もこんな事あったな、という事はあるのだろうが、おそらく感じ方が毎回違ってくるような気がするのだ。

1回8000円は少々高めだし、時間も90分と長めだし、人数的な制限もあるから予約も大変そうだが、何度でも行きたい様な気分になったのは確かだった。ただまぁ、できれば参加する面子は毎回違うのが面白いだろう。いろいろと誘ってみたい気がする。

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2010年7月14日 (水)

結局パソコンの延長なのか

iPadでブログの更新をするようになり、オケで配布する資料の作成などもしたのだが、そういえばこうしたことは(メールの返信なども含めて)パソコンでできることの延長で、あまりiPadならではの使い方はしていないのでは、という気がしてきた。

パソコンに比べれば(特に最近メインのMacに比べれば)圧倒的に軽くて持ち運びがしやすく、起動が速いというのは確かに利点なのだが、別にiPadでなければいけないわけでもない。さっと取り出してメールやウェブをチェックするにはiPhoneの方が便利だし、意外と利用場面は少ない。

もちろん、無ければ無いでかなりの不便を強いられるので、なくてはならないものではあるのだが、はて、もう少しならではの使い方があっても良いのでは、という気がする。

でも、iPadならではの使い方ってどんな使い方だろうか・・・。

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2010年7月13日 (火)

区切りで終えるか時間で終えるか

一日の仕事を何らかの区切りで終えるか、それとも時間で終えるか。

一般的には区切りで終える考え方だろう。これはスポーツに例えれば野球型。
学校の授業や試験などは区切りではなく時間で終えるしかない。これはサッカー型と言えるだろうか。

個人的なポリシーは時間で区切るサッカー型でありたいと考えていて、常日頃その様に進めているのだが、決着がつかないと延長せざるを得ない。その延長戦を時間で終えるか、それとも区切りで終えるかだが、基本的には区切りで考えるのだが、気を抜くと延々と延長することになってしまう。

先週までは、府中の演奏会の準備を優先していたため、仕事は一切延長なしだった。会社は定時で終え、以降はオケにリソースを投入。なぜかそちらは時間で区切ることをしていなかったため、だらだらと1時ぐらいまでやったりすることもあった。(そうだ。改めて考えてみるとあまり時間で区切っていない。これは良くなかった。)

今週からは、それで遅れた仕事を取り戻すために、仕事の方が延長モードになる。となると、気をつけなくてはならないのは、どこで区切るかの見切りだろう。一日ですべてを終わらせることはできないから、その日にどこまでやるかの見極めが重要になる。

この区切りの見極めがへたくそというか、だから普段は否応なしに時間で区切るようにしているのだが、何らかのタスクや作業の「一段落」というのを設定するのが苦手な気がしている。やることはいくらでもあるから、区切らなければ延々続けることも可能なわけで、ほおっておくとそのような状態になるのだ。

正直なところ、後回しにしてきたツケで、今からではプロジェクトマネジメントもへったくれもなし、という状態に追い込まれてはいるため、区切りを考えている時間があったら少しでも作業を進めろ、という感じでもあるのだが・・・。

さて、いずれにしてもここ1~2週で一気に詰めなければならない。区切りはなくても、こなしていく段取りぐらいは少し考えておかなくては。

つーか、一番進めなければいけない仕事に割ける時間が定時以降しかないって、どういう状態なのさ・・・。

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2010年7月12日 (月)

演奏会終了

府中市民交響楽団の定期演奏会が終了。いつもとは違う初めてのホールだったが、とても気持ちよく弾けた・・・と思う。客観的な結果は録音を聴いてみないと分からないが、別にそうした客観的結果をめざしているわけではない。お客さんが楽しめ、自分達が楽しめる時間と空間を共有するのが目的なのだ。

そういった意味で、成功したと思いたい。満席には届かなかったし、細かくはトラブルやクレームもあったのだが、それらは次の糧にして行けば良いことだ。

今回はいつもと違う土曜日公演だったので、最初から翌日が休みだったのだが、昨日は二日酔いでぐったりしていた。本当はその時にいろいろできると良いのだが、やったことといえば礼服をクリーニングに出して洗濯をしたぐらいだろうか。

本当はスタッフをお願いした団員に反省点を聞くメールを出したりするつもりだったのだが、夜もそんな気力もなく寝てしまった。

などと書きつつ、昨日は楽器をメンテナンスに出してきた。特に気になっていることがある訳ではなく、健康診断のようなものだったのだが、駒が曲がってきているのと、指板が平らでなくなってきていると指摘された。

さらにもう一つ、ネックの角度がなくなってきているとのことで、そろそろリセットが必要という話だった。指板の削り直しや駒の交換はともかくとして、ネックのリセットは工賃も6万円、期間も1.5~2ヶ月ほどかかるらしい。

金額はさておき、2ヶ月という期間はかなり厳しい。少なくとも来月はオレイユの本番があるので、しばらくはできない。その後も、2ヶ月練習を休むというのはかなり影響が大きい。次の定期は11月だからその前にやるというのも実質的には無理だろう。となると、それ以降、12月~1月に行う感じだろうか。

2月にはミニクラシックコンサートもあるのだが・・・。

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2010年7月 7日 (水)

やりたい事とやれる事

段取りが悪いのか、やりたい事とやれる事との見極めが甘いのか、最近思ったように物事を進められていない。

段取り力の問題かと思って色々工夫もしているつもりなのだが、もっと根本的な見極めの問題なのかもしれない。多分段取りで何とか出来るキャパを超えているのだ。

なんでそうなるかといえば、よい意味での割り切りができていないからだろう。割り切りができていないのでは無く、「良い」割り切りができていないのだ。

だから抱え込み、自然にあるいは無意識にはみ出てしまった事柄から抜け落ちる。それを割り切ってしまうのは「良い割り切り」とは言えないだろう。

ブログを書くのに電車の中でiPhoneからという状態でかなり末期的。さて、今日これからやる事は・・・。

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2010年7月 6日 (火)

西洋ののこぎりは押して切る

昨日、レセプションについての打ち合わせの後、下見を兼ねて(?)打ち合わせをしたメンバーと少し飲んだのだが、そこで弦楽器の弓の使い方について、なるほどという話を聞いてしまった。

日本ののこぎりは引いて切るが、西洋ののこぎりは押して切る、という話だ。

これがどう弦楽器の弓の使い方に関係してくるかといえば、西洋人の弓の使い方は「押し切り」つまりアップボウで力を込めるのに対し、日本人の弓の使い方は「引き切り」つまりダウンボウで力を込める形になりやすいということだ。

思わず納得してしまったのだが、今回演奏するブルックナーの交響曲第8番でいえば、例えば第4楽章の冒頭に、作曲者による弓順の指定があり、ここに見事にあてはまるのだ。

作曲者の指定は、装飾音符をアップボウにした、アップーダウンの組み合わせ。当初はその形で練習していたのだが、指揮者が聴き比べた結果、逆のダウンーアップの方が良いということになり、今はそのパターンで弾いている。

作曲者は西洋の「押し切り」をベースに考えて弓順の指定をしているので、強く強調したいのはアップボウの装飾音符。指揮者の解釈ももちろん同じで装飾音符を強くしたい。ところが弾く側の我々は、どうしても「引き切り」でダウンボウが強くなってしまうため、作曲者の指定通りだと、よほど意識しない限り装飾音符を強く弾くことができない。

「押し切り」と自覚していれば、ある程度は対応できたかもしれないが、自然にできるものではない。自分自身、強く弾く時は弓をダウンボウにするものと思っている。ダウンで弾いて、アップで戻す、というものだと思い込んで弾いている。

ところが、のこぎりの使い方から考えれば、実際には逆で、アップで弾いてダウンで戻すのが「普通」ということになるのだ。これはかなり衝撃的だった。
(いやまぁもちろん基本的にはアップダウン関係なしに同じように弾けるのが理想ではあるのだが。)

これは腹式呼吸のポイントが吐く事にある(吸うために腹筋を使うのではなく、吐くために使い、その反動で吸う)と知った時並みの驚きだった。早速練習で試してみたいのだが、残念ながら練習できるのは早くても金曜日・・・。

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2010年7月 5日 (月)

最終練習

昨日は府中の本番前最後の練習。今回は前日のG.P.がないため、あとは当日のリハーサルのみ。曲のボリュームから考えて、リハーサルで通す事は考えられない(この間の第九では当日のリハーサルでも通しをやったりしたが)ので、一通り弾く機会は、もう本番しかない。

曲の仕上がりはまあまあといったところだろうか。今回は練習期間が長かったわりにまとまるのが遅かったのだが、本番を狙っていたかのように、最後は不思議とまとまってくる。次の定期演奏会は練習期間が短いのだが、それでも本番にあわせて調整してくるのだろうか。

どういったメカニズムなのかは不明だが、逆にいえばそこからさらに一押しできればより良い演奏になるという事でもある。上限が決まっているかのように、予定調和的にまとまっていくのは、安定感といえば聞こえは良いが、進歩感がないといえばないかもしれない。(それでもオケ全体としてレベルアップは徐々にしていると思うのだが。)

まぁその辺りは演奏委員長が中心になって考えていく事で(自分も演奏委員ではあるが)、目先の不安材料はむしろ運営面にあったりする。今回は自分が仕切るのも初めてなら、団として初めてのホールで、しかも普段は行わない土曜日の公演だ。とにかく、普段は同じところで同じような演奏会を行ってきた団体が、いきなり別の場所でいつもとは違った演奏会を(でも演奏自体はいつもと同じになるように)行わなければならない。

まぁそうなってしまった事はどうしようもないので、いくら心配しても始まらないのではあるが・・・。

今週やらなければならない事はまだいくつか残っていて、とりあえず今日は終演後のレセプションの会場に行って打ち合わせ。60~80名ぐらいで予約をしていたのだが、ふたを開けてみると出席予定者が90名を超えていて、一度下見をしてはいるのだが、電話で話すだけではちょっと不安になってきたのだ。
このあたりも、いつもとは勝手が違う。

その他、当日の入館者名簿の作成と送付、演奏会要綱の一部手直しとスタッフをお願いした人への送信と念押し、昨日の録音のアップとパートリーダーへの連絡、自分も聴いてのパート内への連絡(これは最近他のメンバーがフォローしてくれていたりしてとても助かっている)などなど、前日に休みはとっているのだが、免許証の更新などもあるので、どれだけ(自分の)練習ができるのかが不安だったりする。

とはいえ、昨日もそうだったが、ある程度事前に個人的にさらっておかないと、いきなり合奏に臨むと失敗することが多い。ここしばらくそんな状態が続いているので、本番だけはそんなことがないようにしなければ・・・。

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2010年7月 2日 (金)

お詫び

昨日書いた話だが、どうやら若干事実認識が違っていたようなので、訂正して謝罪する。

駒野選手母の謝罪で「朝ズバッ!」批判 ツイッターでまた「デマ」が広がる
http://www.j-cast.com/2010/07/01070109.html?p=all

このような発言だったようなので少し引用する。(ああ、多少面倒だがこうして引用が出来るのもiPadのおかげだ・・・。)

番組では7時39分頃、涙をぬぐいながら、 「みんなに申し訳ない(中略)ホンマによくここまで頑張ってくれたと言ってあげるだけです」 と話す友美子さんの様子を、15~20秒程度紹介した。

その場でのインタビューではなく、前日に囲み取材を受けた時のひとこまということのようだ。もっとも、だったらなおさら何故(中略)の前をカットしなかったのか、という疑問は残るのだが・・・。

とはいえ、その場にいた記者が「デマ」というのであれば、デマなのだろう。発言の一部を切り取るのはメディアも一緒だから、一概に発言を取り上げる事が問題だったとは思わないが、だからこそそうした編集は慎重にやるべきという事なのかもしれない。

ああ、なんだか謝罪する内容になっていないような気も・・・。

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2010年7月 1日 (木)

誰が謝罪すべきか

最低である。久しぶりにかなり不愉快になった。
そういう感情を発して周囲を巻き込むことは良くないとは分かっているのだが、叫ばずにはいられない。

ワールドカップの決勝トーナメントで、日本はパラグアイにPK戦で敗北した。結果として駒野選手が外したことが直接的な敗因となったのだが、翌朝のTBS「みのもんたの朝ズバッ!」で、あろうことか彼の母親にインタビューを行い、「皆さんに申し訳ない」と言わせたというのだ。
(そんな時間の番組を見ているヒマなどないし、見たくもないから、後からtwitterで知っただけだが。)

もちろん無理矢理言わせた訳ではないだろうが、状況的にそうした発言を引き出すためだったのは間違いない。他の言葉が出ることはあまり予想できないからだ。

何が最低かと言って、親を巻き込んだのはもちろんだが、駒野選手の心の拠り所まで奪っていることだ。親というのは子にとって最後の砦である。日本中、世界中の全ての人々が敵になっても、最後までかばうのが親だろう。日本中が駒野選手を責めたとしても、親だけは「お前は良くやった」と言って欲しいし、それが親の姿ではないのか。

それを、当人同士が対面する間も与えず、分断し、破壊する。まさに犯罪的である。

個人的には、駒野選手を責めたい気持ちを持つ人たちがいるであろうことは否定しない。おそらく番組のプロデューサーやインタビューをした記者、みのもんた氏はそうした憤懣を誰かにぶつけたくて仕方なかったのだろう。しかし、当の駒野選手は遠くアフリカの空の下。そこで、手近な関係者にメディアの暴力をもってその怒りをぶつけたということかもしれない。

そんなことが許されるわけがない。

即刻謝罪をすべきだろう。そんなことで償えるわけもないが。

断っておくが、当人の謝罪では全く意味がない。プロデューサー、記者、みのもんた氏の親を呼んで謝罪をしてもらわなければならない。彼らがやったことは、つまりはそういうことなのだ。

それでは同じことになってしまう、と言うかもしれないが、少し違う。駒野選手の母親には、彼がPKを外した事に全く責任はないが、番組関係者の親には、彼らをそのような精神を持つ大人に育ててしまった絶対的な責任があるのだ。

がっちりマンデーとか、TBSには好きな番組もあったのだが、しばらく見る気になれそうにないな・・・。

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