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2010年8月11日 (水)

社会活動へのリターン

昨日自社のCSRについてヒアリングを受ける機会があり、久しぶりに頭を使った(笑)のだが、その中で、「企業が社会貢献する際のリターン」についての話があった。

社会貢献活動に対するリターンを考えるのは難しい。これは「良いことだから対価を得るのはいやらしい」といった感情面の問題だけでなく、もう少し根本的な構造の問題があるような気がする。

社会問題の解決のための投資というのは、Give & Take をベースに考えるのではなく、Give & Give というか、Pay it forward をベースに考えなければならないのではないか、と感じるからだ。

通常の経済活動は、商品やサービスの提供とそれに対する対価という二者間の取引で成り立っている。このパラダイムで考える限り、社会問題を解決するための投資というのはその正当性を(社会倫理上はともかく経済活動としては)説明できない。サービスの受益者がリターンをすることができないからだ。

リターンができればそれは経済活動になる。受益者がリターンができない、という大前提が、そもそも経済活動ではなく社会問題への投資だという証明でもあると考えれば、できるわけがない。

ただ、経済活動には広告モデルのようなもう少し複雑な取引関係もある。これをさらに拡大することで説明することはできるかもしれない。現在リターンができない受益者層が、投資によりリターンできる様になることは、将来の市場の拡大につながるからだ。実際、著名な企業の社会貢献活動はそうした「未来に対する投資」という要素が強い。リターンを得るためのスパンを通常の経済活動の場合よりも遥かに長く捉えることで、そうした投資が可能になる。

例えば、貧困に対する支援というのは、未来への投資として非常に分かりやすい。貧困層の経済的自立の実現は、新たなマーケットの創出でもある。特に貧困に直面する個人ではなく、貧困に生み出す社会システムの変革に対する投資というのは、極めてリターンをイメージしやすい。もっとも、これが暴走すると社会システムの混乱につながる部分もある。

そういった意味では、こうした投資は慈善活動のようなものとは一線を隔する部分もある。非常に冷めた見方をすれば、アメリカによる資本主義の輸出だって、そうした投資の一種ではあるのだ。
(実際、国際協力NGOの活動の多くは、先進国の文明を途上国に輸出するという側面があるのは否めない。これは社会の発展が一直線で定義される中での取り組みだからだ。)

一方で、そうした将来的なリターンをさえ望めない社会問題というのもある。残酷なようだが老人介護や障害者支援というのは、特に自立が望めない層についてはそうした「リターン」では非常に捉えにくい。

そこでそうした層に対しては公的な、つまり行政による支援が重視される必要がある。それはそれで良いのだろう。善意で上乗せされる要素はあっても良いが、最低限の部分は必要だし、なんでも一つの捉え方で解決ができるわけではない。

とまぁ色々と考えさせられたりしたのだった。

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