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2010年9月30日 (木)

復帰

3日間のお休み終了。何事もなく、というか、何事もせずに終わった。が、まぁ休みというのはそういうものだろう。

休養のおかげでエネルギーは充電できていると思うが、一方でウォーミングアップをしていないので、今日からのスタートダッシュには不安が残る。今日やる事は・・・と考えて、パッと頭に浮かんでこないというのは、すぐにスタートできるアイドリング状態にないということだ。

まずはそこから始動していなかなければならない。とりあえずたまっているであろうメールを片付けながら、今日のミーティングの準備をすることになるだろうか。いくつか今日中に案内を出さなければいけないものもある。

本当はこのあたりをきちんとタスク管理しておければ良いのだが、先日からToodledoを使っているものの、会社のタスクまでは整理できていない。仕事上のタスクについては会社のグループウェア(Notes)に登録しているということもある。

まぁいずれにせよ今日は早めに出社しよう。

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2010年9月27日 (月)

お休み

府中の合宿は終了。今回は2日目も夕方までみっちり練習をした為、結構疲れた。帰りは渋滞の高速を諦め、一般道を使ったのだが、団員が無事に帰れている事を願う。

さて、実は今日から3日間はお休み。今年は年初に立てた休みの計画がずたずたに崩れ、あまり休暇らしい休暇がなかったのだが、一息つける。

もっとも、今日はこれから9月まで府中の楽器置き場として借りていた倉庫の大家さんに最後の挨拶をして、運搬用の車を実家に退避させなくてはならない。晴れていれば良かったのだが、雨なので少々憂鬱ではある。帰りは電車を使う訳だが、実家は駅まで15分はかかるからなぁ・・・。

その後は合宿中の録音を整理して配信する予定。いくつか失敗していて、どうも録音は安定しない。今はiPod + マイクなので音が割れまくる事もあり、専用の録音機器を購入する事も考えたいのだが、ビデオカメラも買ってしまったし、今の所練習の録音にはそこまでの音質は求めていないという事で放置している。古いビデオも整理しないといけないんだよね・・・。

もっとも休みというのは、そうした「やりたい事」が次々と湧き出てくるのだが、結局のんびりしてしまったりもする。ま、気楽にいくことにしよう。

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2010年9月24日 (金)

個人練習の優先順位

結局練習しなかったし・・・。

「出来なかった」という言い方は自分の選択ではないようなので、「しなかった」という表現をこういった場合はなるべく使うようにしているのだが、結局一昨日、昨日は練習をしなかった。スケジュールには書いていたのだが、他に(自分にとっては)優先順位の高い用件が発生したので仕方がない。

こうした「個人だけで完結する」ことの優先順位の設定は難しい。多くの場合は変動的だ。他の人との約束であれば、先約優先を貫くこともできるが、その先約が自分自身だからだ。ただ、本来は他でカバーすれば良いのだが、今回の場合はその時間がないのが、痛いといえば痛い。

予定の立て方を若干間違ったという事もある。

さておき、すぎてしまった事をぐたぐた言っても仕方ない。このブログに書いたのは自戒と報告をかねての事だが、言い訳っぽくなってしまうのが情けないところだ。

さて、今日は都響のコンサート。明日からは府中の合宿だ。天気が少々気になるところだが・・・。

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2010年9月22日 (水)

実は100回弾くのも結構難しい

昨日書いた内容も含めて、パート内に練習のポイントを伝えてみる。かなり長くなってしまった。

1.まずゆっくりで良いので、「音をしっかり」「止まらずに」「よどみなく」最後まで弾けるようになることを目指してください。
特に水星の方は、途中をどれだけ繰り返して弾けるようになっても、一度つっかえたら復帰できない可能性が高いので、まずは止まらないことを意識してください。つっかえたらそこから弾き直すのではなく、多少の間違えても突き進み、最後までいってから反省するという練習が重要です。

2.左手をしっかり押さえるのは基本ですが、早くなってきたら弓の動きを短くコンパクトにする事を心がけてください。それだけ5%ぐらいはスピードアップが可能です
特に火星の練習番号5は、音量よりも音の鋭さを意識すると結果として粒がたって大きな音量に聞こえるようになります。

3.例えば100回を一気に繰り返そうとすると、同じ動きをする指の疲労も半端ではなくなります。まず同じテンポで火星(2箇所)、水星をそれぞれ5回ずつ繰り返し、テンポを少しあげてまた5回・・・といった方法でテンポをあげていくというセット型の練習をすると、意外に集中できるかもしれません。(20セットで各100回。5回をカウントするのが少々面倒ですが、多少の誤差はよしとしてしまえば良いのです笑)

一番目については、最終的にテンポについていけないとしても非常に重要です。出すべき音、動くべき音が指に「ついている」かどうかで、仮に弾けなくても全体の和音を乱す可能性がぐんと減るからです。適当でいいやと諦めるのではなく、「このテンポなら弾ける」という自分なりのラインを持つようにしてください。
(余談ですが、スキーではターンごとに止まって確認する練習よりも、長い距離を滑りながら修正をしていく練習を、特にある程度滑れるようになってからは重視します。基本的には同じ考え方です。)


言うだけではいかんという事で、昨日も練習。実際セットにしてやってみたのだが・・・。

20セットはかなりきつい。元気な時ならともかく、前日弾いた指の痛みがまだ若干残っている状態で、仕事が終った後に集中力を維持するのは難しい。結局10セットしか出来なかった。つまり50回しか弾けていないという事だ。

もっとも、ちょっと失敗したかな~と思ったのは、ゆっくりな状態でも5回繰り返すのは少々無駄があるということ。確認の意味で最初はゆっくり弾く事も必要だが、このテンポならいけると思ったら、5回をまたずにテンポをあげていった方がよさそうだ。カウントは難しくなるが、仮に50回が限界であれば、その間にどれだけテンポをあげる事ができるかが課題になる。

20セットで目標テンポに持って行くことを考えていたら、10セットでは半分までしか届かないからだ。実際、昨日の練習ではそういう失敗をしている。

今日も練習はしたいと思っているが、問題が二つ。

一つは昨日以上に指の痛みが残っている事。普段やりなれない練習を無理にすればこうなる。学生時代ならともかく、今のやわな指先は毎日の練習には耐えられないのだ。(ちょっと弾くぐらいなら問題はないが、今回練習しなければいけない箇所はポジション移動も多く、指をスライドさせる関係で若干指先がやけどぎみになっている。)

もう一つはなぜか妙に仕事が立て込んでしまっていること。来週前半に休みを取ることも影響しているが、金曜日は都響のコンサートでどうしても定時あがりになるので、そこまでに終わらせるには今日なんとかしておかなければいけない。

さて、せめて朝やるか。個人的なポリシーには反するのだが、やむを得ない。

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2010年9月21日 (火)

1000回弾くのは結構難しい

今週末は府中の合宿があるのだが、それまでやっておく宿題というのがコンサートマスターから出ている。火星と水星にある細かいパッセージを1000回弾くというものだ。

もちろん1000回というのは一種の比喩的な表現ではあるのだが、実際1000回弾けば大抵は弾けるようになる。仮に弾けなくても、追いかけることはできるようになるから、それだけでもアンサンブルに与える影響は大きく違ってくる。

しかし、1000回弾くというのは正直大変だ。恥ずかしながらまだ500回というところで、合宿までには間に合いそうにない。昨日もゆっくりから100回ほど上乗せしたのだが、2時間弱かかっただろうか。最後は指先がしびれてしまった。特に水星の方は長いので時間がかかる。

今週はもう1日休日があるので、その日に練習するにしても、1日に上乗せできるのはどうやら100回ぐらいが限界のようではある。となると、平日も含めて毎日やっても間に合わない事になる。今頃気づくなよ。(もっとも、毎日弾くのはそれだけで2割り増しでカウントして良いぐらいの効果はあるだろう。金曜日は夜の予定があるのだが、今日明日はできなくはないので、300回の上乗せにはチャレンジしてみる価値はあるかもしれない。)

それと、先日の練習でもコンマスの雷が落ちたのだが、全体として楽譜が追いかけきれていないのは、実はそれ以外の部分であることが多い。1000回弾けと言われている部分は個人練習でもなんとかなる(というか個人練習でしか何ともならない)のだが、惑星という曲全体をみてみると、合奏でしか練習できない箇所が多いのだ。

個人やパートで弾いていると弾けるのに、合奏では合わないというやつである。もちろんそうしたアンサンブルの部分はこれからの練習の課題といえばその通りなのだが、それにしても後回しになってしまっていて、未だに初見に近い箇所すらある。

その辺りは馴染んでくれば(自分に関しては)なんとかなるという、あまり根拠のない自信はあるのだが、パートやオケ全体としてみると少々心もとないのも確かだ。自分がその「馴染み」をどの様に獲得しているか分かっていないので、パート内に敷衍させていく方法を思いつかないのだが、本当はそうしたところをサポートできてこそパートリーダーと言えるのだろう。

正直なところ、楽器に関してはスキーほど体系化されたメソッドを自分の中に持っていない。改めてしっかりレッスンを受けるのが最善の道ではあるのだが、ちょっとそこまでの余裕がないんだよね・・・。

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2010年9月17日 (金)

共有地の悲劇を防ぐには私有化しかないのか

先日、宮下公園の周辺が少々慌しかったのだが、こんなことがあったのだった。

宮下公園:一部閉鎖 渋谷区、整備へ「緊急の対応」 /東京
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20100916ddlk13010294000c.html

今朝は「宮下公園の封鎖・野宿者排除の風景が忘れられない。」というツイートも見かけた。
なるほどそんなことがあったのね・・・とは思ったのだが、残念ながらそれ以上の感慨は生まれなかった。

考えてしまったのは、もっと残酷なことだ。

共有地の悲劇を防ぐ方法は、結局一時的であっても私的所有権を認めてしまうしかないのかもしれない。

まず、野宿者排除という視点から考えてみよう。そもそも、共有地である公園にそうした人たちが「住む」ことは認められるべき事なのか。

他に行く所がなく、やむなく、というのは、事情としてわからなくはないが、だからといってそこで共有地の使用を認めてしまう事は、正しいのか。彼らの側の問題ではなく、そうした人達を共有地に「押し付けて」受け入れない社会の側の問題としてだ。

彼らが共有地で生活する事を認める人達は、それが自分の家の庭であっても認めるだろうか。申し訳ないが自分は(本音としては)認められない。しかし、共有地だから認める、というのでは、共有地の悲劇は防げない。(もちろん一晩といった一時的な緊急避難は別だ。それは自宅の庭であっても「認める」だろう。)

断っておくと、そうして追い出された人を見捨てて良いという事ではない。共有地で受け入れるというやり方の問題を問うているのであって、彼らを社会的に受け入れる方法は必要だ。実際記事には、区の側で受け入れ施設への入居を勧めているとある。その施設に問題があるのであれば、もちろん改善は必要だが、それは公園という共有地の使用を認めるという事とは別問題だ。

今後宮下公園は、期限付き条件付きでナイキという企業が一種の私的所有権を持つ事になる。所有権を持つというのは、その維持管理に責任を持つという事でもある。どうも日本では所有というのを責任のない「自分の好き勝手にして良い」ものという認識で論じられる事が多いが、決してそうではない。

(そういえばその一方で「公共の場」ではやたらと自由を制限し、責任を求める議論が多い気がするな・・・反動だろうか。)

いってしまえば、共有地ではなくなる事で、悲劇から逃れられるという事になるのだが・・・結局それしか解決する方法はないのだろうか。「誰のものでもない」ものは「誰の責任でもない」ことになってしまうのだろうか。

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2010年9月16日 (木)

メモというインプット

ほぼ日手帳へのメモを再開して改めて感じたのは、先日書いたように、思いつきメモはアウトプットではなくインプットだという事だ。
・・・と、ほぼ日手帳に書いてある。(昨日は持って帰ったので今日は鞄の中にある。)

自分にとって「思いつきメモ」が、アウトプットではなくインプットなのは、思いつきを紙に「吐き出す」行為ではなく、自分の意識にあらためて「打ち込む」行為だから。

自分の言葉に変換する ⇒ インプット
相手の言葉に変換する ⇒ アウトプット
こう考えれば、フッと浮かんだ考えをメモという形で自分の言葉に変換するのはインプットと捉える事ができる。

以上がメモの内容。後半の考えに沿えば、このブログも「公開はされているけれども」自分にとってはインプットという事になる。読者がいる事も自覚しているが、読者の為に読者の言葉に変換して書くということをしていないからだ。

全く同じような調子で書いていても、CSR日記つぶやき(はてなダイアリー)とはその辺りが異なる。自分にとっての意識上の位置づけが違うのだ。ナレッジマネジメントでいえば、暗黙知の領域に近い。形の上では言語化された形式知のようでも、意識上は違っている。

こうした考え方をベースにすると、本を読んだり話を聞いたりすることは、ただそれだけではインプットとは呼べないかもしれない。相手の言葉を自分の言葉に変換して、自分自身に「打ち込んで」やらなければ、インプットにならないのだ。

うーん、だとするとここ最近の本の読み方はあまりインプットになっていないかもしれないな・・・。

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2010年9月15日 (水)

タスクリストの使い方

昨日机の中から引っ張り出してきたほぼ日手帳だが、久しぶりにペンを握ってみるとガンガン思いつきが出てきた。なんで画面ではだめで紙だといろいろ浮かんでくるのか理由は不明だが、昨日だけで一週間分ぐらいページを使ってしまった。ま、しばらく使っていなかったので、スペースがあり余っているということはある。

ちょっと困るのは、そのまま会社に置いてきてしまっているので、今ここで参照できない。ブログのネタになるような事を書いていたとしても、それを振り返ることができないのだ。昨日のメモは大半が会社に関する事(仕事に関する事でないのがポイント)なので、今日の所は困らないのだが、メモに書いたことをどう参照するかというのが次の課題という事になるだろうか。

・・・と、ここまで書いて思い出した。昨日は、TODOについて思いついた事をメモしたのだった。自分の場合、TODOは備忘録ではなく、アクションのトリガーになっているといった趣旨のメモだ。

今仕事でやる事というのは、会社のグループウェア(Notes)のタスクリストで管理していて、iPhoneやiPadのようなパーソナルツールは使っていない。ウェブ上のサービスも同様だ。何故だろうと考えると、それは多分備忘録的な使い方をしていないためだ。

やる事を忘れない(あるいはGTDであれば一時的に忘れる)ためのリスト

であれば、パーソナルツールやウェブ上のサービスのように「どこでも使える」ことが重要になる。

多分、本来はそうした使い方も考えなければいけないのだろうが、今の自分のタスクリストの使い方は全く違う。言ってみれば、

やりたくない事、後回しにしたい事を実行するためのリスト

という事になるだろうか。もちろんやりたい事もリストには含まれているのだが、中心となっているのは、ほおっておくと無意識に後回しにしてしまう事の実行を迫るためのリストになっている気がする。

だから、社内に公開されるグループウェア上のタスクリストを使うのだ。自分を追い込んでいると言ってもいい。もっとも、結局諦めてしまう事も少なからずあったりするが・・・。

アクショントリガーなので、忘れる忘れないといったことはあまり関係ない。普段から見直す必要もないので、会社で使えれば十分だ。実際の所、日中の大半をオフィスのパソコンの前で過ごしているのだから、わざわざパーソナルツールで管理する必要もない。

もっとも、仕事はそれで良いのだが、オケ関係とか、仕事以外のタスクという事になるとちょっと変わってくる。正直な話、こちらはかなりが「抜け落ちて」しまっているのも確かだ。その他、公共料金の支払いなんかも、本来はタスクリストの形で管理できると良いのかもしれない。

ただ、慣れていないためか、そうしたリストも作っただけで終わってしまって使わずに(終了せずに、ともいう。リスト上は、だ)放置してしまう事も多い。習慣化されていないからという事ではあるので、それを習慣化するための努力をするという選択肢もあることはある。ただ、いずれにしても会社のタスクに関してはそうではない運用が求められているので、その時点で二重の使い方になってしまうのは避けられず、それでは結局定着しないような気もするのだ。

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2010年9月14日 (火)

ほぼ日手帳をどうしようか

そういえば例年どおりだとこの時期は来年のほぼ日手帳が発売されている・・・ということで、昨日Loftに行ってみたのだが、結局パラパラとサンプルをめくっただけで買わずに帰ってきてしまった。

最近はLAMYの万年筆を手にする機会も減って、つくづく手書きのメモをしなくなっている。ほぼ日手帳についても使う場面が想像できなくなっているのだ。持ち歩くとなるとちょっと重いという事もある。

ただ、手書きのメモをしなくなったというのは、iPadやiPhoneにメモを移行したからかというと、必ずしもそうではない。何かをメモする絶対量自体が減っているのだ。これは実は結構問題だったりする。

そうした「思いつきメモをしない」ことは普段のアウトプットに如実に影響する。朝のこのブログもそうだし、会社のブログでもネタにつまる。思いつきメモは、メモをするという行為ではあっても実質はアウトプットよりはインプットに近いので、それがないということはアウトプットも減ってしまうのだ。

あるいはそのためにだけでも、ほぼ日手帳を復活させても良いのかもしれない。新しいのを買うかどうかの判断は先にするとしても、今年の手帳は机の中でくすぶっている。とにかく一日一度、今日のページを開いて、何かを書き込む。そのインプットの積み重ねが、アウトプットを強化する。

もちろん、iPadやiPhoneでそうしたことをしても良いのだが、なんとなくそこだけは手書きが良いのではないかという気もしている。iPadの手描きアプリもあるが、指で書くのとペンを握るのとでは、これもやはり違う気がするのだ。

とはいえ、ほぼ日手帳を鞄の中に入れるのはサイズ、重量的にちょっと辛い。なんだかんだいってiPadはそれなりの重さがあるからだ。ならばモレスキン・・・という選択がない訳ではないが、それでも余計なウエイトには違いないし、正直書き味が自分にはちょっと合っていなかったりする。

まぁ当面は会社の机の上で運用ということにしておこう。どこでも思いつきをメモできるように、という目的ではない訳だし。

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2010年9月13日 (月)

楽器が帰ってきた!

先週の金曜日に、調整のために預けていた楽器が戻ってきた。
当初はネックリセットを行うため10月までかかる予定だったのだが、指板を削るだけでなんとかなったとのこと。駒の変更もせず、結局一番かかったのはニスの剥がれの塗りなおしだった。

ネックリセットは楽器への負担も大きいので、やらないにこしたことはないそうだが、やらなかった理由にはもう一つあって、表板の補強も必要になるからだそうだ。

今の楽器の表板は昔割れた事があって、当然補修をしてあるのだが、パッチを貼る補修方法で、これはあまり強度がないらしい。割れは駒の下まで及んでいるのだが、ネックリセットを行うと駒が高くなり、テンションも上がるため、表板の補強も必要になるのだそうだ。

具体的には表板の裏側の割れた所を削って木をあてがい、厚みをそろえるという修復が必要になる。これはネックリセット以上の大補修で、費用は20万以上、期間も3ヶ月はかかるとのこと。
うん、それはさすがにきびしい。費用はなんとかするにしても、3ヶ月という期間は少なくとも今のタイミングでは無理だ。

当面は今回の処置で十分だそうだが、今後さらにネックの角度がなくなってきた場合は、そうした補修も必要になる可能性もある。もちろんそのまま使い続けられる可能性もあるが・・・。

さて、戻ってきた楽器だが、特に低弦でのビビリがなくなって音が荒れなくなった。これは指板を削り直した成果だが、少し音が穏やかになった気がする。くぐもっている音に感じられるのは、前のビリビリした音の印象が残っているからだろう。

駒の調整などもしてもらっているので(かなり傾いていた)、そのあたりの影響もあるのだろう。弾きやすさという点で劇的に変わったとは思わないが、音は響くようになっている・・・気がする。正直、惑星のような曲の練習ではその辺りを実感するのが難しい。

いずれにしても、しばらくいたわって弾きたいなどと思うのだった。おかえり、わがチェロよ。

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2010年9月 9日 (木)

新卒一括採用

今日は時間がないので手短に。

昨日の夜、茂木健一郎氏がtwitterでこんな怒りを爆発させていた。

Tweet from 茂木健一郎(@kenichiromogi) 新卒一括採用を押しつける企業はすべてクズ認定。文句あるやつは前に一歩出ろ!
2010年9月8日22:20:28
from Keitai Web
See More: http://twitter.com/kenichiromogi/status/23913145752

前後をみると、就活で自殺をしてしまった学生の話を聞いてのものらしい。報道はされていないそうなのでソースがなく、どうした原因での自殺なのか状況が分からないのだが、個人的に新卒一括採用には賛成ではないものの、この怒りに対しては異論というか、疑問がある。

その学生が採用されないことを苦に自殺したのであれば、その苦しみの原因は採用しない企業ではなく、そんな彼をみる周囲の目にこそ問題がある。就職できないことを問題視する社会風土にあると言い換えても良いかもしれない。

例えば、注文が取れずプレッシャーに押しつぶされた営業マンがいたとしよう。押しつぶしたのは注文しなかった取引先ではなく、そんな彼を責めた職場方だ。それを「おたくが注文しなかったからだ」と取引先を責める企業がいたらどう思うだろうか。

もう少し仮定しよう。その取引先には独自の取引のルールがあり、その営業マンはそのルールに合致した取引提案ができなかったために注文が取れなかった。その時に「お宅の取引のルールがおかしい」というのだろうか。自分達が彼を押しつぶしたのを棚にあげて?

就活のプレッシャーで自殺するというのはとても痛ましい。だが、そんな彼を追い詰めたのは、就職できない彼をみる世間の目であり、採用しない企業ではなく自分達自身なのだ。新卒一括採用のルールがおかしいのであれば、怒る前に「そんな企業には就職しない方が幸せだ」とアドバイスをすることが必要だったのではないか。

そんなことを思った。もちろん、だから新卒一括採用というシステムが肯定できるかといえばそうではない。でも、自殺の原因をそこに求めるのは、自殺した学生を追いつめた社会という自分達の責任から逃れるための方便ではないか、という気がしてしまうのだ。

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2010年9月 7日 (火)

iPadからのメールが文字化け

メールを送った相手から指摘があった。最近送っているメールが文字化けしている事が多いそうだ。

えええっ!

昨日書いたように最近はiPadからのメール送信が多い。調べてみるとiPadから返信もしくは転送したメールというのは文字コードが混在していて、WindowsメールやOutlookで文字化けする事があるらしい。

iPadから送信したHTMLメールがWindowsメールやOutlookで化ける
http://d.hatena.ne.jp/NAOI/20100712/1278920584

iPadだけでなく、iPhoneも同じ(だろうなぁ)のようだが、ただ問題はこちらだけにある訳ではなく、文字コードが混在している場合に処理できない受信側のメーラーにもあるようだ。実際、誰もが文字化けしている訳ではないらしく、パソコンでは読めないけれども携帯では読めるなんて事態も発生している。

正直受信側でなんとかして欲しいが、それを言っても始まらない。それよりも、文字化けしているなら文字化けしているですぐに教えてくれぇ!という方が重要だったりする。「最近送られてくるメールが・・・」っていつからだよー!

それはさておき、返信や転送が文字化けするというのが痛い。新規のメールでは問題ないのだが、新規のメールなんて何時のタイミングで書いても良いわけで、返信や転送こそレスポンス良くしたいからだ。そういえばiPhoneで転送したメールが化けてるって指摘、以前あったなぁ・・・。

上記のサイトには問題を回避するアイデアも書いてあったのだが、ひとまずその方法でしばらくやってみるしかないだろう。リスクはあるので、今度は別方面から文字化けを指摘されてしまうかもしれないが、返信・転送が使えないのはあまりにも不便すぎるのでやむを得ない。

あとはSafariでGmailを開いてそこから返信かなぁ・・・。

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2010年9月 6日 (月)

iPadを使いこなす

iPadを持ち歩くようになってから結構経つのだが、使いこなせている実感がない。使っていない訳ではないが、あまり「こうだ!」という感じではないのだ。

何故だろうと考えてみたら、そもそもiPadに置き換えるような習慣的行為を持っていないからではないかという事に気づいた。

電子書籍?そもそもそんなに本を読んでいない。
プレゼン?個人的に何かをプレゼンする機会がない。
写真だって撮るのは食事の写真ぐらいだ。

そもそも、パソコンですら、自宅ではそれほど用途がある訳ではない。仕事で使う事は基本的に禁じているので、Officeソフトもそれほど出番がない。OpenOfficeは入れてあるが、それほど立ち上げる機会はない。

ようするにメールとウェブ使うぐらいなのだ。まぁでも、それこそiPadで十分という話かもしれない。パソコンを(しかも今は2kgを超えるMacBookがメインマシンだし)持ち歩く必要がないというだけでもずいぶん違うし、最近は打ち合わせのメモなんかもするようになったので、けっして使っていない訳ではない。

メールを外出先で簡単に返信できるようになったのも大きい。逆にそうした点を生かして、先日書いたようにメールへのレスポンスを早くするとか、そういった「活用」こそ考えるべきなのだろう。

新しいツールだから新しい事に活用しなければならないという事もないはずだ。

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2010年9月 3日 (金)

エコのための工夫と知恵

昨日はtwitter気を取られてブログの更新がおろそかになってしまった。ネタが思いつかなかったともいうが・・・。
そんな中で、ちょっと気になるツイートを見つけた。RTをするには少々言葉足らずになってしまう気がしたので、ちょっと書いてみる。

問題のツイートはこちら。

利便性を追求するとエコでは無いですよね、多少不便な方が人間は工夫したり知恵を使ったりするので良いと思います。 http://twitter.com/tsutun/status/22748716551

最初に反射的に思ったのは「いやいや、工夫したり知恵を使ったりするのは、そもそも利便性を追求するためですから」というもの。不便を解消するために知恵を絞るのだから、それはつまり利便性を求めるということだろう。

そういった意味で矛盾しているのではないかと思ったのだが、一方でこの手の主張はよく見かけるような気もするのだ。利便性の追求がヒトを堕落させたり、環境に負担をかけるといった類いの主張は、なんとなく首肯しやすいのではないか。

不便な状態が工夫や知恵を生むのは確かだ。だが、それは不便という状況が生み出すものではない。工夫や知恵が生まれる動機は、その不便を解消し、利便(便利?)でありたいというヒトの心の中にある。便利であることは確かに工夫や知恵を生まないかもしれないが、それも現状に満足し、環境を受容するというヒトの心から生じるもので、便利であるという環境が生むものではない。

それで少し気になってしまったのが、現在の「エコ」を取り巻く主張が、そうした「満足と受容」求めるものになっているのではないかということだ。先日紹介した地球何個分の生活と言う時、我々は無意識に「地球1個分の生活に満足し受容しよう」と考えていないか。

しかし、そこで地球1個分の生活というのがどういうものか、我々はしっかり想像しているだろうか。申し訳ないが、個人的にはそうした生活には満足も受容もできない。世界にはそうした人達が大勢いる?では彼等にその生活を受け入れろと言うのか。彼等にも自分達のような生活ができるようになってもらいたい、と思ってはいけないのか。そのためにこそ工夫と知恵が求められるのではないか。

利便性を追求せず、エコを求めるのは、単なる諦めと努力の放棄のような気がしてしまうのだ。ヒトの工夫と知恵は、地球1個分の生活で我慢するために使うのではなく、何個分使っても壊れてしまう事がないような方法を見つけ出すために使うものではないのだろうか。

・・・もっとも、そこで答えがないのが情けないところだが。
だが個人的には、諦めることさえなければヒトはその道を探し出す事ができるのではないか、と信じている。

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2010年9月 1日 (水)

日テレのストライキ

日本テレビの労働組合が24時間ストを決行するそうだ。

http://www.asahi.com/national/update/0901/TKY201008310548.html

元々高給のメディアでストと言ってもなぁ・・・という個人的な感想はさておき、気になったのは記事にあったこの部分。

「・・・アナウンサーなど一部の組合員についてはスト参加を除外し、放送への影響は最小限にとどめたいとしている。」

・・・放送に多大な影響を与えるものだからこそ、ストには意味や効果があるのでは?

放送が全面的にストップしてしまうからこそ、使用者側は回避しようと努力をする訳だし、そもそも放送が継続できるのであれば、ストに参加した労働者は放送業務上不要な人達、という事になってしまうのではないだろうか。

もっとも、その考えを前提にすると(メディアはさておき)電力などのインフラ系の企業でストがあったら停電ということになってしまうし、原発なんかでストが発生した日には制御を失ってメルトダウンなんてことにもなりかねない。そうなると「業務を止めないスト」というのも節度として必要になってくるのかもしれない。

考えてみたら、メーデーとかで交通系のインフラの労働者が参加して電車がストップしてたら、集会どころじゃないんだよなぁ・・・。

とはいえ、テレビの場合は別にストップしてしまっても良いのではないか、という気がする。特に日本のテレビはこれでもかというぐらい長時間放送をしているので、たまには休めば良いのだ。もっとも「一局ぐらいなくても何も困らないね」みたいな世論になったら、自らの首をしめる結果になってしまうかもしれないが(笑)

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