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2010年9月17日 (金)

共有地の悲劇を防ぐには私有化しかないのか

先日、宮下公園の周辺が少々慌しかったのだが、こんなことがあったのだった。

宮下公園:一部閉鎖 渋谷区、整備へ「緊急の対応」 /東京
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20100916ddlk13010294000c.html

今朝は「宮下公園の封鎖・野宿者排除の風景が忘れられない。」というツイートも見かけた。
なるほどそんなことがあったのね・・・とは思ったのだが、残念ながらそれ以上の感慨は生まれなかった。

考えてしまったのは、もっと残酷なことだ。

共有地の悲劇を防ぐ方法は、結局一時的であっても私的所有権を認めてしまうしかないのかもしれない。

まず、野宿者排除という視点から考えてみよう。そもそも、共有地である公園にそうした人たちが「住む」ことは認められるべき事なのか。

他に行く所がなく、やむなく、というのは、事情としてわからなくはないが、だからといってそこで共有地の使用を認めてしまう事は、正しいのか。彼らの側の問題ではなく、そうした人達を共有地に「押し付けて」受け入れない社会の側の問題としてだ。

彼らが共有地で生活する事を認める人達は、それが自分の家の庭であっても認めるだろうか。申し訳ないが自分は(本音としては)認められない。しかし、共有地だから認める、というのでは、共有地の悲劇は防げない。(もちろん一晩といった一時的な緊急避難は別だ。それは自宅の庭であっても「認める」だろう。)

断っておくと、そうして追い出された人を見捨てて良いという事ではない。共有地で受け入れるというやり方の問題を問うているのであって、彼らを社会的に受け入れる方法は必要だ。実際記事には、区の側で受け入れ施設への入居を勧めているとある。その施設に問題があるのであれば、もちろん改善は必要だが、それは公園という共有地の使用を認めるという事とは別問題だ。

今後宮下公園は、期限付き条件付きでナイキという企業が一種の私的所有権を持つ事になる。所有権を持つというのは、その維持管理に責任を持つという事でもある。どうも日本では所有というのを責任のない「自分の好き勝手にして良い」ものという認識で論じられる事が多いが、決してそうではない。

(そういえばその一方で「公共の場」ではやたらと自由を制限し、責任を求める議論が多い気がするな・・・反動だろうか。)

いってしまえば、共有地ではなくなる事で、悲劇から逃れられるという事になるのだが・・・結局それしか解決する方法はないのだろうか。「誰のものでもない」ものは「誰の責任でもない」ことになってしまうのだろうか。

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コメント

まじめだね。
いい線行ってると思う。

自腹切って、調整区域買おうと、何年も前から思っているけど、うまく行かんわ。

投稿: ルンペン放浪記 | 2010年9月17日 (金) 20時13分

コメントありがとうございます。

実際のところ、机上の話ではあるんですけどね。所有権がなければ真剣に管理しないというのも、少々悲しい気もします。

投稿: ProjectK | 2010年9月22日 (水) 00時02分

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