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2010年9月16日 (木)

メモというインプット

ほぼ日手帳へのメモを再開して改めて感じたのは、先日書いたように、思いつきメモはアウトプットではなくインプットだという事だ。
・・・と、ほぼ日手帳に書いてある。(昨日は持って帰ったので今日は鞄の中にある。)

自分にとって「思いつきメモ」が、アウトプットではなくインプットなのは、思いつきを紙に「吐き出す」行為ではなく、自分の意識にあらためて「打ち込む」行為だから。

自分の言葉に変換する ⇒ インプット
相手の言葉に変換する ⇒ アウトプット
こう考えれば、フッと浮かんだ考えをメモという形で自分の言葉に変換するのはインプットと捉える事ができる。

以上がメモの内容。後半の考えに沿えば、このブログも「公開はされているけれども」自分にとってはインプットという事になる。読者がいる事も自覚しているが、読者の為に読者の言葉に変換して書くということをしていないからだ。

全く同じような調子で書いていても、CSR日記つぶやき(はてなダイアリー)とはその辺りが異なる。自分にとっての意識上の位置づけが違うのだ。ナレッジマネジメントでいえば、暗黙知の領域に近い。形の上では言語化された形式知のようでも、意識上は違っている。

こうした考え方をベースにすると、本を読んだり話を聞いたりすることは、ただそれだけではインプットとは呼べないかもしれない。相手の言葉を自分の言葉に変換して、自分自身に「打ち込んで」やらなければ、インプットにならないのだ。

うーん、だとするとここ最近の本の読み方はあまりインプットになっていないかもしれないな・・・。

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