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2010年10月29日 (金)

パーティーでの会話

昨日は国際環境NGOのFoE Japanの30周年記念レセプションに行ってきた。会社がらみで案内を受けたものだが、参加は(意識としては)個人として参加。参加費も自腹だが、もっとも、周囲はその様には見てくれない。こちらとしても、個人としてといいながら仕事へのフィードバックは意識しているのだから、微妙ではある。

立食形式のパーティーだったのだが、正直に言えばそうした場は苦手だ。基本的に初対面の人と話す様な話題を持っていない。座ってしまえば近くの人の話に耳を傾けている事も可能だが、立食ではそうもいかない。ついでに言えば立食では食べるのも苦手で、なるべく食べる様にはするのだが、食いっぱぐれる事もある。

今回の様なパーティーは、趣旨がはっきりしているので、初対面であっても共通する話題は多いはず・・・と言いたい所だが、恥ずかしながらそうした分野の話にそれほど精通している訳ではない。いや、精通している必要は全くなくて、疑問や関心があれば聞いて回れば良いのだが、関心がそれほど強いわけでもなく、疑問の内容にいたっては(我ながら)歪んでいて意地悪なものだったりするので、流石に口に出来ない。

おそらく普通に日中話したりする場合は、それほど遠慮せずずけずけと言ってしまうのだろう。懇親も含めた場で、雰囲気を壊さない様に話をするのが苦手という事だ。

ただ、そういった「基本的な」性格はどうしようもないにしても、話題を準備しておくといった事はできるはずだ。楽しむのが目的といったわけでも無いのだから、そうした事をしておいてもよかったかもしれない。

受身で参加してはいけない・・・そんな事を考えたのだった。

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2010年10月28日 (木)

GoogleカレンダーとToodledo

会社でのスケジュール共有に、グループウェア(Notes)ではなく、会社独自のスケジュール共有用の掲示板を使う事になり、Googleカレンダーでの個人のスケジュール管理もあわせて三重入力ではあまりにも煩雑になるため、Notesの利用はすっぱり諦める事にした。

個人のスケジュール管理には、引き続きGoogleカレンダーを使うので、それでも二重入力にはなる。しかしこれはやむを得ない。仮に同期ができる様になったとしても、個人のスケジュールまで会社で共有する気はないからだ。

一方で、タスクの管理をどうするか、という問題が浮上してきた。これまでは仕事上のタスクに関してはNotesのタスクリストを利用してきたが、カレンダーと併用しないのであれば、あまりこだわる必要もない。部署内で共有できる強みはあるが、カレンダーを参照されなくなれば、あまり見られるという事もないだろう。(もともとそれほど共有する様なものでもない。)

しばらく前から、個人のタスク管理としてはToodledoを利用する様になっていて、最近オケの関係まで利用を広げている。オンラインのサービスに会社のタスクを乗せるのは若干抵抗があるが、この機会に一元化してしまっても良いのかもしれない。

会社のタスクは細かいものまで入れるとかなりの量になる。埋もれてしまうのが若干怖いのだが、期日と優先度を設定すれば、重要度順に並べてくれるので、それをうまく使っていくことになるだろうか。(余談だが、言葉の意味としてはこうなのだが、実際には「期日」と「重要度」から、「優先順」に並べてくれると嬉しい気がする。そう使えば良い事だが。)

スケジュールに関しては昨日のうちに移行してしまって、Notes上からは今後の予定は消してしまったのだが(会議招集など、通知用のスケジュールは例外として残す予定)、タスクに関してはまだ手をつけていない。先に登録の原則を決めておかないと、混乱しそうな気がしたからだ。

特にこれまで意識的には設定していなかった優先度の設定はきちんと決めておいた方が良い気がする。今までは結局「クローズドリスト」的な使い方で、いわばメモ的なものだったのだが、その考え方は活かしつつ、タスクをどこまで細分化して登録していくかといった事も考えておいた方が良いのだろう。

ちなみにiPad上では、スケジュールもタスクもInformant HDを利用している。Toodledoのフォルダの他、ローカル限定ならコンテキストも設定できるので、煩雑にならない程度に使っていけると良いなぁなどと考えている。

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2010年10月27日 (水)

考える事とアウトプット

このところ、目先の作業に追われて、じっくり考える時間が無いように感じる。

この「感じる」というのが実は厄介な代物ではあるのだが、タスクリストに「○○について考えをまとめる」といった形で書いてある事に、なかなか取り組めていない。どうしても目先の「やらなければならない事」を優先してしまうのだ。

多分これは「考える」事とその「アウトプット」がリンクして考えられていないためだろう・・・多分。考える時間を確保しても、それを何らかの形でアウトプットして定着をさせければ、その時間は何をしていたのか、という事になる。

考える時間を確保できていないのではなく、考えた事のアウトプットのイメージができていないのだ。だから、実際に着手することができず、悶々とする。

ただ、そんな分析が出来ても、どうやってそのアウトプットのイメージを組み上げるかという課題は残されたままだ。あるいは、考える時間というのは、実際にそのテーマについて考えるというよりも、アウトプットのイメージを作り上げる時間という事なのかもしれない。

そんな時は、とりあえず思いついた事を紙に書き出すという事をやってみる。整理されていないそれは、到底アウトプットと呼べるものではなく、振り返ればそれをやっていた時間は何をやっていたかわからない様な非生産的な時間に(表面上は)見えたりするのだが、結局それを許容しなければ次には進めないという事なのだろう。

昨日はまず1件の引っかかっていた事案について、思いつきを書き出す作業をした。何が生み出せたのかわからない時間にはなってしまったのだが、次のステップに進む事は出来た。今日はなんとかもう1件の懸案事項に取りかかりたいものだ。

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2010年10月26日 (火)

都響第705回定期演奏会に行ってきた

昨日は都響の定期演奏会で、エルガーのチェロ協奏曲とブルックナーの交響曲第4番を聴いてきた。シーズン会員で購入したチケットはこれで最後になる。

東京都交響楽団第705回定期演奏会Bシリーズ
2010年10月25日 19:00開演 サントリーホール
指揮:ベルンハルト・クレー
チェロ:ボリス・アンドリアノフ
曲目:
エルガー:チェロ協奏曲ホ短調作品85
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(1878/80年ノヴァーク版第2稿)

感想を一言で言うと「?」な感じ。曲目的には期待をしていたはずなのだが、思ったほどの感動が得られなかったというところだろうか。演奏が悪いということではないようにも思うのだが、鳥肌がたつような瞬間がなかったのだ。

エルガーについては、生で聴くのは初めてなのだが、自分の中にある録音のイメージと良くも悪くも違わなかったという事があるかもしれない。冒頭の低音の豊かさなどは生演奏ならではだったのだが、一気に最高音まで登っていくところなどは、録音で聴くほど粟立つ感じは得られなかった。

あるいは、さすがにこればかりは正面から聴かないと理想的な響きを得るのは難しいということなのかもしれない。左後方で聴こえる音というのは、やはり正面からとは違うという可能性もある。これまでは(ビオラ協奏曲の時など)感じなかったが、チェロの場合はストレートに正面に音が飛んでいくという事もあるのだろう。(バイオリンやビオラは構えの関係で音が上に抜けていきやすいので、高い位置で聴く方が響きが良い気がする。)

しかし、改めて生で聴くと、この曲はソロだけでなくオケも難しそう。特に第1楽章冒頭は、アンサンブルに厚みがないので、かなり繊細な音程とパート内の統一感が必要になるように感じた。ちょっと演奏するのが怖くなるような緊張感がある。

一方ブルックナーは、7月に府中で第8番を演奏したばかりのせいか、オーケストレーションが薄いなぁと感じてしまった。録音で聴いているとあまり感じないのだが、2管編成というのは、ずいぶんこじんまりとして感じられる。演奏が、というよりも、曲の「分厚さ」がどうしても比較すると薄く感じられてしまうのだ。これは自分達で第4番を演奏した時とは全く違った感覚で面白い。

それと、同じノヴァーク版を演奏したと思っていたのだが、体に残っている響きと所々が違っている。細かい違いを指摘できるほど詳しくないのだが、微妙な違和感があって「ここでこれがくる!」という予想を外されてしまうのだ。知らない曲ではないだけに、逆にそのちょっしたズレが音楽にのめり込めない感覚につながっていた気がする。

今回の演奏会では、弦と管の微妙なズレも気になった。ただこれは座る位置での響きの違いが聞き取れてしまったという感じに近い。オケの場合、正面で聴く聴衆に合わせて、後方の管楽器は若干早めに音を出している。左後方と正面では楽器との距離が異なるため、結果として管楽器の方が早く聞こえてしまう。

これまでは気にならなかったのだが、今回の場合はそれが聞き取れてしまったのだろう。両曲ともかなり聴き込んでいる曲という事もあるだろうが、これは演奏側の問題ではないのでやむを得ない事ではある。(もっとも、若干指揮者と呼吸があっていないように感じたのも確かで、少し落ち着かない所が何カ所かあった。)

さて、これで演奏会の予定は全て消化してしまった。次の予定を早めに入れないと、またずるずると聴かなくなりそうで怖い。休憩中、近くの席から「先月はあまりコンサートに行けなくて・・・」「今月は結構行けそうです」といった声が聞こえてきて、どんだけ行ってるんだよ!と思ってしまったのだが、そこまでは無理でもせめて月に1回ぐらいは行くようにしたいよな~とも思うのだった。

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2010年10月25日 (月)

MacBookのHDD交換終了

MacBookのHDDの交換は無事終了。Bootcampの設定は、Windowsを未入手のためまだだが、設定の移行も問題なく終了し、とりあえずは使えるようになった。環境を丸々引き継いで再インストールが出来るというのは便利ではある。

これでメモリは4GB、HDDは750GBとなったわけだが、そこで気づいた事実が一つ。

これまで使っていたTime Machine用のHDDの容量が足りない・・・。

基本的にそれほど頻繁にバックアップを必要とする訳では無いので、接続の面倒さからポータブルHDD(500GB)をTime Machine用に使っていたのだが、Mac側が750GBになると当然容量が不足する事になる。間抜けな話だが、交換するまで全くその事が抜け落ちていた。

調子に乗って大きなサイズにしすぎたかとも思うが、今後も使っていく事を考えればHDDは大きい方が良いのは間違いない。一方で今回やったように、バックアップからの環境の移行が簡単な事を考えると、Time Machineでのバックアップも手放せない(ことが今回よく分かった)。

結局据え置き型の大容量のHDDが必要か・・・という事で、今月はCDだけでも結構出費がかさんでいるのに、更に追加の出費が必要になりそうだ。Windowsも入手しなければいけないのに・・・。

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2010年10月22日 (金)

CD買いまくり

来秋の府中の定期演奏会の選曲の関係でCDを買いまくっている。

先日購入したのは、選曲提案をするための資料。
昨日購入したのは、他の選曲案を評価するための資料。

基本的にはすでに持っている曲は買わないのだが(カップリングの関係で重なることはある)、改めて「知らない曲はいくらでもある」などと思ってしまった。自分の選曲案作成のための購入はもちろんだが、他の選曲案でも、ついで買いのようなものがあるとはいえ、結構な量を購入した。

先日の購入
マルチヌーで3枚組+2枚
スークで4枚組
ヤナーチェクで1枚

昨日の購入
ドビュッシーで4枚組
フォーレで1枚
バーンスタインで1枚
ホルストで2枚組
スメタナで3枚組

・・・合計21枚だよ。最近はセットでもかなり安いCDもあるが、それでもこれだけ買えばそこそこの出費になる。とはいえ、一種の勉強と思えば良いのであって、むしろこの機会に色々聴いていくことが重要だろう。闇雲に買った訳ではなく、少なくとも選曲案に挙げられるぐらいに良い曲ということなのだから、買い方としては悪くない。

ネットで買えばいいじゃないかという話もあるのだが、CDプレーヤーで聴く願望を捨て切れていないのと、こうして購入した際に「目的となる曲以外」が紛れ込んでくるのが良いと思っているので、なかなかネットには手が出なかったりする。今回の購入で言えば、スメタナの3枚組なんて、その中の6分程度の1曲が目的なのだ。(ではなぜといえば、セットでもこれが一番安かったからで、そのあたり組み合わせによる違いは価格などにも表れるので面白い。)

さて、とはいえここからが問題といえば問題で、日曜日までに選曲案として挙げられた曲を聴いてみなくてはならない。できればすでに知っている曲も改めてセットで聴いてみた方が良いので、意外と時間がかかる。

それでも、事前に聴いておくために早めに選曲案を提示してもらっているのだから、聴いておく責任はある。今回の場合、そもそも自分が言い出してお願いしたことだからなおさらだ。

もちろん、選曲対象外の曲は後回しにするのだが、明日どれだけ聴けるのやら・・・。

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2010年10月20日 (水)

どこでもできる事に甘えていないか

とりあえずMacBookについては継続して利用していく事にして、昨日はメモリとHDDを購入。メモリは早速取り付けたのだが、それでどうなったというのを検証・体感するほどの時間はなかった。

HDDの交換はOSのインストールなども含めて時間がかかりそうなので、平日は諦めた方がよさそうだ。今週は土曜日に時間が取れないので、日曜日になるだろうか。

さて・・・

気づいたら水曜日になっていた。この所委員会内やパート内への連絡が遅れがちだ。理想は日曜日中、遅くとも月曜日には流しておきたいのに、気づくと水曜、木曜というのも珍しくない。

メールはiPadでどこでもできるから・・・

ということに甘えているのではないか、という気がした。だから、自宅でMacに向かった時に、「明日でいいや」などと後回しにしてしまう。冷静に考えれば、早く着手したほうが内容も鮮明に覚えている間にできるし、そもそも「iPadでもできる」といっても、同様の内容を作成するのであれば、やはりMacの方が早い。

大体、「明日でいいや」という翌日の朝は、このブログを書いているのでメールを打っている時間がなかったりするのだ。

確かにiPadは便利で、長文のメールも作成しやすい。朝や昼休みのちょっとした時間を活用できるのは確かだ。

でも、だから後回しにするというのは、やはりダメなのだろう。という訳で今日はこのぐらいにして出すべきメールを書くことにする。

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2010年10月19日 (火)

経営陣は「巻き込む」相手か

今更ながら、伊吹英子氏の「CSR経営戦略」(東洋経済新報社)を読んだ。

この本には前書きにこの様なことが書かれている。

本書の内容の主語はすべて「経営者(陣)」である。すなわち本書が導出している改革の施策は、すべて現実的なマネジメントアクションとして経営者の意志をもって実現できるものばかりである。

この考え方には個人的には全く同感なのだが、読み進めていくと時々奇妙な記述にぶち当たってしまう。

それはCSRの推進において、経営陣を巻き込むことが欠かせないというニュアンスの記述だ。ぱっと読むとその通りだなと感じるし、現実問題としてそうした課題があることも想像に難くないのだが、よく考えるとこの考え方は根本的に矛盾しているのではないか。

CSRに限らず、企業経営において「進むべき方向性」「意思」を示すのが経営者・経営陣の役割だ。そう考えると、CSRの推進における経営陣の立ち位置は常に「巻き込まれる」側ではなく「巻き込む」側でなければいけないはずである。

経営陣が従業員を説得するのであって、従業員が経営陣を説得するのではないのだ。個々のビジネスプランであればともかく、根幹となる理念や戦略の部分で、従業員に説得されるのを待つ経営陣がいるとしたら、ポストを明け渡してしまった方が良いということにならないか。

提案に耳を傾けることと、提案に巻き込まれることは違う。耳を傾けるのは、すでに自分に明確な意思がある場合だ。そのために様々な意見を聞くことは、巻き込まれることとはまったく異なる。

しかし、多くの書物やコンサルタントの言説では経営陣の「理解」「巻き込み」が推進の際の大きなファクターとして強調される事が少なくない。「理解のない」経営陣に対して「こうした提案が必要」といったケースの提示さえある。

なぜ担当者が手取り足取り経営陣の理解を求めなければいけないのか。

残念ながらそもそもそうなった時点で、その「CSR推進」は頓挫が運命づけられているような気がしてならない。経営陣が「自分達が納得できる」戦略を受身で待っている時点で、その企業の将来は暗いような気がするのだ。

経営陣は本当に「巻き込む」相手なのだろうか。

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2010年10月18日 (月)

MacBookの買い替え

かものはしプロジェクト使わなくなったパソコンを集めているという話を聞いて、昔のパソコンも提供できるが、そういえば最近MacBookが手狭になってきたので、買い替えて今のは寄付してしまうのも良いかもな~などと考えてみた。(口実として・・・笑)

しかし、調べてみると、同じ13インチモデルだと、あまり大きなスペックの向上が望めない感じだ。15インチにサイズアップをすれば色々向上しそうな感じだが、さすがにサイズを大きくするのは少々辛い。だったらiMacでもいいんじゃないかという感じになってしまう。

もっとも、手狭というのは主にHDDのサイズの話ではある。Macを使う事にも慣れてきたので、可能であればWindowsも入れてしまって、いざという時の為に残してある様なHP-Miniなどを手元から無くしてしまいたいのだが、そこまでするにはHDDのサイズが足りないのだ。

もっとももう一つ気になっている問題はあって、MacでWindowsを使う場合にどこまで周辺機器に対応できるのか、という事がある。Let's noteに接続していたチューナーは壊れてしまったので、今更接続するのはPSPぐらいではあるのだが、可能であれば使わなくなってしまったウォークマンなども接続したい。

かものはしプロジェクトで集めているパソコンは、とりあえず電源が入りさえすれば寄付としては成り立つそうだが、VAIO505やThinkPad240ぐらいだとさすがに古すぎる気がするし、サインやらシールやらがあって、気持ち的にも若干提供しにくい。Let's noteやHP-Miniであればまだ使える感じはあるし、今使っているMacBookも含めて余計な「しるし」もない。

そういった意味では、今この機会に環境を統合してしまえば、自分にとっても、かものはしプロジェクトにとってもそれなりの意味はあるのだ。さてどうしたものだろう。HDDだけだったら自力で交換という選択もありそうな気がするんだよな・・・。

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2010年10月15日 (金)

寄付の対価

昨日は児童買春の撲滅に取り組むかものはしプロジェクトの二木会(にもくかい)という勉強会に参加してきた。セミナーやイベントという規模でもないので、勉強会という感じだろうか。
少しユニークなのは幹事となった協力者が参加者集めをしている会だという点で、自分の場合はそうではなかったが、会場内にはそうした人たちもちらほら居たようだ。

内容はかものはしプロジェクトの活動についての説明と近況の報告、支援の呼びかけといったもので、こういったものが定例的に開催されている(特に近況報告)のは好感が持てる。もっとも、自分が知らないだけで、どこも大なり小なりやっていることなのだろうが・・・。

内容についての紹介はさておき、最後の支援の呼びかけの中で、(寄付金の使途の)透明性という話が出て、改めてちょっと考えてしまった。

寄付をする、あるいはしない理由として、寄付金の使われ方が見える/見えないというのは、よく挙げられる議論だ。支援する団体の財政状況も含めて、そうした話が俎上にあがる事は少なくない。寄付する側もされる側も、それが寄付において重要という意見では大体一致している。

・・・が、個人的にはあまりそういった事を考えたことがない。もっと考えてお金を使えと言われそうだが、そもそも日々お金を使う時に、払った先の事まで考える事がどれだけあるだろうか。

モノを買う前には、それを買った後の事を考えるじゃないか、と言うかもしれないが、考えるのはそのモノを使う「自分の」事で、払ったお金が「相手側で」どう使われるかを意識しているだろうか。少なくとも、自分は意識していない。

考えているのは、そのお金の使い方が自分にとってどうであったか、自分にどのような満足感を提供できたか、という事なのだ。

そういう意味では、自分の寄付に対する姿勢は信頼性よりも満足感に立脚している。ただそれも突き詰めればあまりこだわりはなくて、払えるお金と払うきっかけがあれば寄付してしまう、という感じだ。街頭募金などに反応しないのは、それが自分にとってきっかけとしては弱いからだ。

そんな訳で、自分の場合は「寄付してくれた方にはこうした情報をお知らせします」的な話には、少々ひいてしまったりする。そこまで深く考えた訳ではないし、そこまでの関与を求められても困ってしまうという事もある。

多分「寄付に対する感謝として情報提供」という発想の流れが少し違うのだろう。「情報提供あるいはその活動に対する感謝としての寄付」であって、お金の後に何かが発生するのではなく、何かの後にお金が発生する関係の方が、自分としては落ち着くという事かもしれない。投資的ではなく消費的といってしまえばそれまでだが・・・。

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2010年10月14日 (木)

このブログに書いていく内容

昨日は研修で講師として話したためか、今日は喉に若干違和感がある。酷使というほど喉を使ってはいないはずだが、普段ただでさえ話す事が少ないので、いきなり長時間喋ると喉に負担がかかるようだ。

痛むというほどではないが、気にはなる。この辺りはリハビリも必要という事かもしれない。

さて、このブログは名目上は匿名で書いている。もちろん知っている人は知っていて、文中でも(オケの事などは)立場が分かるような書き方をしているが、基本的に仕事の立場などはオフィシャルに明かしてはいない。プロフィールなどにそうした事を記載していないのは、悪くいえば言い逃れのためだが、基本的にその部分は「分かっても不問でお願いします」ということだ。

ただ、そうするということは、一方で個人のブランディングのようなものには使えない、使わないという事でもある。実名でブログを書くというのは、そうしたブランディングや売り込み(良い言葉が出てこないが、自分という存在を相手や社会に説明する行為)の要素が多少なりとも含まれるものだが、そういった事はこのブログには(自分自身が)求めていない。

ですます調の文体にしていないのも、基本的には独白として、相手(読者)に伝えるといった事を考えないようにしているからだ。一時期ですますで書いていた事もあったのだが、どうしても読み手を意識したメッセージ的な内容になってしまうのでやめたという経緯がある。
(読み手の事を考えないという事ではなく、読み手に語りかけるような書き方をしたくないという事だ。ま、今回の様な内容だと若干そうした要素も含んでしまうが・・・。)

とはいえ、時々それで良いのか、という考えも頭をもたげてくる。実名にするのは会社との関係もあるので難しいにしても、ある程度立場(自分の専門分野としての立ち位置)を明らかにした上で、自分にもプレッシャーのかかる様な責任のあるエントリーをするべきではないのか、と考えてしまうからだ。

もっともそれは別に社会的使命とかそういった話ではなく、自分を鍛え、勉強不足を解消するために、という事ではある。正直にいえばこのブログでは意識的にも無意識にも避けている部分だ。息抜きだから・・・というのはたやすいが、なんだかだらだらしているだけという気になってくる。

こういう感覚は定期的に襲ってくる波のようなもので、あえて気にするようなものではないのだが、またまたそうした感覚がやってきたよ、という事で書いておく。今回をきっかけに変わるのか、まぁ変わらずにそのままいくのか、それは自分自身にも分からない。

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2010年10月13日 (水)

どのような曲を選ぶか

今日は家の近くの他の事業所に直行のため、時間的な余裕がある。東京で通勤生活をしていると早いのが当たり前になってしまうが、近所の事業所に行く場合に起きる時間が2時間遅くても余裕というのは正直かなりの落差がある。

ま、実際に通勤に2時間もかかる訳ではなく、ラッシュを避けるための時間調整の結果ではあるが。

それはさておき、昨日は選曲の資料としてCDを買い漁ってきた。何故か音楽に関しては、まだダウンロード販売には馴染めない。今は家にオーディオ機器を置いていないので、結局iTunesに取り込んで聴くしかないのだが、それでもいつかは大音量で、みたいな願望があるのかもしれない。
(アナログレコードほどのこだわりはないのだが・・・。)

取り込みに時間がかかってしまって、結局まだ聴いていないのだが、とりあえずマルチヌー、ヤナーチェク、スークの管弦楽曲を10枚ほど購入した。手持ちとの重複はないようにしたが、目についたものを買っただけなので、どんな出会いがあるかは分からない。一回聴いて終わってしまう可能性もある。

ただ、どんな曲を選ぶにせよ、その選曲理由とプレゼンテーションが大切なのは間違いない。こういっては何だが、多くの人が曲名を聞いた瞬間に思い浮かべられるような曲ではないことは確かだからだ。

今回のプログラム構成でネックになるのがそこだろう。採用の可能性を高くしたければ、メジャーな曲を入れるという方法もある。何かを「演りたい」と思うにはその曲を多少なりとも思い浮かべられる事が重要だ。「自分が知らない曲を演ってみたい」というモチベーションは、そうそう多くの人が持てるものではない。

ただ、オケのレベル向上や発展を考えれば、どこかでそうした曲にチャレンジしていく事も重要だ。そんな曲にチャレンジしなくても、クラシックの名曲は数多ある(実際メジャーな曲でも演った事のない曲はまだまだある)という考え方もあるが、個人的にはもう少しチャレンジングな要素があっても良いのではないかと感じている。

とはいえ、初めて聴いた時に、何が何だか分からない曲で終わってしまうようでは、今度はお客様の事をまったく考えていない自己満足な選曲になってしまう。初めて聴く曲だけれども、そのファーストインプレッションで良い曲と感じられる・・・そんな選曲が出来ると良いのだが。

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2010年10月12日 (火)

来秋定期のプログラム案

来年秋の定期のプログラム案の一つを作る事になった。ロシア以外のスラブ系からという事で、基本的には要望の多いドボルザークの第7番を中心に組む事になるだろうか。その他、別のメンバーがフランス系、イギリス系、アメリカ系でプログラム案を作成し、検討していく事になっている。

プログラム案を作成するのは、色々勉強になることが多い。
特に、全くのフリーで作成すると単なる好みになってしまうが、今回の様に制約があると、その中でどのような選択肢があるかを考えなければならなくなってくるからだ。

そういった意味では、色々な人がこうした経験をしていくと良いのだろう。もっとも、単にやりたいプログラム案を作るというのではなく、採用に向けたプレゼンから演奏の可否まで含めて責任あるプログラムを作るという緊張感がないとあまり意味はないだろうが・・・。

今回の場合、難しいのは意外に選択肢が無いことだ。特にメインをドボルザークの7番にすると、編成上前中プロに大きめの曲を持ってこないと全員が出演できるプログラムにならない。ところがスラブ系といってもロシアを外してしまうとかなり幅が狭まってしまうのだ。

ドボルザークがチェコということで、チェコの作曲家で組むのであれば、有名どころではスメタナがいるが、「我が祖国」のイメージが突出していて、意外に選曲の幅がない。個人的にはあまりベタな感じのプログラムになるのも避けたいし、チャレンジというか、これまで演奏した事のない作曲家の曲を入れたいという欲がある。

そんな訳で今考えているのは、前プロにスメタナの「売られた花嫁」、中プロにヤナーチェクかマルチヌーといった新しい作曲家の曲はどうかというものなのだが、恥ずかしながらほとんど曲を知らない。ヤナーチェクといえばシンフォニエッタぐらい、マルチヌーはこの間オレイユで初めて知ったぐらいだ。(しかもどちらもチェコ出身というのは今回知ったぐらい。)

だからこそ勉強になる訳だが、一方でそうした曲が団員や聴衆に「受ける」かという問題もある。特に中プロは出演者を「増やす」ための曲でもあるから、乗り番となる、特に管楽器の面々に満足してもらえるものでなければ意味がない。

ま、とりあえずはあたりをつけた曲を聴いてみる事だろうか。提出まであまり時間がないので、今日にでも音源を入手しておきたいところだ。

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2010年10月 8日 (金)

喉のストレッチ

喉の事ばかりで他に書く事は無いのか、という気もしてくるが・・・。

昨日は朝におにぎり、昼にパスタ、夜につけ麺を食べ、大分普通の食生活に戻ってきた。痛くない訳では無いのだが、耐えられるという感じだろうか。

ただ、熱いのと辛いのはまだまだ駄目な感じで、口の中である程度さましてから食べられるものに限る。スープなど汁物はまだ難しそうだ。

ちなみに昨日食べた中で一番厳しかったのが、つけ麺に盛られていたネギで、生に近い(というか生)ため刺激が強く、結局食べきる事ができなかった。普段なにげなく食べているネギの刺激の強さを改めて感じたとも言えるだろうか。

もう一つ感じ始めたのが、今感じている痛みは傷の痛みだけでなく、筋肉が強張っている痛みではないかという事だ。なるべく刺激を与えないように、動かさない様にしてきたために強張ってしまって、動かすと痛みを感じる・・・というものだとすると、少しずつでもストレッチが必要なのではないか、という気がしてくる。

という訳で、昨日からはちょっとずつ喉を動かすことも始めている。せっかく気道を広げたのに、伸縮性を失って広がらなくなっては意味がない。

もちろんこれらは素人判断ではあるので、まったく見当違いの可能性もあるのだが(いやむしろその可能性の方が高いのだが)、いずれにしても治ってきている事は感じている。ただ、本当に痛みが完全に消えるのかどうかは、まだ若干不安があるんだよねぇ・・・。

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2010年10月 7日 (木)

ステージマネージャーの役割

演奏会におけるステージマネージャー役割とはどんなものだろうか。

プロオケであれば比較的考えやすい。演奏以外の運営部分すべてを担うのがステージマネージャーの役割と考える事ができるからだ。実際、以前トラで参加した比較的プロ指向の強いオケ(主宰者の考え方として)では、そういった形で当日の仕切りをステージマネージャーが行っていた。

一方で、アマオケの場合は、当たり前だが演奏者は演奏だけ考えていれば良い訳ではない。というか、運営の大半も団員自身がやる訳で、ステージマネージャーといっても演奏者と兼任である場合もあるはずだ。

府中の場合、ステージマネージャーについては流石に兼任ではない形を取っているのだが、それは言い換えれば「団員以外」の方にお願いをする事になるため、では何をお願いするのか、という事が問題になってくる。これまでは「阿吽の呼吸」でやってきていた部分が大きいのだが、個人的にはあまりそういう事はしたくない。

そこで困ってしまったのだが、自分はステージマネージャーが何をしているのか、実際にはほとんど知らないという事だ。本番中はもちろん、ステージ脇で待機する時も、通常下手に位置するステージマネージャーとは接点が無い。リハの最中も最前列でほぼ弾きっぱなしだから、意識を向ける機会がない。

正直に言えば、今回の演奏会では前半降りる事も打診していたのだが、これはあっさり拒否されてしまった。お陰でハイドンが弾けるのだからありがたい話ではあるのだが、やはり一度はバックステージを経験しておく必要もあるのではないか、という気がしなくもない。

結局演奏中の自分のポジションを考えると、本番当日は自分が一切何もしなくても回っていくような段取りを組み上げておかないと(運営委員長としては)仕事をしたことにならないのだ。そう考えるとステージマネージャー役割というのは重要で、一度キチンと整理した上で誰と二人三脚を組んでいくのか、という事を考えなければならないのだが・・・。

団員との関係もあるし、自分の個人的な関係だけで決める訳にもいかないので、そのあたりが難しかったりする。本当は当日の仕切りを全部お願いできるような形にできると良い気がするんだけどね。

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2010年10月 6日 (水)

喉が痛いことの影響

昨日の夜、歯磨きをしていたら喉から米粒程の血の塊が出てきた。かさぶたになっていたような感じだが、以降ぴたりと痛みが無くなった。

・・・なんて事はなくて今朝もバリバリ痛かったのだが、ムラがあるというか、それでもタイミングを選べばそれほど苦労せずに食べる事ができるようになった。数日前は悶えながらゼリー飲料を喉に流し込むこともあったので、それに比べればずいぶんマシだ。

とはいえ、喉が痛いというのは色々と支障がある。

一つは、基本的に「常に」痛みを感じるということだ。唾を飲みこむだけで痛みがあるのだが、一方で喉を潤しておくために定期的に水を含む必要があるので、これまた痛みが走る。かなり弱くはなってきているが、これが集中力・思考力に与える影響は大きい。

実際、落ち着いて考えをまとめる、というものは後回しになっている。今は痛みに波があって、平気な時と痛い時の落差が大きいのでなおさらだ。正直、痛い時には何も考えられないし、それまで考えていた事が消し飛んでしまう。

二つ目は、会話が億劫になることだ。話せない訳ではないし、話すことによる痛みはあまり無いのだが、まだ若干喉に違和感があるのと、話終わった後の反動が大きい。喉を振動させてしまうのと、乾燥させてしまうからだと思うのだが、後の事を考えるとどうしても話すのを避けるようになってしまう。

受身の会話は逃れようもないが、自分から話すという事はしなくなる。これは電話も同様で、どうしてもしなければいけない緊急の用件以外はどうしても後回しにしてしまっている。

三つ目は・・・特に無いが、いずれにしても少し「やるべき事」が、後回しになりつつあるのを感じる。やろうと思えばやれることを考えると、「喉が痛いから」は言い訳にすぎないので、その部分はなんとかしたい所だ。

根性で・・・なんてキャラじゃ無いんだがな・・・。

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2010年10月 5日 (火)

軟口蓋形成術

先週の火曜日に喉の手術をした。

睡眠時無呼吸症候群やイビキの治療に用いられる軟口蓋形成術という手術で、のどちんこ周辺の形を整えてイビキの原因となる振動体を除去するものだ。イビキに関しては以前から気になってはいたが、手術を受けたのは、まぁたまたまである。

(直接的なきっかけは、調整をした楽器を取りに行く為に会社を休んだ時に、時間があるので検査を受けることにしたから、という事になるだろうか。実は以前同じような理由でレーシックの検査も受けた事があるのだが、こちらはその後のスケジュールが合わず手術は受けなかった。)

2週間はかなり痛むという事で、再三脅されて(?)いたのだが、確かに痛い。痛み止めの薬が効いている間はともかく(それでも喉に刺激があると痛みが走る)、切れると話すのも辛くなってくる。

実際、まだ痛みはひいていないのだが、昨日の診察では残り1週間以内に絶対に痛みは無くなると断言されてしまった。来週は病院の先生が海外出張されるということで休診なのだが、薬を1週間分しか処方しないというので、痛みがひかなかったらどうすれば良いかちょっと聞いてみたのだ。

個人的には何事も断言する人間というのは微妙に信頼できないのだが・・・。

正直に言えば、ここ2日程の方が痛みに襲われる機会が増えていて(薬の効果が短くなっているような感じ)、少し不安を覚えていたのだが、看護士(師?)さんの話ではそういうパターンもあって、その後ぱたりと消えるらしい。「自分もそうだった」って、あんたも受けたんかい!とつっこみたくなったが、後はそれを信じるしかないだろう。

もっとも、不安は感じつつも、基本的には最終的に大丈夫だろうとは信じている。医者の言うことがどうこうと言うよりも、生体のメカニズムとしてこの手の問題はなんとかしてしまうだろうという曖昧な根拠ではあるが、生物はそういうものだという確信があるのだ。

そんな訳であと1週間の辛抱。効果のほどは?自分では確認のしようがないのでどうしようもない。ただ、呼吸はしやすくなったと感じているし、その程度でも良いのではないかと思っている。

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2010年10月 4日 (月)

演奏会の段取り

府中の本番が来月に迫ってきたので、そろそろ演奏会の段取りを考えなければいけない時期になってきた。委員長になってほぼ初めて(前回オペラシティは特別)の演奏会ということになる。

個人的には役割を分担しながら各自のやる事を可視化し、幅広く団員が関われるようにしたい(分かっている一部の人間だけが動くようにならないようにしたい)と、仕事の様な事を考えているのだが、趣味の集団であるオケの人間にどれだけ通用するのかは不安が残る。

そもそも、効率だけを考えれば、一部の人間だけで動く方が良い。ロスもミスも少ないからだ。

実際、府中がこれだけ巨大化しながらも運営できてきたのは、そういった一部の突出した人たちが上手く運営してきたからでもある。当然そうした人たちには負担がかかる訳だが、負担への不満を口にする一方で、そうした人たちはその負担をポジティブに受け止めている気配もある。

実際、演奏会という巨大なイベントを自分たちで成功させるというのは、強烈なモチベーションだろう。そしてそうしたお祭り的イベント運営は、どこかスキというか、ガチガチにしないフレキシブルな側面があることでより達成感が強くなる。その場の勢いと団結力で乗り越えるといった、いわば一体感を生み出すイベントにつながるからだ。

しかし、そうした役割を分散化し、誰でも関われる形でシステマティックにするということは、より興行的なイベントにするということだ。言い換えればお祭り的要素を減らすということでもあり、淡々と事務的にこなすようにするという事でもある。

一方で関わる人数を増やすというのは、そうした(苦しみのような)楽しみに、より多くの人を巻き込むという事でもある。楽器を演奏するという事と、演奏会をするという事は必ずしも同じではない。プロであれば、それは同一かもしれないが、アマの場合はそれ以外にも自らやらなければいけない事がある。

やらずに済むなら演奏だけしたいという考え方もあるだろうが、それでは寂しい気もする。個人的にはそうはしたくないと思っていて、演奏会の段取り全体を知りながら、その一部を一人ひとりが担いつつ、全員で成功をめざす(演奏の成功ではなく、演奏「会」の成功をだ)ようにしていきたいのだ。

とはいえ、今のままではやらされの感じで、団員がどちらにも集中できずに終わってしまう可能性もある。このあたり、ほしらべは上手く運営されていた(もっとも結果論ではあるが)と思うのだが、ああした状況を府中で生み出すにはどの様に仕掛けていったら良いのだろうか。

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2010年10月 1日 (金)

今日もパスタ

少し前のことだが、ランチにパスタを頼んでからこんなメモを残したことがある。

前日の夜にパスタ、今日の昼にパスタ。
「しまった、かぶった」と思ってしまったが、良く考えたら世界には一年中ほぼ同じメニューを食べている人の方が多いはず。

毎日あるいは毎食何を食べるかを考えて、昨日はあれだったから今日はこれにしようと考えることができるというのは、それ自体が贅沢な話ということだ。健康のために一日30品という呼びかけがあるが、世界にはおそらく、一生で30品目といった人たちさえいるのではないか。

だから何、ということでもないのだが、そうした境遇にあるということは、忘れないようにしたいものだ。

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