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2010年11月30日 (火)

メール書き

昨日は部署の会食。
今日はフロアの打ち上げ。
明日はチャリティーパーティー。

・・・という訳で夜の時間が使えないため、今朝はメールを書く事を優先する事にする。

パート内への連絡。
コンサートマスターへの(乗り番の)報告。
弦パートリーダーへの提案。
その他諸々返信。

しかし、本気でそうした事をこなそうとすると、やっぱりiPadでは若干力不足で、Macbook Airが欲しくなるな(・・・とボーナスを前につぶやいてみたり)。

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2010年11月29日 (月)

演奏会二連発

この週末は色々とイベントが多かった。

金曜日の夜は、ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団with諏訪内晶子のコンサート。シベリウスのバイオリン協奏曲とマーラーの交響曲第一番「巨人」を聴いてきた。

一言で言えば圧巻。特にシベリウスの諏訪内晶子は、「どこからそんな音が出るんだよ」という強烈な迫力で、巨漢(とにかくデカいんだ楽団員が・・・特にコンマスがw)に囲まれていても圧倒的な存在感を醸していた。シベリウスのバイオリン協奏曲は、以前樫本大進のソロで聴いた事が(確か)あるのだが、今回の方がずっとよかった気がする。
(もっとも、あちらは初めて聴く状態だったので、今回とは予習度合いも含めてかなり状況が違うが。)

マーラーの巨人は、所々好みと違う解釈もあったのだが、最後はやっぱり鳥肌がたった。一度本番を経験している(府中でやった事がある)曲というのは、自パートも含めて音楽の流れや響きの構造が分かっているので、聴いた事しかない曲よりも、聴いていてずっと楽しい。自分ならこう弾きたい、みたいな感覚もあるので、その違いに悶え(?)たり、なるほど~と思ったり。

ただ、正直「良い演奏を聴く」というのは、確実に自分の血肉にはなっていると思う一方で、あまり自分の演奏などについて考えるきっかけにはならない。考え、省みるためには、実は少々引っ掛かりのある演奏ぐらいの方がよかったりする。

・・・なんて書いてしまうと、そうした演奏だったと言ってしまう様なものなのだが、昨日は武蔵野市民交響楽団の定期演奏会に行ってきた。演奏よりも運営面で参考になる事がないかと思っての事だ。

プログラムは、R.シュトラウスのホルン協奏曲に、ベートーベンの「運命」、ストラビンスキーの「火の鳥」と盛り沢山。ホルン協奏曲と火の鳥はよく知らない曲(火の鳥は最近聴き始めたばかりでまだよく分からない)なのだが、運命は良く知った曲なので、正直色々とアラも見えてしまった。

だが、そうした演奏を聴くと、ああなるほどこうした所は気をつけた方が良いんだな、とか、自分の所でもこうした練習をしたら良いかも、とか色々とアイデアが浮かんできたりする。午前中の練習で、次回定期で演奏するブラームスの2番を弾いたばかりだったからという事もあるかもしれない。

ただ、コンサートの運営(特にスタッフ関係)に関しては、府中とは団員構成の仕組みからして違う様で、参考にするのは難しそうだ。とにかく人が多くて「少ないメンバーでどのように回すか」という点で、ヒントを得る事はできなかった。


・・・もう一つ、土曜日にはとあるNPO団体の総会を見学させてもらい、府中の総会に向けてのヒントなどが得られたのだが、それはまた後日まとめてみる事にしよう。

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2010年11月26日 (金)

タスクをどの様に管理していくか

会社のグループウェア上のタスクリストを使わなくなり、Toodledoに切り替えてからしばらく経つが、まだしっくりこない。仕事だけでなく、オケでやる事なども登録するようになったので、カバーする範囲は広がっているのだが、どうもうまく回っていかないのだ。

一時的に会社の仕事の状況がイレギュラーになっていて、打ち合わせばかりで実際にタスクをこなしていく時間がない(結果どうしてもというもの以外は先送り)という事もあるが、それ以外にも原因があるように感じている。

以前のグループウェア上での管理との大きな違いは、カレンダーとの連動がないことだ。GoogleカレンダーとToodledoのタスクを同じアプリで管理する為に、InfomantHDを使っているが、予定とタスクが同時に表示されるのはTodayのみ。ようするに明日以降のタスクの状況をカレンダー上で確認する事ができない。あるいはできるのかもしれないが、方法が分かっていない。

その結果、今日のタスクを先送りするとどの様に詰まってしまうのか、伸ばすのであればどこに入れるのか、そもそも伸ばして詰められるところがあるのか、といった事が感覚的に把握できない。その為に、先延ばししたタスクが目詰まりを起こして棚ざらしにされてしまっている。

だったらタスクもカレンダーに登録すればいいじゃないか、という話もある。ただ、これは実は過去に挑戦した事があって、理由は定かではないがうまく回らなかった記憶がある。今もGoogleカレンダーには、Taskというカレンダーがあるのだが、塩漬け状態になっている。

もっとも、それは会社のグループウェア上でタスクを管理するという事をしていなかった頃のチャレンジなので、今なら慣れていてスムーズに運用できるかもしれない。

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2010年11月25日 (木)

忙しい

昨日Twitterで、「なんだか忙しいと感じる。」と呟いた。「時間がないという意味ではなく、心を亡くしているという意味で。何でだ?」

個人的に普段から「忙しい」という言葉は使っていない。時間が足りないと感じる時にはその様に口にし、呟いたように「心を亡くしている」という意味でだけ「忙しい」という言葉を使うようにしているからだ。

ただ今回の「忙しい」というのは、余裕をなくしている、という意味合いとも若干異なる。放心あるいは忘心(こんな言葉はないが感覚的に)状態に近い。単に気が抜けただけ、という事かもしれない。

一方で、やりたいこと、やらなければならないことが沢山あって、若干自分のキャパシティを超えているのではないかと感じられる側面もある。肉体的、物理的なキャパシティではないので、例えばオフを取ればリフレッシュできる、というものとも違う。むしろ、考える時間ができたら余計にリミット以上の積み上げをしてしまうだろう。

あまり自覚はないのだが、今回の府中の演奏会はそれなりにプレッシャーとストレスがかかっていたということなのかもしれない。そこから解放されたことで、若干心のバランスがおかしくなっているのだ。しばらく放っておけば、亡くしたと感じている心も戻ってくるだろう。

・・・それを待っている時間的余裕があるかどうかはさておき(笑)

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2010年11月24日 (水)

演奏会終了

府中の定期演奏会が終了。演奏面はさておき、運営面では多々課題の残る内容だった。「残る」という表現はあまり適当ではなく、「分かる」に近いだろうか。

自分の場合、大学からオケを始めて以来、降り番とそれに伴うスタッフというのを経験したことがない。だから、裏方の仕事というものを、頭ではある程度理解していても、実感としては良くわかっていないという事がある。

それでも昨年ぐらいから開演前はロビーに出るようにしていて、雰囲気はある程度分かるようになっていたつもりだったのだが、今回は休憩中と終演後にロビーに行ってみて、まったく分かっていないという事がよく分かった。

特に今回は人手が足りず、後半はほとんど人を手配していなかったのだが、終演後のお客様を(言い方は悪いが)効率よくさばいていくには、それなりの人員と準備、ノウハウが必要だという事がよく分かった。前回オペラシティの時はホールの(プロの)方々がいたのだが、府中のどりーむホールでは自分たちでやらなければならない。

結局、これまで自分が見知っていたのは、終演後大半のお客様がお帰りになり、まばらになってからなのだ。問題はその前の状態をいかに混乱を起こさずにさばいていくかにある。ドアを開放し通りやすくする事しかり、アンケートの回収の呼びかけや、終演後の差し入れ対応など、スタッフの配置が必要だったのだが、その点が今回はまったく抜け落ちていた。

あるいは今までは誰かしらがいて対応してくれていたのかもしれないが、その事に気づいていなかったという事だ。しかし、そうした個人の機転頼りでは、スタッフを例えば知り合いにお願いしていく事などできない事になる。今回は結局手配できずに終わったのだが、仮に手配できていれば、その人には指示不足で多大な迷惑とストレスをかける事になっただろう。

同じような事は開演直前(流石に乗り番では1ベルぐらいまでしかロビーには居られないが、おそらく大変なのはその後からだ)や、休憩時間中の対応などにもあるはずだ。さらにいえば、今回は前半はドアマンを配置して曲間での入場を制限していたのだが、配置できなかった後半はドアが開きっぱなしになっていたり、途中から入ってくるお客様が散見された。これも演奏会のマネジメントとしては失態だろう。

まぁ終わった事は仕方がない。そうした経験値を生かさない(生かせない)という事を避ければ良いのだ。次の春の定期演奏会は、有料公演のためチケットのもぎりなどさらに多くのスタッフを必要とするが、一方で序曲に大編成の曲を持ってきているので、決定的に人手が足りないという問題がある。

早めに動員可能な人員を把握して、どの様に運営していくか検討していかなければ・・・。

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2010年11月19日 (金)

(若干)緊急事態

明後日の府中の定期演奏会でスタッフ関係のお願いをしていた方に不慮の都合が発生し、急遽他の方を手当てしなければならなくなった。

という訳で今日のブログはここまででとりあえず人探し。今日は日中の時間があまり無いので会社のブログを書こうと思っていたのだが、それも後回しだな~。

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2010年11月18日 (木)

会話の積み重ね

・・・やってしまった。書いた内容をコピーする時に、全選択の後うっかりキーに触って全部消えてしまった。iPadは取り消しがなくて直前に戻れないのがつらい・・・。

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2010年11月17日 (水)

時間がない

「時間がない」と口にする時に、それでも残業等で別の時間を確保すればこなせるものというのはまだマシだったりする。

そのタイミングでしかできない事に費やせる時間がない、というのが問題なのだ。ようするに他の事に時間を取られてしまっているということで、優先順位の問題ではあるのだが。

段取りで何とかする類いの問題なのだろうが、これが難しいんだよね・・・。

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2010年11月16日 (火)

当日の係をどう割り振っていくか

府中の本番が今週末に迫り、当日の係をお願いする人たちとの調整に追われている・・・追われるほどではないか。昨日も連絡があり、時間的に対応が難しいので変えて欲しいという要望があった。

今頃・・・とは実はあまり思っていなくて、今回はどちらかといえば係をお願いするのが遅くなってしまったと反省している。本当はもっと事前に調整をしておくのが良いのだろう。それこそその演奏会に向けた練習がスタートした頃には暫定でも決めてしまうのが理想だ。

理想だ・・・とは思うのだが、実際にはそんなに簡単ではない。それほど長い期間をかけるものではないし(そもそもそういったものは運営委員に割り振られている)、あまり事前に決まっていては、逆に忘れ去られてしまう可能性もある。遅くなく、早くなくというタイミングは意外と難しい。

今回の演奏会では、運営委員会内で確認するための進行表なども作ってみたが、これも結局機能したとは言い難かった。自分としてはなるべく誰にでも見える形で進めていきたかったのだが、これまでの委員長が一部のよく分かっている人たちを中心に進めていた理由がよく分かる。

効率の問題もあるが、それ以上に各人のコミットを得るのが難しいのだ。ここでいうコミットというのは、言われた事をやるという役割に対するコミットレベルの話ではなく、必要ならば自ら考えて動くという最終的な目的(ここでは演奏会の運営)に対するコミットレベルの話である。

もちろん、分からないから動かない(動けない)といった要素もあるだろうが、すべてを分かる必要はまったくなくて、自分に可能な範囲で気づくかどうか、動くかどうかという話なのだ。仕事であれば縦割りの中で「口を出せない」という事があるかもしれないが、市民団体はそういったものではない。

もっと、口を出しにくい雰囲気があるというのであれば、それは委員長である自分の責任でもあるから、結局こちらから求められるものでもないのかもしれない。もともと周囲を寄せつけない傾向はあるので、それは反省材料だろう。(反省したって変えられるものではないので、どうやって補うシステムを作るかだが。)

いずれにせよ、少々バタバタしても本番までにできるだけ環境を整えなければならない。最後は結局色々な人の助けを借りる事にはなるのだろうが、それを最小限に抑えて、そうした(自然とコミットしてしまう)人たちの負担を少しでも軽くすることが、今考えなければいけない事だ。

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2010年11月15日 (月)

第1685回NHK交響楽団定期公演

土曜日は会社がらみのお付き合いのボランティアで渋谷だったのだが(余談だがすぐ隣で今日放送のめざましテレビのココ調の取材が行われていた)、せっかくなので終わった後にN響の定期公演を聴きに行ってみた。職場から近い割に、実はNHKホールは初めてだったりする。

今回は当日券だったのだが、たまたま2階席後方のステージ正面の席が空いていた。席から見るホールの印象は、思ったより広いという感じ。一方で、座席は小さくて、隣や前後との距離が近く、少し狭苦しい感じがする。

今回のプログラムは、

武満徹:グリーン
ガーシュウィン:ピアノ協奏曲ヘ調
プロコフィエフ:交響曲第5番変ロ長調作品100

で、指揮者は首席客演指揮者のアンドレ・プレヴィン。ガーシュウィンはプレヴィン自身による弾き振りだ。プロコフィエフは、以前府中でやった事があり、個人的には好きな曲の部類に入る。そんな訳で、事前にチケットこそおさえなかったが、行ければ行こうと狙ってはいた。
(ちなみに今月チケットを入手しているのは、ゲルギエフ/ロンドン交響楽団のマーラー巨人だったりする。高いんだこれが・・・。)

今年81歳だというプレヴィンは、歩き方もゆっくりよろよろした感じで、椅子に座っての指揮だったが、振り始めると生き生きとして見えるから不思議だ。もっとも、ステージから距離があるので実際のところはよく分からない。こういう時はオペラグラスの用意ぐらいした方がよさそうだ。

弾き振りのガーシュウィンは、なるほどこんな感じに振るのかという感じで見ていたのだが、演奏自体は淡々としていて、そういう曲なのか、年齢によるものか、いずれにせよエネルギッシュさに欠けるような気がした。客席に背を向けているので、あまり動きが感じられないという事もあるかもしれない。

プロコフィエフは、良い演奏だったと思うのだが、そつなくまとまっているという感じで、若干迫力に欠ける気がした。第一楽章ラストなど、録音で聴いていても音響の洪水に飲み込まれるような感じがあって、府中で演奏した時の感覚がよみがえってくるのだが、そうした感覚が薄い。

ただ、そこでふと思ったのが、ステージと客席との距離がそれを生んでいるのではないかという事だ。ここしばらく親しんでいた都響の定期公演の時のサントリーホールの席と比べてもかなり遠い。その距離感が、洪水に「飲み込まれる」のではなく、「遠くで眺める」感覚を生んでいるのではないか。

考えてみれば、普段自分は指揮者のほぼ正面で、ほぼ同じ響きを背中に背負いながら弾いている。一度この感覚を覚えてしまったら、客席では物足りなく感じても仕方ないのかもしれない。ずいぶんと贅沢な話ではあるのだが、そんな事を感じたのだった。

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2010年11月12日 (金)

会社のブログの行き詰まり

このところ、会社のブログの更新が滞っている。ネタがない・・・。

スタートから3年以上になる訳だし、息切れもやむを得ないと思うのだが、そろそろスタンスを変えるといった事が必要なのかもしれない。大体、毎年同じような仕事をしているのに、ブログでそれを取り上げていくというのは結構無理がある。

一方で、「編集局」的なことはしたくない。というか、多分できない。

他社の企業ブログの担当者と情報交換などをしていて感じるのは、自分のやっているブログのある種の特殊性だ。多くの企業ブログでは、個人に強く結びついていない限り、編集会議などを経て計画的に投稿されている。特に大手はそういった傾向が強い。

その日の朝、ネタがないなどとぼやきながら何を書こうかと考えているような事はないのだ。仕事としてやっている以上、ある程度当然の話ではあるのだが、こうした事は今のところ自社のブログではできていない。

一方で、あまり個人に結びついている訳でもない。名前は出しているし、文体も個性が出るようにしているが、取り上げる内容については基本的に個人ネタを避けている。私的な事を書かないという意味ではなく、自社の人間であれば誰が取り上げてもおかしくない題材を取り上げるという事だ。

正直なところ、これをより個人ネタにシフトできれば、もう少し更新は楽にはなる。ただし、企業のブログとしての性格は薄れる。複数のブログがある中であれば良いと思うのだが、現状一つしかない今のブログの状況を考えるとそこまで個人寄りに振れるのは流石に抵抗がある・・・抵抗がある(社内の)ような気がする。

より会社側に振ってしまうという選択肢もある。だが、そのためには正直リソースが足りない。毎日更新する電子社内報を立ち上げた時、当初はほぼ専任の5人体制だった。社内から情報が揃う体制が整うにつれて整理されたが、今はほぼ専任1名と兼任が2名程度の体制だろうか。日に1時間程度しか費やせない中で同じような頻度で社内からネタを収集し、編集し、更新していくのはかなり厳しいし、個人的にはあまり面白くない。(そもそも、社内の情報をそうしたルートで外へ発信しようと考えたら、確認その他の手間が大きすぎる。)

さてさて、どうしたものか。一旦きちんと考えた方がいいんだろうなぁ。

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2010年11月11日 (木)

CSRレポートをモノローグにしないために

先日twitterで「CSRレポートは独り言」というツイート見かけた。

http://twitter.com/Mitsunobu3/status/1672957776625664 CSRレポートは独り言。CSRレポート(アクション)をダイアローグ、そして、エンゲージメントに昇華しなければいけない。CSR広告は何を担えるのだろうか。

実際そんなところはあって、下手をすれば独り言どころか遠吠えになってしまっているようなケースもあると思うのだが、そういえば昔モノローグについて書いたことがあったよな~と思って検索してみたら、レポートではなくブログの話だった。

モノローグをモノローグにしない方法
http://projectk.txt-nifty.com/enigma/2006/07/post_4b9f.html

個人的にはCSRレポートであっても似たような事が言えるのではないかと考えている。仮にレポートからダイアログを生み出したいと考えた場合、ある程度の読み手というか、対話相手のリテラシーは不可欠だ。ダイアログを成立させていくには、発信側ではどうにもならないこともある。

何しろ(厳しいことをいえば)、すでにレポートに登場している有識者ですら、レポート側(企業側)で用意されたダイアログで発言するのがやっとなのだ。少なくとも「お宅とダイアログをしたい」と言ってきた例というのは、聞いたことがない。

もちろんこれは、企業側で公言できるような類いの話ではない。「モノローグになってしまうのは、レポートや企業の姿勢に問題がある」という視点で検証をしていくことは重要だ。しかし、それは同様に「企業にダイアログを求める側」にも必要な視点ではないだろうか。

そんな訳で、先日のCSRモニターへの回答のように、少なくとも個人的にはなるべく読み手としてのフィードバックを心がけていきたいと思っているのだった。

そうした積み重ねで、企業側に読者を「対話相手に足る」存在だと認めさせていく事が、本当の意味でのダイアログやエンゲージメントの第一歩ではないだろうか。企業に「用意してもらった」ダイアログやエンゲージメントに満足してどうするのさ。
(そう考えると、労使交渉ってダイアログなんだよな・・・。)

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2010年11月10日 (水)

NGOと企業の協働に必要なこと

このところセミナーやらパーティーやらが続いた割に、後で気づきなどを書いておくのを怠っていた。
さかのぼるかどうかはさておき、とりあえず昨日出席した日本フィランソロピー協会のセミナー「国際協力NGOによるプレゼンテーション・コンペ」の感想など。

このコンペ自体は、JICAが主催するNGO向けの研修の仕上げとして行われるもので、5団体が発表を行ったのだが、個々の内容はさておき、出席者側に何が求められているのかが不明確だったのが残念だった。
本当にコンペとしてマッチング先を探すつもりで見るのと、研修の成果を評価するために見るのとではかなり視点が異なるからだ。

結果マッチングすればそれはそれで良しとして、参加者、特に企業関係者には審査的なスタンスを求めた方が良いのではないか、と個人的には感じた。プレゼン側も結局具体的な協働先を意識して企画を組み立てている訳ではないので、本気でマッチングするには弱すぎるのだ。

コンペ(と講演)の後にはグループディスカッションがあり、NGOと企業が協働をする上で互いに困っていることなどをシェアしながら、互いに何が求められるかについて話をする。なるほどと思ったことも含めて、整理されたポイントは2つある。

まず、NGOは、自分達の活動が社会与えるインパクトがどういったもので、それをいつまでにどのように実現しようと考えているかというロードマップを示す必要があるというものだ。

例えば「貧困を解消する」というのは、企業側からみれば「購買力のある市場を創出する」ということに等しい。そう考えれば、企業側に必要なのは、それが何年で実現し、そのために何が必要か、という情報だ。それが企業の目的とリソースに合致する時に、NGOと企業との協働は実現する。

個人的な感覚でいえば、企業という組織は「社会貢献」という理屈では動かない。社会に貢献するという動機で意思決定は、経営者や従業員といった「人」の判断であって、組織としての意思決定ではないのだ。もちろんそうした人の判断による支援もありだとは思うが、それはNGOという「組織」と企業という「組織」との「協働」ではない気がする。人が変わればコロッと変わってしまうような、ある意味脆弱な関係にしかならないのだ。

一方企業に求められるのは、企業側から組むNGOを探していくという能動性という話があった。特定のミッションに集中するNGOの側で相手企業に動きを合わせていくのは難しく、むしろ自社にとって必要とされるミッションを持ったNGOを企業側で選んでいく積極性が必要というものだ。

そうしなければ、結果としてNGOの側が変容してしまうリスクもある。協働のためにミッションや理念を変えたりすれば、NGOとしては致命的なダメージになる。そういった意味でも、NGO側から協働先の企業にアプローチをしていくのは実は難しいことなのだ。

もちろん、企業側からアプローチをしていくためには、そうしたNGOの情報がきちんと提示されていなければならない。先に触れたロードマップの提示も含めて、NGO側に求められることは少なくない。

ただ、そうした条件が満たされてこそ、本当の意味での協働が実現するのだろう。

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2010年11月 9日 (火)

読者が参加するCSRレポート編集

次のCSRレポートをどのように制作するかについて検討を始めているのだが、我ながら無謀な事に、社員ではなく社外の読者が参加する編集はできないかなどと考えている。

会社の発行物に一般の人が(業者ではなく)関与するだけでも異例だとは思うのだが、CSRレポートは範囲が社業全般な上に、検討段階では社外秘などに触れる事もあるのだから、無茶といえば無茶な話だろう。
そもそもCSRレポートは、会社がステークホルダーに向けて発行するもなのだから、そのステークホルダーを編集に参加させてどうするのか、という話もある。

ただ、信頼性や透明性の向上といった視点から第三者意見やステークホルダーダイアログのように、外部の有識者が関わるケースは既にある。従業員もステークホルダーだが、従業員が編集に関わるケースは少なくない。

であれば、もう一歩踏み込む事も可能ではないか、と思うのだ。

また、最近は従業員を第一の読者に設定してレポートの編集を行う企業も珍しくない。従業員を読者と考えれば、その為のメッセージ発信者として社外の関係者を巻き込むのはそれほどおかしな理屈ではない。従業員に「こうあって欲しい」と思っているのは、彼らだからだ。

もちろん、ことは理屈ほど単純ではなくて、情報漏洩や要求される内容に応えられず、イメージダウンするリスクもある。社内の抵抗も極めて大きいだろう。組織の求心力の多くは外部との情報格差によって生まれているので、その壁が取り払われる事への抵抗感は非常に強いからだ。

何より「そもそもそんな編集プロジェクトに参加する一般読者がいるのか」ということがある。

自分自身は機会があれば他社のレポート編集にも関わりたいと思うような奇特な人間だが、そんな自分が変である事も自覚している。編集に加わるというのは、読者として好きな事を言っていれば良いのとは違うからだ。例えばある情報の開示を一方的に「求める」のと、開示のために「調整をする」ではまったく異なるが、編集に加わるというのは、(調整できなければそれを受容するという事も含めて)後者の立場に立つという覚悟が必要になる。

そんなプロジェクトに、「対価もなく」参加する人間が果たしているだろうか。対価を用意しても良いのだが、それでは第三者的な関与色が薄れ、業者とあまり変わらなくなってしまう。

実はこのアイデアの最大の問題点はそこだったりする(笑)

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2010年11月 8日 (月)

演奏会の案内

昨日の府中は一日練習。いよいよ本番まで二週間をきってしまった。泣いても笑っても練習はあと一回。いつもであれば本番前週が一日練習なのだが、今回は指揮者の都合で二週間前が一日練習だったので、もう一回練習はある。(その後は前日のゲネプロと当日のリハーサルがあるが。)

今回は・・・正直にいえば練度が低い気がする。ようするに絶対的に弾いた量が少ないという事だ。オケ全体に言える事なのだが、いまだに曲が「分かってない」感じが随所にある。有名な曲なので思い込みで演奏してしまっているという事もあるかもしれない。

もっとも、いつもであればここから一気に追い込む傾向があるので、まだ結果は分からないが。
という訳で演奏会の案内。

府中市民交響楽団第62回定期演奏会~創立30周年記念シリーズ
日時:11月21日(日) 13:30開場 14:00開演
場所:府中の森芸術劇場どりーむホール
曲目:
ハイドン:交響曲第104番ニ長調「ロンドン」
ホルスト:組曲「惑星」
指揮:田部井剛
演奏:府中市民交響楽団
入場無料 全席自由

「惑星はちゃんと練習すれば出来る曲」というのはコンサートマスターの言葉。その通りだとは思うが、もう一つ重要な要素がある。

「自分以外のパートをちゃんと聴けるかどうか」だ。

特に今回の指揮者の田部井さんは調性を重視する。調性は二つ以上の音の重なりからくる響きが生み出すものだから、他のパートの音と自分の音との関係をどれだけ意識できるかが重要になるという事だ。

昨日の練習でチェロパートが指摘された箇所がまさにそれだと思うのだが、難しいパッセージになると、この「他のパートを聴きながら」弾くのが格段に難しくなってくる。だがそれはおそらく「ちゃんと弾けてない」のではなく、「ちゃんと聴けてない」ために乱れるのだ。

その場合、必要なのは「ちゃんと弾く」ことを多少捨ててでも「ちゃんと聴く」ことだったりする。これは個人練習ではどうにも練習しようがない。音源を聴くことで多少トレーニングにはなるが、全体の響きの中の自分の位置を意識しながら弾くというのは、合奏練習の中でしか培われない感覚のような気がする。

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2010年11月 5日 (金)

顔の見えるトップメッセージ

昨日はふと思い立って、DFFのCSRモニターのアンケートに回答した。しばらく前から何件か回答依頼がきていたのだが、後回しにしてしまっていたものだ。

会社でも自宅でもなかなか気分が回答モードにならないため、帰りにMzoneの利用できる近所のタリーズに寄って回答。iPadでも回答ができるというのは助かる。

回答したのはJFE、ニチレイ、コスモ石油の3社。他にも未回答が残っているが、3社ほどすでに回答期限が過ぎていた。やはりあまり後回しにせず、その都度対応していく必要があるのだろう。別に回答が義務という訳ではないし、自分の場合は回答に伴う寄付にもあまり関心はないのだが、他社のレポートと質問の内容、それに「自分がどう答えるか」という事には関心があるので、回答出来なかったのは残念だったりする。

ちなみに回答はかなり辛辣な方だろう。昨日回答した3社に共通したツッコミは、トップのメッセージが当人の肉声に聞こえない点だ。業績ハイライトのようにその年の取り組みを列挙していたり、理念や方針をオウム返しに復唱していたりといった印象が目立つ。これは大抵の会社に共通するものだが、それでは結局トップがどのように考えているのか、本音が見えてこない。

個人的な感覚からいえば、コンサルタントなどのアドバイスでトップメッセージを構成するとこうした内容に陥りやすい。あるいは、トップ自身の話を元にしていなかったり、社内のチェックが厳しすぎる場合だ。

テクニック的には、内容をあえて一部に絞り込み、なぜその話題を取り上げているのかについて、トップ自身の具体的なエピソードとともに語られていれば、まったく印象は変わってくるだろう。編集的にはそんなに難しい事ではないのだが、幅広く網羅しようとか、そんな個人的な内容を乗せていいのか、なんて議論が社内にあると、その調整の過程で「誰が語っても同じ内容」になってしまう事が多い。

しかし、トップメッセージの目的は、会社の理念や方針を「読む」事ではなく、それに対するトップとしての思いを「語る」事なのだから、誰が語っても同じ内容ではいけないのだ。会社として考え方はいろいろあるのかもしれないが、少なくとも自分はそう思っていて、そうしたトップメッセージを読むとついついそのようなツッコミをしてしまう。

多分担当者は同じように考えているだろうから、周囲を説得させるための後押しになればと思いつつ、実際には悩みを増やすだけなんだろうな・・・。

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2010年11月 4日 (木)

予定が抜け落ちる時

うっかりというか、意識から抜け落ちていたのだが、今日は会社の清掃活動日なのだった。別にだからといっていつもより早い電車に乗るといった事はないのだが、渋谷に着くまですっかり忘れていたのは多少ショックだったりする。

スケジュールにはもちろん登録されているので、今朝一度でも見ていれば思い出したことだし、正直忘れていてもそれほど問題があるわけではない。このブログを書く時に思い出していれば何とかなる話だ。
今回の場合、通常の開催日とは異なるということもある。昨日が休みだったのは、抜け落ちていた原因の一つだろう。

そんな他愛もない話ではあるのだが、特に朝イチの予定というのは、前日なりに確認しておく「クセ」を身につけておいた方が良いのではないか、などと思ってしまったのも確かだ。今回のこの予定は問題なかったが、次も問題がないとは限らない。

特に自分の場合、休み中はきれいさっぱり仕事の事を忘れるようにしているという事もある。出社するまで忘れてい予定は、実際にはたいしたことがないのだろうが、そうした細部をきちっと押さえられる事が重要ではないか、という気もする。

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2010年11月 2日 (火)

価格維持のために野菜をつぶす

さて、気を取り直して昨日の続きを。twitter上ではつっこみきれないと思ったのでブログで書くのだが・・・農家が「価格維持のために」野菜を潰している、という思い込みが生まれる原因は何なんだろう、とつくづく思う。

http://twitter.com/tsutun/status/29312245248
廃棄される農産物を無くす為にも農家に所得保証すべきです。白菜が高いですね、茨城県は産地の一つですが既に畑では一定量を収穫された後に残された白菜はトラクターで踏まれて肥やしにされます。市場での価格が低くなるのを防ぐ為です。所得を保証すれば低い価格でも売る事が出来ます。

茨城県の方のツイートなので、実際に農家の方に話を伺っての内容だとは思うのだが、少なくとも自分が以前実際に聞いた話とは全く違う。その時に、農家の方や卸の方が口をそろえて言っていたのは「どんなに安くしても売れないから、潰すしかない」というものだった。(そうすれば幾許かの補償金が出るので、放置して腐らせるよりましなのだそうだ。)

低くなるのを防ぐために潰すのではない。低くなりすぎてどうにもならないから潰すのだ。畑に残っているのは、残したものではなく、残ってしまったものなのだ。

農作物の価格は需給で決まっているから、マクロレベルでみれば数を減らせば価格は高くなる。ダイヤモンドの様なものは実際そうやって流通量をコントロールする事で価格を維持していると聞いた事があるから、農作物もそうだと考えてしまうのはわからなくもない。

しかし、ミクロレベルで見た場合はどうだろうか。手塩にかけて育てた作物を、高く売るために潰すような農家があるだろうか。そんな農家の作る作物がおいしいだろうか。

いやいや、そんな感情論ではないよ、というのであれば、その作物を買う流通側の立場に立てばどうだろうか。高く売るために作物を潰すような農家と取り引きをしようと考えるだろうか。そもそも少しでも安く買えるチャンスを見過ごすだろうか。おまけにその気になれば他の農家を選ぶ事もできるのだ。

断っておくが「自分ならしないけど他人はする」というのは単なる偏見にすぎない。もちろん「自分ならする」という人であれば「農家もそうしている」と思うのも無理はない。

ではさらに小売店の事情を考えてみよう。高い作物を少量売る場合と、安く大量に売る場合では、どちらが儲かるだろうか。高い野菜を「足元を見やがって」と思いながらも買ってもらえればまだ良いが、諦めて買ってもらえないリスクも高い。他の物を買い控えられてしまうかもしれないし、お店のイメージもダウンするだろう。

流通量をコントロールして価格を維持するというのは、ブランドイメージや希少価値が高く、競争相手がいない場合には効果があるかもしれない。例えば意地は悪いが「奇跡のリンゴ」であれば、価格を維持するためにあえて潰していてもおかしくない。でも、あの人がそんな人だと考える人は少ないだろう。

なぜ、他の農家や産地と競争をしている普通の農家だと「価格維持のために潰している」思われてしまうのだろうか。

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2010年11月 1日 (月)

evernote

原稿書くのに使っていたevernoteが落ちて、大量に書いた内容が吹き飛んでしまった。

けっこういい感じに書き進めていたのだが、気力低下、時間切れ・・・。

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