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2011年3月 8日 (火)

言葉の有無

今日は途中で下書き用のevernoteが落ちてしまった。ここしばらく落ちても書いた内容は残っている事が多かったのだが、今回は消し飛んでしまったので、少々ショックだ・・・。

土曜日のスキーでは、久しぶりに頭からのダイブをしてしまった。10mほどのスライディングになるだろうか。人が少ない時間帯であったのは幸運といえば幸運だが、ちょっとした気の緩みでの転倒だから、あまり褒められたものではない。

とはいえ、板が吹き飛ぶこともなく、ゴーグルが割れてしまうとか、胸を強打して呼吸ができなくなるといったような転倒ではない。全開ではなかったので当たり前といえば当たり前だが、そうした転倒は昔に比べればなくなっている気がする。(流石にゴーグルを割ったのは過去一度きりだが。)

さて、滑りながら気づいた事の一つに、スキーには言葉があるのに、チェロにはないという事があった。自分の滑っている状態や、次にどんな事を意識しようかという時に、スキーではそれをある程度言葉で説明できるのに、チェロの場合はそれができない。自分の問題点や次に取るべき行動をチェロの場合、言語化できていないのだ。

この差は、意外と大きい気がする。例えばプルークターンの3つのパターンを言葉にする事ができるのは、その際に体をどう動かすかというイメージが自分の中にある程度明確にあるからだ。そうした言葉なしに感覚的にやっていたら、反復して練習したり、反芻してチェックするといった事はできない。

チェロの場合、そうした事を意識していないのではないだろうか。

そうした言葉がないから、例えばパート練習などでも、どの様に弾いて欲しいとか、どういった点が問題だという事が的確に示せない。「音程が悪い」といった話ではなく、弓にどの様に圧力をかけるとか、動かす方向とか、運指の際の肘の動きとか、そういったメカニズムを理解していないので、問題点を把握できないのかもしれない。
(例えば大きな課題の一つにC線のF音の音程があるのだが、「音程が悪い」ではなくて、なぜ悪くて、どう指をコントロールするようにすれば修正ができるのか、ということを「言語化」して説明できる必要があるのではないか、ということだ。)

とはいえ、スキーだって言葉で意識するようになったのは、ここ10年ほどの話だ。それ以前は単なる感覚で処理をしていた訳だし、ようはどれだけ意識して考えながらトレーニングをするかだろう。

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コメント

これ、私の師匠も昔、トレーナーをやっていた時代に一番悩んだところだそうです。
自分では出来るから、出来ない人に説明することが、難しいのですよね。

その結果私のレッスンでは、全ての右手、左手、体幹の運動を筋肉、腱、骨格に分解して再構築してくれます。
例えば、実際に特定の腱を触ってそれが動いている・動いていないということで正しい右手の動きのチェックをするんです。

投稿: TAM | 2011年3月 8日 (火) 13時40分

うーむ、そこまで指導してもらえるのはうらやましいです。考えてみたら、自分の場合きちんとレッスンを受けていたのは高校2年までで、それ以降は自己流なんですよね・・・。

レッスンを受けたいと思いつつ、そのための時間は割けないというジレンマが・・・。

投稿: ProjectK | 2011年3月10日 (木) 07時58分

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