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2011年4月28日 (木)

iPad用のキーボード

今更ながら、iPad用のキーボードを購入してみた。

考えてみれば、iPadの購入を検討した時には当然キーボードの購入もセットにしていたはずなのだが、実際に買ってみるとソフトウェアキーボードが思ったより使えたので、そのまま買わずにきていたのだ。

しかし、実際に買ってみると、(今そのキーボードでこのエントリーを書いているのだが)明らかに効率は異なる。個人的に一番大きいのはカーソルキーがある事だろうか。いちいち画面をタップせずに修正したい位置にカーソルを持っていけるのは、文章を書く際には非常に効率的だ。

ちなみに、BluetoothではなくDockコネクタで接続するタイプにしたのは、iPhone3Gでも使えるとあったから。もっとも、もともと無線でつなぐことにはそれほどメリットを感じてはいない。普段Bluetoothを切ったままにしている身としては、Dockコネクタにつなぐだけで良いのは、むしろ簡単でいい。

なんてことを考えていたら、iPhone4のホワイトモデルの発売が発表されてしまった。ブラックモデルには今更未練はないし、5を待とうかとも思っていたのだが、ホワイトモデルは非常に悩む。
無理に探し回ることはないのだが、目の前に現れたら買ってしまうんだろうな、多分。。。

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2011年4月27日 (水)

風評加害者になる

千葉県で、国の暫定規制値を上回る放射性ヨウ素が検出されて出荷停止の対象なっていたホウレンソウが出荷されていたのだそうだ。意図的なものらしい、と報道されている。
(NIKKEI NETで見たのでリンク貼れない・・・。)

ふと思ったのだが、こうした「規制されたものが、それを隠して出荷されてしまう」という事態が発生するのが、風評被害の本質なのかもしれない。

厳しいようだが、原因が何であれ、イメージがダウンしてしまえばモノは売れない。内容によっては商品価値を失う訳だが、その時に生産側にとれる手段は、どうやってイメージ回復を図るかであって、隠蔽して黙って売ってしまう事ではないはずだ。

モノ自体に問題がなく、評判の問題であれば、どうその評判を回復するか、が考えるべき問題だろう。

農家の方々が今回の騒動の被害者なのは間違いない。だがそれは評判を回復するために努力するあるいは耐えている間の話で、仮に意図的に出荷をしたのだとすれば、それは東京電力や政府と同じ側に立ってしまった(立つ事を選んだ)のと同じ事だ。

今回の件で、規制されていない地域にまでイメージダウンの広がる可能性は少なくない。何しろ黙って紛れ込んでいるかもしれないのだから、自然その作物自体から手が遠のくだろう。
そうした加害側に立ってしまったという自覚はした方が良い気がする。セクハラをした管理職が「自分もパワハラを受けていた」といっても免罪はされないように、自分が被害者だから許されるというものではないはずだ。

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2011年4月26日 (火)

時間内に成果をあげる仕事術

仕事のパフォーマンスをあげるために、朝活による準備や、前日夜の準備を呼びかける仕事術を時々見かけるのだが、「仕事」の定義にもよるが、それは単なるサービス残業と変わらないのでは、などと思ったりする。

勤務時間の8時間中に最高のパフォーマンスをあげるために、2時間の準備をするのだとすれば、会社にとっては8時間の成果でも、自分にとっては10時間の成果だと考えた方が良いって事だ。それが悪いとは思わないが、他の人に「そうすべき」と言ったりするのは、どうかな?と感じなくもない。

地力を向上させるためのトレーニングの類いであれば、またちょっとニュアンスが違ってくるかもしれないが、例えばオーケストラの合奏に参加するための事前の練習というのは、自身にとっては練習自体も「費やした時間」だ。オケの側からみれば、それはなんら評価の対象にはならない(合奏でのパフォーマンスがすべてだからだ)が、自分の時間を使っている事に違いはない。

スポーツ選手のトレーニングと考えるともう少し分かりやすいかもしれない。

そう考えると、勤務時間外を活用するような仕事術というのは、会社側の視点での効率向上術であって、個人にとっての技術とは言えないのかもしれない。個人にとって効率向上につながる仕事術というのは、勤務時間内のみでも同様に効果のある方法のはずだ。

時間内に最高の成果をあげるための方法というのは、時間外にできる事は時間外にやる、という方法とはちょっと違うよなぁ・・・。

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2011年4月25日 (月)

新しいヘッドフォンを購入

ヘッドフォンが壊れてしまった・・・。

昨日のオケの帰りに重いカバン(なぜか残ったチラシ類を持ち帰る事が多いため重くなる)から、DENONのノイズキャンセリングヘッドフォンを取り出そうとしたら、力の掛け方が悪かったのか、アームの部分が壊れてしまった。ひねるような取り出し方になってしまったのがまずかったらしい。

返す返すも悔やまれるが、壊れてしまったものは仕方ない。使い方の問題なので、保証がきくようなものでもない。

という訳で、新しいヘッドフォンを買いに行く。道々、元々iPodに付属していたイヤフォンで音楽を聴きながら、世界はなんと騒音に満ちているものよ、などと改めてノイズキャンセリングヘッドフォンの力を感じてしまったりした。

当初考えていたのは、もうこの際だからということで、SONYのデジタルノイズキャンセリングヘッドフォンのMDR-NC600Dという製品だったのだが・・・。
http://www.sony.jp/headphone/products/MDR-NC600D/

どうにも着け心地がよろしくない。店頭サンプルだからなのか、元々そうなのかは分からないが、長時間着けていると苦しくなってくる(気がする)。同じくSONYのMDR-NC60というものも試してみたのだが、これも少々厳しい。
http://www.sony.jp/headphone/products/MDR-NC60/

どうも自分の場合、耳の下が圧迫されると苦しく感じるようなのだ。これまで使っていたDENONのAH-NC732という製品は密閉型ではあるが、オンイヤーに近くて耳の周囲は圧迫しない。
http://www.denon.jp/jp/Product/Pages/Product-Detail.aspx?Catid=9304a5da-da4f-431b-8254-a93118c0a370&SubId=844c2ae2-9f41-4eb9-ba77-e95703e4f22c&ProductId=664a181e-5410-431e-8146-7c2d79a24358

個人的には、使うかどうかは音質よりもノイズキャンセリング性能よりも着け心地だと思っていて、特に電車内で着けている事によるストレスは感じたくない。

いくつか試してみたのだが、どうにもしっくりこない。壊れてしまったDENONのAH-NC732が一番良い感じなのだが、今回の壊れ方を考えると、しばらくはトラウマになりそうで、ちょっと買えない。

どうするかな~と思っていたら、ノイズキャンセリングではないのだが、オーディオテクニカのATH-ESW9という製品が目に付いた。
http://www.audio-technica.co.jp/products/hp/ath-esw9.html

ハウジングにアフリカンパドックという無垢材を使用していて、木目調のデザインがとても素晴らしい。月並みだが綺麗でお洒落で着けているとかっこよさげ。

ああ、この際ノイズキャンセリングでなくても良いか、と視聴してみたのだが・・・これにはまった。あるいは、通常の用意された音源での視聴ではなく、手持ちのiPod nanoを接続して、聴き慣れた音楽を耳にしたのが、最大の要因かもしれない。着け心地も問題なし。

しかも続けて聴き比べたATH-ES10にさらにまいってしまう・・・。
http://www.audio-technica.co.jp/products/hp/ath-es10.html

そんな訳で、音質は後回しと考えていたはずなのに、壊れたDENONの倍(店頭価格で)もするATH-ES10を購入してしまったのだった。おまけにESW9も欲しいと感じていたりする。

さて、そんなES10を着けて今朝の電車を体験。

・・・ああ、やっぱり世界は騒音に満ちている。無駄とは思わないが、電車の中で使うにはやっぱり厳しかったかもしれない。

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2011年4月22日 (金)

無意識の差別

先日、つくば市で福島からの転入者に対して放射能検査を要求していたという報道があった。

つくば市、福島からの転入者に放射能検査要求
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110418-OYT1T00858.htm

・・・が、一部対応における勘違いと不手際はあったものの、やや曲解に基づく報道だったらしい。検査は行っているが、受け入れを拒否などしていないし、自身の安心のために受けている人もいるようだ。

福島県からの避難者への放射線検査について
http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/1330/008543.html

個人的にちょっと反省してしまったのは、最初の報道に接した時に、「転入側としては受けといた方が良いだろうけど、それを求めるのは間違ってる」と考えたからだ。

[これはひどい][原発]もちろんこうした事はあってはいけないと思うのだが、一方で今後のためにはそうした検査を受けておいた方がいいんじゃないか、という気もする。健康被害が出た場合のある種の証明な訳だし。 http://b.hatena.ne.jp/ProjectK/20110419

問題は「間違っている」という部分。報道に乗せられたと言ってしまう事もできるが、少なくともその時に「自分はそうじゃないけど、そういう奴はいるだろうな」と感じたのは確かだ。

それはそれで差別的な意識ではないだろうか。

「いや、そんな奴はいないだろう」と思っていれば、報道自体を疑う、という発想もできたはずだ。そうならなかったのは、自分の中にも、報道されたような意識が潜んでいたからではないか。

こんなtweetも見かけた。

つくば市の放射能証明書の話は、「差別したい」「差別はあるはずだ」「誰かが差別しているはずだ」という、記者・視聴者・読者の無意識を、つくば市に投影しただけじゃないのか?

この無意識の差別感が自分にもあったという事だ。

もちろん、それはそれで自分の感性の部分の話だし、あるべきではない、と簡単に否定できるものでもない。ただ、注意は必要だろうな、という話。

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2011年4月21日 (木)

多様性の喪失

誰かに「人はそれぞれ違うものだと思いますか」と聞いたとする。おそらく多くの人が「その通り」と答えるだろう。人は一人ひとり違う存在であり、それを受け入れる事で社会は成り立つ、と。

でも、そうだとすれば、何故「多様性(の受容)」という事がこれだけ求められるのだろう。

そんな事を昨日のKM学会のセミナーで考えた。タイトルは「ダイバーシティ(多様性)を組織に活かす」。こうした題目が成り立つのは、実際には組織に多様性がなく、それが課題と考えられているからだ。

それはつまり、人は深層においては「皆同じ(でなければならない)」と思っているという事なんだろうか。そうした人が多いから、組織から多様性が失われているのだろうか。

だが仮に、一人ひとりの考え方とは関係なく、組織が多様性を喪失するのだとすれば、それは個々人の意識の問題ではなく、組織が内包する課題という事になる。

ヒントがあるとすれば、組織はなんらかの共通の目的を持った人たちの集団であるという点だ。ダイバーシティの考え方においても、その点は変わっておらず、むしろその目的の達成手段の一つとして、多様性があると説かれている。

一人ひとりは違うけれども、目的は共通・・・その微妙なざらつきが、多様性の喪失につながるのかもしれない。特に組織が、その目的以上に強烈な個性(リーダーシップやカリスマ)によって成立している場合、集団の構成員はどうあってもその個性の影響を受ける。

結果として、目的を共通にしていく過程で、属性も共通化されていってしまう、という事があるのかもしれない。

考えてみれば、世界(社会)は元々は多様なのだ。ダイバーシティについては、多様性を「受け入れるには」というアプローチではなく、多様性が「なぜ失われてしまうのか」というアプローチをした方が、意外と解決の糸口が見つかるのかもしれない。

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2011年4月20日 (水)

企業によるNPOの支援

昨日は東日本大震災復興支援セミナーに行ってきた。内容は現地で支援を行ったNPOからの報告と企業からの取り組み事例の紹介だったのだが、印象に残った発言や感じた事などを記録しておく。

・ボランティアは、相手に感謝されている間は半人前。自分達が感謝できる関係が作れて一人前。
・外からくる人はボランティア、現地の人は(同じ事をするのでも)雇用するのが原則。
・今回の震災は、原発の問題がなければ(国全体への)経済的被害はそれほど大きくない。が、同じ規模で東南海地震が発生すればその被害は計り知れず、十分な備えが必要。
・備えあれば憂いなし、ではなく、憂いがあるから備える。
・あれば嬉しい「公益」と、なければ困る「公共」は違う。公共は税金で対処し、公益には民間がどんどん関わるべき。
・社会貢献としての雇用はしない。しかし雇用が復活するための支援はする。

会場からの質問にもあったのだが、公平性が重視される義援金と違って、特定のNPOへの支援金というのは、企業としての意思決定が難しい事がある。どうしても公平性を意識してしまうからだ。

この壁は本社に近い組織であればあるほど高くなる。そのNPOの事がよく分からない、といった話は実は瑣末な話で、調べようと思えばいくらでも調べられるはずだ。問題は「こっちを支援してあっちは支援せず」という指摘に対し、回答の根拠が得られない点にある。

おそらくこうした場合の支援判断は、本社ではなく各現場で行った方が良いのだろう。ある程度のポリシーとガイドラインを決めておき、情報だけは寄せられるようにしておいて、判断は任せる。現場の方では、特に公平性は考えず、ポリシーに沿っていれば、あとは「縁」と「その時の状況」で支援するかどうかを決める。

考えてみれば、商売はそうやって行われている。企業のビジネスは、多少の全方位外交のようなポリシーはあっても、基本的には個々の顧客ごとに判断された結果の集積だ。であれば、社会貢献に対しても同じスタンスはあっていい。

ただ、問題があるとすれば、それは現場への負担にもなるという点だ。そもそもこうした機能の多くが本社に集中しているのは、現場の負荷低減と効率化によるところが大きい。今回の震災を特例とするのは簡単だが、実際に判断するには普段からの経験が必要だから、急にそうしてくれと言われても困ってしまうだろう。

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2011年4月19日 (火)

食品産業のCSRを考える

食品企業のCSRについてフリーにディスカッションをするという、何やら少々大げさな場に参加する事になってしまった。結果については恐らく公開できないのだが、事前に自分の考えを整理しておくぐらいは、この場でしてしまっても良いだろう。

話題自体はフリーということなので、その場で様々に広がっていくのだろうが、事前にある程度の命題は提示されている。まとめると、

・食料の安定供給
・生物多様性
・強制労働、児童労働

といったところだろうか。

安定供給に関しては、企業の持続のため、と捉えるか、社会の持続のため、と捉えるかで若干ニュアンスが変わってくる。企業が存続する上で「安定供給」というのは「安定収益」を生む上でも必要不可欠な条件だ。何といっても、供給し続けなくては、企業は利益が得られない。

とはいえ、ここで問題になっているのはCSR的な話なので、ニュアンスとしては「社会の持続のため」というスタンスだろう。そこで問題になってくるのが、流通の問題だ。

世界全体では、全人口を支えられるだけの食料が生産されている。
にもかかわらず飢餓という問題が起こるのは、偏在していて、それを平準化する事ができていないから・・・なのだそうだ。
http://www.hungerfree.net/hunger/food_world.html

企業側の視点で「安定供給」を語る場合、こうした「偏在」というのはあまり問題にならない。「買ってくれる」相手に「安定供給」するのが、企業側の視点での「安定供給」だ。

一方、社会の側から語る場合、いかにして「全ての」人に供給されるか、が問題になる。行き渡るだけの生産はもちろん必要だが、行き渡らせるための流通が重要になってくるのだ。それも、コストの問題をクリアした上でだ。

そうした事のどこまで責任を負うか、というのは判断が難しい。そもそもビジネスとしてどうなのか、という捉え方もある。

うん、まとまらなくなってきた。勢いで書いてしまっているからだが(マインドマップみたいな書き方とも言える)、もう少し寝かせる事にしよう。

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2011年4月18日 (月)

都響第714回定期演奏会Bシリーズ

金曜日に書きそびれた都響の演奏会の感想を可能な範囲で思い出してみる。

指揮:モーシェ・アツモン ヴァイオリン:竹澤恭子 コンサートマスター:四方恭子

エルガー:ヴァイオリン協奏曲ロ短調作品61
ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73

冒頭、今回の震災を受けて、指揮者のアツモンさんからのメッセージとバッハのG線上のアリアが演奏され、1分間の黙祷があった。海外アーティストの来日中止が相次ぐなかで、「こんな時だからこそ来なければならない」と考えたというメッセージには会場から拍手が湧き上がっていた。

エルガーのヴァイオリン協奏曲は初めて聴くのだが・・・長い。交響曲も冗長に感じてしまう事があるが、このヴァイオリン協奏曲も長い。メインのブラームスより(3楽章形式なのに)長いのだ。これは予習が必要というか、何度か聴いてみないと曲の感じがつかめない気がする。

そんな協奏曲を弾く竹澤さんは、基本的に背中しか見ていないのだが(P席だったので)、時折イナバウアーのように上体を反らせて弾くのが印象的だった。

ブラームスについては、府中で練習の真っ最中のため、色々と気づく事があった。今回は特にオケを後ろから眺める形になっているので、楽器の音の聴こえ方が、CDの演奏とも普段の練習とも違うのだ。そのため、普段は聴こえて(聴けて)いない音などをずいぶん拾う事ができた気がする。

練習を録音する際は、いつも指揮者の背後にマイクを置いているのだが、たまには違う位置に置いてみると、聴こえ方が違って面白いかもしれない。

アンサンブルというのは、他の音をどれだけ意識できるかで違ってくる。人によっては演奏中でも普通に意識できるし、プロであればスコアだけで意識できるのだろうが、自分はそうではないので、それぞれの音をそれぞれに聴いて全体のなかでの位置づけを把握しないと意識ができない。

そういう意味では、前後左右にマイクを置いてみて、それぞれに聴こえる響きを自分の中にインプットしていく必要があるのだろう。

今からでは全パターンという訳にはいかないが、少しでもそんな事をしてみようかなどと思ったのだった。

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2011年4月15日 (金)

自販機はいらない

夏場に向けた電力需要削減のために、自動販売機はいらないという議論がある、個人的にはタバコの自動販売機はともかく(最近あまり見ない気もするが)飲料の自動販売機は無くなるのも困るな~と思ったりする。

実際のところ滅多に使う訳ではないのだが、だからこそいざという時にないと困ったりするのだ。コンビニの24時間営業も、そんな理由で無くなるのは困るなと思っていたりする(スーパーはいらないが)。

また、単に止めれば良いというものでもなく、撤去はどうするとか、その処分費用はどうするのかみたいな問題もあるだろう。一方、確認した訳ではないが、自販機2台で一世帯並の電力消費なんて話を聞くと、全部止めれば相当電力に余裕が生まれそうだな、という気もしてくる。

そういえば、自販機の消費電力は、設置場所とベンダーのどちらでカウントされているのだろう。設置場所だとすれば、節電が求められる中で撤去を検討するところもあるかもしれない。ベンダー側だとしたら(あまり考えにくいが、電気代を負担しているなんてことはあるかもしれない)撤去分がベンダーの節電分としてカウントされるのであれば、自主的に撤去するなんてことも考えられるだろう。

しかし、自販機がなくなれば、その分の飲料の消費が減り、売上が減る。それは関係する企業の収益を圧迫し、ひいては日本の経済全体にも影響を与える・・・可能性はないのか。それはそれで困る気がする。

そこで、短期的にはどうしようも無いが、長期的には環境規制によってエネルギー消費を押さえつつ、自販機も使っていけるようなやり方はないだろうか。エコカー減税のような中途半端なものではなく、マスキー法の様な高いハードルを求め、省エネ型への切り替えを進めるのだ。その中で、災害時の緊急提供機能や、チャリティベンダーのような別の要素が加わってくる可能性もあるだろう。
(ちなみに電源提供機能とかあると、緊急時などは結構役立つ気がする。Wi-Fiの基地局機能をもたせるとか、飲料以外のステーションとして使えないだろうか・・・すでにあったりして。)

自販機がダメだというのは簡単だが、無人で24時間営業可能な「店舗」というのは、企業側だけでなく、むしろ消費者側にとってありがたいものだ。コンビニもそうなのだが、普段使わない人の「いらない」議論だけで進めては欲しくない気がする。

もっとも、そんな自分もタバコの自販機はいらないし、パチンコ屋もいらないと思ったりする。もっと言えば、スーパーマーケットも(自分は使わないので)日中は自粛してもらって夜だけの営業で構わないし、ガソリンスタンドも深夜営業だけでよい。そういう「自分の都合に」理屈をつけるのは簡単だろうな、という話。

と、ここまで書いて、昨日は都響の定期演奏会に行ったのを思い出した。レポートは後日、と言いたいが、週明けになるのはちょっと厳しいな・・・。

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2011年4月14日 (木)

東京に原発を設置するという事

ビートたけしさんが原発を東京にと発言して喝采を浴びたそうだが、
皮肉の類いではなく、実はありではないかと思うので、そう考える根拠など。

まず立地から言えば、大消費地の近くにあればそれだけロスが少ない。「止められない」夜間の電力も、使っているのは大半が東京だろうと考えれば、近くに設置するのは安全云々以前に合理的な考え方だ。

また、監視の目も届きやすい。身近にあり普段から意識する事は、それだけ人由来のミスを防ぐ事につながる。都民はそうした事に無関心だというが、それは全体としてみればの話で、そもそもの母数が多いので、一部が感心を持つだけでも、田舎とは監視の目の桁が異なる。
(そもそも霞ヶ関の人達が目を離さなくなるだろう。)

今回の福島原発が天災であれば、人の関心がどんなに集まっても防げないから、原発自体をやめた方が良い。でも人災だと言われているのであれば、それは「人が防ぐ事のできる」災害だ。その際に必要なのは、多くの人が関心を持ち、注意を絶やさないようにする事だ。

さらに、そうは言ってもリスクを感じる人はいるだろうから、自然と東京への極端な一極集中を解消し緩やかに分散化を図る事ができる。生粋の東京人には申し訳ないが、東京にはそもそも地方からの流入者が多いので、そうした移住にもそれほど抵抗はないはずだ。
(個人的には、日本は移住と定住のコストバランスが悪く、先祖から土地を引き継げる定住者に対して、そうした土地を持たない移住者が不利になるようにできている気がする。沖縄の基地問題や今回の原発での避難に自分がどことなく冷淡になってしまうのは、そもそも自分がしがみつける土地を「持たざる者」で、「ここに住みたい」という希望自体を贅沢と感じてしまうからだろう。)

そうそう、土地の値段も下がる。家賃も下がるかもしれない。

「お前は原発が怖くないのか」と言われれば、もちろん怖い。だが、必要なのは「安全だ」と叫んで慢心する事でも、「無くせ」と叫んで満足する事でもない。自分自身でリスクを判断し、適度な緊張感を持って接していく事が必要ではないか、という気がする。
(自分の場合、そもそも危ないと感じるなら別の地域に移り住めば良いと割り切っているという事もあるだろうが。)

ただし、今すぐはまずい。関東圏を襲う大地震が「まだ起きていない」からだ。できればそれが発生した後、復興の一つとして、その震災のデータも考慮に入れつつ、新たに建設するのが良いのではないか、という気がする。

そうすれば、他の地域の原発は不要になるだろう。何しろ買い手がいなくなっちゃうんだから。

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2011年4月13日 (水)

朝の時間

都響からのメルマガで、明日ブラームスの2番をやる事が分かったので、急遽チケット入手に走ってみる。本番前にプロの演奏を聴く事はイメージが変わったりして必ずしも良いとは限らないのだが、半分は応援の意味合いもある。といってもP席だけどw

朝の時間はこのブログを書く以外にも何かやりたいと思いつつ、何度も挫折している。最大の理由は、ブログを先に書くようにすると、気づくと時間がなくなっており、ブログ以外の事を先にやると、今度はそちらに気を取られてブログを書けなくなってしまうからだ。

それって要するにこの時間には一つの事しかできません、と言っているようなもので、少々恥ずかしい。7時前に渋谷に着き、7時10分頃にプロントに着き、7時半頃には食事が終わっている訳だが、そこから会社に向かうまでの約50分から1時間は、もう少しきちんと使いたい。

一つ考えられるのは、ブログを書く時間に制限を設けた上で、その後出社までにやる事をきちんと決めてしまう事だろう。ブログを早く書き終わってもダラダラとTwitterを見てしまったりするのは、何をするかを明確にしていないからだ。
(そういえば「会社のブログのネタを考える」なんて事を考えた事もあった。)

ブログがアウトプットなので、他に何かを考えてする事はやめた方が良いのかもしれない。本を読むなり、ニュースを読むなり(これも必要なのだが結構ダラダラ感がある)、インプットに限定した方が良い気がする。毎日だとすぐ飽きるので、できれば日々違うけれども同じパターンでできる事を設定した方がいい。(多分毎日本を読むとかはすぐ挫折する。)

今日は・・・本を読みますかね。

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2011年4月12日 (火)

自粛より自制

昨日のブログをお休みしたのは、前日のオケの花見で飲みすぎたダメージのためなのだが、自粛はしないにしても自制はした方が良いな、などと反省。帰り道も一部記憶がなく、楽器を持っているのに危なっかしい事この上ない。

実際のところ、弱くはなっているのだろう。昔ほど「飲みたい!」と思う事もなくなった。その割に飲む時のペースが変わらないのが良くないところだ。

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2011年4月 8日 (金)

階段生活

階段生活

ProjectKでございますこんにちは。

日々の生活の中で、なるべくエレベーターやエスカレーターを使わずに階段を使う事で、自分の健康増進と、首都圏の節電にちょっとだけ貢献し、さらにこのチャレンジを通じて、被災地支援を行っているピースウィンズ・ジャパンさんを支援します。

東日本大震災以降、エスカレーターが止まっている事も多いので、階段での移動にもだいぶん慣れてきましたが、この機会に習慣づけても良いのではないかと考えました。

ちなみに・・・

自宅最寄駅は、高架ではありませんが地上3階相当の位置に改札があり、ホームまでは登って降りる必要があります。
会社最寄駅は、地上2階相当の位置のホームですが、通常使っている会社までのルートは、そこから地下2階まで降りて地下を移動しています。そこから地上に出るまでの階段は約90段あります。
会社は6階建てのビルで、オフィスは5階です。

会社はさておき、通勤時は当たり前にエスカレーターを使っていましたが、これを全面的に階段に切り替えます。その他、日々の移動で階段を使える際には階段を利用して昇り降りします。

ただ・・・付き合いの悪い人間にはなりたくないので、他の人と移動している際には、その人にあわせて使う場合もあります。
また、時々六本木ヒルズのアカデミーヒルズのセミナーに行くのですが、流石に地上49階まで階段を使ったら受講どころではなくなりそうなので、これはご勘弁ください。
(一桁階数ならいけると思うんですが、それ以上は状況次第で・・・。)

こんな私のチャレンジを応援していただける方は、ぜひともピースウィンズ・ジャパンさんへの寄付をお願いします。ちなみに選んだ理由は、以前から担当の方に「やれやれ」と言われていたからです。こんな理由ですみません。

なお、このチャレンジは、会社の健康増進キャンペーンと連動させるたいと考えています。こういうものがある、と説明するためにまずは自分で登録してみたという事もあり、さて、みんなでやろうという事になった場合は、支援先を変えて新たにチャレンジをスタートする事になってしまうかもしれません・・・ご了承ください。


・・・というチャレンジをJustGivingで始めようとチャレンジ内容を作成したのだが、iPadからでは肝心のこの部分が編集できなかった・・・ので後ほど会社で登録する事にする。

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2011年4月 6日 (水)

主張には二つのパターンがある

自分が何かの主張を発信する際に、それによる相手の説得や理解を得る事を求めているのであれば、相手の批判やツッコミはむしろ歓迎すべき事態として、手を替え品を替え説明を試みるだろう。
それは相手が喰いついて、自分のフィールドに入ってきた証だからだ。

一方、相手の理解など関係なく、自分が言いたいだけの場合は、批判やツッコミを鬱陶しいものとして遠ざけようとするだろう。典型的な反論は「自分で調べろ」「勉強不足」だろうか。
自分の領域に相手が踏み込んできた事が許せないか、自分の主張にそれほど自信や強い想いがない場合はそうなる。

後者が悪い、という訳ではなく、人の主張というのはそうした両方の側面があるというだけの話だ。例えば自分がこのブログで書いているのは、かなり後者に近い。ツッコミがあった際になるべく丁寧に対応しようとしているのは、単なる礼儀としてであって、前者のような強い意図があっての事ではない。

逆に相手の意図を確かめたければ、痛い点をついてやれば良い。その結果前者の対応なら続けて付き合うし、後者ならそのまま流して、その程度の主張だったとスルーしてしまえば良い。

・・・のだが、多くの場合、ツッコミをする側は相手が前者の意図で発信していると思ってやっているから、後者だった場合、予想外の反発に面食らってしまうことがある。ツッコミ側も軽い気持ちだったらそれほどダメージはないのだが、真剣であるほどツッコミは痛いものになる傾向があるから、主張側の反発も強くなり、結果として酷いダメージになる事もある。

・・・と、反原発とか一部の環境運動の主張を見ていると感じてしまったりする。前者だったらいくらでもやりとりできるはずなのだが、後者の人ほど「自分は前者」と勘違いしていたりして、手に負えない事もあるんだよな・・・(と後者のスタンスで発信してみたりw)

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2011年4月 5日 (火)

ドイツをうたう

そろそろ正式に演奏会の案内など。

府中市民交響楽団第63回定期演奏会
「ドイツをうたう」
日時:2011年5月15日(日)13:30開場 14:00開演
場所:府中の森芸術劇場どりーむホール
指揮:今村能
テノール:望月哲也
曲目:
  ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
  R・シュトラウス:「歌曲集」より
  「愛の賛歌」「愛を抱いて」「バラのリボン」「明日」「ひそやかな誘い」「献呈」
  ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
全席自由 前売1000円/当日1200円

昨年は30周年記念演奏会という事で、ブルックナーの第8番やら、ホルストの惑星などの大曲に初挑戦しましたが、今回は過去に演奏した事もあるブラームスがメインです。

ただし、今回一番注目したいのは、望月哲也さんのテノールによる歌曲。ご本人がチラシにメッセージを寄せてくださり、プログラムの曲紹介まで書いてくださるという気合の入れようです。
http://www.fuchu-cso.org/02en/index.html

また、オケとしてはバイオリンが両翼に展開する対向配置で演奏するという初の試みもあります。実際演奏してみると、ブラームスなどは明らかに対向配置を意識して書かれていると感じる事もあり、いつもの府中オケとは違った響きが楽しめるかもしれません。

なお、団としてではなく、あくまで私個人の取り組みになりますが、今回私からチケットを購入いただいた場合、その全額を日本フィランソロピー協会の「フィランソロピーバンク:東北地方太平洋沖地震支援基金」を通じて、東日本大震災の被災地支援を行う団体に寄付をしたいと思います。
http://www.philanthropy.or.jp/contents/activity/P-support.html

あるいは今回をきっかけに、上記基金を含め、なんらかの支援団体に対して寄付をされた事をお知らせいただければ、チケットを提供いたします。

「チケット希望」とコメントいただければ、メールにてご連絡させていただきます。連絡お待ちしています。

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2011年4月 4日 (月)

都知事選

昨日はオケで花見が予定されていたのだが、あまりに寒いという事で来週に延期になった・・・って、都知事選の日じゃないか。投票しないなんて事にならないように気をつけよう。

今回の選挙の実施に関しては賛否両論あったが、個人的には選挙を「自粛」するというのは考え方として間違っていると思う。むしろこんな時だからこそ真剣に選挙に臨むべきだ。考える余裕がないという人は、では普段はどれだけ考えているのか、胸に手を当てて考えてみた方が良い。

もっとも「政治的空白を生む」「対抗馬が発信できず現職有利」といった指摘も見かけて、これはなるほどと思わなくもなかった。が、冷静に考えれば、それは現状の政治や選挙のシステムの問題であって、延期の理由として良いものか、という疑問もある。

政治的空白は、そもそも選挙で生まれるようでは問題がある。仮に今日いきなり代わっても、空白を生まないようなシステムが大切なのであって、空白が生まれる事を理由に持ち出すのは言い訳にすぎない。

「対抗馬が発信できない」って、そもそもこれまでどれだけ発信していたのか。街宣車で候補者の名前を連呼するのが「発信」だろうか。現職が高い成果をあげていれば有利なのは当たり前だ。逆に期中の成果次第では全く逆となるリスクも現職候補は抱えている。

そもそも後者の意見は、根本的に有権者をバカにした意見だと捉える事もできる。「判断ができない」と言っているに等しいからだ。そんな事を言うぐらいなら、各候補者の主張をどうやったらきちんと伝えられるか、という事に知恵を絞った方が良い。
(そもそもそれこそマスコミの役割だろう。一方的にテレビで放送し、新聞に掲載していれば役割を果たしている、と思うのは間違いで、どれだけの人に正確かつ公平に伝えられたか、という面で評価をしなければならない。)

とはいえ、ボランティアや仕事で被災地入りしているような人への対応策などはあった方がいい。個人的には、選挙は政見放送と公約(マニュフェストでも良いが、ようは本人の考えを整理した文書)で評価するものと考えているので、それらにアクセスし、投票をする方法をどう確保するか、という点は選挙管理委員会の課題だろう。
そうしたシステム整備ができないから延期、というのは、理由としてはあるかもしれない。浦安市なんて、どうにもなりそうにないのだが、これを強行するのは間違いのような気がする。

選挙の延期は「選挙(政治ではない)というシステムが機能しない」という事情においてのみ行われるべきだ。そして、そのシステムを最大限に整える事が肝要ではないだろうか。

・・・ま、少なくとも有権者としては、きちんと考えて選ぶ事を「震災を理由に」放棄する事だけはないようにしたいものだ。

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2011年4月 1日 (金)

オケにおける自分の役割

(オケの)運営委員長の役割って何だろうか。

府中の場合、運営委員長の役割はいわゆるインスペクターの役割のうちの大体半分ぐらいを担っている・・・ような気がする。(もっとも、ではインスペクターの役割は?と言われるとこれまた微妙。)
その他、演奏以外の運営全般について統括する立場にある訳だが、まぁようするによろず屋という所だろう。

必要な領域については、担当する係が割り振られていて、その隙間を埋めるという感じだが、何かをスタートする場合のキック(スタート指示)を要求されているような感じもある。

さて、府中の場合運営委員長は、何らかの係も兼務する。というか、係の集合体である運営委員を代表する、というのが規約上の位置付けで、運営委員長が組織構成を決めるような形にはなっていない。自分の場合は、会場係となっていて、これは演奏会の運営全般を担う(ものと理解している)。

会場係の主な役割、これは演奏会当日の運営を統括する事だ。大きくはステージとフロアに分かれているが、ここで問題が生じている・・・気がする。

自分は会場係の役割として当日の段取りを考えるのが役目、と思ってやっているのだが、なんとなくそれが「運営委員長の役目」みたいな位置付けに受け取られてしまっている気がするのだ。

それは、実はかなり困る。

演奏会当日の運営の総責任を負うのは、運営委員長で構わない。代表や委員長の役目なんてそんなものだ。が、細かい段取りを考えるのは係の役割で、付随する調整も係のやること、ということにしないと、何でも委員長自身でやることになってしまう。

どうもこの辺りは、自分自身進め方がまずかったかな、と思わなくもない。今は係でもあるから良いのだが、例えば来期に、係はかわって運営委員長は継続、なんてことをした場合、抱え込む役割(自分が、ではなく、運営委員長が、だ)が増えてしまうだけだからだ。

そんなことをやっていたらやるべきことがおろそかになる。

今の所自分の場合は、パートリーダーと仕事(!)を若干後回しにする事で何とかしている部分もある。が、そんなのは持続可能とはいえないし、自分としては何とかしているつもりでも周りには確実に負担をかけているはずだ。

オケの運営の難しさは、基本的に「演奏したい」人たちの集団であって、「運営したい」人が集まっている訳ではないことだ。学生オケならば必ずといって良いほど回ってくる「学年としての役割」というものもなく、できる事なら楽器を演奏する事だけ考えていたいという本音は自分にもある。

(もっとも、本当にそう考えているのかな、という感じの者も見受けられたりするが・・・演奏だけに集中したいなら本当に集中してやって欲しい。)

100人の大所帯となれば、そうした人たちが出てくるのはやむをえない部分もあるが、一方で組織である以上、維持していくための運営は必要不可欠だし、ましてや演奏会というのは演奏以外の部分の方が実際には大きかったりする。

なんだかまとまらないが、たまにはそんな事も書いておこう。

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