CSRは辺境の一つにすぎない
先週、企業と社会フォーラム(JFBS)という新しく立ち上がる学会の発起人大会に行ってきた。たまたまというか、縁あって声をかけられて、ホイホイと手を上げてしまったからだ。
(発起人は最終的に170人を超えたという事だったので、単なるその他大勢にすぎない。)
講演とパネルディスカッション、総会に懇親会という内容だったのだが、パネルディスカッションを聞きながら、ふと「CSRは、CSRという名前を与えられた事によって、経営の本流から外れて傍流となったのかもしれない」などという事を考えてしまった。
別の言葉で言うなら、経営の中の一要素を抜き出して先鋭化する事で「辺境化」した、という感じだろうか。
これは必ずしも悪い話ではなく、本流から外れて辺境化されるという事は、イノベーションが生まれやすくなる、という事でもある。そもそも新しい理論というのは、そうした形で生まれてくるものだろう。
辺境ゆえのダイナミズムが、新しいパワーを生み出す。
ただし、それは数百ある辺境の一つにすぎない、という事は忘れてはいけないような気がする。今ある本流というのは、数多ある辺境が凌ぎを削り競い合った結果だ。辺境の役割は、その辺境で小さな王国を築き上げる事ではなく、中央へ打ってでて戦争を仕掛ける事にある。
そうした戦の多くは敗れるが、何らかの影響を与える事もあるし、とって変わる事もある。おそらくそうした大なり小なりの影響を受けながら本流は作られていくのだろう。
こうした学会というのも、そうした「辺境からの戦」の砦の一つという事になる。
CSRというのは、ともすれば経営そのものとうたわれがちだが、経営そのものであればCSRなんて名前で呼ばれる事はなく、「経営」の一言で済むのだろう、という話。
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