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2011年5月31日 (火)

良い評価と悪い評価

昨日は少々遅い時間に帰ったのだが、久しく動いているのを見ていなかったホームのエスカレーターが動いていた。多分時間帯により動かしているのだろう。

ピークタイムでなければ、確かにそれほど気にする必要はないよな・・・と思いつつ、ふと、ここまで電気が使えるようになったのも、東京電力のおかげなんだよな、などと考えてみた。

もちろん福島原発をめぐる諸々には目を覆いたい状況もあるのだが、一事が万事で考えてしまうのも、問題があるのではないだろうか。なんだろう、子どもの成績表で、悪い成績だけを見て、その子はダメだと決めつけてしまうような。

震災直後に被害を受けていたのは、原発だけではないはずだ。それ以外の発電所や送電網も、それなりのダメージは受けていたはずで、その復旧がなければ、計画停電はまだ続いていたかもしれない。今、計画停電がないのは、節電の結果というよりは、そうした復旧が行われたからだろう。(もちろん原発分は別だが。)

そういった部分はそういった部分として、評価する事はできないだろうか。逆にそうした評価をしてこそ、原発への対応に対する批判も説得力を帯びてくるような気がする。

上司にしても教師にしても、悪いところだけあげつらって評価をすれば、無理解で無能な存在として相手に距離をおかれてしまうのは自明だ。社会的にそういったバランスが取れないのは、その評価が結局自分に跳ね返ってくることはないと思っているからなのだろうか。

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2011年5月30日 (月)

慣れる時間がない

次の府中の定期演奏会はフランスプログラムということで、昨日はラヴェルのスペイン狂詩曲とボレロの譜読み。毎回初回は初見では申し訳ないということで、多少事前に練習はしたのだが、ボレロはともかく、スペイン狂詩曲は少々手こずりそうな気配がある。

譜面自体は多少厄介なところはあるが、それほど難しい訳ではない。リズム・・・も、個人やパートで練習している分にはそれほど難しくはないだろう。弾き方をきちんと決めて何度か練習すれば弾けるようになるレベルだ。

が、アンサンブルとなるとちょっと話が違ってくる。違うリズムで動いている他のパートとどう絡むか、といった事を含めて、けっこう慣れが必要な気がする。

問題は、今回はその慣れるための時間があまりない事だ。
1回1回の密度を高めていかないと、最後まで分からないまま終わってしまいそうな気がする。

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2011年5月27日 (金)

タスクリストによるルーチン化

少し前にこんなtweetをした。

なんだか生活がとってもパターン化しているような気がする。ルーチン化と言っても良いかもしれない。なぜそのように感じるのだろう?

例えば通勤の電車が同じとか、朝昼をほぼ同じお店で食べるといったパターンは確かにあるのだが、それだけでこのように感じるか、といえば、そうでもないような気がする。

一つ、もしかしたらこれではないかというものを挙げるとすれば、タスクリストによる行動管理が考えられるだろうか。
自分のタスクリストなど、たいした管理をしている訳ではなく、その通りにいかない事も多々あるのだが、リストに登録されたタスクを淡々と「こなす」作業に、ある種のパターン化を感じるのは確かだ。

自分がリストに沿って行動するようプログラミングされたロボットのように感じるとでも言おうか。

もちろんロボットと違うのは、そのタスクリストを作る主導権は自分にあるという点だ。もともとタスクリストで管理するのは、その辺りの「計画」と「行動」を分けて考える事で効率化を図るためと言っても良い。

もしかして、タスクリストを作る事もルーチン的にこなすだけになっているのかもしれない。いやそれ以前に、そもそもやっている事がルーチンばかりになってるのかも・・・などと考えてしまったりする。

実際、タスクリストをある程度使えるようになってから、作業効率があがっているように感じるのは確かだ。前倒しできずギリギリになるスケジューリングの悪さは相変わらずだが、逆にそれでも「こなせる」ようになっている感じはある。

ただ、ルーチン的な処理でこなしていけるのと、パフォーマンスとはまた違うような気がする。

そう考えると、タスクリストによる効率化で生み出した時間を「使えていない」事が、パターン化していると感じる原因かもしれない。パフォーマンスの向上は、タスクとして「処理する」こと以外をどう使うかという部分にかかっているのだろう。

でもどうすればいいんだ?

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2011年5月26日 (木)

やり方を変える

「仕事のやり方を変えていこう」という掛け声で、やり方を変えていこうとする時に、「そうは言っても変える必要のないものは無理に変えなくても良いだろう」と考えていたら、実際に変える事は可能だろうか。

もう少し穏やかにいえば、変える「必要のある事を」変えていこう、という心構えで実際に変える事は可能だろうか、という事だ。

なんとなくそれではダメなのではないか、と考えてしまうのは、変える必要のある事であれば、掛け声なんかなくたって変えれば良い話で、それは当たり前の事だからだ。
「変えていこう」とあえて投げかけられるのは、その必要がないと思っている事にも踏み込め、という事ではないか。

何かを変える、というのは、これまでのやり方に疑問を持つ、という事でもある。「変える必要がある」「変えなくてはならない」という事は、解決すべき課題であって、やり方への疑問ではない。

そのように考えると、むしろ必要なのは「変える必要はない」と考えられる事を無理矢理にでも変えてしまうというアプローチなのではないか、という気がしてくる。

もちろん、結果として必要なかったという結論に落ち着くのかもしれないが、それは戻せば良いだけの話だ。だが、実際にはそうは思っても全く同じようには戻らず、何らかの変化が現れるのではないか。

何かを変えるというのは、結局そんな事の積み重ねではないか、という気がしなくもない。

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2011年5月24日 (火)

CSRは辺境の一つにすぎない

先週、企業と社会フォーラム(JFBS)という新しく立ち上がる学会の発起人大会に行ってきた。たまたまというか、縁あって声をかけられて、ホイホイと手を上げてしまったからだ。
(発起人は最終的に170人を超えたという事だったので、単なるその他大勢にすぎない。)

講演とパネルディスカッション、総会に懇親会という内容だったのだが、パネルディスカッションを聞きながら、ふと「CSRは、CSRという名前を与えられた事によって、経営の本流から外れて傍流となったのかもしれない」などという事を考えてしまった。

別の言葉で言うなら、経営の中の一要素を抜き出して先鋭化する事で「辺境化」した、という感じだろうか。

これは必ずしも悪い話ではなく、本流から外れて辺境化されるという事は、イノベーションが生まれやすくなる、という事でもある。そもそも新しい理論というのは、そうした形で生まれてくるものだろう。

辺境ゆえのダイナミズムが、新しいパワーを生み出す。

ただし、それは数百ある辺境の一つにすぎない、という事は忘れてはいけないような気がする。今ある本流というのは、数多ある辺境が凌ぎを削り競い合った結果だ。辺境の役割は、その辺境で小さな王国を築き上げる事ではなく、中央へ打ってでて戦争を仕掛ける事にある。

そうした戦の多くは敗れるが、何らかの影響を与える事もあるし、とって変わる事もある。おそらくそうした大なり小なりの影響を受けながら本流は作られていくのだろう。
こうした学会というのも、そうした「辺境からの戦」の砦の一つという事になる。

CSRというのは、ともすれば経営そのものとうたわれがちだが、経営そのものであればCSRなんて名前で呼ばれる事はなく、「経営」の一言で済むのだろう、という話。

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2011年5月23日 (月)

練習休み

この週末はオケの練習がなかったので、なんとなくのんびりと過ごしてしまった。いつもは「毎週当たり前のように練習があるなんて・・・」と言っているのに、いざ休みになるとやる事が思いつかないというのは、仕事人間が退職後惚けるのに似てるようで、なんだか微妙ではある。

もちろん次に向けた練習は必要だ。次回は練習期間が短い上にしばらく欠席するという特殊な条件も重なるので、本当は練習してしかるべきなのだが、しかるべくする練習というのも何だか嫌なので、なんとなく放っておいた。

今週はもちろん練習しなければならない。平日にその時間を確保できるかはさておき・・・。

先週、たまたま2007年ごろのエントリーを読み返していたら、当時練習していた曲の注意点などのメモが出てきて、そういえばこんな事も最近はやっていないと反省する。どうもムラがあるというか、気合をいれてやる時と、そうでない時の落差が大きい気がする。

あまり淡々とやるのも考えものだが、最低限やるべき水準点とか、その節ごとの目標みたいなものを意識した方が良いのかもしれない。どうもダラダラ続けているだけのような気がするんだよね・・・。

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2011年5月20日 (金)

思わぬ空き時間に何をするか

昨日、帰宅時に人身事故のため電車がストップした。

幸いな事に知ったのが乗り換え中で、駅から降りる事が出来たので、手近なカフェに入って、できる事をやった。パソコンほどではなくてもiPadがあればそこそこの事ができる。

。。。のだが、そうやって活用しようと考えると、もう少し色々と詰め込んでおいた方が良いような気もした。どちらかというと用途を限定して、アプリもデータも必要なものだけにしているのだが、そうするといざという時にできる事も限られてくる。

「いつもやる事ではない」から不要、という訳ではないのだ。

もっとも、そうした「いざという時(緊急時という意味ではなく)に使う」ものというのは、でんと鎮座しているとちょっと気になって整理したくなってくる。実際、そうやって整理してきた結果が今のiPadやiPhoneの状態だ。(iPhoneもそんなに色々は詰め込んでいない。)

もっとも、昨日一番やりたかった事は、仮にMacを持ち歩いていたとしてもできなかった事で、準備をするのにかなり手間がかかる事ではあるのだが。(楽譜のチェックをしたかったのだが、そのためにスコアを自炊するというのは、その手間とその後の使い勝手を考えるとかなり勇気がいる。)

そういった事はやる事自体諦めてしまえば良いのだが、意外と昨日の様な時の時間の使い方としては適しているような気もするんだよな~。

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2011年5月19日 (木)

共創と競争

組織のメンバーが様々な知恵を生み出していく時に必要な考え方は「共創」だろうか。

昨日はKM学会の多様性研究部会だったのだが、ディスカッションの中でふとそんな事を考えた。もちろんそれが全く不要という訳ではないのだが、前面に出てはいけないというか、別に前提となるものが必要な気がする。

その時にメモしたのは「競争(競創?)」というキーワードだった。互いに競う事が、より強靭な新たな知を生み出す事につながるのではないかという事だ。

もっとも、「共に」であっても「競う」であっても、そこには2人以上による関係性がある。あるいはその関係性が重要という事かもしれない。1人では共創も競争もできないからだ。

多様性というのは、そうした関係性を支える考えになるのだろう。

ただ、以前にも書いたが、自然界を見る限り、生物相が多様な環境というのは、互いの生存競争が激しく、淘汰圧(環境による淘汰圧ではなく、互いの競争による淘汰圧)が高い。変な話だが、彼らは互いに協力しようとは思っていない。「共生」というのは、互いが相手を利用して自らの生存率を高めてきた結果であって、ドライな言い方をするなら、相手を利用し尽くそうとしているだけだ。

これを組織の多様性に当てはめて考えるなら、メンバー同士による生存競争こそが、その生物相(組織)を強靭にしていくために必要なこと、という事になる。これはかなり「共創」のイメージとは異なる。

一方で、レベルを変えて考えてみると、生物相=組織、種=個人という捉え方で本当に良いのか、という疑問も残る。生物相=社会、種=組織、個体=個人という捉え方をした場合、同一種内の個体同士にはほとんど多様性はないという事があるからだ。種の多様性は、生物相を強靭にするが、個々の種の強さは、むしろ個体の同一性に支えられているような気がしなくもない。

もう一つ忘れてはいけないのは、多様性を支える環境の持つ淘汰圧だろう。現在問題になっている生物多様性の保全というのは、人間の経済活動がもたらした環境自体の淘汰圧の高まりへの警鐘なのだが、一方で競争による淘汰圧は否定されるべきではない。

環境による淘汰圧の変化は、競争環境をアンフェアにする効果をもたらす。そう考えると、環境による不公平を極力排除し、互いの競争による淘汰圧を高める事がポイントという事になるだろうか。

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2011年5月18日 (水)

音楽への渇望

昨日は7月に開催されるとあるコンサートの打ち合わせ。出演者ではなくスタッフとして参加するコンサートで、複数の出演者が様々な音楽を演奏するチャリティコンサートだ。

中にはクラシックの団体も含まれていて、某企業オケの方に日々の活動の話なども聞いたのだが、通常の定期演奏会以外にも少人数のコンサートなどを活発に行っていたりして、なんだかすごいなと思ったりする。

そういう活動をする余裕が、精神的にも技術的にも自分にあるだろうか。
いや、余裕とは違った話かもしれない。多分彼らは「余裕があるからやっている」のではなくて、「好きだからやっている」のだ。

音楽が好きだから、年に一度か二度の演奏会では物足りない。もっともっと音楽を楽しみたい、というのが、複数のオケの掛け持ちや小さなコンサートを精力的に行う動機なのだろう。

だから今回の様なコンサートの企画にも飛びついてくるのだ。

そういう「渇望」って自分にはあるだろうか。常に音楽を求め、楽しむ場に積極的に参加していくような音楽への思いってあるだろうか。

そんな事を考えてしまった。次の定期をどうしようなんて言ってる場合じゃないよな。

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2011年5月17日 (火)

演奏会終了

演奏会は無事終了。
演奏についてはかなり良い出来だったと思うし、運営的にも団員以外のスタッフを増やした事によってかなりスムーズに出来たと思うが、もちろん反省点も多々ある。

【準備段階】
・実施要綱の作成が遅い
全体に準備が(主に自分の領域が)遅れがちだったのだが、団員に配布する実施要綱の完成が結局1週間前で、諸々の調整の余地がなかった。
また、大曲ばかりだった去年は気づいていなかったのだが、乗り降りが激しい場合、一度の連絡ではなかなか団員全体に伝わらない。2~3週間程度かけるつもりで前倒しにしていかないと最後まで伝わらないまま終わってしまう。
実際、ゲネプロの集合時間が伝わっていない人もいた。実施要綱にゲネプロの予定も含めて記載し、1ヶ月前(最低でも2~3週間前)に配布していればこうしたことが起こる確率を減らすことができるはずだ。

・自分でやりすぎで任せていない
全体に遅れた最大の原因がこれだろう。余計なことに気を回しすぎというか、自分でやったほうが早いと思って結局遅れてしまうのは仕事でも見られる傾向なので注意しなければならない。

・適所を考えた人員配置を考えたか
自分でやりすぎる事にも関係してくるが、何を任せるか、人や係の見極めが出来ていないので、支持や依頼が行き当たりばったりになったりする。
何度か書いている気がするが、根本的に他人への関心が薄いというのがある意味致命的なのだろう。そうした性格を変えられるとは思わないが、意識して務める事はできる。。。はずだ。

・満席にするという意志の提示
これは相変わらず不足している。自分がなかなかチケットノルマを売り切れない(今回は売り切ったが)という後ろめたさが、団員に対して強く出られない一因だとは思うが、そこは割り切ってでも強く訴える必要があるのだろう。反省。

・実施要綱は外部スタッフにも説明できる内容が必要
今回は団員に以外の外部のスタッフが多かったのだが、彼ら向けの資料というのを意識しておらず、取りまとめをお願いした方に負担をかけてしまった。今後そうした体制をとっていくのであれば、そうした資料も必要になるだろう。
フロアの動きというのは、団員にとっても未知の部分が多いので、そういった意味でもまとめておく意義は高い。

【当日】
・フロアにはいたが、スタッフの動きを見ていない
前回の反省により、今回は開演前はフロア側に固定でいたのだが、振り返ってみると「いた」だけで、個々のスタッフの動きなどをあまり見ておらず、次に活かせるものを得られていない。
そもそも「お客様」の方を見ていてはダメなのかもしれない。

・外部スタッフへの声がけ
外部のスタッフの方への声がけは不足していた。取りまとめを任せているにしても、団の窓口になっているのだから個別にも声がけをするようにすればよかった。

・最初にお願いし、最後に感謝する
外部スタッフへの声がけとは、ようするにそういう事。

・開演前だけでなく、終演後もフロアにいる(準備から片付けまで)
前回の反省により「開演前」はフロアにいたのだが、「終演後」は相変わらずバタバタと動き回ってしまい、フロア側の片付けなども状況を把握できずに終わってしまった。解散時にいなかったので、外部スタッフにお礼をいう事もできずに終わったのは痛恨の極みだろう。
そういう事を「言われないと」気づけないのが、最大の問題といえば問題かもしれない。

そんな訳で、次回にむけて考え、意識し、心構えることはいくらでもあるのだった。練習期間が短いというのは、準備期間も短いということだ。この夏には別の問題もあるので、かなり気を引き締めないとあっという間に本番を迎える事になる。

来週の練習は休みだが、今週中には次にむけた大枠を整理しておきたいものだ。
(と書いて安心してしまうのが、このブログの欠点だったりする。)

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2011年5月13日 (金)

したい事を考える前に

昨日はダイアログ・イン・ザ・ダークの主催する緊急対談「脳科学者・茂木健一郎氏×バースセラピスト志村季世恵」に行ってきた。

・・・のだが、その対談の内容とはあまり関係なく、終了後に「ああなんだか最近本を読んでないので本を読みたいな」などと思ってしまった。なんだそれ。

「したい事」を挙げろと言われれば、多分相当上位にランクインするこの「本を読む」だが、多分今のままではいつまでたっても読めないだろう。

「○○したい」という前に考えなければいけない事があるのだ。
それは「○○をしない」を決めることだ。

そうやって自分の時間や意識にスペースを作って始めて、別の○○ができるようになる気がする。

もちろん今も空き時間はある。ポッカリ何もする事がなく、ぼーっと過ごす時間はある。その時間を使えば良いという考え方もあるかもしれない。

しかし、それも「ぼーっとする」時間であって、自分の中の「何かをする時間」の一つなのだ。「何もしないという事をする」時間という言い方もできるかもしれない。

これを「しない」と決めるのは、かなり勇気がいる。意識してできた時間ではないだけに、無理やり変えるとバランスが崩れそうな気がするのだ。そもそも意識的にそうしているというよりは、ブレーカーが落ちたような状態だからだ。

まぁその「何もしない」時間の事はさておき、本を読むためには、今やっている「何か」をやめる決断から始めなければいけない。何があるだろうか。意外に思いつかないんだよな・・・。

(で、そうなると次に考えるのが個々の時間を圧縮して空き時間を「生み出す」というアイデアなのだが、それをやればやるほどブレーカーが落ちる時間が増えるような気がしなくもないのだ・・・。)

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2011年5月12日 (木)

企業の社会的責任

企業の社会的責任って概念は、結局のところ政治や市民による責任放棄の考え方だよな。。。という事を今朝ふと思いついたのだが、昨日飲んで帰ったために今朝出さなければいけないメールが結構あるので、そんなメモだけ残しておく事にする。

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2011年5月11日 (水)

スローテンポでの練習

昨日の夜はカウントボランティアの予定だったのだが、急遽夕方に自宅近くの事業所での打ち合わせが入ってしまい、キャンセルして代わりに練習に行ってきた。

土曜日から4日目、これだけ続けて弾けると大分音も出しやすくなってくる。やっぱり弾けるのはいいなぁ。

昨日はスローテンポで一通り楽譜を見直し。弾けないところを弾けるようにするのは今から短期間では難しいが、弾けるところを確実に弾けるようにするのはやろうと思えばできる。

メトロノームをゆっくりに設定した上で、音程とリズムを中心にチェック。ゆっくりだと、普段なんでもないと思っていたところのリズムや音程の乱れがはっきり出たりする。勢いで弾いていた事が通じなくなるから、弓の動きなどがスムーズでないも如実に表れる。

また、こうした練習の際には、単純に譜面を追うのではなく、指揮者の指示や他のパートの動きを思い出しながら弾く。通常のテンポだと弾くだけで精一杯になっていた事が、ゆっくり練習することによって見えてくる。そうやって「気をつけるべきこと」を改めて思い出し、刻み付けるのだ。

その辺りはスキーの練習に似ているのかもしれない。

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2011年5月10日 (火)

平日の練習

昨日は社外での打ち合わせの後まっすぐ帰宅。
時間があったので実家に練習に行ってきた。平日の夜の練習は久しぶりだが、さすがに少々まずい状況なので、少しでも練度をあげておきたい。

曲の習熟度はもちろん不足しているのだが、何やら基本的な「音を出す」技術が低下しているように感じられたので、最初にちょっとだけスケールと練習曲を弾く。大学時代のオケのトレーナーだった方に指示された曲だが、なるほど弱点を突かれているというか、苦手な動きを要求される感じがする。

こうした基礎的なトレーニングはきちんとやった方が良いのだろう。実際いつもより音は出しやすくなった気がする。

もっとも、日曜日の一日練習から間が空いていないということもあるだろう。毎日弾くというのは、奏者だけでなく楽器にも良い響きをもたらす。

やっぱりちょっとでも良いから毎日弾くというのが重要なのだろう。とはいえ、簡単ではないよなぁ。。。

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2011年5月 9日 (月)

秋の定期演奏会に向けて

この夏の節電対応として、会社がフロアごとに休日をずらす輪番休日の方針を打ち出しているのだが、日曜が出勤となれば当然オケにも影響があるわけで、本番前の時期ではあったがパート内に事情を伝えた。

具体的には秋の定期演奏会に向けた練習の約半分が出られなくなる、という話だ。

結論からいえば、それでもトップをやれというのがパートの総意で、そこまで信頼されるのは嬉しい反面、本当に大丈夫なのか、とも考えてしまう。秋の定期は、4曲中2曲にソロがあり、うち1曲はかなり目立つ。ディビジョンも多く、普段あまり聴かない曲で馴染みも薄い。

ただでさえ練習期間が短い上に、そんな条件が重なる。しかも自分の場合、合奏の中で曲への練度を高めていくタイプなので、個人練習があまり役に立たないという困った傾向がある。

一方でパートの事情を考えれば、安易に「降りる」とは言えないのも確かだ。いくつかの事情も重なり、そもそも人が足りなくなってしまう。エキストラを頼むぐらいなら、自分が乗った方が良いだろう(プロを呼ぶとかいうなら別だが)。

本音をいえば、一度ぐらいは降りて裏方に徹するという経験もしたかったのだが、弾かせてもらえることを感謝すべきなのだろう。いや、もちろん感謝しているのだが、どうやってその期待に応えるかはまた別の問題なんだよな。。。

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2011年5月 6日 (金)

名刺を整理する

連休中に、名刺の整理をした。
整理といっても、溜め込んでいるだけに近い昔の名刺から、残しておきたいものを拾い出し、他をばっさりストックに移しただけだ(捨てはしない)。

基準は、顔や会った時の状況が思い出せる事だろうか。情けない話だが、どういった経緯で自分の手元にあるのか分からないような名刺も少なくない。もっとも過去5年分ぐらいにはなるので、すでに転職などで名刺が役に立たなくなっている人もいるだろう。

先日会った人と実は過去名刺交換をしていたとか、そんな恥ずかしい名刺にも巡りあったりする。この機会にきちんと整理して、少なくとも今後はそういった事がないようにしたいものだ。

ブログでも、Twitterでも、Facebookでも良いので、多少なりともつながりを継続していけるようなものがあると良いのだが。。。

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2011年5月 2日 (月)

iPhone4

iPhone4のホワイトモデルは結局発売翌日には購入してしまった。
3Gの2年縛りはまだ残っていたので、解約手数料を払ったのだが、後から確認したら端末代はともかく回線契約は解約せずに継続する事もできたらしい。

残念ではあるが、仕方ない。SoftBankの被災地支援をちょっとだけ応援したと考えておく事にしよう。

さて、iPhone4、店頭で試しに触っていた時には特に気にしていなかったのだが、改めて使い出すとこのディスプレイの解像度は半端じゃない。併用しているとiPadの文字さえ滲んでいるように見えてきてしまうのだ。視力の低下が著しい身としては、iPhone4のRetinaディスプレイを見ているだけで、視力が回復した気分になってくる。

動作が速くなってストレスが軽減というのはもちろんあるのだが、それ以上にこの見やすさは感動的だ。逆にiPadで若干ストレスを感じてしまうぐらいだ。

さて、これで3Gでは重すぎて使えなくなっていたTwitBirdの利用を復活できるのだが、あわせて音楽を聴くのもiPod nanoではなくiPhone4で済ませる事ができるようになる。TwitBirdは聴いている音楽の情報のtweetが簡単にできるので、できればその方が良いのだが、そうなるとiPod nanoの使い途がなくなってしまうな。。。

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