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2011年5月19日 (木)

共創と競争

組織のメンバーが様々な知恵を生み出していく時に必要な考え方は「共創」だろうか。

昨日はKM学会の多様性研究部会だったのだが、ディスカッションの中でふとそんな事を考えた。もちろんそれが全く不要という訳ではないのだが、前面に出てはいけないというか、別に前提となるものが必要な気がする。

その時にメモしたのは「競争(競創?)」というキーワードだった。互いに競う事が、より強靭な新たな知を生み出す事につながるのではないかという事だ。

もっとも、「共に」であっても「競う」であっても、そこには2人以上による関係性がある。あるいはその関係性が重要という事かもしれない。1人では共創も競争もできないからだ。

多様性というのは、そうした関係性を支える考えになるのだろう。

ただ、以前にも書いたが、自然界を見る限り、生物相が多様な環境というのは、互いの生存競争が激しく、淘汰圧(環境による淘汰圧ではなく、互いの競争による淘汰圧)が高い。変な話だが、彼らは互いに協力しようとは思っていない。「共生」というのは、互いが相手を利用して自らの生存率を高めてきた結果であって、ドライな言い方をするなら、相手を利用し尽くそうとしているだけだ。

これを組織の多様性に当てはめて考えるなら、メンバー同士による生存競争こそが、その生物相(組織)を強靭にしていくために必要なこと、という事になる。これはかなり「共創」のイメージとは異なる。

一方で、レベルを変えて考えてみると、生物相=組織、種=個人という捉え方で本当に良いのか、という疑問も残る。生物相=社会、種=組織、個体=個人という捉え方をした場合、同一種内の個体同士にはほとんど多様性はないという事があるからだ。種の多様性は、生物相を強靭にするが、個々の種の強さは、むしろ個体の同一性に支えられているような気がしなくもない。

もう一つ忘れてはいけないのは、多様性を支える環境の持つ淘汰圧だろう。現在問題になっている生物多様性の保全というのは、人間の経済活動がもたらした環境自体の淘汰圧の高まりへの警鐘なのだが、一方で競争による淘汰圧は否定されるべきではない。

環境による淘汰圧の変化は、競争環境をアンフェアにする効果をもたらす。そう考えると、環境による不公平を極力排除し、互いの競争による淘汰圧を高める事がポイントという事になるだろうか。

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