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2011年7月31日 (日)

アンサンブル・オレイユ第17回定期演奏会

昨日は仕事をちょっとだけ早く終わって、アンサンブル・オレイユの第17回定期演奏会へ行ってきた。過去3回ほど乗せてもらって、今年はお断りしたのだが、節電対応での輪番休日などを考えると、結果としてはよかったという事になるだろうか。

今回のプログラムはロシアもの。

ショスタコーヴィチ:組曲「ハムレット」(抜粋) Op.32a
プロコフィエフ:ディヴェルティメント Op.43
ペルト:ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番イ長調 Op.141

今回はペルトはさておき「知らない作曲家」ではないという感じだろうか。もっとも曲については正直馴染みがなく、途中瞑想(笑)してしまった。

もっとも個人的には、「知らない作曲家」だったペルトの作品が気に入ってしまったりする。

今日の帰りにCDでも探したいところだが、さて、置いてあるだろうか。考えてみたら、聴きに行く事を決めた時点で、各曲を聴いて事前に馴染んでおく、という選択肢もあったわけだ。そういえば以前演奏会の感想で「予習をしておく」とか書いていた気がするな・・・。

知らない曲ばかりなので、演奏の評価は実のところ難しいのだが、明らかに難曲なのに聴いていて不安を感じさせないのはレベルの高さの証明だろう。ショスタコーヴィチの交響曲第15番第2楽章のチェロのソロの歌い出しなんて、およそアマチュアとは思えない深い響きでもう単純にすげーとか思ってしまった。

来年は出られるだろうか。今年断念したのは、震災の影響というよりは府中に専念するための決断だったのだが、こうして聴く側に回ってしまうと、やっぱり参加して弾けるのが楽しいよなぁと感じてしまう。

練習自体はかぶっていないので、もちろん参加が物理的に無理という事はないのだが、どこまで(精神的な部分も含めて)リソースをさけるかというのはまた別の問題だ。ただ、演奏面よりも運営面がウエイトを占めつつある府中で、「演奏する」という楽しさをどこまで追求できているかといえばこれはやや微妙な所で、その辺りでオレイユに惹かれてしまうのはやむを得ないんじゃないか、という気もするんだよね・・・。

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2011年7月30日 (土)

『東京未来シナリオ2035』~東京は世界競争を勝ち残れるか?

土日はいつものプロントが使えないため、今日は以前よく使っていたエクセルシオールへ。こう考えると無線LANを備えているかどうかが、いかに自分にとって大きくなっているかが良くわかる。

さて、昨日は腑抜けすぎていたので、気を取り直して先週、もとい火曜日のセミナーで印象に残った事などを書いておこう。森記念財団が主催する「『東京未来シナリオ2035』~東京は世界競争を勝ち残れるか?」というセミナーだ。

モデレータは竹中平蔵氏、ディスカッションリーダーは、ロバート・フェルドマン氏、
花木啓祐氏、廣瀬通孝氏、市川宏雄氏というメンバーで、前半は「青空」「曇天」「長雨」「豪雨」の4つのシナリオに沿って、2035年の東京の姿についてプレゼンテーション、後半が都市戦略提言のためのディスカッションという内容。

シナリオや戦略提言の内容はさておき(森記念財団のHPで参照できる)、印象に残ったのはこんな話。

・規制は諸問題を解決するために作られるが、その問題が解決された時、既得権益だけが残る
電力がその典型という話だったが、この話はストンと落ちた。規制が問題になる事は多いが、
生まれた背景を考えれば実は必要なものであり、むしろ「役割を終えるタイミング」を決めておかない事に問題があるという事だ。
そういう視点でみると、そうした「終わり」が定義されている規制は少ない気がする。「暫定規制値」などはその典型で「暫定」にもかかわらず、いつまでかという議論がない。あるいは決まっているのかもしれないが、明示されていない。
終わり時を時期として明確に指定できなくても、解決されたと考える条件は最低限考えておく必要があるのだろう。

・現状維持の錯覚
現状維持で良いというのは、実は自身の能力の(自然)劣化と、競争相手の成長というリスクを無視した錯覚にすぎない、という指摘。実は成長こそが現状維持なのだが、なかなかそのようには考えられない、という話だ。
これは耳に痛い。結局のところ、成長のドライブとなるのは変化しかない。変化に対する抵抗感をどう克服し、変化が生み出す活力を手にしていくか、というのは、都市に限らず個人の成長においても必要なものだろう。
個人的には、オケや仕事の「現状維持的傾向」を省みさせられる指摘だった。

・再生可能エネルギーは質の悪いエネルギーであり、それをどう効率的に使っていくかが技術
太陽光や風力といった自然エネルギーは何やらクリーンでバラ色のイメージがあるが、そうではなく、エネルギーとしての質は決して良くはない。その事を踏まえた上で、それを上手く使っていく事にこそ技術が必要であり、その分野でリーダーをめざしていく事が重要という指摘。
大切なのは「質が悪い」「効率が悪い」ことを先ずは認める事だ。多くの推進派は「そんなことはない」というが、実はその主張は「原発は安全」に似ている。そうではなく、問題を認めた上で、だからこそ技術(テクノロジー&テクニック)が必要だという発想で進めていかなければ、どうあっても化石燃料の質にはかなわないという発想になってしまうだろう。
その分野で競おうというのが、そもそも間違っているという発想が必要ということかもしれない。

・都市計画においては、選択と集中はしてはいけないとされている
2035年の東京が「青空シナリオ」となるために必要な3つのキードライビングフォースの中には「選択と集中」があるのだが、実は都市計画は分散で行うのが基本という話。確かに一極集中的な都市計画というのは、なんだかアンバランスな感じがする。
一方で、そうして分散化を図っても、人は自然と集中する、という話があり、そう考えると「選択と集中」というのは、計画段階で無理やりやるものではなく自然に生まれるものであり、計画の段階ではそうした選択肢の提供と自然に淘汰が行われるような仕組みを組み込むという事が重要なのかもしれない。
例えば企業の商品戦略において選択と集中を進めるのであれば、計画として特定の商品を指定してしまうのではなく、何らかの条件を定めて自然と選択が行われるようにする、という感じになるだろうか。


・・・結構長くなってしまった。それだけ考えさせられる内容があったという事だろうか。それにしても相変わらず本題とはあまり関係のないところがひっかかっているなぁ・・・。

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2011年7月29日 (金)

微妙な忙しさ

今週・・・という定義が個人的には崩れつつあるが、それはさておき今週は微妙な忙しさだった。微妙というのは、出来ないわけではないがメールの返信とかを後回しにしてしまうといったような感じだろうか。

単純にいえば、夜の予定が詰まっていたともいう。月曜日は会社で異動する人の壮行会。火曜日は森記念財団のセミナー。水曜日は特に予定はなかったが脱力。昨日もセミナーでその後懇親会。

輪番休日で休みとなっていた水木も、両日都内に出る用事があり、思った以上に空き時間がとれなかった。

結果として、時間に追われるというよりは、心を亡くすという意味で忙しいと感じるようになる。ちょっと失敗したな~と思うのは、水木の予定の立て方だろう。充実しているといえば聞こえはいいが、多分まだ「平日の(特別な)休み」という感覚を捨てきれていないのだ。

先週は日曜日に休みをとったという事もあるのだろうが・・・。


大体、セミナーが続いていたのに、その内容ではなくこんなどうでも良い事を書いている時点でかなり心が亡くなっているような気がしなくもない・・・。

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2011年7月26日 (火)

スケジュールの組み立て方

輪番休日というのは、単に休日がずれるだけの事で、休みが増えるといった事はないのだが、なんとなく無意識に「いろいろな事ができる!」という勘違いが自分の中に生じている気がする。昨日の自転車の話などもそういった「気分」が関係しているのかもしれない。

もっとも今週(金曜始まりで水木を週末の休みとする「今週」)は、日曜日に休みをとってオケの練習に参加したため、週中の水曜日に休んだような感じになっているということもあるだろう。ただ、そこまでの切り替えができていなくて、土曜が休日出勤の日曜休み、2日間出勤してまた明日から2日間休み、みたいな「休みが増えた感覚」に陥っているのだ。(まぁ今週に関しては実際に休みが多い訳だが。)

始まったばかりだから仕方ないかもしれないが、そうした感覚はなるべく矯正していかなければならないような気もする。週5日、という仕事のスケジュールの組み立てができていないように感じるからだ。

一方で、この機会にそうした「週の呪縛」のようなものを解き放ってしまうという考え方もある。何が呪縛かはよく分かっていないが、スケジュールの捉え方を週単位ではなく、別の単位で捉えるという事だ。

もっとも、ではどのような捉え方が良いのか、というとその辺りはよく分かっていなかったりする・・・。

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2011年7月25日 (月)

自転車に乗る

昨日は出勤日だったのだが、有給をとってオケの練習へ。そういえば「休日」はあっても、自分にとって「安息日」と呼べる日ってないよな~などと思ったりする。

そんな話はさておき、練習の帰り(広い意味ではオケの帰りだが、オケの合奏とパート練習の後、実家に行っての個人練習の後だから実家からの帰りとも言える)に車道を走る自転車を見て、「そういえばしばらく乗っていないし、久しぶりに乗ってみようかな~」などと思ったりした。

そんな訳で過去のエントリーを検索してみると、2007年の12月に購入しているので、もうずいぶん前だったことに気づく。その後1年程度は乗る努力をしていたと思うが、もう3年ぐらいは乗っていないという事だ。

時間が経つのって早い・・・。

という年寄りめいた(失礼)感想はさておき、せっかく輪番休日で予定のない(安息日的な)休みもある事だし、先週(もう先々週か)のような猛烈な暑ささえなければ、たまには自転車で色々走り回ってみても良いかもしれない、などと思ったのだった。

幸いというか、折りたたみの自転車なので、車で遠出をしてその先で乗る(河口湖とか)といった事もやろうと思えば(多分やらないが)できる。

もっとも、今週の休日(水木)には、すでに予定が入っていて、そうそうのんびりも出来ない。都内に出る用事なので、あえて自転車で出かけるという選択肢もない訳ではないが、購入時に渋谷から乗って帰るのに3時間ほどかかっている事を考えると、あまり現実的なチャレンジではない。大体、この時期炎天下の日中に自転車で走るなんて、普段動かしていないこの体にはどう考えても危ない・・・気がする。

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2011年7月23日 (土)

物欲など

出勤となっている土日にブログを書くかというのは微妙に迷うところなのだが、今日はマクドナルドで朝食。mobilepointが使えるから・・・と思ったのだが、セキュリティの関係か「閲覧」ともかく「入力」はできない事が多くて(先程もFacebookへの書き込みができなかった・・・で、結局N04Bを使う事に)実はあまり意味がなさそうではある。

気分的には休日、ということで、久々に物欲など。

平河町ライブラリーを使うようになって、ややiPadでは物足りなさを感じ始めている。もちろんアプリも含めてiPadならではという事も多いのだが、その辺りは多少無理すればiPhoneでも可能なため、出来ない部分の方が気になりだしているのだ。

今のところは「困る」ほどではないのだが、不便である事は確かだろう。平河町でまとまった時間が取れるという事は、インプットだけでなくアウトプットにも時間を割けるという事なのだが、その部分の制約がどうしてもiPadでは大きい。

しかし・・・MacBookでは重い。一昨日持ち歩いたのだが、これを日常的に持ち歩くのはやはり無理がある。そこで、SSDを256GBにできるようになったMacBook Airの11インチをどうしようか、という話になるのだが・・・。

冷静に考えれば、まだやや足りない気もする。もちろん持ち歩きの用途だけなら困る事はないのだが、現行のMacBookを置き換えることができるのか、と考えると、iTunesのライブラリを含めたデータをどうするか、という事になるだろう。現状音楽だけならiPodに収まっているので、それだけならおそらく問題ないのだが、それ以外の動画をどうするかということだ。

Macを2台運用、というのは正直避けたいので、iPadやiPhoneの母艦としても使いたい。しかも可能であればWindowsも使えるようにしておきたい。となると外付けのドライブを用意して退避させておく事になるだろうか。

もっとも、動画に関してはMacBookでも良い、という考え方はある。実際の所、いうほど動画を持ち歩く必要があるわけではなく、大抵は一時的な視聴のためにiPadに同期させている程度だ。他に保存先がないからiTunesのライブラリに置いたままになっている、というのが正しいところだろう。

音楽、に関してはやや事情が異なって、手元に置いておきたい、という気持ちがあるのだが・・・。

であればさっさと買ってしまうかなぁ。

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2011年7月22日 (金)

ナレッジはどこで必要とされているのか

ナレッジマネジメントにおいて、ナレッジを吸い上げたい対象というのは誰だろうか。

先週のKM学会の講演会では「顧客のナレッジ」がテーマだった。顧客の声をナレッジとして活かすというのは、方法論はともかく考え方としては「ナレッジ」マネジメントと殊更に言うまでもないほどスタンダードなものだろう。

そのためか、実際にナレッジマネジメントにおいてターゲットと考えられやすいのは、社員であることが多い気がする。昨日の多様性研究部会で話題にあがったのは、その中でもパートやアルバイトのような有期パートタイムの社員だ。
(ちなみにこの「有期(限雇用)パートタイム」というのは「無期(限雇用)フルタイム」のいわゆる正社員と対比する位置づけで定義している。「有期フルタイム」なら契約社員になるが、まぁその辺りの定義自体はどうでもいい。)

パートやアルバイトからどうナレッジを吸い上げるか・・・だが、そこでハタと気づくことがある。「有期限雇用」でかつ「パートタイム」である彼らは、仕事を進めて行く上で当たり前にナレッジを吸い上げる共有する仕組みがすでにできている事が多い。時間軸の中で仕事を分担する彼らは、そもそもそうでなければ仕事が回らないからだ。

問題なのは、「無期限雇用」でかつ「フルタイム」であるために時間軸での分担が発生しづらく、さしてナレッジを共有する有用性が見出せない正社員のナレッジをどう吸い上げるか、にあるのではないだろか。

この問題で難しいのは、当人にとっての必要性が見えにくいだけでなく、むしろ弊害に見えてしまう場合もある点だ。有期限の者にとって、ナレッジを引き継ぐ相手は「次の担当者」だが、無期限の場合は「自分を追い落とす者」という感じになりやすい。そこまでは考えすぎにしても、会社側にとってのメリットばかりで、自分の側のメリットを実感しにくいのは確かだろう。

一方、欧米の企業では日本企業と違って、会社は転々としても職種は変えない(マーケティングならマーケティングといったように)という形態をとる事が多い。この場合、突き詰めれば企業はナレッジを「マネジメント」する必要がない。それは専門職種として雇用された社員の側が自らやるべき事で、会社はそれを自ら行う者を選んで雇用するだけですむからだ。

もちろんさらなるプラスアルファを求めて何らかのアプローチを行う場合もあるだろうが、基本的にはその社員のナレッジが必要なうちは雇用し続け、不要となったら解雇するだけで、吸い上げて会社の財産としていくような発想はあまり起こりにくいのではないか、という気がする。

どちらが良いというものでもないが、そう考えると「ナレッジマネジメント」というものが、日本企業の研究の中から生まれてきたものだという理由が分かるような気がする。案外それは「無期限フルタイム」の被雇用者によって構成される組織が、だからこそ必要とした考え方なのかもしれない。

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2011年7月19日 (火)

出荷停止より全量買取

風評被害は「風評」をなんとかする方向でばかり議論がされているような気がするのだが、そんな事はほおっておいて「被害」をなんとかする事を考えた方が良いのではないだろうか。

昨日、そんな事をふと考えた。

今日にでも発表されるだろうという福島県産の肉牛の出荷停止命令による「被害」とは何だろうか。答えは簡単で、牛が売れなくなる事だ。汚染されていようがいまいが、売れなくなる事で収入の道が途絶える。風評など関係なく、被害が出る。

であれば「出荷停止」ではなく、政府による「全量買取」をしてはどうなのか。売れるのであれば、精神的なダメージなどはさておき、農家の経済的な被害は少なくなる。その上で、政府が全頭検査をして、安全なものは「政府として」出荷すればよい。

そこで「政府が信じられない」というのはまた別の話だ。仮にそうであっても、少なくともそれは福島県の農家への「被害」ではないし、もちろん「風評被害」にもならない。

なぜ税金を使うのか、というのであれば、原発による汚染被害を受けた農家を救済するのに我々の税金を使わなくて一体何に使うのか、と答えたい。しかも食の安全確保にもつながるのだ。

もう少し現実的な話をすれば、「汚染がわかっても」一定額で売れるのであれば、検査を受けるインセンティブにもなる。発覚すれば自分のところだけでなく地域全体が売れなくなるのであれば、不安があっても検査をしないか、こっそり売るといった悪循環にしかつながらない。

農家の責任で出荷するな、というのは、結局そうした「安全を担保するコスト」をすべて生産者に押し付けているだけだ。汚染された肉を買ってしまった人は、自分を被害者だと考えるのではなく、畜産農家を支援したのだ、と考える事はできないだろうか。
小売店に返品された肉のコストは、間違いなく生産者にまでさかのぼって転化される。そうしたさらなるダメージの「発火点」になる自覚はあるだろうか。

そう考えれば、こうした取り組みは「安全」を声高に叫ぶ個人や団体により、民間主体で行われても良い。寡聞にして知らないのだが、そうしたことが実際にやられているのであれば、もっと知られても良い気がする。

少なくとも某氏が出したという100億円があれば、結構な数の肉牛を購入できると思うがなぁ・・・。

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2011年7月18日 (月)

おめでとうございます

今日は輪番休日による出勤日2日目。いつも通り起きて、いつも通り家を出て、いつものように電車の中でTwitterをチェックしたら、タイムラインが「なでしこ」で埋め尽くされていた。

渋谷につけば、もちろん交差点の周りで警察官が臨戦体制(笑)

おめでとうございます。

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2011年7月17日 (日)

輪番休日

今日から会社の輪番休日がスタートした。

通勤の電車は快適だったのだが、毎朝朝食に利用しているお店はさすがに営業していなかった。休日の朝食&ブログは、何処か場所を探すか、何か方法を考えなければなるまい。

休日、特に日曜日に出勤となる場合、一番問題となるのが府中市民響の練習だ。基本的に会社の「行事」であれば、練習を優先したきたのだが、今回は事情が異なる。多少は有給を使うにしても、9月中旬まで続く期間中すべての日曜日に休みを取る訳にもいかない。
(いやまぁ無理してできないことはないが、それではオケの他のメンバーにも同じようにしろと言っているみたいだ。)

そんな訳で、しばらく練習には参加できない(言っても来週は指揮者が来るので参加予定)。
ここで楽器に触らなくなってしまうと大変な事になるため、意識的に個人練習はする必要があるだろう。(などといいつつ、平日の夜は平河町だったりして、意外に時間がない。)

ちなみに昨日は休みだったので、夕方から練習する。ただ今回の曲は、弾ける曲はほとんど個人練習が必要ないし、弾けない曲は個人練習では手も足も出ない、というなんだか身も蓋もない曲だったりする。曲全体の雰囲気を作っていくには、合奏への参加が欠かせない訳で、その辺りもかなり苦しい。

今日は団内演奏会をやっているんだよなぁ・・・。

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2011年7月15日 (金)

全品検査の目的

グリーンピースの嫌いな人が、グリーンピースが入っているかもしれないピラフを出されたとする。

入っているのが分かった時点で「すべて食べない」とするか。
一つひとつ丁寧に取り除いて「それ以外を食べる」とするか。

非常に大雑把に捉えると、前者がサンプリング検査の考え方、後者が全品検査の考え方だ。
(もっとも、全て調べた上で、一つでも問題が見つかればすべて廃棄する、という姿勢もあることはある。)

放射能汚染に関しては、さて、どの姿勢で臨むべきだろうか。

現状の検査は、前者の姿勢で行われているはずだ。ただ、サンプリングである以上、どうしても漏れが発生する可能性は否めない。それでもサンプリングという手法を取るのは、コストということがあるのだろうが、当然それに不安を感じる側としては、全品検査を求める事になる。

問題はその際に後者の姿勢にシフトできるかどうかだ。

全品検査を求める動機が、検査漏れの不安にある場合、目的は前者のままで全品検査をするという事態に陥ってしまう事はないだろうか。全品検査をした上で、一つでも問題があればすべて廃棄するという考え方だ。

人によっては、そうした事を求めるということがあっても良いだろう。でも、そこまでやるなら、最初からそうしたカテゴリーを自らが求める対象に含めない方が合理的なので、実は全品検査を求めても仕方がないということになる。

全品検査をする動機は「危ないものを取り除いて、残りをしっかりいただくため」であるべきだ。決して「危ないものを見つけだして、それ以外も危険であると証明するため」であってはならない。

・・・と、理屈で考えればそうなるのだが、残念ながら理屈では動かないのが人間というもので、特に不安に襲われている人間というのは、そういった白黒がつけられない事が少なくない。
というか、白黒つけられないから不安な訳で、自分ではそうした白黒をつけられない人が増えてしまっているという事なのかもしれない。

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2011年7月13日 (水)

社内向けのものを社外向けに書く

今週は月曜火曜と平河町通い(今日はセミナーだが、明日明後日はまた行く予定)。
昨日は久しぶりにもう一つのブログを更新する。

元々は社内向けの勝手メルマガをエントリーしていたのだが、会社で書く時間がなくなって遠ざかっていたものだ。こちらと違ってテーマはある程度絞り込んでいるので、色々と書く事で自分自身のインプットにもなるのだが、いかんせん時間を確保できずにいた。

これからはこうやって夜の時間?を有効に使うようにしよう。順番が逆になってしまうので、社内への配信を今後も続けるかは微妙なところではあるが・・・。

考えてみたら、他にも社内向けの情報発信は手がけていて、最近おろそかになりがちだ。日中に時間を確保しにくい事が関係しているのだが(しかしなぜ確保しづらいのかはよく考えると不明)、そういった部分をカバーする事を考えてみても良いかもしれない。

ただし、その場合は、社内だけに限定しない事が重要になる。社内向け「のみ」のものを業務時間外に作成するのは、単なるサービス残業だ。社会に対して発信している(仮にそれが自己満足だとしても)ものを社内向けにも発信するというのであれば、少なくとも理屈としては通る。

もっとも自分の場合、時間管理はされていないのであまり意味はないかもしれない。ただ、いずれにしても「社内向けに」作成したものを「社外に」公開するのは、情報漏洩となる可能性があるが、「社外向けに」作成したものを「社内に」発信するのは、業務とは言えない部分はあっても、漏洩ではない。

とはいえ、そうなると内容はあくまでも一般を想定した形で書く事になるので、ものによってはやはり難しいという事になるだろうか。

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2011年7月12日 (火)

テンション低い・・・

微妙にテンションが低いというか、特に何もネタが浮かばない時があるのだが、もうそういった時には無理矢理何かを書くのはやめることにする・・・

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2011年7月11日 (月)

都市部に通う働き方

何だか先週はやたらとばたついていた。

その前の週に休んだということもあるかと思うが、普段はしない残業までする始末。ただ、多くは無計画に仕事を先送りをしてきた結果で、早め早めの着手を心がけていれば問題なかったのではないかと思わなくもない。

さておき、先週金曜日に某大学院で講義をする機会があった。ゲスト講師という形で会社の取り組みについて話したのだが、正直これも準備不足で、散漫な内容であった事は否めない。もっとも、受講者の側でもどれだけ関心があったのかは微妙なところだ。

質疑のやりとりの中で印象に残った事が一つある。

受講者は行政関係の方が多かったので、企業の従業員を地元の市民と考えて期待する事はあるか、という投げかけをしてみた。従業員の社会参加は、仕事の中で考える必要のあるテーマの一つだからだ。

対して、地元企業に勤める人はともかく、他の地域に働きに出ている人とは接点がなくて(行政側でも)困っている、という話を聞いた。確かに朝早く都内に出勤し、夜遅く戻ってくるような通勤族と、地元の行政とは関係性が薄い。行政(政治)の側でも、そうした人たちにどうサービスを提供していくか、という事は課題という事だ。

通勤に1時間2時間とかかる環境の場合、フレックスやサマータイムで少々時間がずれたぐらいでは地元と関わるのは難しい。こうしたすれ違いを解消する方法はあるのだろうか。一つの考え方としては在宅勤務があるが、これも条件は限られる気がする。

単純に社会と関わるだけなら、在勤の地元と関わるという方法もあるが、それでは家族との関係がおろそかになってしまう。両者を満たすためには、一極集中のオフィスのあり方自体を見直す必要があるという事かもしれない。

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2011年7月 8日 (金)

九州電力の「何が」問題なのか

九州電力のやらせメールが結構な騒ぎになっている。確かに拙いやり方だったなとは思うのだが、さて、これはそんなに「問題」な事なのだろうか。官房長官が「言語道断」と言い、社長が辞任するほどに?

そんなことが気になるのは、これが「市民団体」による「原発再稼働に反対する意見」を寄せる呼びかけだったら、ここまでの騒ぎになったのだろうか、という気がするからだ。あるいは、自然エネルギーを推進する企業による呼びかけだったら?ソーシャルメディア上で巨大な影響力を持つ(自社の社員も当然それを見ている)某企業経営者の呼びかけだったら?

それらの呼びかけに応えるのは自由意志だが、企業内の呼びかけは違う、と言われそうだが、冷静に考えれば本当にそうだろうか、という気もする。会社から上司の目の前で投稿する訳でもなく、やったかどうかを監視されている訳でもない。自宅からその社員が自ら行うのは「自由意志」ではないのだろうか。「会社に言われたらやるだろう」というのは、それはあまりに彼らをバカにしていないか。

一つおさえておかなければいけないと思うのは、電力会社の社員が原発再開に賛意を唱えることは、会社に強制されるようなおかしな事ですか、という事だ。もちろん反対する社員が居たって良い訳だが、賛成する社員が居たって良いはずだ。そこで会社の意思としては再開をしたい訳だから、そうした賛成してくれる社員に呼びかける、という図式は、そこまで嫌悪されなければいけないものだろうか。

原発再開に反対するのが(人として)当たり前で、社員も当然そのはずだから、会社が呼びかけて賛成させるのは「言語道断」・・・そんな意識が根底にないだろうか。
どうもそういった「逆の」言論抑圧の雰囲気を感じてしまうのだ。

もっとも、そんなことを考えてしまうのは、自分の場合、会社からそういった要請があったら「はいはい」と「再開に反対する意見」の方を平然と番組に寄せてしまうようなパーソナリティの持ち主だからかもしれない。

しかし、大抵はそうなんじゃないか(会社から何を言われても自分としてやることの判断は別と考える)と思うのだが、どうなのだろう。これらのお願いを問題視する人たちは、会社からそうしたお願いがあったら、自分は反対でも従ってしまうんだろうか。

そう考えることの方がよっぽど問題なんじゃないか、という気がする。

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2011年7月 7日 (木)

平河町ライブラリー

今月(今週)から、アカデミーヒルズ平河町ライブラリーの会員になった。

目的は勉強だが、内容自体は漠然としたもので、資格取得のような明確なテーマがある訳ではない。どちらかというと、まずは場所と時間を確保、といった感じだろうか。ブログを書くのもそうだが、ルーチン的な枠があったほうが自分の場合は動きやすい気がする。

ウイークデーメンバーだが、会費も安くはないので、無理矢理にでも使う動機付けにはなる。
実際、時間当たりの単価は決して安くはないので、ダラダラと過ごしてしまうのはもったいない。

月曜日はトライアルチケットを使い、その日に入会。火曜日はチャリティーコンサートだったので、正式な利用は昨日からだったが、なかなか快適だった。その気になればカフェでもできることではあるのだが、席の確保といった余計なことを考えなくて良いのと、静かなのがいい。

カフェではなかなかできないこと・・・それが「音楽を聴くこと」だ。ながらで聞くのは良いのだが、例えば楽譜をチェックしながら練習録音を聴きたい時などは、音楽が流れている事の多いカフェはあまり向いていない。

まだ試してはいないが、そういった事にも使えそうで、これは悪くない。

一方で、居心地が良いだけに、気を抜くとダラダラと過ごしてしまいそうなリスクも感じた。
ネットのチェックなどは「家でもできる事」なのだが、ついついやってしまったりする。23時まで使えるが、その時間から帰れば翌日になる。昨日は22時に終わったのだが、帰ってから何かをするのは難しくなる。

そういった意味では、その日にやる事をきちんと決めた上で、終わればさっさと帰るような割り切りも必要な訳だ。家で過ごしているような事を、わざわざ平河町まで行ってやる事はない。

とはいえ、最初から構えてしまっては続かないという事も考えられる。
しばらくは色々と模索しながら使ってみるのが良いのだろう。

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2011年7月 6日 (水)

スタッフを経験する

昨日のチャリティーコンサートは無事終了。

・・・疲れた。

今回は本来スタッフとしての参加だったので、演奏会運営の勉強にもなると考えていた。そういった意味で色々と参考になる部分もあって、個人的には有意義な経験だったと感じている。

特にエレキ系の楽器のセッティングがあんなに大変とは思わなかった。楽器を持って座る場所さえ決めてしまえば、とりあえずは何とかなるオケと違って、配線から音量のバランス(奏者がコントロールする部分ではなく、機械がコントロールする部分の音量だ)まで、事前に調整しておくことが数多くある。

特に今回は団体間の切り替えがあったので、いったんセッティングしたらそのまま、という訳にもいかない。勝手が分からないので、最終的には奏者に頼るしかないのだが、本来はそういった部分をきっちり押さえられてこそのスタッフだろう。

事前の通しのリハなどもなかったので、切り替えについてもシナリオの想定通りにはいかない事がある。そういった点は奏者も含めて臨機応変に対応できたとは思うのだが、当然演奏を聞いている余裕などなく、米倉先生によるトークについてもほとんど耳を傾けられなかった。

もっとも、スタッフとは結局そういうものだろう。だから、オケの演奏会でスタッフをお願いする人には、奏者側としてもそういった面への配慮が欠かせないなぁなどと改めて感じたのだった。

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2011年7月 5日 (火)

チャリティーコンサート

そういえばこのブログでの案内をすっかり忘れていたのだが、今日は日本フィランソロピー協会の主催するチャリティーコンサートがある。定例セミナーの一環だが、企業内オケやバンドによる演奏会だ。

http://www.philanthropy.or.jp/contents/activity/seminar_263.html

これが何で案内の対象になるかというと、(出演者、出演団体には含まれていないが)ちょっとだけ自分も出演する事になっているため。元々は仕事の関係で、定例セミナーの幹事会に参加していて、スタッフとして関わる予定だったのだが、どういう訳か演奏もする事になってしまった。

楽譜を確認できたのが昨日なので、ほとんど初見で臨む事になるが、まぁちょっとはリハーサルもあるようなので何とかなるだろう。どのみち準備段階から会場には行く予定なので、多少音を出す時間もあるかもしれない。

それはさておき、平日の電車に楽器を持って乗るのはしんどいな~と思っていたのだが、いつもよりちょっと早い電車にしたらそれほど問題はなかった。もう一つの関門は帰りの電車だが、これは各停を使えば多分大丈夫だろう。

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2011年7月 4日 (月)

タスクの見直し

先週は水曜日から休みをとっていたので、今朝久しぶりにToodledoを開いてタスクをチェックしたのだが、今日やる事として設定しているスター付きのタスクが32件になってしまった。

月初のルーチン作業などが含まれているので、多くなるのはやむを得ないが、溜まっているであろうメールの処理なども考えると、到底一日では終わらないような気がする。もっとも、必ず終わらなければいけないものとして設定している訳ではなく、終わらなかったら期日や登録内容を見直して再度リスト化するようにしている。

後はその中で優先度を判断して進めていくしかない。正直に言えば、その優先度の判断についてはかなり曖昧で、うまいルール化ができていない。この辺りはもう少し整理をする必要がある。

タスク管理といえばもう一つの課題がオケ関係のタスクだ。実はこっちの方が大変なのだが、その理由は、仕事のタスクは「自分のやる事」である程度コントロールができるが、オケのタスクの多くは「オケとして」のもので、自分ではなく他の人に依頼してやるものだからだ。

実際のところ、これが上手くできてこそ、マネジメントがきちんと出来ているという事になると思うのだが、正直全然できていない。

本番まで3ヶ月。実は結構時間がない。もう一度きちんと見直さなければならない。

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2011年7月 2日 (土)

東北にて

今日は土曜日だが・・・水曜日から休みをとって東北を回っている。回るというほどでもないか。

水曜日は常磐道を通ってひたちなかへ行き、そこから北上していわき市へ。いわき市内は一見平穏そうだが、港湾部では道路が大きくゆがんでいたり、信号が停止していたりした。郊外のドライブイン刺身定食を食べたのだが、地元のお客らしいおばさま3人組が「刺身は食べたくない」と言っているのが聞こえたりする。

その後、磐越道を抜けて、東北道で一関へ。元々はそこに住んでいる父の所を訪問するのが、今回の休みの目的だ。6月上旬に仙台を訪れた時もそうだったが、内陸部はかなり落ち着いたように見える。それでも屋根の瓦が落ちたまま、ブルーシートで覆っている家もいくつか見かけた。

翌木曜日は義妹が通っている南三陸町のボランティアセンターへ。義妹は震災後かなり早く南三陸町に入り、今ではボランティアの中で3番目の古株となっている。知らなかったがメディアの取材を受けたりもしていたらしい。

そんな縁もあって、その日はボランティア活動。装備をまったく用意していなかったので、片付けではなく写真の洗浄作業を行う。片付けの際に回収された写真を綺麗にして展示し、持主に思い出として持ち帰ってもらう活動だ。泥がこびりつき、放置されていた写真が完全に綺麗になる訳ではないが、それでも大切な思い出として、持主の手許に戻って欲しいと思いながら一枚一枚洗浄する。

南三陸町は、だいぶん片付けも進んでいたが、まさに「何もない」状態になっていた。これまで気仙沼、石巻と見てきたが、違いはほぼ市街のすべてが流されているに等しい状態であることだろう。主に目にしたのは志津川地区で、歌津地区などは見ていないので、町内すべてかどうかまでは分からないが、再建はほぼ一からやるに等しいのではないだろうか。

翌金曜日は、第二の目的地である盛岡に向かう。せっかくなので大学オケに顔を出して練習の見学などをしたいと思ったのだ。ただし、まっすぐではなく、一旦ー水沢から遠野を抜けて釜石に向かう。沿岸の様子を見ておきたいと思ったのだ。

車は普通に走っているのだが、道路は所々崩れていて補修中。津波に襲われたエリアはもちろん何もない状態。感覚的には撤去かなり進んでいる(気仙沼や石巻に比べると)ように見える。時期的な違いかもしれないが、岩手の方が全体にそういった事が進んでいる様に感じられる。

JENのダイアログで、津波に被災したエリアに含まれる仙台(宮城県庁)と、地震の被害だけですんだ盛岡(岩手県庁)とで、対応の余力の違いがあるのではないか、と聞いたのだが、確かにそういった要素があるのかもしれないと感じた。

そうして石巻から山田町、宮古市を抜けて盛岡に来ると、すでに地震の影響は感じられなくなっていた。もっとも、ホテルで見たテレビのCMは震災復興関連のものが多く、市内に数多く貼られている呼びかけのポスターなどあって、復興に向けた雰囲気は感じられた。

とはいえ、直面しなければどうしても忘れていってしまうものだと思う。
少なくとも東京ではそうだろう。むしろ原発と節電の方が大きく注目されている。

ただ、実際にボランティアもやってみて、まだまだやらなければならない事はたくさんあると感じた。多くの人から薄れてしまう前に、今一度引き戻すための仕掛けの様なものが必要なのかもしれない。

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