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2011年9月 6日 (火)

儲かるCSR

ダイヤモンドオンラインの『「社会貢献」を買う人たち』で「儲かるCSR」は本当にタブーなのか?というコラムを見つけた。

「儲かるCSR」は本当にタブーなのか?
脱・慈善活動。利益を度外視したCSRに明日はない
http://diamond.jp/articles/-/13884

趣旨は理解できるし、そうした面があるのは事実だと思うのだが、「儲かるCSR」に対するタブー観については、もう少し深い側面があるように感じている。

それは従来の「儲かるビジネス」の位置づけはどうなるの?という点だ。「儲かるCSR」の定義を「社会問題の解決に貢献しながら儲ける」だと考えてみよう。多くの企業やビジネスマンは、CSRという言葉が持ち出される以前から、そのためにビジネスをしていなかっただろうか。

「これからは「儲かるCSR」って、じゃ今まで自分たちがやっていた仕事は社会問題の解決に貢献していなかったとでもいうのかよ。」

つまり「儲かるCSR」という考え方は、ともすればこれまでの仕事を否定するようなニュアンスを与えてしまうのだ。多くの企業でCSRを定義する際に、「今までやってきた事こそCSR」という言い方をする事が多いのは、その辺りの配慮があるのではないか、という気がしている。

そういった意味では、実は「儲けるためには手段を選ばない」というタイプの方が「儲かるCSR」には飛びつきやすい。当たり前だが、彼らにとってはCSRは手段の一つにすぎず、それを鞍替えするだけだからだ。

むしろ、今までの仕事に社会的な価値を感じている人達ほど、「儲かるCSR」には抵抗感が強いのではないか。なぜなら手段ではなく、仕事に対する価値や目的の鞍替えを要求されてしまうからだ。

そこを割り切るのは、仕事への社会的使命感が強い人ほど困難だろう。これは理屈ではなく、どちらかといえば感情の領域だから、論理だてた所でほとんど意味はない。マーケティングの手段としての「儲かるCSR」は理論の領域だが、ビジネスの目的としての「儲かるCSR」は価値観の領域なのだ。

CSRという「言葉」の導入に問題があるとすればそこにあるような気がしてならない。元来CSRの考え方が要求していたのは、企業活動(SRであれば組織活動)の正しいあり方はどうあるべきか、ということであり、CSRというキーワードがなくても個々の活動においてなしうるものだ。CSRはそれらの全体像を一言で言い表すための、いわばそれ自体が(学問的な)マーケティングを目的とした言葉にすぎない。

本来そんな言葉に価値観を揺らされる必要はないはずなのだ。
CSRがキーワードとして踊るたびに、そんな事を考えてしまったりする。

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