調性を言語処理して捉える
昨日の第九の練習では、調性についてのレクチャーがあった。
音楽は「リズム(律動)」「メロディ(旋律)」「ハーモニー(和声)」で構成されている、という話を吉松隆の「『運命』はなぜハ短調で扉を叩くのか?」(ヤマハミュージックメディア)で読んだことがあるのだが、この3要素のうち、未だによく分かっていないのがハーモニーだ。「ハモる」というのは、感覚的には分かるのだが、理屈が分からない。もっとも、リズムやメロディにはそもそも理屈があるわけではないので、要するに「音楽の理屈」に関する部分はさっぱり分かっていない、という事でもある。
調性というのは、和声にまつわる体系のことだ。知識としてうんちくを知るのはそう難しくないが、実体感を伴った形で理解するのは難しい。自分の耳(と脳)が感じ取っている音を理論に結びつけるのは、言葉を理解するのとはまったく違うからだ。それでなくても、自分の感覚処理はかなりファジーで音程の捉え方もかなりいい加減だ。感覚処理には一定のトレーニングが必要なのだが、そうした事をやっていないからだろう。
スキーと違うのは(ああ、シーズンが近づいていきたなぁ)、スキーに関してはある程度自分の身体感覚を言語処理化できている、という点だろう。両方共同じぐらいキャリアは積んでいるが、おそらくスキーの方がトレーニング的な要素が強かったので、そうした処理ができるようになっているのだ。音楽の方はそうではない。
昨日はそういうトレーニング要素の不足をひしひしと感じてしまう練習だった。レッスンを日常的に受けていれば、あるいはそうした要素が加味された形で練習ができていたのかもしれないが、オーケストラで弾くようになってからはそうした事はなく、単に機械的に楽器が弾けるというだけでこれまで来てしまっているのは確かだ。
そもそも、自分が今奏でている音が、どんな和声の中のどのポジションを占めているか、を理解していないんだよなぁ・・・。
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