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2011年12月 1日 (木)

CSRの要求をごね得にしないためには

昨日たまった資料を片付けていたら、ISO26000の導入に関する提案資料がでてきた。パラパラとめくっていたら、その中に、ISOの導入とは直接関係はないのだが、某国際企業が某国際NGOのキャンペーンにより「持続可能な」調達をする事になった事例が紹介されていたのだが・・・。

ふと思った。これがNGOによる「ごね得」ではないという根拠はどこに求められるだろうか。

もちろん、感覚的な話ではなく、論理的な話としてだ。持続的な社会の実現に役立つのであれば、それはすばらしいと自分も思うのだが、それは必ずしも論理的に証明されるものではない気がする。

例えば不買運動や何らかの形でのイメージダウンというのは、企業にとってはダメージだから、「そうならないために」NGOのキャンペーンの要求を受け入れたとする。それは、企業としてのダメージを回避するためのリスクマネジメントとしての行動であって、社会や地球の持続可能性のため「ではない」。

結果としてそうなれば良い、という考え方もあるのだろうが、何となく釈然としない。そもそもそうした不買運動やイメージダウンが、扇動ではなく正当な判断の集合体として生じた、という事も厳密には証明されない。多くに支持された、という事を論拠とするのであれば、ヒトラーだって多くのドイツ国民に支持されていたのだ。

もっとも、政治の場合、その判断の責任は国民が負っている。問題は、企業の行動の場合その責任は誰が負うのか、という点だ。国際NGO?支持した消費者?おそらくどちらもそうは思っていないだろう。行動したのは企業の責任だ。

この構造は実は結構恐ろしい事なのではないか。銀河英雄伝説で、ラインハルトとヤンが初めて対峙した時に、ヤンが独裁政治を批判したセリフを思い出す・・・正確に思い出せないので引用して書くことはできないが、独裁政治の最大の弊害は、民が失政の責任を他人(独裁者)のせいにできる事にある、という指摘をした場面だ。

企業にCSRを要求する事が、独裁者への要望ではなく、民主的な要望であるためには、要望した側がその責任を担うメカニズムが必要になる。どうやったら社会はその責任を担う事ができるだろうか。

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