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2012年1月24日 (火)

CRM=偽善という指摘

売上の一部を寄付するといったいわゆるCRMには、善意を販促に利用しているという指摘が常に付きまとう。昨日出席したシンポジウムでも、震災に絡んだCRMやいわゆる絆ビジネスに対して批判を口にする人がいた。

それはそれで納得できる指摘ではあるのだが、それはそもそも「企業の偽善」なのではなく「消費者の偽善」だと指摘する勇気はあるだろうか、とも思う。欺瞞と言っても良いかもしれない。仕組みにもよるが、CRMの事例の多くは価格への転嫁がされていないから、消費者はなんら負担を負うことなく、場合によっては無駄に消費して自己満足を得ているに過ぎない、という身も蓋もない指摘をすることもできるのだ。

そもそも、自分は寄付付きであることを購入動機にしたことがない気がする(買った商品が寄付付きであったことはもちろんあるが)。当たり前だが、何かを買うというのは、そのモノやサービス自体に価値を感じたから行うもので、寄付につながるかなんて正直どうでも良い。寄付したければ自分でする。

少し前にtwitterかFacebookで「悩む理由が価格なら買っておけ、買う理由が値段ならやめておけ」というコメントを見た(一言一句は正確ではない)のだが、この言い方に従うなら、買う理由が寄付ならやめておけ、ということになるだろう。企業にCRMをやるなではなく、消費者に買うなという内容でなければ、CRMに対する批判としては違和感がある。


もっとも、これらはCRMを偽善だといった指摘をする人達に対する反論ではある。「CRMは偽善だ」という指摘こそがまさに偽善のような気もするからだ。ま、これは感覚の話。

ちなみに企業側の立場からすると、CRMというのは販促であると同時に、寄付を行う根拠でもあると考えている。「寄付する気があるならCRMなどせずに寄付すれば良い」という意見があるが、そもそも企業にそんな気持ちなどない。寄付する気持ちがないというより、そもそも企業はそうした気持ちで動くものではない。

企業に寄付をさせるのは、株主なり経営者なり従業員なり、そこにかかわる「個人」の気持ちだ。そうしたステークホルダーが、自らが企業から得る利益の一部を削ってでも社会に役立てたいと考えた時に、企業による寄付という意思決定が行われる。(そういう意味では「社会的責任としての寄付」という考え方も、ステークホルダーの一員としては違和感がある。自分たちの気持ちを無視されたような気になるからだ。)

CRMというのは、そこにあらたに消費者というステークホルダー個人の気持ちを反映させるための仕組みだろう。それが販促だ、というのは、言い換えれば「自分の利益を寄付に回してくれるな」というのが「消費者の気持ち」だということになると思うのだが、どうなのだろう。

もちろん、個人の気持ちとしてそぐわないと思うのであれば、自分は買わずに直接寄付すれば良いだけの話だ。
ただそれだけの話なのだ。

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