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2012年1月31日 (火)

タスク管理をどうするか

スケジュールはGoogle カレンダー、タスク管理はToodledo を使っているのだが、どうもタスク管理についてはイマイチ安定しない。もちろんシステムがではなく、運用の話。

ちょっと思いつく問題を挙げてみる。

一元管理するために仕事もオケもプライベートもすべて入れているが、結果としてぐちゃぐちゃになっている。
フォルダはさておき、コンテキストの(自分にとっての)定義が曖昧で、その都度バラバラ。そもそもあまり使っていない。
開始日と期日の管理がうまくできていない。結果進行中のタスクがリストにズラズラ並び、どれから手をつけるか途方に暮れる。
そもそも根本的に登録されたタスク通りに仕事を進めていない。

・・・4番目の問題は「Toodledoの使い方」の問題ではなく、そもそもタスクの捉え方の問題なのだが、そもそも諸々の問題の根本はここにあるような気もする。もちろん、すべてがそうなる訳ではなく、使うようになってから、大分「登録されたタスクを順番に処理していく」というやり方になってきてはいるのだが、どうも自分の場合、よく言われている「リストをチェックして終わらせていくことの達成感」をあまり感じないようなのだ。

もっとも、それは進行中のタスクがどうしても残るからである可能性もある。1日が終了しても、リストに進行中のタスクが残っている・・・では、確かに達成感は得にくいだろう。一方で、自分の場合そもそもタスクを忘れないためにリスト化している側面があるので、その日のタスクに細分化して日々終わらせるのもいまいち肌に合わない。

こうしたタスク管理でよく言われている「他のことを忘れて集中する」というのは、自分の場合あまり必要としていない気がするのだ。どちらかと言えば「常に頭の隅に入れておくために」リスト化をしている側面がある。そうすることで生まれるふとした思いつきを重視しているからだ。一つのことに集中して「そのタスクの」効率を上げる事も大切だが、それにより生まれる数%の効率向上よりも、並列的に生まれる新たなナレッジを大切にしている、ということかもしれない。

とはいえ、そんなのは単なる思い込みで、実際にはほとんど効果がない、という可能性もある。自分にとって何が最適かは、自分にしか分からないわけで、セオリーはセオリーとして試した上で、有用かどうかを評価する事が大切だろう。そういった意味では試行錯誤を重ねるしかないのだが・・・。

うーむ、漫然とした感じになってしまった。

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2012年1月30日 (月)

室内楽を演奏する

土曜日はオレイユのメンバーとアンサンブル。レーガーのクラリネット五重奏を練習する。

こうしたアンサンブルは楽しいけれども、きつい。オケの合奏と違って自分一人でパートの音を支えないといけないという事もあるが、それ以上に「指揮者」というガイドでありリードをしてくれる存在がいない事がきついのだ。
テンポをキープし、拍を示すのは、指揮者の役割の一部にすぎないのは分かっているが、それがあるとないとではいかに演奏側の負担が異なるかというのを実感する。

一方で、合奏で再三指摘されているように、指揮者というガイドがいる事でお互いに「聴き合う」意識が薄れてしまっているのも確かだ。意識はもちろんしているのだが、アンサンブルの時のそれとは比べ物にならない。落ちても何とかすくい上げてもらえるオケの合奏と、落ちたら手を上げて止まってもらわなければ復活できないアンサンブルとでは緊張感がまるで違う。

特に今回は、バロックや古典のように、それでもまだ「分かりやすい」曲とは違ったのでなおさらだった。メンバーの一人が「個々のパートがパーツ化されていて、単独では何をやっているか分からない」と言っていたのだが、その通りの気がする。「次の音を予測できない」という評価もあったが、それぞれのパートの音を役割がめまぐるしく入れ替わるために、「自分は今ココ!」というのを把握しにくいのだ。

とはいえ、こうしたアンサンブルの経験は、間違いなく貴重だ。楽しさもあるが、間違いなくトレーニングとしてだけでも価値がある。大学以来オケ中心できたのだが、こうした機会はもっともっと意識的に作った方が良いのかもしれない。

府中でも、2月には室内楽コンサートであるミニクラシックコンサートがある。どうしても「そのために」結成されたメンバーと「そのための」曲を練習する事になるのだが、それはそれで楽しいとして、もっと違ったアプローチを考えてみたいと思ったのだった。

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2012年1月27日 (金)

消費は社会的課題を解決しうるのか

昨日は企業と社会の関係について考える研究会に参加。テーマの一つが「消費による社会的課題の解決」だったのだが、ふと実際問題「解決」につながった事例にはどのようなものがあるのだろうか、と考えてしまった。

エコな商品を買う、寄付つきの商品を買う、そうしたソーシャルコンシューマーが「いる」という事と、その消費の結果社会の課題が「解決される」事との間には大きな隔たりがあるのではないか・・・そんな気がしたのだ。

もちろん、寄付つき商品により、一定の寄付金が発生し、その社会的課題の解決のために使われるのはその通りだ。しかしこれはNPO/NGOの活動についても言えることだが、解決に向けてアクションをすることと実際に解決を成し遂げる事の間にも大きな隔たりがある。大きな社会的課題を一足飛びに解決などはできないのは承知の上だが、ではその寄付がどの程度付与したかを評価する方法はあるのか。もっといえば「どこまで消費すれば解決する」というロードマップは組み立てられるのか。

消費による社会的課題の解決をうたう場合、そのあたりが大切な気もする。CRMには「売上増」という効果の他に「社会的課題に対するインパクト」という評価軸が必要だと思うのだが、当然のことながら企業はあまりそういった側面には注目しない。CRMにおいてコラボするNPOの役割が重要なのは、そうした部分を担うのが彼らの役割だからだ。昨日の議論では「企業があまり宣伝しない」という指摘もあり、惻隠という考え方も提示されたが、合理的に考えるのであれば、その宣伝をNPOがやってくれる(広告宣伝のコストが下がる)ことを期待して、企業はCRMを行うとも言えるのだ。

いまいち考えがまとまらないが、例えば「グリーンウォッシュ」みたいな問題も、そのあたりに根があるのかもしれない。エコな商品は、環境にやさしいことは証明できても、環境問題を解決する事は確約できない。解決につながったかを証明するのは、本当に環境にやさしい商品であっても難しく、その視点においてはあまり違いはないとも言える気がする。

実はボイコットというわかりやすい事例はある。消費しないことで、問題のある商品を排除し、その商品が生み出していた社会的課題が解決される、という構図だ。問題はその逆をイメージしにくい事だ。

とはいえ、そもそも「社会的課題の解決」という命題が大きすぎて、「解決したか」という軸が適切といえるかという問題はある。そういう意味では「消費による社会的課題への関与」ぐらいの方が良いのかもしれない。サービスを提供する者とそれに対価を払って享受する者という二者間の関係だった「消費」に、第三者的な「社会的課題」がどのように介在し、どれだけ影響を与えうるか。そう考えるほうがすっきりするような気がする。

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2012年1月26日 (木)

音楽練習室での練習

昨日は会社帰りに渋谷のヤマハミュージックアベニューに寄って練習をした。

感想を率直にいえば・・・うーん、という感じ。練習できない訳ではないが、正直にいえば少々うるさい。利用できたのは広めの部屋なのだが、右の部屋にドラム、左の部屋にエレキギターと、双方が漏れ聞こえてくる。この部屋はその緩衝帯として空けているんじゃないの?という感じだろうか。

そこまでは言いすぎにしても、防音という観点でいえば、カラオケボックスとあまり変わらない感じで、特にドラムの振動は床越しに伝わってくるのでちょっと辛い。自分が足でリズムを取ろうとする時に、別にリズムがその足を通じて伝わってきてしまうのだ。

もちろん、練習ができないわけではない。スペースも十分だし、譜面台や椅子もある。カラオケボックスの場合、譜面台はもちろん、椅子もなんとかしなければならない場合がある(基本がソファーだったりするからだ)から、そういった意味ではゆったり練習ができる。

さて、肝心の練習は、というと・・・。

2時間では足りなくて、やはりもう少し前からきちんとした見ておけば良かった、というのが一つ。
とはいえ、個人でさらうのはこの辺りまでが精一杯で、後はアンサンブルに入ってみないと分からないな、というのが一つだろうか。

後者はオケでも感じている事だが、どうも自分の場合、事前の個人練習ではさっぱり音が体に入ってこない傾向がある。ソロで弾くわけではないので、アンサンブルの中での自分の位置をイメージしながら弾く必要がある訳だが、その部分のイメージ力が弱いのだろう。自分が何を弾いているのかが分からなくなってしまうのだ。

今日明日は楽器を弾く時間をとれないため、後はそうした部分を少しでもイメージできるように楽譜を見ながら曲を聴く時間をとるしかない。それも練習といえば練習だが、そういえば昔「自分は練習嫌いなのでいつも頭の中でピアノを弾いている」とか言ったピアニストがいたな・・・。

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2012年1月25日 (水)

会社帰りに楽器を練習する

今日は楽器を携えて渋谷まで出勤。少々切羽詰まって練習しなければいけないという事情もあるが、先日ふと「今の電車の混み具合なら楽器持って出勤可能だよな」と思ったのがきっかけだ。
乗り合わせの関係でそうなっているのだが、実際問題なく持ってくる事ができた。

渋谷にはいくつかのスタジオや練習室があるが、昨日の会社帰りにヤマハミュージックアベニューに寄って聞いてみると、レッスンで使われない部屋は前日に予約すれば個人練習で使う事ができる。30分1050円は継続的に使うには少々迷うが、とりあえずその場で予約して今日使ってみる事にしたのだ。カラオケボックスという方法もあるのだが、であれば別に渋谷である必要もないよな・・・と。(それと「予約ができる」事がこういう場合大切だったりする。)

実際のところ、実家に戻って練習をしようと考えれば、帰宅してから車で移動しなければならず、往復で100分程はかかっている。その際に高速を使う事もあるわけで、実は意識しない所でコストは発生しているのだ。であれば、きちんとした設備にお金をかけた方が良い。

いずれにせよ、まずは体験してみなければわからないという事で、今日は19時から21時までみっちり練習してみる事にする。次回以降があるとして、2時間やるかはまた別の話(4000円は流石にちと大きい出費)だが、21時まで営業なので、そこそこ時間に幅を持たせる事はできるだろう。

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2012年1月24日 (火)

CRM=偽善という指摘

売上の一部を寄付するといったいわゆるCRMには、善意を販促に利用しているという指摘が常に付きまとう。昨日出席したシンポジウムでも、震災に絡んだCRMやいわゆる絆ビジネスに対して批判を口にする人がいた。

それはそれで納得できる指摘ではあるのだが、それはそもそも「企業の偽善」なのではなく「消費者の偽善」だと指摘する勇気はあるだろうか、とも思う。欺瞞と言っても良いかもしれない。仕組みにもよるが、CRMの事例の多くは価格への転嫁がされていないから、消費者はなんら負担を負うことなく、場合によっては無駄に消費して自己満足を得ているに過ぎない、という身も蓋もない指摘をすることもできるのだ。

そもそも、自分は寄付付きであることを購入動機にしたことがない気がする(買った商品が寄付付きであったことはもちろんあるが)。当たり前だが、何かを買うというのは、そのモノやサービス自体に価値を感じたから行うもので、寄付につながるかなんて正直どうでも良い。寄付したければ自分でする。

少し前にtwitterかFacebookで「悩む理由が価格なら買っておけ、買う理由が値段ならやめておけ」というコメントを見た(一言一句は正確ではない)のだが、この言い方に従うなら、買う理由が寄付ならやめておけ、ということになるだろう。企業にCRMをやるなではなく、消費者に買うなという内容でなければ、CRMに対する批判としては違和感がある。


もっとも、これらはCRMを偽善だといった指摘をする人達に対する反論ではある。「CRMは偽善だ」という指摘こそがまさに偽善のような気もするからだ。ま、これは感覚の話。

ちなみに企業側の立場からすると、CRMというのは販促であると同時に、寄付を行う根拠でもあると考えている。「寄付する気があるならCRMなどせずに寄付すれば良い」という意見があるが、そもそも企業にそんな気持ちなどない。寄付する気持ちがないというより、そもそも企業はそうした気持ちで動くものではない。

企業に寄付をさせるのは、株主なり経営者なり従業員なり、そこにかかわる「個人」の気持ちだ。そうしたステークホルダーが、自らが企業から得る利益の一部を削ってでも社会に役立てたいと考えた時に、企業による寄付という意思決定が行われる。(そういう意味では「社会的責任としての寄付」という考え方も、ステークホルダーの一員としては違和感がある。自分たちの気持ちを無視されたような気になるからだ。)

CRMというのは、そこにあらたに消費者というステークホルダー個人の気持ちを反映させるための仕組みだろう。それが販促だ、というのは、言い換えれば「自分の利益を寄付に回してくれるな」というのが「消費者の気持ち」だということになると思うのだが、どうなのだろう。

もちろん、個人の気持ちとしてそぐわないと思うのであれば、自分は買わずに直接寄付すれば良いだけの話だ。
ただそれだけの話なのだ。

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2012年1月23日 (月)

そろそろ買い替えの時期かもしれない

土曜日のスキーは今シーズン3度目の富士見パノラマ。高速のインターから近いというのはどうしても選びやすい。半日しか滑らないと決めていればなおさらだ。

今回は現在メインで使っている165cmの板ではなく、一つ前の185cmの板を持っていった。考えてみるとここしばらく板を買っていないので、一つ前といっても結構前のモデルのはずだ。確か就職してしばらくしての購入だったから、10年以上は前という事になる。本当か?

今の板もそうだが、思った以上に長く使っているかもしれない。ほとんど手入れもしていないので、エッジも錆びて少々ひどい状態だった。(それでも毎シーズン数回は履いているのだが。)

時々履き比べるのだが、まだカービングスキーがようやく一般的になった頃の前の板と、カービングが当たり前になった頃の今の板とでは、かなり性格が違う。そもそも大回転用のレーシングモデルと、デモモデルでは性格が違っていて当たり前なのだが、前の板の方がずっと高速安定性が高い。

高い・・・のだが、今回はちょっと勝手が違った。いまいち乗り切れないのだ。

今日は長い方の板だし、軽く流すようにしよう。こっちの方が多分楽に滑れるはず。
2012年1月21日 8:14:19 HootSuiteから

さて、ゴンドラで上に上がる。やっぱりこちらの185cmの板の方が楽しい。スピードをあげても安定していて転ぶ気がしない。
2012年1月21日 9:08:13 HootSuiteから

雪がやや深めで脚を取られるせいか、イマイチしっかり乗れない。人は少ないので全開で飛ばしたいところだが、視界が悪いのでちょっと無理。
2012年1月21日 9:27:32 HootSuiteから

しかし冷静に考えると、今日持ってきたような高速ターン用の板は視界が良くて硬いバーンでこそ最高に楽しいんであって、今日のコンディションであればもう一本の短い方をチョイスした方が良かったかもしれない・・・。
2012年1月21日 9:49:15 HootSuiteから

緩斜面で滑っている内は良かったのだが、急斜面でスピードが上がってくると勝手が違ってきた。ツイートしているように(雪だったので本数は少ない)バーンコンディションとの相性はあるかもしれないが、後半を振り返ってみるとどうもそれだけではないような気がする。

ようするに下手になったような気がするのだ。

今の板に買い替える(替えていないか)直前のシーズンに、泊り込みで個人レッスンを数日受けた事があるのだが、その時インストラクターに「今の若い人だとその板では曲がれないかもしれない」と言われた事がある。

それだけ現在の板は曲がりやすく、そうではない板ではよりシビアにコントロールする必要がある・・・と捉える事もできるが、むしろ今から思えばスキー板の性格にあわせて必要とされる技術が変わってきている、と捉えるべきだろう。

そう考えると「下手」というのはやや違っているかもしれないが、技術の幅と考えれば、前の板でも今の板でもきちんと乗りわけられるのが理想だろう。それができなくなってきているのかもしれない。

もっとも、使用年数を考えれば、とうに寿命で「へたっている」という可能性もあるのだが・・・仮にそうなら使い続けるのは危険という考え方もできる。流石に滑っている最中に折れるほどの負荷は今はかけられそうにないが・・・。

いずれにせよ、今のスキー板はさらに進化しているだろうし、そこでは新たな技術が求められている可能性もある。過去の投稿をチェックしてみないと前の切り替えがいつかは正確には分からないが、実際のところ靴も含めて(靴もかなり長く、プラスチックの劣化を考えると実はこちらの方が心配だったりする)そろそろ買い替えの時期かもなぁ・・・などと別の事を考えてしまった。


・・・で、午後は帰って楽器の練習をした。スキーは結局のところ楽しめればそれで良いのだが、こちらはそうもいかないので、実はもっとしっかり練習しないといけないんだよね・・・。

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2012年1月20日 (金)

CSRレポートを比較できないという課題

昨日の続きをその後思いついたはずなのだが、メモを取り忘れたため思い出せない。ほぼ日手帳はそのためにあるはずなのだが、昨日は思いついた時に取れなかったのだろう。

という訳で別のメモ。一昨日はナレッジマネジメント学会とは別に、CSRレポートに関するワークショップにも行っていたのだが、そこでのメモにこんなのが残っている。

「比較できない」という課題意識と、「比較したい(けどできない)」という課題意識は大きく違う。 比較したい項目が明確にあってはじめて比較可能な情報提供が可能になる。

上記は生メモなので、読み返しながら多少翻訳するとこんな感じになるだろうか。

「比較できない」という不満と、「比較させろ」という要求との間には大きな隔たりがある。 求められる比較項目が明確に定義されてはじめて、その情報は比較可能なものに変貌する。

CSRレポートに対する読者リサーチなどで、不満や問題点の指摘として比較的上位に上がってくるものに「他社との比較ができない」というものがある。実際のところ比較できるような形で提供されている情報は少ないし、設問の選択肢にそういったものがあれば、課題として選ばれるのは自明の理ではあるのだが、編集側にいると、この不満ほど困るものはなかったりする。

何をどのように比較したいかが、ちっとも明確ではないからだ。
もう少し正確にいうと、何をどのように比較したいかが、てんでバラバラだからとなるかもしれない。

例えば就職活動において「履歴書の記述内容がばらばらで比較できない(から比較できるように統一しなさい)」と言われたら、応募する側は「えー?」となるのではないだろうか。応募する側でどうやって内容を比較可能なように統一するんだよ、と。

もちろん採用側はそんな事は承知していて、だから履歴書というのはある程度書式が決まっているのだ。エントリーシートのような形でより詳細に情報を比較可能な形で提供させる場合もある。比較可能な情報というのは、「この内容をこのように比較したい」という受け手側の要請があってなされるもので、提供側でどうこうできる事では、実はない。

対極にあるのが、例えば卒論だろうか。ある程度の型は決まっているにせよ、その内容は基本的には自由だ。評価は受け手側の裁量にあるが、論文を「比較可能な形で書け」という指導者はいないだろう。比較可能にして評価したかったら、論文ではなくテストにすれば良い。

で、突き詰めて考えた場合に、CSRレポートに求められているのは一体どちらの性格なんですか?という事になる。

もっともこれは、別に読者の要望や調査の内容に対する不満というわけではなく、その程度の位置付けでしかないなぁ、という話ではある。レポートの内容の比較可能化については、GRIや環境省のガイドラインなどがあり、多くの企業はそれらを参考にしているので、比較ができないのは結局そうしたガイドラインの曖昧さや分かりにくさを指摘しているだけの事にすぎない。

ワークショップではXBALという、財務情報を提供する際の書式?に、CSRのような非財務情報を統合する動きがあるといった話もあった。かなり難航しているようではあるのだが、そうやって「何を」「どのように」比較するかという意思が明確になってはじめて、提供される情報が「比較可能ではない」という批判は意味を持つようになるのではないか・・・そんな気がする。

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2012年1月19日 (木)

石垣の組織と煉瓦の組織

昨日はナレッジマネジメント学会の多様性部会があった。

現在の議論は雇用形態(働き方)の多様性が組織にどのようなインパクトを与えるかというもの。つらつらと話を聞きながら、ふと思ったのは、日本型の組織(一般で言われる所の)と欧米型の組織の違いは、石垣と煉瓦のような違いで、それが働き方の多様性にむすびついているのではないかという事だ。
(その時に考えたのは「すり合わせ型」と「モジュール型」というたとえだったが。)

煉瓦造り(モジュール型)は、いわば規格品の組み合わせだ。求められるパフォーマンスが先に定義されていて、ある程度固定されている。固定されているが故に、そのパフォーマンスの出し方(働き方)は問われない。特に時間の使い方において、個々の違いが大きな問題にならない。
評価や給与も、煉瓦という規格に対して発生するので、働く側は条件にあわせて選択が可能になる。

一方石垣造り(すり合わせ型)というのは、大小形も様々な石を組み合わせる事によって組織全体のパフォーマンスを追求する。個々の石の役割は、その大きさや形によってバラバラで、(石垣はさておき組織では)場合によっては微妙に形も変えながら、全体の形を作り上げている。
求められるパフォーマンスがバラバラだから、評価は個別に行われるか、あるいはパフォーマンスとは関係ない、年功のような別の軸で行われる。

重要なのは、煉瓦は何処かが抜けても、同じ規格の別の煉瓦を用意できるのに対して、石垣はそうはいかないという事だ。それは特に働き方において、個々の事情ではなく、組織の事情が優先されるという事につながる。石一つの組み替えが組織のパフォーマンスに大きく影響してしまうのだ。

だから石垣型の組織は、長期雇用による人材の固定化が自然と必要とされるようになる。互いの隙間をなくす事が、組織のパフォーマンスアップにつながるからだ。そこでは、働く側の働く都合など考慮されない(原理的には、だが)。

石垣型の組織は、規模が小さい内は、同規模の煉瓦型に対して優位性を持つ。個々人の能力を最大限に発揮できるように組まれた石垣は、組織としても強固なものになる。だが、規模が大きくなってくると、互いのすり合わせのコストがメリットを上回るようになってくる。スケーラビリティにおいて優位性があるのは、煉瓦型の組織だ。石垣型であっても、どこかで煉瓦型に切り替えるか、少なくとも組織の大半を構造転換する必要が出てくる。

実際、日本企業は大組織化する中で、パフォーマンスにおいては煉瓦型への切り替えをある程度行ってきた。典型がものづくりだろう。職人の名人芸に頼る形から、マニュアルや定型化により、そうした個人差をなくす形にシフトをしてきたのだ。

だが、そこで働き方における転換を行ってこなかったのだ・・・多分。
パフォーマンスにおいては煉瓦型にもかかわらず、その評価や組織のあり方は石垣型のままにしてしまった。その矛盾が今問題として噴出しているということではないか。

もちろん、組織のあり方として、コアとなる部分が石垣型なのはそれ自体悪い事ではないかもしれない。しかしそれは取り巻く周辺が煉瓦型にシフトできた場合だろう。組織全体を石垣型で維持するのは、先に書いたようなすり合わせのコストが組織のパフォーマンスを上回ってしまうリスクを抱えている。

組織を縦に分割して石垣型でパフォーマンスを維持できるサイズにとどめるか。
組織を横に分割して石垣型と煉瓦型を内在する組織に組み替えるか。
はたまた組織全体を煉瓦型に構造転換するか。

それぞれに生き残っていく方法はあるが、曖昧に混在させたままでは、緩やかに崩壊への道をたどる事になるのではないか・・・そんな気がする。

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2012年1月18日 (水)

キーボードを替えてみた

トラブルが直接の原因という訳でもないのだが、iPad/iPhone用に新たにBluetoothキーボードを購入してみた。

これまで使っていたDockにつなぐキーボードよりかなり小さくなり、やや打ちづらいが、コードがない事もあわせて可搬性は高くなる。これまでのキーボードはiPadよりやや幅があったが、今回は上着のポケットにも入る(スーツだとやや飛び出すが)ので、ちょっとした際にも持ち歩きやすい。

もう一つの特長は、iPadとiPhoneをワンタッチで切り替えられる事だ。他のBluetoothキーボードでもできるのかどうかは知らないのだが、それが一つの売り文句にはなっていて、切り替え用のキーもある。実際に昨日試してみたのだが、設定を済ませておけば、iPadやiPhone側で何ら操作せずにキーボードだけで切り替えられるのは、かなり便利な気がする。

どう使うかといえば、セミナーなどで、iPadではDraftPadなどでメモを取りながら、iPhone側でツイートをするといった切り替えが可能になるという事だ。実際その運用に耐えられるかどうかは、もうしばらく慣れてみないと分からないが、そういった事を想定したのは確かだ。
(もっともiPadが3Gモデルだったら、アプリの切り替えで対応しようと考えたかもしれない。)

で、今朝はそのキーボードで書いているのだが、やはりキーが小さくてまだ慣れない。これまで使っていたキーボードはサイズ的には満足いくものだったという事が良く分かる。

もう一つの問題は、キーの配列が異なっているのと、英字キーボードで認識されているために表記と異なるキーがある事だ。こうしたハードウェアキーボードを使う理由の一つに、ソフトウェアキーボードではいちいちモードを切り替えなければいけない記号類を入力しやすいというのがあるのだが、その記号がどのキーで入力されるかが、慣れるまではいちいち思い出さなければならない。

それとやや心配なのが結局電池がなければ使えないという事。こればかりは無線機器の宿命な訳だが、まぁiPadの場合は、ソフトウェアキーボードでも十分使えるといえば使えるので、それほど大きな問題にはならないだろう。

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2012年1月17日 (火)

口コミの信頼性

どうも最近iPadにいきなりキーボード(有線)をつなぐとフリーズする。起動してからつなげば普通に使えるのだが、いきなり挿すとビックリして固まるなんてことがあるのだろうか。
おそらくiOS5になってからだろうと思うのだが、元々iPhone3Gを想定して有線にしたものなので、この際Bluetoothのキーボードに切り替えても良いのかもしれない。

それはさておき、Yahoo!知恵袋にまで飛び火した感のある「サクラ」投稿なのだが、個人的には何が問題なのかが良く分からない一方で、これだけ騒ぎになるということは、やはり影響力があるのだろう、という事を感じる。

「サクラ」が、ではない。「第三者(的意見)」や「口コミ」というものが、だ。

信頼性が問題になり、騒がれるということは、それだけ「信頼できる」と思われていたということだろう。一部(かどうかは知らないが)で指摘されているように、「以前からあったこと」「判断するのは結局自分」といったような、ある種の冷静な意見とは関係なく、「なんとなく信頼してしまう」というこうしたものが与える気分の影響がいかに大きいか、ということを改めて感じてしまう。

であれば、当然そこに何かをしようとは考えるよなぁ・・・それは今回のような話だけでなく、例えば「善意の拡散」のようなものであってもだ。ある「良い話」が口コミで伝播する時、最初に発した者に「口コミで伝わっていけばいいなぁ」という気分がないとは言いきれない。それは、影響力を利用するという点で、本質的には今回の「サクラ」と変わりがない。その良い話が「事実」であることを担保できるのが、実際には「口コミだから」という気分にしかない、という点においてもだ。

人が「自分では事実を確認できない」ある情報を「信じる」には大きく二つのパターンがある。そこで語られている理屈が自分にとってストンと納得できる時と、発信者の人となりをよく知っていて、その人物の言うことなら信じられるという時だ。口コミというのは後者で、お隣さん同士のような直接的な「知り合い」関係の中で、この相手の言うことは信じられるという担保に基づいて発生するものだろう。(実際にはそれに加えて「内容に納得できる」がなければ、さらに知り合いに話すといった行為は発生しないが。)

そして「人となりを知る」というのは、「嘘を言う可能性も含めて」発言の内容を自分で判断できる関係性が構築できている、という事だ。それは言い換えれば「何を聞こうが最終的には自分の判断」という関係性でもあるのだが、そういうある種の緊張感がある事によって「口コミ」には信頼性が生まれているのではないだろうか。

無関係な第三者、特にネットのような場においては、そうした関係性がない。ない、は言いすぎかもしれないが、構築しにくいのは確かだろう。そういった意味で、リアルな「口コミ」らしさを持ち込みつつも、それとは別の信頼のためのロジック(それは利用する「自分にとって」であって提供者による「利用者にとって」ではない)が必要な気がする。

それと・・・

そもそも信頼というのは、自分が間違えた時の責任を相手に押し付けるためにあるものではない。「信頼を裏切られた」といった話を聞く度に、では「信頼していた」っていうのは、あなたにとってどういう状態?などと思ってしまうのは・・・まぁ一般的な感覚ではなく、ある種特殊な「自分の」感覚なのだろうな・・・。

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2012年1月16日 (月)

週末のスキーとオケ

週明けという事で、まずは土曜日のスキーの振り返りから。今シーズンは一度ぐらい東北のスキー場にも(復興応援も兼ねて)行きたいのだが、そのためには仕事かオケかその双方かを休まなければならないのが厳しい所だ。

さてスタート。今日は午前中のみ。
2012年1月14日 8:02:43 Keitai Webから

1本目。ガラガラのバーンを生かしてプルークの大回り。3パターンの使い分けを意識してみる。
2012年1月14日 8:10:57 Keitai Webから

2本目。オープンスタンスのパラレルターン。人が少ない間でないとこんなのできない。気持ちいいね。
2012年1月14日 8:15:20 Keitai Webから

3本目。ショートターンでペースをあげる。とはいえ、遊んでるだけだなこりゃ。
2012年1月14日 8:20:06 Keitai Webから

4本目。もう一度ロングターン。なるべく板がずれないように。
2012年1月14日 8:24:46 Keitai Webから

5本目。ロングターン。上体は立てて、左右の切り替えをスムーズに。内足が落ち着かず、ばたつくなぁ。
2012年1月14日 8:30:48 Keitai Webから

6本目。人が出てきたのでショートターン。姿勢を高く、内倒しない・・・と意識はするのだが、多分出来ていない。ショートターンだとスキーを左右に振りすぎる。
2012年1月14日 8:36:46 Keitai Webから

7本目。ミドルターン?にしてみる。やっぱり板がぶれるな。姿勢も上体を被せてしまう。
2012年1月14日 8:41:10 Keitai Webから

8本目。ミドルターン。視線を遠くして上体を起こすようにする。
2012年1月14日 8:45:48 Keitai Webから

9本目。ショートターン。緩斜面だとまったくスピードが乗らない。
2012年1月14日 8:50:49 Keitai Webから

10本目の後は乗り合わせたおじさんと雑談でした。後で見たらインストラクターでした・・・。
2012年1月14日 9:03:12 Keitai Webから

11本目は自由に滑って、さて上に上がろう。
2012年1月14日 9:04:24 Keitai Webから

繋ぎのリフトはスローターン。板を揃えてゆっくり滑るのは、難しくてしんどい。こればかりは一人だとペースを作りづらい。さて、ゴンドラで上に上がろう。
2012年1月14日 9:15:38 Keitai Webから

ゴンドラ1本目。とりあえず自由に滑る。内倒していると、内側のパッドが雪を引っ掛ける。よくないなぁ。
2012年1月14日 9:32:58 Keitai Webから

上から下までスローターン。スピードとは裏腹にテンションかけっぱなしになるのでしんどい。
2012年1月14日 9:51:59 Keitai Webから

もう一度スローターン。プルークは下半身がしんどいが、こちらは上半身がしんどい。そういう滑り方って事だ。
2012年1月14日 10:12:24 Keitai Webから

さすがにすべてずらしてスピードをコントロールするのはしんどくなったので、適当におりまぜながら滑る。乗り場のお兄ちゃんに「結構回ってるんじゃないですか?」と声かけられた。
2012年1月14日 10:33:41 Keitai Webから

だんだん抑えがきかなくなって、ペースがあがってきたような・・・。
2012年1月14日 10:51:29 Keitai Webから

スピードをあげると下半身がしんどくなる。時々アウトエッジが引っかかるのが気になるところ。さて、そろそろ終わりが見えてきたかな。今日は12時まで。
2012年1月14日 11:13:55 Keitai Webから

人が増えてきたのでペースを落とす。で、上半身の負担が増える。足元に余力が残るので不安定感はないけど、それでも後半はふらつくな。
2012年1月14日 11:33:02 Keitai Webから

少しペースをあげてみたが、多分次の滑走が最後であろう。
2012年1月14日 11:50:10 Keitai Webから

今回は1本滑って1ツイートとしていたので、数えれば下の緩斜面で11本、つなぎの中斜面を1本、ゴンドラのロングコースを9本滑った事になる。まぁまぁのペースだろう。午前中で切り上げているので、筋肉痛なども少ない・・・疲労はあったようで、この日は早い時間にうたた寝をしてしまったが。

今回はやや迷いつつも165cmの短い板を持っていったのだが、ツイートを読みながら振り返ってみると、次回は以前使っていた長い方の板にしてみようかと思ったりする。ポジションの確認や板をずらす感覚などを確かめるにはサイドカーブがきつくない方が良い。
今月は最後の土曜日の28日はすでに予定があるので、この週末の21日になるだろうか。


さて、この日の午後は翌日の府中の練習に備えて譜読み。まだ譜読みという段階に近いが、実家の練習用の部屋が寒い(なかなか暖まらない)上に、親指を多用するハイポジションの曲のため、指が痛くなる。手を抜いて楽器を運ばず、サイレントチェロで済まそうとした事も影響して、時間はかけてもあまりしっかりした練習はできなかった。

冬場の練習は、実家ではどうしても冷えすぎる。何か良い場所を確保する事を考えた方が良いかもしれない。やはりカラオケボックスになるだろうか。

そして日曜日は府中の練習の後、粒谷区立管弦楽団サジタリウスが主催するアンサンブルコンサート「粒あん!!」を聴きに行く。アマチュアの「室内楽の」コンサートは実はあまり聴きに行った事がない。3部構成の長丁場のうち、第2部の途中から入ったのだが、多少の遊びの要素も交えつつ、楽しく聴く事ができた。

印象的だったのは、クラリネットアンサンブルによる「ルーマニア民族舞曲」と、オーボエアンサンブルによる「運命」だろうか。どちらも編成に合わせた編曲をしているのだが、こういう事はあまり府中ではやらない気がする。もっとも、オーボエ10本なんて普通のオケでは自前で揃えようがないのだが。ただ、「チェロ12本」ならその気になればなんとかなるわけで、本当はもっとそういったことをやった方が良いのだ。

・・・と、演奏会を「聴きに」いくとそういったテンションがあがってくる。微妙な話だが、プロよりもアマチュアを聴く方が何かやりたい、という気持ちにはなりやすい。なんとなく自分にもできそうと思ってしまうからだろう。実際はそんな簡単な話ではないのだが。


そんなこんなで週末は楽しんだのだが、今日は(多分)残業の予定。残業は「終わらないからズルズルやる」ものではなく「見積もり作業時間の超過分を想定し、予定した上でやる」事が最低限の心構えだと思うのだが(やらせる側でも同じ)、正確に見積もりはしていないが今日は流石に超過しそうな気配がある。

一方で、こうやって心構えをしておくと、意外と通常時間内で終わる事もある。そんな事をやや期待しつつ、会社に向かう事にしよう。

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2012年1月13日 (金)

平河町ライブラリーですごす時間

昨日も平河町ライブラリーへ行ったのだが、いつもメールの対応にばかり追われてしまうのを、着手の順番を変え、それぞれの時間もある程度区切ってみた。なんだか仕事みたいだが、そうやって回していかないと上手くいかないということもあるのだろう。

特にメールは、その気になれば時間を無制限にかけられてしまう。相手の事情を考えれば考えるほど、細かい所まで注意するようになり、その分時間がかかるのだ。乱暴なようだが、自分の都合だけで書くぐらいの心構えの方が良いのかもしれない。電話だって、自分の時間的都合を押し付けるものだし、そもそもコミュニケーションにおける「発信」というのはそういうもののような気がする。

さておき、昨日はしばらく溜まっていた書類の整理もできたし(もっともこれも「平河町で」やる事としては高コストには違いない)、多少ながら本を読む事もできた。CSRレポートを読んでアンケートに回答し、考えた事をブログに書く事もできた。書類整理はさておき、それぐらいできなければ、せっかくの平河町ライブラリーの利用がもったいない。

本に関しては、一冊を通読するのは諦め、時間を区切って途中まで読む事にする。気になったセンテンスをevernoteに書き写し、それを栞として、次はそこから読むのだ。ある人からの質問でハッとなったのだが、せっかくあれだけ様々な本が読み放題なのだから、活用しないのはもったいない。乱読すると割り切ってしまえば、短い時間でも読む事ができるだろう。

CSRレポートを読むのも、実際には読む事自体ではなく、考え発信するためのインプットになる。そもそもそれほど読み込んでいるわけではなく、セミナーで話を聞くとか、こうしたレポートを読むという行為自体が、考えるためのスイッチになっていて、実は全く違う事を考えてしまっている時もある。いずれにせよ、KMを担当した時代にKM日記があったように、CSRを担当するならCSR日記が必要だ。もっとも、担当になった直後はかなりのペースで書いていたので、単にその昔の勢いを取り戻す、という言い方もできるのだが。

さて、そうは書きつつ、今日は平河町ライブラリーではなく、明日のスキーの準備を優先しなければ(笑)。大体新年に立てた目標が頓挫するのは、スキーのない時期の時間の使い方だからできるような計画を立てて、スタートダッシュで挫折してしまうからだったりする・・・。

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2012年1月12日 (木)

非専門家を育てる

昨日は日本フィランソロピー協会の定例セミナーに参加した。同協会の会長である浅野史郎氏による講演で、タイトルは「「いのち」の原点に向き合った社会づくりの在り方」というもの。

ATL(成人T細胞白血病)を発症し、2年の闘病生活から復帰した浅野氏の話には迫力があった・・・のだが、それはそれとして印象に残ったのは「非専門家をいかに育て増やすか」という話だろうか。

例としてあげていたのは、毎日犬の散歩をしているおじさんに、散歩の時間帯を「子どもたちの登下校の時間に」変更してもらうという働きかけだ。そのことにより、地域による見守りの体制を一つ充実させると同時に、おじさんには社会への役立ち感を獲得してもらう、というもの。
こうしたおじさんのような「非専門家」を増やすのが、「専門家」の役割というわけだ。自ら見守るというの方法ももちろんあるが、それだけでは限界がある。そこで周囲を巻き込むということが必要になってくるという訳だ。

会社の従業員に(従業員に限らないが)ボランティア活動を促す、というのは、この「非専門家」を育てるイメージに近い(というか、それを想定して話されたのだろうが)。本人の大きな負担とはならない範囲で、非専門家としてボランティアに関われる接点を作る。もちろん、それをきっかけにより深く入り込んでもらっても良いのだが、まず必要なのは最初のきっかけだろう。

その後の懇親会では、プロボノも同じようなもの、という話があったのだが、自分の「普段やっていること」を専門領域として捉え、その対象をちょっとずらしてやることで、別のことに活かすと考えればまったくその通りだ。「自分の専門領域」というとちょっと構えてしまうが、「いつもやっていること」と考えればハードルは下がる。どう結びつけるかはアイデア次第で、そういったところにこそ「専門家」としての視点やスキルが必要になってくるということだろう。

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2012年1月11日 (水)

簡潔に簡素にやり取りする

会社の「仕事」に関しては、比較的時間の区切りをつけている方なのだが、オケの「仕事」に関しては、ほとんど区切りなしでやってしまっている自分にふと気づいた。

仕事、という意識自体が弱いのかもしれないが、メールを返信に時間がかかり、とにかくダラダラ感がある。余計なことを考え、余計な一言を加える。簡潔に簡素に返すという意識が薄く、とにかく情報を盛り込もうとする。

会社の仕事では極力やらないようにしている事だ。これができないというのは、少々問題があるような気がしなくもない。仕事ではないのだから、と考える事も可能だが、単純にコミュニケーションの基本と考えてもあまりよろしくないかもしれない。

一つ注意点として考えられるのは、とにかく一度にバトンを渡してしまおうとしないという事だろう。自分の場合は、投げられた問いに対してレスポンスを返すメールが多いのだが、ここで「あれもこれも」と余計な事まで考えてしまっている傾向はある気がする。

一度で済ませたい、と思ってるのだが、それが逆効果になっているような感じだ。問いかけへの答えなのだから、YesかNoかで答えれば良いのだが、「Yesだけどこうですね」とか「Noなのはこうだからです」とか、余計な追加をしてしまうのだ。もちろん全く不要とまでは思わないが、そのボリュームがよろしくない。なんというか、言い訳感が漂っていたりする。

もっとも、自分としては「このように考えて結論を出した」というプロセスを明らかにして記録しておきたい、という気持ちもあるのだ。そうしないと、その時なぜそのような結論を出したのか、自分でも忘れてしまう事がある。このブログもそうした気持ちで書く事があるが、考えた事を記憶しない傾向がある。多くの場合は次回も同じように考えて同じような結論に至るので問題は少ないのだが、「前がこうだったから」というのをあまり覚えていないのだ。
(何か意見を言う際に、なるべく本音をそのまま出すようにしているのはそのためで、タテマエでやり取りしてしまうと、前回の「タテマエ」はまず忘れてしまっているため、発言が非常に脈絡のない内容になってしまうのだ。)

とはいえ、相手にとっても迷惑な話であろうし、自分にとってもあまりリソースを割きすぎるのは良くない。時間はある程度区切って、短時間でやり取りできるように心がけよう。

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2012年1月10日 (火)

2012初滑り

この三連休は、中日にオケの総会と新年会があったのだが、それはさておき、新年会が意外と深酒をせずに終わったので昨日は初滑りに行ってきた。と言う訳で少し振り返り。ちなみに行ったのは富士見パノラマ。

1本目。まだ踏ん張りがきかない。
12年1月9日 - 8:23

2本目。ずらしたプルークターン。ポジションは悪くない。
12年1月9日 - 8:28

3本目。テールを押し出すプルークターン。ぎこちない。
12年1月9日 - 8:32

4本目。トップを落とすプルークターン。内足がぶれる。
12年1月9日 - 8:37

5本目。ワイドスタンスのパラレルターン。外足に乗りきれず角付けで曲がってしまっている。
12年1月9日 - 8:42

6本目。オープンスタンスのウェーデルン。テールを振りすぎ。
12年1月9日 - 8:46

7本目。カービングターン。斜度が足りないので次はコース変更。
12年1月9日 - 8:50

8本目。深回りのカービングターン。まだ乗りきれず。
12年1月9日 - 8:55

9本目。ショートカービングターン。ウォーミングアップはそろそろ終了。
12年1月9日 - 9:00

10本目。フリー。楽しくなってきた。次はさらに斜度をあげるか。
12年1月9日 - 9:05

11本。ゴンドラで上がる事にする。
12年1月9日 - 9:16

あいかわらず良いロケーションだなぁ。コースの荒れ具合もあいかわらずだけど。
12年1月9日 - 9:21

3kmのロングコース。軽めに流してもノンストップだと息があがって膝が笑うな。
12年1月9日 - 9:37

3本滑ってそろそろ一休みかな。
12年1月9日 - 10:18

さて今日は何時まで滑るかな。何か午前券でも良かった気がするが、一日券を買ってしまったしな。
12年1月9日 - 10:42

しかし考えてみたらこうして休憩をしているところに年齢を感じるな。
12年1月9日 - 10:48

さて、もう少し滑りますかね。
12年1月9日 - 10:48

滑っていて時々上半身が硬直している事に気づいた。かなりの確度でバランスが崩れる上、美しくない。常に動き続ける意識が必要だ。
12年1月9日 - 11:06

今回はそこそこスムーズに動けたかな。ただ上半身に足がついてこない。ノンストップだとテンションかけっぱなしになるからなぁ。
12年1月9日 - 11:25

コース上に人が増えて滑りにくい。レッスン組が食事に入る前に食べてしまうかな。
12年1月9日 - 11:48

だらだら滑るのも楽しいのだが、シーズン始めな訳だしもう少し基礎のトレーニングをしておくか。
12年1月9日 - 12:30

でもプルークターンが一番きつい。
12年1月9日 - 12:49

ワイドスタンス。やはり外足に乗りきれない。スキーの性能で簡単に曲がりすぎる。
12年1月9日 - 12:55

プルークでしっかり外足に乗るのって難しいんだよね。
12年1月9日 - 13:02

ストックを使わずにショートターン。腰を落としすぎる。もっと高い位置にキープしなければ。
12年1月9日 - 13:07

ストックを腰の後ろに保持。いまいち。
12年1月9日 - 13:12

ツイート忘れてた。ストックというより上半身の動きがターンのきっかけ作りとしては重要な訳だ。
12年1月9日 - 13:25

そろそろ終了だな。決めた課題のポジションをキープできなくなってきている。これで終わりにしよう。しかし一人だと1日滑れなくなってきてるな。
12年1月9日 - 13:31

雪を払うブラシを忘れてきたので、溶けるまでしばしティータイム。
12年1月9日 - 13:48

途中から本数をカウントしていないのだが、緩斜面のリフトが15〜6本、ゴンドラが7〜8本ぐらいだっただろうか。初滑りということもあるが、耐久力は落ちている気がする。一人で滑る場合、休むことがないということもあるのだろう。とはいえ、本来もっと「力を使わずに」滑る方法というのもある訳で、無駄に力を使ってしまっているという事かもしれない。

今シーズンは年末の事故でスタートが遅れてしまったのだが、どれだけ行くことができるだろうか。昨日はこちらの帰り際に来場してくるお客さんなども見かけたのだが、今の半日滑走ペースであれば、無理に早朝から出かけるのではなく、朝はゆっくり来て午後から滑るという方法もある。そういえば、会社の寮にいた頃は、午前中オケの練習に出た後、午後からスキー場に行った(ナイターまで)こともあった。

今のスキーに対する姿勢は、色々なコースを滑って楽しむというよりも、ひとつのコースでひたすら基礎練習みたいなパターンが多いので、実はそれでも十分なのかもしれない。近場で午後&ナイター可能なスキー場でも探しておくかな・・・。

土曜日に行く場合、楽器の練習もしなければならないということもある。昨年多かったのは、早朝から出かけて、午前中目一杯滑り、午後帰ってきてから楽器の練習するというパターンだ。これを逆にして、午前中楽器の練習をした後にスキーに・・・というのも悪くはない。(少なくとも朝は楽。)

それにしても、そろそろ新しい練習プログラムが欲しい。年末年始に師匠(と勝手に呼んでいる人)の指導を受けられるチャンスもあったのだが、身体が完全に回復していなかったのと、オケの総会準備もあったので行けなかった。今年一度くらいは・・・とも思うが、今の自分についていけるかははなはだ不安な上に、大体スケジュールがあわなかったりする。

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2012年1月 6日 (金)

企業とのCSRコミュニケーション

コミュニケーションの本質は「いかに相手に伝えるか」ではなく、「いかに相手から引き出すか」にあるのではないか・・・そんな事を考えた。

ほぼ日手帳にあるメモはこうだ。

コミュニケーションの本質は、情報や本音を「さらす」事ではなく「ふせる」事、そのふせられたカードを探り、想像するためのやりとりにあるのではないか?であればそれは、発信側ではなく、受信側のアプローチがなければ成り立たない。

ようするに、相手に伝えたいこと、が起点ではなく、相手に聞きたいこと、が起点ということだ。仮に「伝える」からスタートしたとしても、それは「聞く」ための手段という事になる。

そしてこのように考えると、企業とステークホルダーとの「CSRコミュニケーション」はどうあるべきか、というのが、別の視点で捉えられてくる気がする。「企業が伝えたいこと」は何か、ではなく、「ステークホルダーが聞きたいこと」は何か。あるいは「企業が(ステークホルダーに)聞きたいこと」は何か、という捉え方だ。

株主総会やIRミーティングにおいて、ステークホルダーである株主や投資家が企業に「聞きたい」ことは明確だ。だからこうしたコミュニケーションは、彼らの思惑にそって企業が発信することで成り立つ。アニュアルレポートなどは、企業による発信だが、それは「聞きたい」投資家の要求と圧力によるもので、企業が「伝えたい」ことなどではない。

商品やサービスを通じたコミュンケーションにおいても、顧客の「聞きたい」ことはかなり明確だ。マーケットインとはつまるところそういう事だろう。プロダクトアウトは企業発信かもしれないが、それは企業側から顧客に「(あなたはこれを望んでいないかと)聞きたい」ということであって、「(これを使ってくれと)伝えたい」とは少し異なる。

では、CSRにおける「聞きたい」とは誰によるどのような要望だろうか。

これが見えにくい気がする。企業の発行するCSRレポートにアニュアルレポートのような統一性がいまいち見られないのは、そこに原因があるのではないか。GRIやISOといったある程度の指標はあるにせよ、範囲が広すぎてそれらを網羅することはもうコミュニケーションとは呼べないし、そもそもそうした発信を「わかりにくい」という、どっちが主体なんだか分からないような意見まで出てくる始末。

「伝えたくない(その必要を感じない)」企業と「聞きたいことがない(何を聞いたら良いか分からない)」社会が無理やりコミュニケーションをしようとしている・・・そんな気がしてしまうのだ。

実はCSRと一緒くたですべてを捉えてコミュニケーションをしようとするのではなく、個別の分野毎にコミュニケーションを重ねていくアプローチが必要なのかもしれない。

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2012年1月 5日 (木)

オケのテンションと仕事のテンション

あけましておめでとうございます。

新年初日の更新からiPadの調子がいまいちで、iPhoneでエントリーを作成中。キーボードがあればそういう事もまぁ不可能では無い。

・・・と、そんな事を書いている間に復活したのでここからはiPadで。下書きに使っているDraftPadがiCloud経由で同期をしてくれるようになったので、こんな芸当ができたりする。

さて、昨日まで休みだったのだが、昨日は一日中平河町ライブラリーで府中(オケ)の総会に向けた資料の作成などをしていた。で、それに関連して本当は関係する人たちにガンガン連絡をとりたいのだが、さすがにそれは迷惑だろうという事で、なるべくメールは1日1通以下で済ませるようにしたいと考えている。

・・・考えているのだが、それが結構難しい。それだけで連絡が後手に回る。あるいは一度の連絡内容が膨大になる。

仕事では正直あまりそういう状態に陥った事がない。まぁ何度も連絡する事を遠慮しないということもあるだろう。勤務という形で時間を共有しているからだ。オケの場合はそうはいかない。

それにしても、あれもこれも連絡しなければ、という状態になるのは何故だろう。昨日の帰り道にそんな事を考えた。仕事ほど共通の認識がないから?やり取りがそもそも少ないから?

・・・結論としては、単に自分がそれに投入しているエネルギーが大きいからだろう、という結論になった。自分がやらなければと(勝手に)考えている領域が大きい。おそらくはそんな事はしなくても回っていくのだろうが、そうではないと思い込んでいるのではないか。

で、反省としては、仕事でそこまでの状態にならないのは、実はあまり良い状態ではないよな・・・という事だったりする。オケはオケでその状態でもそんなに問題はないと思うのだが、仕事でもその程度のテンションはあっても良い。というか、あるべきだろう。

さて、そんなわけで(とりとめないのだが)、今日はちょっと早めに会社に行く事にする。ま、一時的に熱狂したとかではなく、部署で会社周辺の清掃をしよう!という事になっているから、ではあるが(笑)

今年もよろしくお願いします。

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