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2012年2月17日 (金)

大企業病を振り返る

昨日の続きを書こうと思ったが、昔書いたものを引っ張り出してきたら、何度か書いていて思ったよりボリュームがあった。2003年に書いたものだが、とりあえず今日はその内容を振り返ることにする。(社内公開を前提としたものなので、一部そのまま出すのはまずい部分は割愛もしくは修正している。)


人事異動への関心と大企業病(2003/08/27)
昨日社内の知り合いと飲んで、人事異動の話で盛り上がる。
こういった事への関心と大企業病は比較的リンクして論じられることが多い。いわく、組織に興味を持つ前に仕事に集中するべきであり、組織に無用な関心を持つのは大企業病だ・・・。

昔は確かにそんなことも思っていたのだが、最近はこの考え方を簡単に首肯できない。組織への一定レベルでの興味は、特に大組織であればあるほど必要だ。

社内にどのような名前と機能の組織があり、そこにどういったメンバーがいる、というのは、知る必要のない事だろうか?そうは思えない。
会社の一員であるという事は、会社の代表でもあるのだ。
自分の会社の組織構造を説明できない人間に代表たる資格はあるか?
ない。

以前にも書いたことがあるが、中小企業の場合は、説明の必要がなかったり、わざわざ興味を持って調べるほどの規模ではないので、こういったことは必要ない。
この段階でそういった事に余計な興味を持つ人間は、確かに仕事に集中するべきだろう。

いや、正確には大企業であっても、組織よりも仕事に集中する必要はあるのだ。これは当たり前だ。問題は、それだけではなくて、組織に対する情報もきちんと知っていなくてはいけない、ということだと思う。

では組織に必要以上の興味を抱いてしまう「大企業病」とは一体なんなのか?

昨日盛り上がりながら考えたのは、そういった人事や組織の情報を社員に対して伝えるという機能が働いておらず、社員1人ひとりが自分の才覚で情報を得なくてはいけないような状況こそが「大企業病」ではないか?

例えば、ある意味だらだらと人事異動が行われる事こそが大企業病の病巣であり、社員にそういったことに興味を持つなという前に、そういったことにわざわざ興味を持つ必要がない人事異動の仕組みが必要ということではないだろうか?評価制度云々の前に。

あるいはわざわざ調べたりしなくても、だれにでも分かりやすい組織構造にすることこそが必要であって、分かりにくい組織構造を作っていることこそ大企業病なのではないだろうか?

大企業病というと、どうもその組織の構成員に問題があるかのような議論が多い気がするが、実は組織の側にこそ構造的な問題があるような気がしてならない。

今日決まったら、せいぜい2週間後には異動が完了し、余計な調整なしで異動は即決するような組織構造にこそして欲しい。それができないのが大企業病であり、それに振り回されて仕事に集中できない社員こそいい迷惑のような気がしなくもない。


当時の「日記」は掲示板スタイルだったので、この日の投稿には意見が寄せられている。
それに答えたのが次の内容。


大企業病と職制伝達(2003/08/29)
先日の「人事異動への関心と大企業病」にこんな返答(質問)をもらった。

あまり重要性を感じないのに組織の名前が変わるというのは大企業病なのでしょうか。

答える、というのもおこがましいが、おおよそ次にように考えている。

「重要性」というものの捉え方にもよるが、「大企業病」というものは少なくとも組織の規模の拡大に伴って発生するもののはずである。であれば、大企業病として問題にするべきは、名前が変わることの重要性が「末端にまで伝わらない」ということだろう。重要性を感じないとはそういうことだ。

特に組織が大きい場合、逆説的にいうなら組織名を変えるというだけでも単なる「思いつき」では発生しにくい。意思決定に携わる人間が多いから、変わるまでのプロセスの中になんらかの変更の理由があるはずなのだ。

その変更の理由を「重要性」と捉えれば、それがきちんと隅々まで伝わらないというのは明らかに組織が大きくなったことによる弊害だろう。
その結果、伝わらない側が「憶測」で話を進めてしまったり、重要性を感じないと受け取ってしまうようになる状態を、大企業病と考えるのがよいのではないかと思う。

こういった現象は、組織の拡大時に「(物理的に)伝えきれない」という形で発生してくるものではないかと思う。組織が大きくなれば、情報伝達効率はどうしても落ちるからだ。
本来はそこで何とか対策を考えなければいけない。
ほおっておけば、世代を重ねるうちに、やがて「伝える必要はない」に意識が変化してしまうからだ。なぜなら「伝えきれない」状況においては、その状況さえ伝わらないから、伝えられる側はそうは受け取らず、「伝えられていない」と受け取るからである。

職制伝達というのを語るときに「情報のフィルタ」の役割をあげる人間がいるが、そう考えると間違いであることが分かる。職制伝達にフィルタの役割なんてないのだ。本来フィルタというのはたばこのフィルタに代表されるように「有害な」ものを取り除くためのものである。上層部が発したメッセージに「有害なもの」が含まれているとでもいうのだろうか。

職制伝達という伝言システムは、10を伝えたい上層部が、実際には1のメッセージを発するだけで、末端にはきちんと10で伝わるという効率性を追求したシステムの筈である。
それがきちんと働くことが大企業が大企業として動くための方法だ。
逆に言えば、これを誤解して「10をかみ砕いて1にして伝える」なんて運用がされている場合は、間違いなく大企業病ではないかと思う。


この一連の投稿の少し前にも、大企業病について書いている日があった。
多少補足しておくと、全社の掲示板で「社内メールで相手に様をつけるのは大企業病ではないか」という議論が持ち上がった時のものだ。(当社は互いを肩書きではなくさん付けで呼ぶのを基本姿勢にしている。)


大企業病(2003/07/08)
大企業病の話題が盛り上がって(?)いる。
本来ならそちらに書くのが筋だろうが、ちょっとまとめておく。

実は「様」をつける気持ちは分からなくもないのだ。それも一部の人に対してだ。おそらく自分でもつけることはある。

一つは、会話ならともかく、文字では「様」のほうがまだまだおさまりが良いということだ。これはそう感じている人は多いだろう。
正直、文頭で相手に呼びかける際に「さん」は使いにくく感じることはある。

「さん」には、「さま」よりも砕けたイメージがあるというのもある。
プライベートでも「さん」と「さま」を使い分けることがあるが、より親しい人には「さん」を使いやすい。初めてメールをするような相手に、いきなり「さん」は使いにくい。

実は、大企業病の本質はここにあるのではないかという気がしている。
単にバカ丁寧にするとか、考えないということではなく、「知らない相手」だから「様」を使ってしまうのだ。
確かに同じ会社の相手かもしれないが、顔を合わせたこともなければ、話したこともない相手に呼びかけるのに、いきなり「さん」は使いづらい。

なんのことはない。「様」をつけられるというのは、自分が丁寧に扱われているのではなく、相手にとって知らない相手だ、ということを突きつけられているのと同じなのだ。

中小企業では、こういったことはまずあり得ない。
しかし、大組織では構成員が互いに互いを知り合う機会というのは極端に制限されるから、こういったことも起こり得てしまうのだ。

ただ、だから中小企業のような人間関係を見直そう・・・ということには、正直な話無理を感じている。そんなことは物理的に無理だし、そんなやり方が大組織でも通じるなんていうのは、ただのかけ声にしかならない。

おそらく大企業には大企業のやり方があるのだ。大企業病を直すには、大企業(大組織)であることを認めた上で、それに適した処方を捜すのが第一であって、大企業を否定して中小企業の良さを懐かしんでもだめなのだ。

「さん」と「様」の問題でいうなら、自社の「さん」文化は、中小企業時代の良き遺産で、「互いに良く知った家族的な間柄なんだから」という発想の延長にある。この発想の先に「さん」があるということは、逆に言えば「家族的な間柄」でなければ「様」ということなのだ。
だから、物理的に「家族的な間柄」を維持できなくなった時に、社内で「様」が流通するのは、むしろ当然といえる。互いの関係があってこその「さん」であり、「さん」があるから互いの関係がある訳ではないからだ。

今は、昔とは違った「さん」文化を考え出す必要があるのではないかと思う。
同じ会社やグループ内での仲間意識を保つというのは、そういうことではないだろうか。


という訳で、長くなってしまったため、今日はここまで。

一言だけ書いておくと、大企業病には「変わってしまう」という症状と「変われない」という症状があり、前者は顕在化して比較的見えやすいが、後者は潜在化して見えにくく、より厄介ではないか、という事だ。

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