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2012年3月30日 (金)

使わないけど役に立つ

昨日はiPadの必要性について考えてみたのだが(大げさ)、ガジェットという事でいうと、微妙なものは他にもある。例えば最近はほとんどEdy決済用と化しているdocomoのN04Bなどだ。

このN04B、ほとんど使っていない。そもそも電話をほとんどしないのに、2台目の携帯しかもガラケーなんぞをなぜ持っているのか、というガジェットではある。

が、役には立っている。かかる費用に比べてどうかという点はさておき、自前で通信手段を持たないiPadやMacBook Airを、Wi-Fi環境がない所でネットに接続したい場合に、この携帯のモバイルルーターとしての機能(ようするにテザリング)が役に立つのだ。

実際のところ機会は少ない。少ないだけに使う時というのはある種ギリギリでどうしても必要な時、という事になるため、「(普段)使わないけど役に立つ」という事になるのだ。モバイルルーターではなく携帯なので、いざという時の電話としても使える。(というか、一部こちらにかかってきてしまう電話もある。)

iPhone(SoftBank)が圏外になってしまう、という時にも微妙に役に立つ。新しいiPadをWi-Fi+4Gにした場合、iPhoneを新しくするタイミングでauに替えようかとも考えているが、複数の通信手段を持つというのはそうした圏外リスクの回避にもつながるはずだ。

通信費・・・の問題についてはあまり考えないようにしていて、正直父親の所に置いているモバイルルーターも含めると、月の通信費は結構なものになるのだが、ようはどちらを取るかという話だろう。今は端末の月賦も乗っかっているため、少々高く見えるという事もある。

さて、このN04Bは今後どうするべきだろうか。購入時に比べるとWi-Fiが使えるスポットも格段に増え、最近は滅多に出番がない。先に書いたような緊急時(例えばそれはドライブ中に道端に車を止めてどうしても何かをしなければならなくなる、といった状況だ)の用途は残っているが、iPadを4Gモデルにすれば、そうした事はさらに減るだろう。MacBook Airに関しては、ほぼWi-Fiがある所に腰を落ち着けて使うからだ。(そもそもMacBook Airは「作業主体」の際に持ち歩く事が多く、通信環境はなくても目的は果たせるケースが多い。)

最近、会社の携帯電話も持ち歩く事になってしまったため、流石にiPhoneとあわせて3台を持ち歩くのは無理だな・・・とも感じ始めてしまったN04B。さて、どうしたものだろうか。

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2012年3月29日 (木)

新しいiPadか、iPhoneか

新しいiPadは基本的には買う事にしているのだが、予約までする気はないため、店頭に出回るまではしばしの待ち状態。というわけで待っている間に少し別の可能性も考えてみる。

「欲しい」という欲望は別として、そもそも必要かという問題だ。

例えば、今日のブログの原稿はiPhoneで書いている(iPadは持ってきているので、意味がないといえば意味がない)のだが、ココログにはiPhone用のアプリもあるし、キーボードさえあれば実はそれほど大きな問題はない。
同様の理由で、セミナーなどでメモをとるといった事も、多少画面や文字が「小さい」といった問題を除けば、必ずしもiPadでなければいけないという事はないのだ。
(もちろんキーボードがない場合は全く別で、そういう意味ではキーボードがない持ち歩いているからこそそういった発想が出てくるのだろう。)

実際のところ、iPadの大画面(iPhoneに比べてだが)を利用する場面というのはあまりない。ビデオなどを見る場合はもちろん良いのだが、それとて常にあるわけではない。であれば、普段使いはiPhoneに集約して、必要な時だけiPadを持つという選択もありうる。その場合、何も新型である必要はないし、そもそもそうやって特別に持ち歩くならMacBook Airでも良いのだ。

そう考えるiPadというのはかなり物欲の領域で(というか自分の持ち物の大半は物欲だが)、もしかしたらもう一度購入を考え直した方が良いのかもしれない。ましてやiPhoneの次世代の仕様によっては、本気でiPhoneだけでも良いという事になる。

もっとも、そうなればiPhoneの側にも求めるスペックというのが出てくるのだ。

まず間違いなく切り替えるだろうと思うのは、新しいiPhoneに128GBモデルがラインナップされた場合だ。この場合、音楽データをほぼすべて入れる事が(多分)できるようになるため、その影響は大きい。現在iPadには、半分に圧縮する形で大半の音楽データを入れているのだが、これは「手持ちの音楽」のデータベースの性格が強い。時々持っている事を忘れて買ってしまう曲があるからだ。
(つまり今のiPadは、iPhoneに入りきらないデータのストレージという性格が実は強いという事になる。もちろん、ストレージだけならiPodでも良いわけだが、それだけではあまり意味がないのだ・・・iPodの場合は一覧性の問題もあるが。)

ビデオについては、個人視聴はiPhoneで十分だが、他人にも見せるとなるとiPadの方が便利だろう。時々使うのだが、PCのようにキーボードもないため、回して観てもらうのに最適なのだ。だがまぁこれは今のiPadでも十分で、新型では解像度が高すぎて逆に元の映像データが問題になってしまう気がする(今のiPadでも、iPhone用にエンコードした映像では逆に荒くて辛い事がある)。

もう一つはバッテリーの問題で、とはいえそうなると予備のバッテリーパックのようなものは必需品になってくるだろう。それはそれで済むといえば済む話だ。

あとはいくつかのアプリだが、正直にいえば現在「iPadでなければ」ならないアプリはほとんどない。一つ挙げるとすれば、最近購入した音楽編集ソフトで、これはiPad専用しかなく、しかも第一世代ではやや力不足という問題を抱えている。正直これだけのために購入しても良いといえば良いのだが、であればWi-Fi+4Gの64GBなどである必要はなく、Wi-Fiの16GBでもOKなんて話になるかもしれない。

うむむ、やはりこういったエントリーを書いてしまうと、「あまり必要ない」という結論になるな。
とはいえ、身の回りのスリム化を図るのであれば、どうしても外せないiPhoneを軸に集約を図った方が良い訳で、iPadが購入できるようになるまで、しばらくそんな環境を模索してみても良いような気がする。

買いたいモノというのは、絶対に必要なモノとは限らないのだ。

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2012年3月28日 (水)

「非営利」の定義

もう一つのブログ用のネタかとも思ったが、ちょっと立て込んでいるので・・・(こちらがネタなしともいう)。

今年の日経流通新聞MJのCSR(というか社会貢献)への力の入れ方は半端ない気がするのだが、3月23日付の特集でNPOの定義が紹介されていて、ちょっと目を引かれてしまった。
一般的な説明のあとに、このように続けていたからだ。

ただ、利益は将来の活動のための貯蓄や投資に回さなければならず、株式会社のように配当という形で分配することは法律で禁じられている。


突っ込むかどうかはさておき、これが面白い考え方だと思ったのは、この定義にそえば「将来のための内部留保」が多いと批判されがちな日本企業は、その時点でかなり性格がNPOに近い、ということになるのではないかと思ったからだ。

そしてその一方で、多くの人が考える「NPO」とは、そもそも「利益を得ない」組織として捉えられてしまっているだろう、とも。

これは、海外のNPO/NGOの考え方とはかなり違う。なんでも海外と比較すれば良いというものではないが、極論するとこのようなずれがあることにならないだろうか。

海外でいう所の「利益を配分する」会社=日本には存在しない
海外でいう所の「利益を投資する」NPO=日本でいう会社
海外には存在しない「利益を得ない」概念の組織=日本でいうNPO

会社が日本に存在しない、というのはもちろん言いすぎだが、では「利益の配分」を最大の目的にしているか、と問われて首肯できるだろうか。多くの会社にとって、株主への配当は投資を得るための手段であって、それが目的という事はないのではないか。

出資者へ配当が企業の最大の目的であり、存在意義・・・と考えると、それだけで良いのか、というCSRの思想が生まれてくるのは、わからなくもない。利益の配分を出資者だけでなく社会へも行うのが社会貢献であり、利益を得るために他を犠牲にしてはいけないというのが、労働慣行や環境といった領域への配慮が求められる理由だろう。

一方、「NPO的な」日本の企業の場合はどうだろうか。求められる配慮は一緒だが、利益の「配分」という点ではやや違いが生じるような気もする。そもそも配分を大きな目的に抱えていないからだ。「利益を得る」と言った時に、それを「財産として自分の内部に蓄積する」ものではなく「外部に再配分する」ものだと考える人はどれだけいるだろう。しかし、株式会社でいう利益とは突き詰めればそういう事で、財産でもなんでもないのだ。

とはいえ、必ずしもそれが問題というわけでもない。むしろ社会における位置づけとしては良好という捉え方もできる。問題となるのは、その定義に押し出される形で、NPOが「利益を得ない」組織として認知されてしまっている点だ。今後企業がCSRを推進する事で、NPO的な性格を強めるほど、反動としてさらにNPOが追いやられてしまうといったリスクも考えられる。

また、逆の側面では、では「配分」を担うプレイヤーは誰か、という問題もある。公(官)が担っている側面もあるが、本来それを私の側面から補完していたのが民間企業だと考えれば、そうした機能がまったく失われてしまうのは、それはそれで好ましくない。株式投資は、本来民間における富の再配分機能を担うのだが、そうした機能の弱さは従来から指摘されている通りだ。

そういった意味では、日本で必要なのは「企業の企業としての機能の強化」になったりするのかもしれない。まずは「利益」「営利」の再定義から始める事になるだろうか。

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2012年3月27日 (火)

ソーシャルメディアのパラダイム

ブログやSNSのようなソーシャルメディア上で、何らかのデマあるいは誤解に基づくような情報が発信されていたとする。それに対して「発信者としての責任」を問う姿勢は、本当にソーシャルメディアの時代にあった作法だろうか。

そんなことをふと考えた。

マスメディアに対する接し方としては間違っていないだろう。マスメディアは、情報の受信者を総体化して抽象的に扱う事で、受信者からの対等な形での反論やコミュニケーションを封じている。情報の流れが一方通行なので、上流である発信者が情報を「コントロールするしかなく」、だからこそ責任が問われる。

ソーシャルメディアにおいても、そうした作法が必要だろうか。必要かもしれない。だが、それはソーシャルメディアを「マスメディア化する」事にすぎないのではないか。マスメディアに進化するのが、ソーシャルメディアの未来だろうか。

ソーシャルメディアによる発信を、将来マスメディアとなるかもしれない卵(実際今のマスメディアもスタート当初は小さな卵だったはずだ)として扱うのか、まったく別のカテゴリのメディアとして扱うのかで、その辺りが違ってくるような気がしてならない。

ソーシャルメディアの時代に求められるのは、「発信者としてどうなのか」と相手の問題として指摘するのではなく、「それは違うと思います」と自分の問題として指摘する、という作法ではないだろうか。両者の違いは、前者が「間違いだから発信するべきではない」なのに対して、後者は「間違いだから反論する」である事だ。

もちろんこれはすべての発信に当てはまるわけではない。プライバシーの問題など、微妙な領域はあるだろう。ネットの情報は一旦発信されればほぼ削除できないため、発信には慎重であるべきというのはその通りかもしれない。それにそもそも、当人がそのつもりで発信していても、受け手がマスメディア的に受け取ってしまえばそれで終わりである。

それは分かるのだが、ではそこでマスメディア的に扱ってしまうのが良いのか、新たな何かを模索するのかでは違ってくるのではないだろうか。少なくとも、アーリーアダプターにはそういう方向への模索のような動きがあっても良いのではないか。

個人的には、ソーシャルメディアというのは、「誰もが発信できるようになる」という個人のメディア化ではなく、「路傍のやり取りが可視化される」事による社会のメディア化をさすのではないかという気がしている。マスメディアが特定の個からマスという集団への情報の流れであったのとは反対に、集団から個への情報の流れをさすのではないかという事だ。

それには当然、受け手の側でも身につけなければいけない作法というものがあるだろう。情報に対して責任を取れるのは個だけだと考えれば、個が発信者であるマスメディアの時代においては、責任を負うのは発信者であり、受信者は集団の一員としてその責任を追求すれば良い。
一方、個が受信者であると考えれば、発信者である集団の責任を問うても仕方がない。受信者が責任を負わなければならない。

プチマスメディアとソーシャルメディアとの間にはそうした大きな隔たりがあり、そうした意識変革があって始めて成立する概念がソーシャルメディアということはないだろうか。
「誰もが発信できる」事ではなく、「誰もが(すべてを)受信できる」所に、ソーシャルメディアの持つ本当のパラダイムシフトがあるような気がする。

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2012年3月26日 (月)

タスクの見直し

どうも最近諸々がグダグダになっている気がする・・・とブログに書いても何の解決にもならないが、一つ考えられる原因がないわけでもない(忙しさ、といった曖昧な概念を別にして)。

タスク管理用に使っているToodledoへのへのタスクの登録が中途半端になっているのだ。登録が中途半端で、次に何をしなければならないか、今後何をする必要があるかという事が整理されていない。

その原因を忙しさに求めてしまえばその通りかもしれないが、むしろきちんと整理されていないことが雑多な慌ただしさを招いている、と考えるべきだろう。その場限りの対処になってしまっているのだ。

Toodledoに関しては、1月末頃に一度登録ルールの見直しを行ったのだが、どうもそれが上手く機能していないような雰囲気がある。とはいえ、登録ルールの見直しといっても、コンテキストやタグの見直しで、実質的な使い方に変化はなかったはずなのだが、なんだか気持ちの中で登録をしていく作業が抜け落ちてしまったような感じだ。

もともと、1月〜4月頃までは複数の仕事(それも性格が異なる)が並行して進む期間で、優先して何をやるか、仕込みとして何をやるかの判断が難しい時期ではある。そこに中途半端に「やりたいこと」まで盛り込んでいるものだから、自分では自覚がなくてもややパニック状態にあるということなのだろう。

本来はそうしたパニックを防ぐためのタスク管理だとは思うが、まぁ今年のシーズンに関してはそのあたりが上手くいかなかったということだ。少しづつやるべきことが終わってきて、やや落ち着いてきた所で、振り返ってみたら「なんだかグダグダだ・・・」という感じだろうか。

という訳で、それをひきずらないようにリセットをしなければ。とりあえず一度しっかり時間をとってタスクの見直しをした方が良いだろうなぁ・・・。

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2012年3月23日 (金)

女性役員比率の比較の前に

少し疑問を呈してみる。断っておくが、こうした流れが気に入らないとか、そういったわけではない。

欧州委員会、上場企業に「女性役員比率4割」の義務付けを検討――下田屋毅の欧州CSR最前線(7)
http://www.csr-communicate.com/csrtopics/20120321/csr-25104

少し気になっているのは、こうした国では「役員」はどのように決まっているのか、という事だ。欧米の企業では、そもそも役員にせよ社員にせよ、役職に人があてがわれる形で決められており、「長く勤めて叩き上げで役員に登りつめる」ということが少ないのではないか、という印象があるからだ。新興国ではどうなのだろうか。

能力があれば、エレベーターで目的の階に一気に上がる企業と、エスカレーターで1階ずつ上がる企業とでは、やり方は全然異なってくるような気がしなくもない。女性役員比率はそれはそれで大切だが、そのバックグラウンドとして役員(ポジション)へのキャリアパスがどれだけ多様かという事が、実は重要ということはないだろうか。

叩き上げが9割10割を占める会社と、社外も含めた抜擢の比率が高い会社とでは、まったくアプローチが違ってくる。叩き上げ主義を返上するのであれば一気に比率を上げることも可能だが、維持するのであれば育成する所から始めなければならない。

政治の世界もそうだ。現役の元で下積みを重ね、地盤を引き継ぐスタイルと、ポーンと誰でも立候補できて対等に争う環境とでは、変化を促すためのアプローチはまったく違ってくるだろう。

そういう意味では、ジェンダー意識だけの問題ではなく、キャリアパスの多様性を高めるような課題提起が必要な気がする。

こうした話が出た時の(日本)企業の反応は「現在育成中で時間がかかる」「女性のキャリア意識にも変化が必要」といったものだろう。これは単独のキャリアパスを前提としたものに思える。前者はもちろんだが、後者も結局は「今のキャリアパスに合わせた意識」変化を求めるものだからだ。

そうではなく、男性も含めて「どうやったら役員になれるか」というルートがどれだけあるかという議論が必要な気がしてならない。ジェンダーの問題にしてしまうと、どうしても「女性を優遇するのか」という反発が生まれやすいが、そうではなく、男性も含めた登用ルートの多様性といった議論で進めていく事はできないだろうか。

もちろん、そうして検討されるルートが「たまたま」女性に有利であっても、それは「従来ルートは男性に有利」とバランスをとるものとして、全然構わない話である。

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2012年3月22日 (木)

震災のがれきをどう処理していくか

このブログも最近は個人名が特定されているので、やや扱いづらいテーマなのだが・・・。

震災がれきの広域処理の受け入れについて、徳島県の対応が(多分一部でだと思うが)話題になっていた。

がれき受け入れ、徳島県の説明が核心を突く(ゆかしメディア)
http://media.yucasee.jp/posts/index/10685

ソースへのリンクがなかったので、探してみたら、一部表現を変更したらしい。

目安箱に寄せられた提言と回答
http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652

こうした回答をきちんと公開している徳島県の姿勢には好感が持てる・・・が、ちょっとひっかかってしまったのは、では結局震災がれきの放射性セシウムの濃度はどの位で、徳島県ではどこまでなら受け入れると考えているのか、という事だ。
(国の基準がいい加減だから・・・というのは、批判や提言の理由にはなっても「受け入れない」理由にはならない。)

で、震災がれきの放射能濃度についてはこんなのを見つけた。

宮城県内における災害廃棄物の放射能濃度測定調査の結果について
http://www.pref.miyagi.jp/press/pdf/111125-5.pdf

確かに、多くの市町村で100ベクレルを超えているようだ。ただ、高い所でも1000ベクレルは超えておらず、国の基準である8000ベクレルには程遠い。

少し気になったので、伊勢崎市も調べてみた。ちなみに「伊勢崎市 処分場 1800」で検索したら、徳島県の回答の話題ばかりヒットして肝心のソースが出てこなかった。

で、ホームページで探すとこれ。確かに1800ベクレルを超えている。

焼却灰の放射性物質の測定結果について
http://www.city.isesaki.lg.jp/data/seisou/sokutei0.pdf

ただ、伊勢崎市は被災地の震災がれきを受け入れていた訳ではないので、これはあくまでも地元での話になるだろう。


さて、冒頭に戻るのだが、徳島県が「どの部分を」修正したかまでは分からないのだが、かゆしメディアと比較すると、最後の3段落が、かゆしメディアにはない事が一見して分かる。これが意図的なものか、後から追加されたものかは不明なのだが、実は結構重要な事が書かれている気がするのだ。

もちろん、放射能に汚染されていない廃棄物など、安全性が確認された廃棄物まで受け入れないということではありません。安全な瓦礫については協力したいという思いはございます。 ただ、瓦礫を処理する施設を県は保有していないため、受け入れについては、施設を有する各市町村及び県民の理解と同意が不可欠です。 われわれとしては国に対し、上記のような事柄に対する丁寧で明確な説明を求めているところであり、県民の理解が進めば、協力できる部分は協力していきたいと考えております。


「安全ながれきであれば協力する」
「だが県ではなく市町村と県民の理解と同意が必要」
「国の説明と県民の理解が進めば協力する」

国の基準に対して異を唱えているのであれば、何を安全と考えるかの提示が必要だろう。それが県民の理解と同意であれば、県民はどう考えているのかが提示されれば、被災地はどうやったら受け入れてもらえるかを考える事ができるのだが、実際にはこれは「一見協力するとみせた否定」に近い。


個人的には受け入れ容認派ではあるのだが、受け入れないという判断は判断であって良いとは思う。ただその場合に「別のこんな形で(震災がれきの処理について)支援します」という代案の提示は難しいのだろうか。

現地を一度ならず見た経験からいえば、がれきの処理について何らかの支援は必要だとは思うのだ。広域処理に「反対」ではなく、ではどうやって処理するのか、それに対して域外からどのように支援するのか(現地に封じ込め後は国にお願いします、ではなく)という視点で語られないものかな・・・などと考えてしまった。

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2012年3月21日 (水)

春分の日のスキー

・・・を堪能して参りました・・・。

さて出発。明るい時間に出るというのはやや出足的に遅いような気もするが、今日はとりあえず関越方面に向かってみる事にする。サエラ、丸沼など沼田ICか、草津パルコールなど軽井沢かどちらかだな。
2012年3月20日 5:38:49 HootSuiteから

軽井沢から鬼押出しを抜け、パルコール嬬恋にやってきました。しかし、この時間で駐車場がこの状態って・・・いや空いてるのは助かるけどね。
2012年3月20日 8:38:48 HootSuiteから

ハッピーデーとかで一日券が2500円。通常4200円なのでかなりお得だけどコースはガラガラ。今日はのんびりハードに滑れそうだ。
2012年3月20日 9:06:30 HootSuiteから

一本目は何も考えずにロングクルーズ。この程度のコースだともう一本の長い方の板がいいなぁ。
2012年3月20日 9:29:41 HootSuiteから

二本目もロングクルーズ。やや内足を意識してみるが、まだ不安定な感じ。ただ、今日は見晴らしも良くてバーンもフラットなので、自分のポジションを意識しやすい。
2012年3月20日 9:52:01 HootSuiteから

山頂からのルートが何本かあるので、その都度別のコースで楽しめる。大体似たような感じではあるけれども。
2012年3月20日 10:12:22 HootSuiteから

意外と風が強くてリフトでは寒い事が判明。ゴンドラで良いかなと思うが、一人づつ乗るって贅沢すぎる・・・。
2012年3月20日 10:36:02 HootSuiteから

ショートターンを取り混ぜてみる。一気に降りてくるとそれなりに脚に負荷がかかるな。内足に乗るのはまだ不安定感がある。もう少し突っ立った姿勢の方が良いのかな・・・。
2012年3月20日 11:05:56 HootSuiteから

お腹空いてきた。降りてご飯だな。レストハウスは下にしかなさそうだ。
2012年3月20日 11:27:49 HootSuiteから

いつもの土曜日ならそろそろ帰る事になるのだが、今日はもちろんまだまだ滑れるのである。素晴らしい!(時間があるのも、飽きてないのも・・・)
2012年3月20日 12:03:45 HootSuiteから

さて、そろそろ午後の部スタートといきますかね。
2012年3月20日 12:37:55 HootSuiteから

コースマップにある最長コース4.5kmを一気に降りる・・・とリフトだった。内足に乗るのは相変わらず不安定感極まりないのだが、面白いように前へ前へとスキーが走っていく。今回はまあまあ上手くできたのではないかと思うのだが、しかし確認のしようがないのだ。
2012年3月20日 13:32:03 HootSuiteから

不安定感にもちょっと慣れてきた?ここ1〜2回天候やバーンコンディションに苦労したので、その辺りのストレスがない今日はとても自分の状態をモニタリングしやすいのだろう。この調子この調子。
2012年3月20日 13:53:13 HootSuiteから

後ろから無理矢理こちらの前に回り込もうとして、追いつけなかったからって、声あげて威嚇するんじゃないよ。あんたが遅いだけじゃないか。しかも、狭い所に突っ込んでくるからこっちは減速しなくちゃならないし。
2012年3月20日 14:22:41 HootSuiteから

今日はもう何本でも滑れる気がする。楽しい。とても楽しい。でも今シーズンはこれで終わりかもな~。
2012年3月20日 14:43:25 HootSuiteから

流して滑るつもりでも途中から気合が入ってくる。それにしても人が減ってきた。ゴンドラの乗り場に誰もいない。まぁここから帰るのは遠いからねぇ。
2012年3月20日 15:05:20 HootSuiteから

さて、もう1〜2本という所だろうか。人が少ないと高速で滑ってもリスクが低いので、とても楽。バーンは多少荒れたけど叩かれて吹っ飛ぶほどじゃない。こういうスキーは久しぶりな気がする。
2012年3月20日 15:30:11 HootSuiteから


最後が尻切れトンボな感じなのは、ネットワークにつながりにくくなってしまったからだが、土曜日を雨で断念した分はしっかり楽しめただろうか。今回は翌日にオケの練習が控えている事もなく、スキーだけに集中できた。コンディションが良かったので、しっかりチェックできたことも大きい。

新しい技術に関しては、自分だけではチェックのしようがない。教えてくれた当人ともう一度滑る機会があれば良いのだが、またしばらくは会えないだろう。当面はセルフチェックでイメージを創り上げていくしかないのだが、個人的にはなんとなく分かってきたような気もする。(出来ているかどうかはともかく。)
ただ、ロングターンは良いのだが、ショートターンに関しては多分消化できていないだろう。

さて、とはいえこれでとりあえず今シーズンは終わってしまっても良さ気な感じになってきた。4月に入ったら基本的に行かないため、行けるのは後は今週末の土曜日のみとなる。(3月最後の週は別に予定がある。)
天候次第という感じだが・・・バーンコンディションが悪い所で滑ってイメージを崩してしまうのもいまいちな感じなので、このあたりで手を打っておいたほうが良いのかもしれない。

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2012年3月19日 (月)

団内アンサンブル大会

土曜日のスキーは雨で断念してしまったのだが、かわりに楽器の練習ができたので良かった。
で、昨日は府中の団内アンサンブル大会。飲みながらのやや気楽な会なのだが、ぶっつけ本番でフォーレのピアノトリオを演奏する。

もちろん、お互い事前に譜読みはしているのだが、合わせるのは初めて。正確にはバイオリンとは合わせる事ができたのだが、ピアノが入っていないので良く分からない箇所が多数。せめて事前にそろって一度くらい機会があれば感覚もつかめるのだが、それもなし。少々というか、かなり乱暴なアンサンブルの試みではあったのだが、まぁ何とか止まらずに演奏できた。
(はっきりとは分からないが、途中で一度ずれていたような気がする。それをどこかで持ち直せたのは良かった。)

とはいえ、そうした緊張感も含めて楽しい体験だった。いやぶっつけが良いという訳ではなく、少人数のアンサンブルには、大人数のオケとはやはり違った楽しさがある。個人的には弦楽四重奏のように弦楽器だけでなく、ピアノや管楽器のように別の音色が含まれるアンサンブルが好きなのだが、次は何をやろうかとか考えてしまう。
(ブラームスのクラリネット五重奏という話が・・・。)

もちろん、ミニクラシックコンサートのようなステージで本番となると、もっとしっかりした練習は必要だし、そもそも今回だって弾けていない所は多々あるのだが(特に最後はぐだぐだだった)、春になってスキーに行かなくなれば練習の機会も増える・・・はずだ。
(そもそもミニクラシックコンサートは、冬の開催で練習があまりできない時期という個人的事情がある。)


そんな冬のスキーだが、そろそろ今シーズンも終わりが見えてきた。行けるとすれば、後は明日と今週末の土曜日だけだ。明日行くのであれば、今日のうちに準備をしておかなければならない。とはいえ、翌日に備えた楽器の練習が必要な土曜日に行くのと違って、1日フルに滑っても問題はないため、多少遠くでも良いというメリットもある。

さて、どうするか。そして何処へ行くかな。

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2012年3月16日 (金)

企業が信頼を勝ち得るために

経済広報センターが発表した「第15回生活者の“企業観”に関する調査」。面白そうなので読んでみようと思うのだが、朝の時間で読むには少々長い。

詳細は読んでからという事で、サマリーについてなのだが・・・
http://www.kkc.or.jp/release/detail.php?page=1&year=2011&id=72

企業が信頼を勝ち得るために重要なのは、「安全・安心で優れた商品・サービス・技術を適切な価格で提供する」が86%

いや、それは当たり前だし大雑把すぎるし・・・・と思ってしまったのは自分だけだろうか。
せめて「安全・安心」「優れた」「適切な価格」は分割して、どこにもっとも重点をおくのかを分かるようにして欲しい。調査としてはきちんと分割してあるのであれば、こんな大雑把な要約はやめて欲しいよ・・・。

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2012年3月15日 (木)

大震災のあとに

昨日は「大津波のあとに」「槌音」という2本の映画を観てきました。
セットで上映された映画で、どちらも東日本大震災の被災地を映したドキュメンタリー。監督は「大津波のあとに」が森元修一氏、「槌音」が大久保愉伊氏。渋谷のオーディトリウム渋谷で、今週16日までの限定上映です。

「大津波のあとに」の冒頭は、延々と続く津波に押し流された大地の光景。発災後2週間なので、道路以外の瓦礫は残されたままです。6月8月に自分も被災地を見ていますが、その時とはまた違った景色。仙台から東松島、石巻への道程で、見渡す限り遮るもののない世界の映像は、どこか現実感がありません。

そのまま、こうした映像が続くかと思ってしまいましたが、途中からは現地の方々へのインタビューが入っています。その多くは、実際に身内を亡くされている方々。これは、勇気のいることだな、と思いました。一方で、自分が逆の立場だったらどう反応するだろうか、とも。

それでも、最後に登場した若い男性が、「(話した事が)少しでも役にたてば」と話していたのが印象的でした。


一方、大槌町出身である大久保監督による「槌音」は、過去自らが撮りためた故郷の映像と組み合わせながら、現地の様子を伝える作品。こちらも発災後2週間で、瓦礫の撤去などはほとんど行われていない状況で撮影されたものです。

ほとんど被災後の人の姿は登場せず、過去の映像に映る人たちと、言葉は適当ではないかもしれませんが、廃墟となった被災後の様子との対比が衝撃的です。「槌音」とあるように、過去の映像における「音」を、時折現在の風景にかぶせることで、その場所で何があったのかを強く印象づけます。

発災前の現地をよく知るからこそ作れる作品なのでしょうが、一方で撮影や編集はそうとう辛かったのではないかという気がしました。実際に大久保監督はお祖父さんが津波に流されてしまったそうです。


「大津波のあとに」には、(この現場を)見て欲しいと語る声がいくつか収められていました。
そう思っている方だからインタビューに答えたという事もあるのでしょうが、見て感じるだけでも、今後のための大切な経験となる気がします。

奇しくも昨日、千葉沖で地震があり、久しぶりに緊急地震速報の警報音が携帯から流れました。
映画を観終えてカフェでブログを書いている最中で、ちょっと手を止めたのですが、心構えはしつつも、そのまま揺れがくるのを待つ自分の姿勢に、本当にそれで良いのだろうかとも感じてしまいました。

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2012年3月13日 (火)

内足主導のターントレーニング

昨日はいつもとは少し違うエントリーをしたのだが、ちょっと戻って土曜日のスキーの話など。2週間前に新たな技術をレクチャーしてもらった後、初めての「自習」だ。

内足主導でターンをしていくというのは、体感的にはとてつもなく不安定な感じがして落ち着かない。それまで外足にガッと乗っていたのを内足にする事で、どっちつかずというか、どちらにも踏み込めていないような感覚になる。足の裏が雪を掴んでいる実感がなく、自分がどっちの方向に進んでいくかもままならない感じだ。

加えてターンの要となる内足の外エッジが時々雪面を引っ掛けて、躓くような感じになる。従来の外足の内エッジ(ややこしい)ほど自由度が効かず、リカバリーも遅れてしまう。そもそも、外足の内エッジであればコントロールできていた事が、内足の外エッジではままならない。

エッジが引っ掛かるのは、スキーのサイドカーブ以上に曲げようとするからだ。外足の内エッジでコントロールしていた頃は、そこで少し荷重を外に逃がし、角付けを弱くしてエッジをずらす事で、事故を防いでいたが、内足の外エッジではそこまでの芸当ができない。できるようになるのかもしれないが、今はまだそこまで慣れていない。

一方で、内足主導は、はまった時のターンのスムーズさが従来の比ではない。文字通り何の抵抗もなく曲がっていく気がする。何の事はない、それは「スキーの性能通りにターンをしている」という事で、必ずしも自分がコントロールした結果ではないのだが、従来のターンでは「自分でコントロールできるがゆえに」板の性能を殺していたのではないか、という気にさせられる。

ターンの時の不安感はそのままに、板だけはスムーズにターンをしていく・・・というのは、感覚的な爽快感はイマイチな感じなのだが、実はスノーボードなどはそういったものかもしれない。

過去の乏しい経験では、スノーボードはそもそもが「不安定な」状態を楽しむものだと感じている。だからこそスポーツと言えるのかもしれない。スキーの持つ安定性は、自分にとってスポーツではなく「日常の移動手段」の延長的要素を感じさせるのだ。

そういう意味では、内足でのターンは、自分にとってスキーのスポーツ性を高める要素という事になるのかもしれない。

さて、とはいうものの、雪質が悪くなってくるこれからの時期に、この技術を磨く(というか「確認する」)のはかなり難しい。まだ自分の中で形が固まっていないのに、技術だけでなくバーンコンディションにも気を使わなければいけないからだ。土曜日はかなり湿っぽい雪が降り、バーンもおそらく少し前には雨もあったのではないか、という雪質だった。

もちろん最終的にはそういったコンディションに関係なく滑れる必要があるわけだが、滑り方をチェックしようという時にこれはきつい。せめて自分の中で「これだ」という納得が得られるまでは、練習のためにフラットで乾いたバーンがあると良いのだが・・・今シーズンに行ける残りの回数も含めてかなり難しいのは確かだろう。

3月最終週の土曜日は予定が入ってしまったし、4月以降は基本的にオフシーズンになる(自分にとっては)ため、休みを取らない限り残るは今週末土曜日の17日と春分の日の20日のみだ。17日は翌日の団内演奏会に備えて練習をしておきたいという気持ちもある。

さて、どうしますかね。

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2012年3月12日 (月)

被災者であり支援者である

昨日で発災1年となった東日本大震災。
366日目にあたり、先週参加したピースウィンズ・ジャパンの東北復興支援トークライブで聞いた話について書いておく事にする。
(とはいえ、内容自体は社内向けに発信したものだ。ほぼ週に一度、震災支援関係の情報をイントラネットの掲示板に投稿している。なお、内容について当人に再確認はしていないため、細部において聞き間違いや記憶違いがある可能性がある。)


今回は、少し重い話です。

火曜日に気仙沼市の教育委員会の方のお話を聞く機会がありました。

その方は、あの日車で外出をしていて、発災12分前に事務所に戻っていたそうです。

「ちょっと時間が違っていたら車ごと津波に巻き込まれていたかもしれない」
と話されていました。

津波に流されそうなおじいさんに、遠くから声をかける事しかできなかったという話を聞きました。
津波を逃れて家の屋根にあがり、水がひかずに降りれないまま、寒さで亡くなった方の話を聞きました。

その方はその話を、翌朝泥だらけの状態で避難してきた人から聞いたそうです。
「どこの屋根に2人、あそこの屋根に3人、5時ごろまでは動いていたけど、来る時に声をかけたら返事がなかった。伝えたぞ!伝えたからな!」
避難してきたその人はそれだけ言ってその場にうずくまってしまったそうです。

それでも、自分は亡くなった人を見ていない。本当の修羅場を見ていない。だから話せるのだ、と言っていました。

2週間前に、「初めて話をする事ができた」という人の話をしていました。
同僚が当時遺体の確認作業をしていたことを最近まで知らず、知った時に声をかけたら「思い出したくないので、その話をしないで欲しい」と言われて反省したと話していました。

会場からは鼻をすする音が所々から聞こえました。

気仙沼では、学校にいて津波の犠牲になった子どもは一人もいなかったそうです。
でも、その日休んでいた子ども、下校途中の子ども、親が迎えに来て一緒に帰った子どもたちの中には、被害にあった子どももいたそうです。

岩手県では、こうした時にはたとえ親であっても子どもを引き渡さないと決まっているらしいと話していました。
押し問答の末、親と帰らせてしまった学校の校長先生は、「あの時帰らせてしまって本当に良かったのか」と、今でも後悔しているそうです。


一方で、こんな話もありました。

避難所で一人3枚のビスケットを配っている時に、一度配ったはずの人が手を伸ばしてきて、反射的に身構えてしまったそうです。

でもその人は「3枚と言われていたけど、4枚取ってしまった」と返しにきた人でした。
その方は、自分がその人を一瞬でも疑ってしまった事をとても恥じていました。

800人の避難所で、毛布が足りないと話した時に「それを何とかするのが行政の仕事だろう!」と怒られ、こう言ったそうです。

「私を責めるならいくらでも責めてください。でも毛布はありません。今なら近隣の家には残っている物もあると思います。私を責めるのと、みなで手分けして集めるのと、どちらにしますか」

結果として、800枚の毛布が集まったと言っていました。


その方は、ご自分の経験や感じた事を、一人でも多くの人に伝えるべきだと思いました。

上司に相談したら、「呼ばれる限り、どこへでも行け」とあと押しされたそうです。

沖縄の学校から呼ばれた時は、自費で行ったそうです。
インドネシアのスマトラ沖地震の被害を受けたアチェに招待され、6000人を前に話したこともあるそうです。

この日の翌日も、横浜と東京の3か所で話をすると言っていました。

この方は、伝えたいことは「命の大切さ」なのだと話していました。

防災教育は大切だが、何故大切なのか、何のために防災するのか。

その根っこにある命の大切さを伝えたい、と話していました。

そして、今できる事は何だと思いますかと、話を聞く子どもたちに尋ねるそうです。

「何があったのか忘れないでください」
「思いは必ず通じると祈ってください」
「今生きていることに感謝してください」
「そして自分は何をすべきか考えてください」

「でも、何をすべきか考えるというのは、もう一度募金をしようといった話ではありません」
「今、被災した人たちに感じたのと同じ気持ちで、隣にいる人を大切にしていますか?」
「生きるというのは、自分と、すべての人を大切にすることです」

・・・そんな話をするそうです。

最後はこんな締めくくりでした。

あの震災では、みなさんも心に大きな傷を負いました。
東北にはいなくても、あの震災を経験したみんなが被災者なのです。
そして同様に、一人ひとりが支援者なのです。

ありがとうございました。

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2012年3月 9日 (金)

iPhoneから更新

ちょっと思いたって、今日はiPhoneでブログを書いてみる事にする。キーボードがあればそれほど難しい事ではない。以前はこうしたモバイルデバイス+キーボードで書いていた時期もあるのだ。うむ、懐かしい。

思いたったは良いが、ネタはない。とはいえ今日は時間もあるので、CSR日記で昨日の続きを書く時間に当てる事にしよう。

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2012年3月 8日 (木)

市民によるCSR活動評価報告会

新しいiPadが発表されて、このiPadでブログを更新するのもあと少しかなどと思いつつ、まだ2年は使っていない訳で、デバイスの進化は早いな・・・と考えたりもする。

さておき、昨日は「CSRを応援するNPO・市民ネットワーク」が主催する「市民によるCSR活動評価報告会」に行ってきた。一昨日の震災復興トークライブの件はまだ自分の中で受けとめきれていないので、先に昨日の内容で感じたことなどを書き連ねておく(ただ、内容的にはCSR日記に書くべき内容かもしれない・・・)。

詳細はさておき、気になっているのは冒頭で紹介された全体の傾向。
以下の3点が挙げられたのだが、とりあえず突っ込んでおく。

1.内需型、生活密着型の企業ではまだまだこれからの分野が多く、グローバル企業では情報開示が充実
2.企業が伝えたい情報と市民が知りたい情報にはギャップがある
3.一覧性、比較性にかける

1.については、その通りの傾向はあるだろうと思うのだが、逆にいえば市民の側の要求がそうだから、という事もできる。個人的に気になっているのは、日本では環境対応に関しても企業側が社会全体の関心に先行して取り組んできた歴史があり、結果としてそうやって企業が先回りをしてしまう事で、市民が「育たない」という事態が生まれやすいのではないか、という事だ。

これは「お上」意識にも通じるものだが、市民が受け身になってしまわないようにすると考えると、企業はあえて「尻を叩かれるまで」放置するという選択肢もある気がする。実際にはある程度の段階で動いてしまうのだろうが。

もう一つ、ふと気になったのは、情報開示が進んでいるというグローバル企業にとっての「市民」って誰だろうか、という事だ。何のため、「誰のため」に情報開示をするかと考えた時に、グローバル企業にとっての「市民」と、内需型企業にとっての「市民」は全く違う(国が違うとかそういった話ではなく)のではないか。内需型企業にとっての市民は、ほぼ消費者と重なるのだが、グローバル企業に情報開示を迫っている「市民」は本当に消費者だろうか、という事が気になった。

グローバル企業に情報開示を迫っているのは、政治家に対するロビー集団(それは政治家を選ぶ選挙民「ではない」)のようなものなのではないか。だとしたら、それに応える事が本当に正しいかどうかはどのように判断されるべきだろう。


2.の情報ギャップについては、その通りだとは思うのだが、それは別に企業と市民の間だけでなく、個人同士でもそうで、すべからくコミュニケーションとはそれを埋めるためにあるのではないか、という気がする。

そしてそのように考えた場合、知りたい事があるなら「伝えられない」と嘆くのではなく、「これが知りたい」と聞くしかない。「伝えるべき」と他人事のように言うのではなく、「教えてくれ」と求めるしかない。そうやって、相手から情報を引き出さなければならない。

コミュニケーションにおいて「相手に伝える事」は、「自分が言いたい」事だ。「自分が聞きたい」事は、「相手から引き出す事」であり、だからこそ様々なコミュニケーションのテクニックがあるのだ。

「自分が聞きたい」事を、相手に「お前から伝えるべき」と求めるのは、実はその時点でコミュニケーションが放棄されているような気がしてならない。

もちろん、だからこそ今回のような形で「聞きたい事」をまとめる事には大きな意味がある。
だからなおのこと「こういった情報開示をしましょう」というものではなく「こういった情報を知りたい」という文脈を軸にすると良いような気がする。

コンサルタントのような第三者的立場であれば、「伝えましょう」で良いと思うのだが、市民という当事者であるなら「知りたい」としてその根拠を示す事の方が大切な気がするのだ。


3.の一覧性、比較性については、会場でも一部質問はしたのだが、イマイチ必要性が分かっていない。2.にも絡むのだが、1対1で相対してコミュニケーションをしようという時に、他との比較にどんな意味があるのか。相対比較のランキングではなく、絶対基準のレーティングで考えるのであればなおの事だ。

そこが、自分の中ではどうしても落ちていない。学者やコンサルタントが「客観的評価」として行うのであれば、比較の必要性は分かるが、その場合は比較の基準は彼らの側が用意してそれに当てはめて行うから価値があるのであって、比較対象の側で揃えよというのは何か変じゃないかという気がしてならないのだ。

もちろん、同一の土俵で勝負させるという意味で比較の必要な事はある。だがそれは、その個別の項目に対して語られる事であって、総論としていう事ではないような気がする。


よし、少々乗ってきた。夜時間が確保できたら、詳細の調査報告についても色々考えてみる事にしよう。(単なる時間切れという話もある。)

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2012年3月 7日 (水)

「旗を立てる」ための問題意識

昨日参加したピースウィンズ・ジャパンの東北復興支援トークライブは、とても素晴らしかった。テーマ的に「面白かった」というのはやや不謹慎な気もするが、とても考えさせられたのは確かだ。

・・・が、震災について語られた事を紹介するには、今日はちょっと時間が足りない。
単に会社で月一の清掃活動があるからだが、自分がどれだけ受け止められたかという点もやや不安がある。

なので、今日のところは手短に、イケダハヤト氏の話だけメモしておく事にする。

イケダさんのトークのテーマは「ソーシャルメディアを活用した、これからの復興支援のあり方とは」。これからの課題として「関心の低下」を挙げ、それを防ぐ為にどういった事がソーシャルメディアにおいてできるか、という話だった。

ポイントは3つ。

1.自分の言葉で情報発信する
メディアではなく「友達が発信した」情報の重みが、意識付けに最適であり、個人として震災に関する情報を発信していくこと、身近な人たちに伝えていく事が大切。

2.小さなアクションをしてみる
JustGivingやCollaVol、skillstock、READYFORなど、そうした「小さなアクション」をスタートさせるツールが数多く登場しつつある。

3.旗を立てる
自らの問題意識について、ソーシャルメディアで「これはおかしい」と声を挙げれば、ヒトモノカネが集まり、ムーブメントを生み出す事ができる。


その他、質疑応答で「ソーシャルメディアに関わる際に気をつける事は?」というものがあった。それに対する答えは、

メディア教育は必要だが、それほど心配する事はなく、それよりも潜在的ロスと機会損失を問題にした方が良い。活動の際には情報発信をする必要があり、それがセットとなってより大きな効果を発揮する。

という内容で、潜在的なロスと機会損失の話はなるほどと思いつつも、それを可視化できるかどうかで、今二の足を踏んでいる人たちを動かせるかどうかが決まってくるような気もした。


自分について省みるなら、情報発信はしていると言えるだろうが、アクションや旗を立てるといった事まではしていない。特に「旗を立てる」上では、自分が何を問題意識を感じ、それをどれだけ解決したいと考えているかが問われる。その根本的な部分に踏み込めていないのだ。
(震災復興支援云々の話ではなく。)

それは言い換えれば「自分は何をしたいのか」という事でもあるだろう。そんな事を改めて考えさせられたのだった。

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2012年3月 6日 (火)

目の前の事をこなしながら1ヶ月3ヶ月半年1年先の布石を打つ

・・・という事が、どうもできていないのだな、と最近よく感じる。


感じているなら、やれ。

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2012年3月 5日 (月)

父からの手紙

先々週のスキーについて、父親が手紙を送ってきた。スキー日誌滑走29日目って、どんだけ滑っているんだか・・・。夜のスキー談義では、(自分の滑りについて)今までの滑りとしてはほぼ完成型に近いと褒められていたらしい。嬉しいような気もするが、それは新しい滑りには対応できていないという事でもある。

とはいえ、書かれているメモは他人の視点ということで参考になる。この週末はスキーに行けなかったので、イメージトレーニングということで反すうしてみよう。

1.ターン始動期 内足主導、かかと荷重でターンし始めるのを待つところからスタート

内足主導でのターンは先日も書いた通り。かかと荷重にすると、自然にスキーは回りだすのだが、その時にかかとを押し出す動作をしてしまうと従来型の滑りになってしまう。どちらかというと軽い後傾姿勢になるという感じだろうか。

2.ナチュラルで、スキーをしっかり走らせた後に次のターンへ 以上プルークで

これはやや意味不明。ナチュラルというのはポジションの事だと思うが、左右に荷重を切り替える際のナチュラル(あるいはフラット)な状態のことであれば、そこから次のターンにむけてどちらへ荷重をシフトしていくかのほうが、今回の滑りでは重要なテーマの気がする。

3.⊃ or ⊂ を1ターンとするのでなく、∫までを1ターンとする意識

ムリヤリ記号を当てはめてみたが、以前(別の)インストラクターから「ターンというのは左右の荷重の切り替えのポイントのこと」と言われてなるほどと思ったのを思い出す。いわゆる左右に「曲がっている」時が重要なのではなく、そのつなぎの部分、荷重を切り替えるところが一番不安定で難しいポイントであり、そこをいかにスムーズにこなすかが、ターン全体のバランスを決める。

4.内足アウトエッジで雪をとらえ、しっかりスキーを落とす

これも内足主導の話。今回の滑りでは内足でターンをした上で次の内足に荷重を移すのだが、その際の意識の持っていき方ということになるだろうか。

5.ストックの持ち方と叩き方 突くのではない

従来ターンのきっかけとしてストックを突くというやり方があったのだが(そして多くの場合上級者ほどそれが身にしみてしまっているのだが)それは今回の滑りではなくなり、ほぼストックは固定になる。ただし、身体を内足側に傾けるために、「自然と」雪面を叩くようになる。
これは、前半に突いて、後半やめるという練習をしてみると違いがわかりやすい。

6.急斜面 かなり荒れているバーンでの小回り しっかり板を回し切る 板より先行する上体の途切れない動き

板を回し切るのが難しいのは、回り切るのを「待てない」ためだ。小回りは減速のテクニックでもあるため、つい待たずに踏み込んでブレーキをかけてしまう。ただ、そうなってしまうのはターンの始動が遅いからという事もある。内足への荷重移動を早くすれば、それだけ始動が早くなり、待つことが出来るようになる・・・はずだ。

7.二人組トレーン状態での小回り 自分とは違う相手のリズムで滑る 前を追いかけるより、後ろを意識しながら滑ることの難しさ

これは一人では練習しようがない。が、確かに他人の後ろについて滑ると、相手が上手くても下手でも練習になったりする。制限滑走もそうだが、自由ではなくある程度条件があった方が、色々と考えることにもつながるのだ。

8.緩斜面で フラットに乗り、様々な上体の移動で、スキーがどのような性能を持つかをチェックすべし

新しい滑りは、板の性能を最大限に活かす事に主眼を置いているので、板によって異なるターンの回転半径を把握するのは重要なポイントになる。どの程度の回転半径が、もっともずらしを発生させずに回れるかというのを意識する必要があるのだ。

9.緩斜面仕上げ(ラストで) 内足アウトエッジ外足インエッジでしっかりとらえ、スキーを落下させ 次のターンへとつなぐ

これもここまで書いていたことと同じだろう。基本的には上体を斜面側に落とすことで内足荷重にシフトし、スキーが回ってくるのを待つ、ということになる。

書いていて思い出したのだが、ターン後半、どうしても外足が遅れがちになるのを前に出す意識が必要とも言われた気がする。外足が後ろに引かれた上体というのはそれに合わせて腰も斜めになってしまっているということだが、腰の向きは常に進行方向に対して正対する必要がある。スキーの先端が斜めに揃う斜滑降というのは、従来型の技術ということだ。

さて、今週末はスキーに行けるだろうか。今日は雨のため、なんとなくテンションが下がっているのだが、ここで終わってしまうとせっかく教わったことがそのまま流れてしまうからなぁ。

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2012年3月 2日 (金)

独自基準の価値

先日Tweetしたのだが、某所で耳にした発言が頭の中にしこりのように残っている。

昨日耳にした話で考えさせられたのは、国などの公的基準がある中でそれをクリアすべく努力された原料を、自社基準ではじくのは調達姿勢としてどうなのか、という指摘。買い手の自由といえばその通りだが、例えばフェアトレードみたいな観点だとどう捉えるべきだろうか。
2012年2月29日 - 6:27 HootSuiteから

放射能にせよ農薬などにせよ、一定の規制値、基準値のようなものが示されている場合、当然生産者はその数値をクリアするよう努力する。むろん姿勢としてより低くといった努力はあるだろうが、それにしても基準値をクリアしているのであれば、商品として通用すると考えるのが妥当だろう。

それをより厳しい自社基準ではじく、というのは調達側、購買側の傲慢ということはないのか。

念のために断っておくと、その基準値自体が信用できないとか、そういった話は関係ない。基準値自体の議論は別物として行うべきことだ。ここで問題にしたいのは、「公平な取引」とはどういったものだろうか、というより一般的な話で、世間の基準とは異なる自社スペックの購買基準というものをどう位置づけるのかという話だ。

もちろん、それは「差別化」の一環ではある。そうしたこだわりや、そのための競争が品質を向上させてきたのも間違いない。基準値を単なる最低ラインと考えれば、より高い条件をクリアしている方を選ぶというのは、理にかなった選択でもある。

それは分かっているのだが、何か引っかかってしまうのだ。一定の学力に到達しないからといって、子どもを留年させればよいという議論のような、どことなく他人事のような乱暴さを感じてしまったのだ。

実は先の話には続きがある。そうしてはじいた場合に、生産者に対して何らかの保証のようなものは行うのか、という指摘だ。あるいはそういった「一緒になって取り組む」ような姿勢が重要ということなのかもしれない。高い基準を設けてはじくのは簡単だし、それをどうクリアするかは相手の問題としてしまうのも簡単だが、一緒になってどう解決するか、という姿勢があって初めて、自社スペックのような独自基準に価値が生まれるのだろう。

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2012年3月 1日 (木)

iPadからのメール返信

今週は月曜日に平河町ライブラリーに行けたのだが、一昨日昨日は飲み会という事で、プライベートのメールが溜まってしまっている。判断や意見を求められているものもあって、どうしても、というものはなるべく返信するようにはしているのだが、後はやや「お任せします」状態だろうか。

平河町は落ち着いてそういった作業ができるのが良いのだが、逆に使えない時との落差が開いてしまっている気がする。

もう一つはiPad(iOS)のメールから返信した場合の文字化けの問題が解消していない(というかこの問題はiOSというより相手方の問題なので解消しようがない)ために、返信がやや面倒ということもある。Gmailアプリを使って返信するようにしているのだが、ネットワークに繋いでいる必要がある上にやたらと動作が重い。

動作に関してはiPad1であるというスペック上の問題もあるとは思うので、そこはiPad3に期待しているのだが、正直な話せめてメールアプリを使いたい(それでも結構重い)ところだ。

さて、今日はカウントボランティアの予定で、これまた平河町には行きにくい(立ち寄る事はできる)。相手によってはメールからでも良い訳で、多少メールの返信をしておきますかね。

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