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2012年4月24日 (火)

税金や寄付金の使途に責任を持つのは誰か

今朝のプロントのモーニングのゆで卵はまだ温かい茹でたての半熟卵で最高だった。お店で茹でているらしく、時々そういうのに巡り合う。もっとも、一度生卵にも遭遇した事があるが・・・。(その顛末は以前書いた事があるような気がする。)

そんな話はさておき、本来は夜のブログ(と書くとやや卑猥だな)のネタに近いのだが、昨日今日と書く時間が取れそうにないので、こちらで書いておく。

CSRコンサルタントの安藤光展さん @Mitsunobu3 がこんな事をTweetされていた。

納税はCSRというなら、領収書の受領を一切せず、節税対策をしちゃダメでしょ。だって納税こそが「良きこと」なんでしょ?そして、更に、納税先の使用用途まで追わなきゃ。投げっぱなしは、責任を果たしていると言えないよね。 2012年4月22日 22:39:27 HootSuiteから


皮肉として書かれている事は承知しているのだが、そこをあえて突っ込んでみる(笑)

まず「節税」だが、脱税は問題外として、節税というのは言い換えると「厳格なルール通りの納税」の事だ。そうした面倒をかけなくても納税は可能(なぜなら受け取る側はその方が税収が増えるから文句をいう動機がない)だが、「正しく」納税をするという視点でみると、節税というのは至極まっとうな納税にすぎない。

そもそも良い事だから多ければ良い、というのは正しくないだろう。これは寄付や支援活動だって同じ事だ。納税を「良きこと」とする上で必要なのは、「正しく」納める事であって「たくさん」納める事ではないはずだ。(もちろん「正しく」かつ「多い」のであればその方が良いわけだが、「不正に」「多く」払う事が良い事とは思えない。)

後半はさらに気になる。納税者が納税者として使用用途を追いかけるのは、一歩間違えればロビー活動と変わらなくなるからだ。さらに踏み込むと、使用用途を云々するのが「納税者の義務」だとすると、納税者にしかその用途をどうこうする権利はない、という事にもつながりかねない。

思うに、「納税者の責任」というのは、納税をするところまでなのだ。その用途については、別の責任において監視される必要がある。これは切り分けて考えた方が良い。

「自分たちの納めた税金だから」その用途に注目する、というのは、極めて経済的な動機に基づいた「サービスと対価」の考え方に近い。自分はお金を払った、だからサービスを受ける権利があり、その内容について口を出す。その考え方は税金あるいは「公共」という考え方において、果たして正しいだろうか。

払ったか払ってないか、あるいはその額の多寡に関わりなく、税金の使い途には国民一人ひとりが責任を負っている。でもそれは「納税者の義務」ではないような気がするのだ。

(そしてこの考えを拡大して「税金」を「寄付金」に置き換えると・・・やや微妙な事になってくる。ただ、企業活動への監視が直接取引関係がない場合でも行われているように、NPOやNGOの活動に対しても、寄付をしているしていないに関わらず注目をする必要はあるのだ。「寄付をしたから」その用途を追いかけるものではなく、やはりそこは切り分ける必要があるのではないだろうか。)

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