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2012年4月19日 (木)

消費者市民教育のターゲット

昨日はFacebook上で呼びかけのあった「消費者とか市民とか教育について語る会」に参加してきた。テーマは大げさにいえば「社会を変える消費の仕方」になるのだが、そのために消費者はどうしたら良いか、という話になるだろうか。

懇親会もあったので、詳しい話の内容はすっかり忘れてしまったのだが、自分自身はこんな話をしていた気がする。

・買うという事は、全責任を引き受ける事。その後何が起きても、それは買った自分の責任。
・作り手の顔が消費者に見える事よりも、消費者の顔が作り手に見える事が重要。知っている相手の信頼を裏切れる人間はそうはいない。
・近江商人の「三方よし」は、ローカルな「互いに顔の見える」コミュニティにおける信頼関係が商売の前提にあった時代の話。近代以降の「顔の見えない」都市型コミュニティにおいては、信頼のメカニズムが異なる。
・エシカルは、消費における「動機付け要因」ではなく「衛生要因」。
・モノが作られるプロセスの情報が知りたい時に、その情報に金を払えるか。

さておき、個人的には「消費者」というセクターにとって必要なのは、生産などの他のセクターに身を置いている人間を「取り込んでいく」事ではないかと考えている。ダイバーシティにも絡むのだが、企業が従来消費者に位置付けられていた女性を、その位置づけには軸足を残しつつ「働く女性」として取り込みはじめた一方で、消費者の側は従来生産者に位置付けられていた男性を「買う男性」として取り込もうとしていない気がするのだ。
(ここでいう男女は分かりやすくするための方便で、実際には性別は関係ない。)

「働くお母さん」の半数近くが家事・育児をほぼ100%やっているなんてブログも見かけたのだが、「働くお父さん」の家事・育児参加をどう進めていくか、というのは、本来企業だけの問題ではなく「消費者」としても考えなければいけない事なのだ。

その際に重要なのは、おそらく「教育」だろう。「お父さん」が家事育児に参加できないのは、そもそもそうした訓練を受けてきていない事にも一因がある。就労のための「キャリア教育」は男女平等でも、生活のための「家事教育」や「買い物教育」はどれだけ平等にできているだろうか。

昨日の会では「消費者市民教育」という言葉が出ていたのだが、「教育」と考えた場合に、そのターゲットは「現在消費者である人たち」ではおそらくない。(もちろんそうした人たちに対しても何らかのアプローチは必要だが。)
「消費者予備軍」「現在消費者ではない人たち」こそが対象であり、その際に「何を教育するか」を考えるのが、「現在消費者である人たち」の責任なのではないだろうか。

Facebook上では「消費者市民教育」の「教育」という言葉に抵抗があるという意見もあったのだが、これは「消費者を教育する」と受け止めているからだ。そうではなく「消費者に育てる」視点が大切で、現在消費者である人たちに必要なのは、「(消費者としてそれ以外を)教育する側である」という自覚と責任感なのかもしれない。

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