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2012年4月23日 (月)

ブログを書くという事

このブログは2006年からスタートしているが、前身となっているのは2000年から社内で書いていた日記、いわゆるイントラブログがベースになっている。基本的にその頃からスタンスは変わっていないのだが、社内で書いていた頃と今とでは唯一大きな違いがある。

仕事の内容について、突っ込んだ話を書いていないのだ。

当たり前といえば当たり前なのだが、実はこの違いはかなり大きい。日々の仕事を話題にして書くというのは、その物事についての考えを整理する事につながるし、別のアイデアが生まれるきっかけにもなる。これは、抱えている案件について具体的に書けば書くほど効果が顕著になる。

ようするに日報と同じだからだ。違うのは、上司を対象にしていないという点である。

この「対象者を特定しない」という点も重要だろう。事情を分かっている上司ではなく、事情を知らない相手に対して、誤解を招かないように表現を選ぶ必要があるからだ。その蓄積は、確実に自分の考えをシャープにしていく効果がある。

そんなわけで、個人的に「イントラブログ」「イントラSNS(上での日記投稿)」には、単なるコミュニケーションの円滑化とかいった以上の効果があると考えているのだが、もちろんリスクもある。

オープンな発信である以上、社内であれ誤解を招くリスクは常にあるが、それだけでなく、これを書いていると何となく「仕事が進んでいる」と錯覚してしまうということがあるのだ。仕事を何らかのアウトプットと定義した場合に、書いて発信をするブログもそうであると錯覚しやすいのだが、これが危ない。

こうしたブログは、自分の意識を改めて言葉にして自らの脳に打ち込む作業、つまりインプットに近いものだからだ。

もちろん、マーケティングを目的としたようなブログの場合は別だが、そうしたものは「個人」の属性ではなく「部署」「立場」といった属性で書くものだ。逆にいえば、そうした目的で書かれるブログというのは、先述したような効果はほとんどないと考えていい。短期間で書き手が変わってもそれほど大きな問題はないし、長期間続けても本人へのリターンはほとんどない。
(自分でいえば会社のブログがそれにあたる。もちろんここでいう「リターン」は成長につながるといった内的なもので、マーケティング的なリターンの話ではない。)

で、最近の悩みはといえば、そうしたインプット(本を読むといった話ではない)ができていない事を感じる事だ。こうしたものは常に感じるようなものでもなく、実際ここしばらく感じる事はなかったのだが、最近はそういうインプットを脳が欲しているように感じる事が多い。

ぶっちゃけていえば「赤裸々に書きたい」という事だろう。モヤモヤした悩みのようなものを言葉として吐き出し、自分自身に楔として打ち込む作業。時としてそれで終わる事もあるし、次につながる事もあるが、いずれにせよオブラートに包んだような書き方をしていたら楔にはならない。

自分しか読めない日記ではダメだ。他人に対する楔として書くから、それが自分への楔たりえるのであって、自分しか読まないものでは単に飲み込むだけで終わってしまう。意識ではなく、環境をそのようにしなければ、楔は鋭いものにならない。


・・・だが、今はそうした場がないのだ。

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