« 消費者市民教育のターゲット | トップページ | ブログを書くという事 »

2012年4月20日 (金)

誤報の訂正がもたらすもの

少し前に「オルタナ」編集長の森さんに噛みついた(?)話(http://projectk.txt-nifty.com/enigma/2012/04/post-3050.html)を書いたのだが、その後このようなTweetをされていた。

他山の石としたい⇒ 朝日新聞おわびと削除…四国電力の記事に誤り : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://t.co/BiZhp1sk 2012年4月12日 23:12:48 Tweet Buttonから


指摘されている記事を朝日でも確認してみた。

〈おわび〉四国電力、点検怠った事実なし 記事に誤り
http://www.asahi.com/national/update/0412/OSK201204120020.html

森さんからは、「まともなメディアなら訂正する」とリプライをもらっていたのだが、実際このように訂正がされているという事なのだろう。とはいえ、以前書いたようにどれだけ伝わったかはまた別の話だ。

読売の記事によると、今回の件は、四国電力から抗議があったようで、HP上で反論もしていたらしい。これも探してみた。

4月9日付朝日新聞夕刊『火力発電自主点検怠る~四電・橘湾 原発停止で不足か』について
http://www.yonden.co.jp/press/kenkai/1174219_873.html

内容だけを読むと、読売新聞が書いているような「反論」「抗議」という感じではない。どちらかというと、報道の影響で問い合わせが寄せられる事に対する説明という感じだ。もちろん裏では広報部門が抗議をしていただろうが、それは表に出すような事ではないのだろう。というか、読売新聞がこれを「抗議」と捉えた感覚も興味深い気がする。


今回の件は、四国電力がこうした行動を取らなかったら、どうなっていたのだろう。膨大な数の記事を発信しているメディアにとって、何もないのにすべての記事を再検証するのは不可能だ。今はソーシャルメディアなどもあり、個人の発信力が高まっているから、誤報の可能性に気付く機会も増えているのだろうが、それがなかった時代は気づかなかったり、泣き寝入りしたりといった事があったのかもしれない。(取材を受けての記事なら当人はチェックするだろうが・・・・。)

また、物理的に配布された新聞を回収し、差し替えた訳ではない。生命に関わるような商品ではないからそこまでする必要があるとは思わないが、そうしたいと思っているのか、最初からそんな事は考えないのかについては気になる。先日別に書いた「狩猟民族は消費者か」ではないが、「提供者としてのプライド」のような部分はどうなのだろうか、などと思ったりもする。(もっとも日本社会ではこうした場合、隠す方にプライド意識が働いてしまったりするので厄介だが。)


先日のエントリーに戻ると、正直事前の検閲や添削があるべきとは思っていない。というか、無い方が良いに決まっている。むしろ問題なのは、「誤報の可能性もある」というスタンスで読者が接するかどうかだろう。無いに越した事はないが、それでも「あるべきでない」と「あるかもしれない」というスタンスの違いは極めて大きい。

訂正をきちんと伝えていくという事は、「あるかもしれない」という意識を植えつけていくという事でもあり、それは長期的にはリテラシーの向上をもたらす。メディアの報道に対して、視聴者側が一定の緊張感を持って接するのは、メディアにとっても決して悪い事ではないだろう。

事前のチェックをするという行為は、間違いは「あるべきでない」という姿勢に基づくものだ(流石にお伺いを立てる意味で事前チェックをしているという事はないはずだ)。それは長期的には視聴者によるメディアのチェック機能の低下をもたらす。実はそちらの方が問題なのかもしれないなどと考えたりもするのだが、メディア関係者はどのように考えているのだろうか。

|

« 消費者市民教育のターゲット | トップページ | ブログを書くという事 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/54515384

この記事へのトラックバック一覧です: 誤報の訂正がもたらすもの:

« 消費者市民教育のターゲット | トップページ | ブログを書くという事 »