« いいかげん | トップページ | いかに肩の力を抜いて弾くか »

2012年6月18日 (月)

プレゼンテーションとは想いを伝えることではない

先週に続いて土日の予定が詰まってしまい、今日は身体が回復していない・・・いつものことだけど。

それはさておき、土曜日はオレイユの練習前にセミナー(フォーラム?)に参加してきた。
NPOに白書の作成、ブログでの情報発信を勧めるもので、そういった意味ではやや畑違いだったのだが、とても興味深く、参考になる内容だった。
(まぁIIHOEの川北秀人さんが講演する、というだけで、すでに参考にならないわけがないのだが。)

個人的に印象に残ったのは、「提案とは相手の良い判断への協力、貢献」であるという話だろうか。スピーチは想いを伝えるものだが、プレゼンテーションは相手に判断をしてもらうものだから、想いを伝えても仕方がないという話だ。(やや個人的解釈が入っている・・・かな?)

プレゼンテーションで相手が変わらなかった理由は、「想いが伝わらなかった」からではなく「相手の判断の参考にならなかった」からだという捉え方は、肝に命じておく必要があるだろう。実際振り返ってみると、想いが伝わってくるプレゼンテーションというのはよくあるが、その想いが判断に影響を与えているケースは少ない気がする。それはつまりスピーチだったということだ。

プレゼンテーションというのはシビアだ・・・。

この話を聞いて最初に考えたのは、ちょうどオケで選曲の提案を受け付けているところだったので、ああなるほど、今自分に寄せられているのは、想いではあるけれども提案ではないんだな、というある種みもふたもない感想だ。

もちろんそれを否定する話ではなく、そもそもそうした想いを聞いて提案に仕上げるのは自分の仕事ではあるのだが、プログラムを「提案する」というのは、単にやりたい曲を挙げるというものではなく、それを受けた人に「なるほどそうしよう」と思わせて初めて意味があるのは間違いない。

そしてもう一つ思ったのは、ちょうど原発の再稼働が決まった事もあり、それに反対していた脱原発派の人たちがやっていたのは、スピーチだったんだろうか、プレゼンテーションだったんだろうか、という事だろうか。

スピーチは楽しい。自分の想いをぶつけるだけだから。変わるかどうかは相手の責任で、自分は関係ない。

しかし、プレゼンテーションは、相手の判断の責任の一端を担うという事でもある。そのためには、時に自分の意見を曲げてでも、相手が判断するために最も適した材料を提供する覚悟が必要なのだろう。

|

« いいかげん | トップページ | いかに肩の力を抜いて弾くか »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/54993140

この記事へのトラックバック一覧です: プレゼンテーションとは想いを伝えることではない:

« いいかげん | トップページ | いかに肩の力を抜いて弾くか »