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2012年6月19日 (火)

いかに肩の力を抜いて弾くか

また一つ歳をとってしまった・・・と、特に嘆くような事ではないのだが、残りの人生であと何曲ぐらい弾けるのだろうか、などと殊勝な事を考えてみる。もっとも、先輩たちをみれば、生きている限りあと30年ぐらいは大丈夫そうなので、まだそんな事を考えるには早いかもしれない。

府中はアメリカプログラムが終了し、秋の定期に向けた練習がスタートした。間にファミリーコンサートなどもあるが、それはさておき次回のプログラムはドボルザーク。7番8番という対象的な交響曲2曲と、序曲として謝肉祭を取り上げる。

個人的には、ドボルザークは「歌」と「空気」の印象が強い。

旋律はどれも魅力的で、何でこんな美しい旋律を思いつくのか、と思う。弾いていて気持ちは良いのだが、歌いこなすのはかなり難しい。弾いている最中はさておき、後で聴き直すとなんだか自分が音痴に思えてくるのだ。

課題は肩の力を抜く事だろう。全開に近い音量でバリバリ弾いたら、まず間違いなくらしくなくなる。せいぜい6割程度の力と気合で、余裕を見せながら弾けないと、それらしい歌にならないのだ。この辺りは、全開ノリノリだったアメリカプログラムとは全く違う感じがする。

「空気」の方はさらに難しい。空気というのは表現が難しいのだが、ドボルザークは旋律を支える細かい分散和音(で良いのかな?)を結構使う。6割の気合で浪々と歌われる旋律を支えるには、その細かいパッセージを3割程度の気合、鼻歌を軽く口ずさむような雰囲気で弾きこなさなければならない。

前回の練習では、楽譜にかじりつくように(初見なので仕方ないといえば仕方ないのだが)、弾いてしまったが、それでは泥臭さしか出ない。泥臭さが悪いわけではなく、むしろドボルザークのオーケストレーションは泥臭いと感じているのだが、それを泥臭く弾いたら単なる泥沼である。

近づいて足を踏み入れたら泥沼でも、見ている限りは木漏れ日さす爽やかな水面を臨む風景・・・そんな演奏ができると良いのだが。

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