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2012年7月 6日 (金)

福島原発事故が「人災」であるという事

国会の事故調査委員会が、福島原発をめぐる一連を人災と位置づけたそうだ。

「原発事故は人災」国会事故調が最終報告書
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120705-OYT1T00537.htm

人災・・・そう結論づけて本当に良いのですか?という気がする。特に脱原発派にとって、この結論は大きな障害となるだろう。

人災とはすなわち、管理を徹底すれば人が防げ得た事故だという事だからだ。
それはつまり、今後も原発を推進しても「注意すれば大丈夫」という免罪符を得たという事でもある。

原発推進という意思決定そのものが人災だという意見はあるが、この事故調の報告書はそのように位置づけてはいない。そもそもそれを「人災」と結びつけるのはやや無理があって、自動車事故は自動車を発明した人による人災だ、みたいな言いがかり感がある。
(その意思決定が間違いだった、という議論はあって良い、「人災」という言葉の使い方がどうなの?という話だ。)

話を戻す。

福島原発の事故が人災であれば、その責任は関係者にあり、彼らには償う責任が発生し、事故の被害者を救済するのは彼らの役割になる。

その一方で、他の原発については「しっかり備え管理を徹底する事で」事故は防げ得る事になる。実際、記事で取り上げられている事故報告書の内容は、福島原発も備える事ができたはずなのにそれを怠った、という責任を追求している。事故後の対処にしても、もっとうまくやれた筈だというニュアンスがあり、それは、そうした点をしっかりさせて今後も原発を利用していきましょう、というメッセージにも受け取れる。
(細かく内容を読んだわけではない。あるいは事故報告書の結論は、最終的には人の手に余るもので原発を推進するべきではないとなっているのかもしれないが、少なくとも報道のメッセージはそうなっていないという事だ。)

福島原発の事故が天災であったならどうなるか。
関係者には責任がない(まったくないとは言わないが、ある種不可抗力として重い責任までは問われない)事になり、事故の被害者は国つまり社会全体で救済する(助け合う)という事になる。国民一人ひとりの役割になるという事だ。

その一方で、今後こうした災害が起こった際には、人の手では事故を「防げない」事になり、早急に他の原発を見直す必要が生じる。人智を尽くして防げるものなら取り組んでも良いが、それでも防げないからこそ「天災」なのであり、これを防ぐには後は「手を触れない」という結論しかない。

気持ちとして関係者の責任を問いたいのは分かるし、まったく問うなとは言わない。天災であっても、最大限の備えはできるし、それによって被害を減じる事ができたのであれば、その不備は問われるべきだ。

が、人災だという位置づけで本当に良いのですか?という気はする。

想定外で不可抗力だからこそ、再発を防ぐには廃炉しかないのだ。
想定内で防ぐ事ができるのであれば、稼働しても再発を防げるという事になる。

実際のところ、推進派の人はこれで「トカゲの尻尾きりをすれば良い」という事になったと思うのだが、脱原発派はどのようにこの結論を受け止めていくのだろう。

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