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2012年8月31日 (金)

差別かどうかよりも恐ろしいこと

日本生態系協会の会長が議員向けの講演会で「福島の人とは結婚しない方がいい」という発言が問題になっている。経緯については以下の記事が詳しそうだ。

生態系協会長 発言認める 「差別と思っていない」(福島民報)
http://www.minpo.jp/news/detail/201208303361

差別というのは、セクハラなどと同じで、する本人は大抵している自覚がないものなので、自分がどう思っているかは全く意味がないとは思うのだが、いくつかの記事を読みながらちょっと別の事を考えてしまった。

気になるのは朝日新聞の取材に答えていたこの部分だ。

「放射能地域の人、結婚しない方が」公益法人会長が講演(朝日デジタル)
http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY201208290581.html

池谷会長は朝日新聞の取材に、「被曝(ひばく)で遺伝子損傷と奇形児出産のリスクが高まることを訴えた」と説明。「一般論として私の見解を話した。差別する意図はなかった」と話した。

この話は、具体的な地名が挙げられた事で「差別発言」として問題となったが、もし地名を挙げずに「一般論」として話されていたら、聞いた人はどのように受け取っていただろうか。
「そうなのか・・・」と結局心の中で発言と同じような事を思い浮かべてしまったのではないか。

実は恐ろしいのはそちらの方ではないかという気がする。先の福島民報の記事では、いくつかの専門家の話として、この話にそもそも科学的根拠がない事が紹介されている。

この発言の問題点は「差別発言」である以上に「根拠のない個人的見解」をさもそうではない「一般論」であるかのように発言している事であり、その部分をもっと問題視した方が良いのではないか。今回はこのような形で問題になったが、問題にならずに「個人的見解」が流布さてしまっているケースも多々あるのではないだろうか。

その蓄積が、差別や風評を生み出すのだ。

専門家の一人がこのように話している。

「一般論では専門家が一般の人を対象に説明する場合、国際的、科学的にコンセンサスを得られた事項を基に話をするべきだ」

「日本生態系協会」が専門家かどうかはさておき、個人的見解と一般論の間には大きな溝がある。個人的見解を言うなとは言わないが、一般論を提示した上で話すか、意見の相違があるのであれば、それも示すのが必要な姿勢だろう。

ま、聞く側が注意していれば良い話でもあるのだが。
講演会に参加していた議員がどのように受け止めたかは気になるところではある。

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2012年8月30日 (木)

リズムを取り戻す

ここしばらく・・・夏休み前からややバタバタした状態が続き、打ち合わせ続きで諸々のリズムが崩れていたのだが、今日で一段落・・・するだろうか?いずれにせよ、こういう状態がだらだら続くのは良くないので、週単位のルーチンなどをある程度復活させるようにしなければならない。

一番の課題は会社のブログになるだろうか、ここ2ヶ月ほどのエントリー数の低下は開始以来の最低記録を更新していて目も当てられない。幸いにして他の人にカバーしてもらえているのが、逆に甘えるようにエントリーが書けなくなっている。

そう、書けなくなるのだ。その他、社内での情報発信とか、コラム書きとか、確かに休んでも大きな影響のないものではあるが、しばらくやらずにいるとリズムが崩れてしまって復帰がとても困難になる。こうしたものは一定のテンポで進められているうちはそれほど苦ではないのだが、一度止まってしまうと次の動き出しや前のテンポを取り戻すまでが大変なのだ。

しかしまぁ一つ一つクリアしていかなければならない訳で、そう考えるとまずはブログのエントリーのテンポを復活させることが最初の課題になるだろうか。

いやしかしホント最近は管理画面を開くのも久しぶり状態が続いているんだよね・・・。

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2012年8月29日 (水)

blast!

昨日は「blast」を観に行ってきた。ブラスの印象があったので、行く前は「聴きに行く」心算だったのだが、終わっての印象は「観終わった」だろうか。音楽を楽しむというよりは、ステージパフォーマンスを楽しむという感覚に近い。

ネタバレしたらまずいかもしれないので詳細は省くが、冒頭は某スネアが大活躍する馴染みの名曲のアレンジ。この曲に限らず、全体の印象としては、ブラスよりもパーカッションのパフォーマンスが印象に残っている。元々映えるという事はあるだろうが、オケではおよそ聴く事がない(オレイユでさえない)パーカッションの乱舞は観ていても聴いていても心が踊る。

もちろんブラスが悪いという事はないのだが、やや気になったのは音全体にスクリーンがかかったような「もやっと感」があった事だろうか。当初理由が分からなかったのだが(失礼ながら「そんなに上手いか?」などと感じていた)、ステージ脇の大きなスピーカーから聞こえてくる、主にパーカッションセクションの音が原因ではないかという事に気づいた。

ステージ後方に位置するドラムセクションの音をスピーカーで飛ばしているのだが、バランスの問題なのか、スピーカーに近すぎるのか、そこから弾き出される空気の振動が、カーテンのような効果を生んでしまっているような感じなのだ。時折、リズムパートなしのソロなどがあると、とてもクリアに楽器の音が聞こえてきたので、おそらくそれが原因ではないかという気がする。

加えて、よく見ると管楽器にもワイヤレスのマイクが装着されているようで、自分の席ではそうでもなかったが、席によってはスピーカーを通した音でしか聞けなかったかもしれない。

そういうものだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、個人的にはやや残念な気もする。実際あれだけの迫力を出すには、アンプで増幅してやる必要があるのかもしれないが、せっかく生のステージなのだから、デジタルを通さない音が聴きたかったというのは贅沢な話だろうか。もっとも、動きも激しいので、そもそもそれが可能なのかどうか分からないのだが。

そんなひっかかりは感じつつも、楽しいステージだった。特に出演者の表情がいい。真剣な顔、笑った顔、それ自体が雰囲気を作り出す。こういう感じは、オケではなかなか出来ないのだが、ファミリーコンサートのようなステージは、そうした要素も必要な気がする。

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2012年8月28日 (火)

徒然な日々

基本的にiPadを持ち歩く時はキーボードがセットなのだが、考えてみたらセミナーでメモをとるとかでもないかぎり必要ないんじゃないかという事に気がついた。ブログを書く程度であれば、ソフトウェアキーボードでも十分だ。硬い画面を叩くので、指先がやや痛くなったりするが、別に何時間もタイプする訳ではない。

というわけで今日はキーボードを家に置いてきた。実際にはたいした重量ではないのだが、気分的には鞄が軽くなったように感じたりする(昨日はMacBook Airだったので、単に落差が大きいだけだが・・・)。

外付けのキーボードにはもちろんメリットもあって、特にカーソルキーがあるのが文章作成の際には便利だったりする。しかしまぁ、それもちょっとした文章を作成するのに絶対必要かといえばそうではない。難点をいえば画面下半分が指紋だらけになる事だが、本来iPadはそうした使い方をするモノだろう。

iPadといえば、先日「新しいアプリってほとんど試さない」事に気がついた。新たな機能?に関心が薄いのかもしれないが、自分の中で定番となっているアプリを淡々と使うばかりで、新しい事をやってみよう的な発想がない気がする。この傾向はPCでも顕著で、Windowsを使っていた頃は、少しでも使いやすくするための工夫、みたいな事は知ったらすぐに試したりしていたのだが、最近はそういった事もなくなっている。

まぁ実際使い途というのは意外と限られているものだし、それはそれで良いのかもしれないが、何やら歳をとったかと感じたりしてしまうね。

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2012年8月25日 (土)

暑い職場

今日は休日なのだが、出勤となってしまったため、出社前にブログを書いてみる。とはいえ、特にネタはないな・・・。

で、少し前なのだがこの記事を取り上げてみる。

暑すぎる職場、法令違反?節電の落とし穴とは…(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120818-OYT1T00753.htm

節電とはなんだろうか・・・と思わせる記事だった。巷では脱原発派による「電力足りる論」をよく耳にするのだが、この状態を「足りている」というのは、言葉は悪いが戦時中の「欲しがりません勝つまでは」と同じ精神論としか思えない。
(余談だが、「江戸時代は理想の生活」とか言う話も、ドラマで話題になった「仁」などを読むと本当なのか?と考えさせられる。)

法律問題もさる事ながら、重要なのはこの点だろう。

「罰則はないが、28度は熱中症を防ぐ上限の温度だとされている。」

この場合、「自分は大丈夫」とか「暑さに身体を馴らせば良い」といった話はほとんど意味がない。気になるのは、実際に熱中症の被害が増えている事だ。むろん、29度以上でも気をつける事で、防ぐ事はできる。でも、そうやって防げればそれで良いのだろうか。

無駄に電気を使う事が良いとはもちろん思わない。が、最低限のラインは確保した上で論じる事が重要なのではないだろうか。そもそも「暑いオフィス」も「寒いオフィス」も作業効率は下がる。夏や冬というのはそういうものだ、というのは簡単だが、効率が下がるというのは、じわじわと経済にも影響を及ぼす。

そして「経済優先で良いのか」という話を、その経済に支えられている人たちから訴えられるほど鬱陶しい事はない。

この間会ったら、原発に反対する父は電力会社との契約を解除して、今は電気を買っていないそうだ。そこまでされると流石に反論しずらいが、その父だって、実際には電気は使う。それは自家発電機からだったり、車のバッテリーからだったりする。

遡れば口にする食物の生産にだって電気は使われている。「節電」というのは、直接的に使う電気の事だけで捉えがちだが、社会全体でみれば電気の多くは「生産」のために使われており、本来はそれだけ「モノが手に入らなくなる」はずなのだ。そうならないのは、生産者が供給責任を果たすため、経済性を無視した全く持続的でない生産を必死に行っているからにすぎない。(そうしなければ生き残れないということもある。)

必要なのは、そういう想像力ではないだろうか。ま、先の記事を読んでも「企業の節電努力は当然」とブラック企業を礼讃するかのような捉え方をするような人たちには何を言っても通じないかもしれないけどさ。

・・・しかし、それはそれとして、このエクセルシオールは寒い。これは無駄な電力ではある。

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2012年8月24日 (金)

話を整理するために

うーん、こういうのを小さい時からトレーニングとしてやるのか・・・。

物事を論じられるようになるスモール・ステップス→米国の小学生が使う思考ツール 読書猿
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-617.html

無論ある程度年齢を経ればこうした論法は使えるようになるものだとは思うのだが、こうしてメソッドとして身につけたのと、何となく身につけたのとでは大きく違う。特にこのスタイルから発展させた時のベースラインが全然違ってくるはずだ。

もしかしたら、相手の意見を聞く時にも、このように整理をしていくと良いのかもしれない。

ちょうど会社で今後の計画を立案するためのヒアリングを各チームに行っているのだが、どうもうまくまとまらないのは、互いにこうしたベースがなく、話がいつまでたっても整理されない事が原因の気がしてきた。

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2012年8月23日 (木)

タスク管理

お盆前にToodledoでのタスク管理が立ち行かなくなり、Googleカレンダーに時間枠も含めてスケジュールとしてタスクを登録する事でなんとか乗り切ったのだが、その間放置したためにToodledoのタスクリストがズタズタになってしまった。

そのままGoogleカレンダーでの管理に切り替える方法もあるのだが、これもしばらくしてくると問題が見えてくる。一定の作業時間を必要とするタスクには良いのだが、短時間のタスクやチェックリスト的なものや、締切の管理が煩雑なのだ。そのくせ、そうしたタスクほど忘れやすい。

登録しすぎるとそもそもカレンダーが見にくくなるという問題もある。
以前は月間でスケジュールを見ていたのが、週間で見るようになったため、逆に先の予定が意識から抜け落ちるようになるという弊害も発生している。

カレンダーやタスクリストは単なる手段だ。その管理やメンテに余計な気を使わずに使えるようになりたい。必要なら行動様式を変えれば良いのだが、手段のために行動を変えるというのもやや本末転倒だろう。

いずれによ、休み前の緊急事態は何とか乗り切ったので、立て直しを図らなければ。

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2012年8月22日 (水)

Go Ahead

とある縁で招待券をいただいたので、昨日はミュージカルを観に行ってきた。

東日本大震災復興応援企画「育もう!子どもたちの元気な笑顔を」
ゴーへ Go Ahead

宮城県七ヶ浜町の市民劇団「NaNa5931」によるミュージカルで、震災からの復興をテーマにしている。子どもたちの元気な笑顔を育もうとあるように、メンバーには子どもが多い。七ヶ浜は「山の軽井沢、湖の野尻湖、海の七ヶ浜」と呼ばれて、古くから外国人の避暑地として名高い町で、そうした事もあって「七ヶ浜国際村」という文化施設があり、NaNa5931はここを拠点に活動している劇団だそうだ。

「ゴーへ」というのは、地元漁師が船を誘導する時に使っている方言で、「Go Ahead」がなまったものといわれているらしい。北洋漁業の発祥地でもあり、漁業が盛んな人口約2万人の「コンパクトな(舞台挨拶より)」町だという。

東日本大震災では町の面積の約3分の1が津波の被害に遭い、死者行方不明者は108名。そんな中で、全国全世界から寄せられた支援への感謝の気持ちを伝えるために創作されたのが、今回のミュージカルだ。

内容は・・・ネタバレになりそうなのでやめておく。あらすじはチラシで紹介されているが、それらを知った上で観た方が良いのか、(テーマはさておき)予備知識なしで想像を広げながら観た方が良いのかはやや迷うところだ。

最後は今後の復興に向けた決意と、支援に対する感謝の気持ちをこれでもかとばかりに歌い踊り、やや唐突な感じで終了する。それ自体演出ではあるのだが、客席にもやや戸惑ったような感じがあった気がしなくもない。会場を後にしてみればその意図はわかるのだが、同伴者がいれば(もちろん急にもらったチケットなのでそんな者はいない)やや「?」と顔を見合わせたかもしれない。

この手のステージに「論評」のようなものは不要だろう。子どもたちの元気な笑顔と歌声が印象的だった(前の方の席だったので、表情もよく見えた)。おそらくメインキャストはマイクを使っていたのではないかと思うのだが、そうしたものを使っていない子どもたちのコーラスの声の方が、よく通って会場内に響き渡っていたぐらいだ。

もちろん、口元を見ていると、歌っていない?みたいな子もいたのだが(笑)

チャリティとは少し違うのだが、そもそも客席で「観る」事自体が、彼らにエネルギーを与え、次の元気へとつながっていくのだろう。
今回は初の県外公演だったようだが、機会があれば地元での公演を観てみたいものだ。

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2012年8月21日 (火)

講演会

昨日は会社で講演会。3月にこのブログで紹介した、ピースウィンズ・ジャパンの東北復興支援トークライブで話をお聞きした気仙沼の方をお呼びして、社内で話をしてもらったのだ。

結果として300名以上が集まったのは少々驚きだった。社内の会場には一度では収まりきらず、2回講演をしていただく。3月に話を聞いた時に「一人でも多くの人に聞いて欲しい」と言われていたので、ハードではあったが当人にも喜んでもらえた。

準備はバタバタで、今後の動きについてもまだあやふやな要素が多いのだが、これをきっかけに取り組みを広げていければと思う。

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2012年8月17日 (金)

寝坊した・・・

今日から出勤だったのだが、大幅に寝坊してしまった。1時間程度の寝坊なら問題ない程度の余裕は抱えているのだが、1時間40分となると流石にきつい。なんとか朝食を食べて、会社には10分前に滑り込む感じだった。

休み中は普通にいつも通り目覚ましを鳴らし、そのまま活動を開始したり、二度寝などしていたりしたのだが、大きな違いは前日がそれほど遅くなかった事だろうか。昨日は暑気払いに誘われて新宿まで出かけたため、寝るのが遅くなってしまった。

休み中に起きられたのは、「いつも通り」ではなく「前倒し」のおかげだったか・・・とはいえ、それもまた休日のリズムという事で、普段からそうそう早寝ができるわけではない。睡眠時間は、十分とはいえないまでも、極端に不足という事はないはずだ。(もっとも、経験上は時間よりも「日付をまたぐ時に寝ていたか」の方が重要で、11時-3時の4時間睡眠より、1時-6時の5時間睡眠の方がきついと感じる事はある。理由は不明。)

さて、世間でいう夏休みは特に遠出をする事もなかった(12日の習志野文化ホールが一番遠いか)のだが、13日は会社と平河町ライブラリー、14日は楽器の練習をして夜は三鷹で親と食事、15日は再び平河町ライブラリーと会社、16日はまたまた練習をして夜は新宿で暑気払いと、意外に出掛ける用事はあったのだった。もっとも、家にいても無駄に電気を使うばかりで、出かけていた方が良かっただろうとは思うが。

さて、(やや)だらけた精神を通常モードに戻していかなければ。

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2012年8月13日 (月)

千葉フィルハーモニー管弦楽団サマーコンサート

今日は会社は休みなのだが、普段通りの電車で出社し、ゴーヤに水をやった後に平河町ライブラリーへ。
一部休み中に終わらせておきたい仕事がある。宿題もあるのだが、それはまた後日来る予定。

家からはちょっと遠いが、会社の近くにあると考えれば平河町ライブラリーのような施設は便利だ。朝から晩まで涼しい中で過ごせる。前にも書いたように「楽器が弾けない」のはもう仕方がないとして、PCが使えて本が読めれば、大体時間を持て余すことはない。

同じように考える人は少なくないのか、すでに何人かの人が来ている。仕事という人もいれば、勉強という人もいるのだろう。


さて、昨日は以前参加したJBPの方にいただいた千葉フィルハーモニー管弦楽団のチケット片手に津田沼の習志野文化ホールまで行ってきた。当初車で軽いドライブがてらの気分だったのだが、駐車場がない事が判明し、電車で約2時間ほど。さすがに結構ある。

サマーコンサートという名目だが、特にライトクラシックという訳ではなく、

R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」
プーランク 演奏会用組曲「牝鹿」
フランク 交響曲ニ短調

というプログラム。個人的には馴染みのない前半のプログラムに関心があった・・・のだが、相変わらず特に予習はせず。馴染みのあるフランクの方が楽しめた気がする(当たり前か)。

前半はステージ近く、後半は後方の座席で聴いたのだが、前半はあまり聞こえなかった低弦が後半は響いて聞こえたのはホールの構造だろうか、パートの練度の問題だろうか。全体の響きもやや違っていたので、ホールの特性なのかもしれない。

前半間近で見ていたチェロのパートリーダーに関していえば、ほとんど楽譜に釘付けのように見えてしまうのが気になった。ザッツも少なめで、うーんなるほど自分も注意しなければいけないなと考えてしまったりする。弦楽器は全体に動きは少なめで、唯一セカンドヴァイオリンの3プルト表の人だけがやたらと派手なアクションだったのだが、考えてみるとこういうところがそろっていると、オーケストラの弦楽器セクションは「上手に見える」気がする。

休み中にドヴォルザークもさらわないとなぁ・・・。

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2012年8月10日 (金)

SECIモデル

久しぶりにナレッジマネジメントに関する相談などを受けたので、SECIモデルを思い出してみる。詳細がばれない程度に回答内容を整理しておこう。

SECIモデルについては、検索すればいくらでも出てくるので、参考までにこの辺りを紹介しておく。

SECIモデル - @IT情報マネジメント用語事典
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/seci.html

組織における知識創造を4つのプロセスに分解し、それぞれの頭文字を組み合わせたのがその名称の由来だ。

■共同化(Socialization)
共体験などによって、暗黙知を獲得・伝達するプロセス
■表出化(Externalization)
得られた暗黙知を共有できるよう形式知に変換するプロセス
■連結化(Combination)
形式知同士を組み合わせて新たな形式知を創造するプロセス
■内面化(Internalization)
利用可能となった形式知を基に、個人が実践を行い、その知識を体得するプロセス

実務上のポイントは、それぞれのプロセスをどうマネジメントし、どのように「繋ぐか」にある。

相談内容(メール)から推察するに、これまではスタッフ部門が既存の知識データベースから連結化したナレッジを現場に対して内面化を仕掛けるアプローチを中心に行っていて、これはある程度成功しているらしい。

そこで次のステップとして、現場の持つナレッジを表出化し、連結化を行うまでを仕掛けたいという事のようだ。
(余談だが、SECIモデルの要となる「ナレッジの創出」は上記の内面化プロセスが担っているが、これはあまりマネジメントできる要素がない。というよりも、元々SECIモデルはそうやって生まれたナレッジをどう組織内に循環・昇華させていくかというモデルで、内面化プロセスを前提として、そのナレッジをどうするかを解決する事が目的と言えるだろう。)

さて、表出化をどうマネジメントするか。個人的に最大のポイントは「一気に連結化までを求めない」事にあると考えている。特にITを活用した仕組みを構築する時などは、その切り分けが重要になる。

表出化とは「何でも良いので暗黙知を形式知化する」プロセスの事だ。大切なのは「他の人がアクセスできる」形にする事であって、「他の人が使える」形にする事ではない。表出化されたナレッジを「他の人が活用できるナレッジ」にするのは、次の連結化のプロセスが担う役割だ。

これを別の形で表現するのであれば「役に立たなくても良いのでとにかく吐き出す」事をとにかく重視するべきという事になる。むしろ、大半は役に立たないと最初から前提にするぐらいが良い。

ここが議論が分かれるというか、勘違いされやすいポイントだろう。SECIモデルの最も秀逸な部分は、この「表出化」「連結化」プロセスを分けている事にあるとさえ個人的には思うのだが、多くの「ナレッジマネジメントシステム」がこの両者を切り分けていない。それ以上に運用する人たちが切り分けて考えていない。

その「分かっていない」最たる発言が、「役に立つ情報が入力されない」という嘆きと「他の人の役に立つ情報を入力せよ」という指示だろう。もっと勘違いが進むと「入力される情報が氾濫している」になる。

表出化の段階では「役に立つか」どうかを求めてはいけない。「整理されているか」も求めてはいけない。

それらは、次の連結化のプロセスの役割であり、ナレッジを「吐き出す」人達の役割ではない。メモとして氾濫するナレッジを、使える形に整理するのは、目利きの役割だ。

SECIモデルの根幹は人の中でナレッジが生まれる共同化プロセスにあり、そのナレッジの「完成されたデータベース」が連結化プロセスといえる。ではなぜその二つだけのモデルではなく、その間に「表出化」「内面化」といったプロセスが挟まれているのか。

それは共同化と連結化を直接結びつける事が困難だからだ。一方で簡単に結びつける事ができそうにも思えるのがミソで、そこを勘違いすると「コケる」事になる。
(特にマネージャーやスタッフは勘違いしやすい。なぜならそもそもこうした人達は「連結化」を主業務とする人達で、そこができるのは当然と思ってしまいやすいからだ。)

そういった意味ではこのモデルの真髄は表出化と内面化にあるとも言えるだろう。


さて、そんな訳でアドバイスとしては「現場に連結化までを求めてはいけない」になるだろうか。もちろん、そんな一言で伝わるわけではないので、具体的な例示をして説明する事になる。

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2012年8月 9日 (木)

出血大サービス

日本は元来「ものづくり」の国などではなく、「サービスとおもてなし」の国なのだと思う・・・と言ったら言いすぎだろうか。でも、そうなるべきだという気がしてならない。

そもそも、「サービスとおもてなし」の国であることは、「ものづくり」の国であることを否定しない。なぜなら作られるモノもまた「サービスとおもてなし」のためのものだからだ。

一方、「ものづくり」の国であることは、時として「サービスとおもてなし」の国であることを否定してしまう事があるのではないか。

サービスというのは、快適な時間と体験を提供する事のはずなのに、「出血大サービス」なんて言葉があるのは何故だろう・・・なんて漠然と思いながら、そんな事を考えてしまった。出血してどうするんだよ・・・。

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2012年8月 8日 (水)

久しぶりの平河町ライブラリー

しばらく仕事の方が落ち着かず行けていなかったのだが、昨日は久しぶりに平河町ライブラリーに行ってきた。貧乏性なようだが、年会費な訳だし、使わないのはもったいない。

思った以上に溜まってしまった(個人宛の)郵便物の処理とか、メールの返信とか、オケの今後の練習スケジュールなどを確認する。本来は勉強などに時間を割きたい所だが、昨日はその辺りでタイムオーバー。

しかし、(家とは違った意味で)落ち着く。多分、精神的には何かをするテンションを保ったまま、ゆっくり考えられる環境だからだろう。これが家に戻ると何かをするテンションまでなくなってダラダラした状態になるのだが、適度な緊張感を維持したまま、リラックスできるという事だ。

贅沢をいえば、これで楽器も弾けるような環境だと最高な訳だが、それはもう何とか自宅に構築するしかない。昔知り合いに、防音室を持つ部屋を借りていた人がいたが、単純に「楽器が弾ける」のではなく、何らかの形で他の刺激をシャットダウンするようにしなければ、自宅ではテンションを保つ事ができない(だから最近の練習はカラオケボックスになる)。

まぁ今の所はそこまでは無理な話で、そもそもそんな環境になっても練習するとは限らないのだが、それはそれとして平河町ライブラリーはやっぱりいいな、という話。

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2012年8月 7日 (火)

議論の価値

ここしばらくの懸案事項がとりあえず一段落。実際にはまだ続くのだが、最初の山場は何とか超えたという感じだろうか。もちろん、その間手付かずになってしまっていた案件はこれから片付けなければならない。

さておき、昨日の夜はやや待ちが発生したので、こんなブログを読みふけってしまった。

ぷろどおむ えあらいん 私たちにできること
http://preudhomme.blog108.fc2.com/blog-entry-30.html

読んでいて改めて思ったのは、脱原発派であることと、今の脱原発派の行動や発言を批判する事は相反しないということだ。というか、「不安を煽る」脱原発活動は、相手につけ込むスキを与え、推進派を利するものでしかないのではないか、という気になってくる。

もちろん人によって色々考え方の違いはあるだろう。ぷろどおむさんは、現在の原発が抱えるリスクは許容出来る範囲として上で、でもそのためのコストが高すぎる事を問題にしているが、人によっては、現在のリスクも許容できないという意見もあるに違いない。逆にコストも許容範囲だという人もいるだろう。

でもそこで大切なのは、「どれが正しいか」ではなく「どこで折り合いをつけるか」だ。

理系文系という分け方は個人的には好まないが、あえてその類型を使うのであれば、文系的な対応が必要ということになるだろう。
(余談だが、その「真実は一つ」的発想においては理系的なのに、そこで追求される「真実」については明らかに科学的でない文系的な捉え方をしている主張って多いよね・・・。)

「自分が正しい」と思っている人がいくら集まっても議論は進まない。自分以外は正しくないと思っている人にとって、「議論」の落とし所は「自分の考えたとおりになること」だからだ。(そしてそこでさらにたちが悪いのは、それを「自分の意見」ではなく「客観的真実」として振りかざす人たちだろう。)

そんな「議論を求めていない」人たちが国に「国民的議論」を求めたり、国が用意した場で「国の事は信用していない」と言い放ったり(それじゃ議論にならないし)、「結論ありきで話が進んでいる」と「自分の結論」以外の話を批判したり・・・そんな状況ってどうなんだろうか。

議論というのは、自分が考えた通りの落とし所には落ち着かないからこそ価値があるのだ。

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2012年8月 6日 (月)

作業を移管か、仕事を委譲か

先週は木曜日金曜日と研修だった上に、土曜日は出勤というスケジュールになった。

研修はさておき、土曜日の出勤は単に作業の遅れを取り戻すためだけのものだが、

人のいないオフィスでの作業ははかどる

という事を改めて実感する。普段なら諦めるような作業(本来は諦めるべきではない)までできてしまった。

とはいえ、それはあくまでも一人でやる「作業」だからという話で、仕事とは違うようにも感じている。作業の遅れは仕事にも影響するので無関係という事はないが、作業が進んだから仕事が進むという訳でもない。あくまでも「遅れにつながる」だけで、進める力はないのがこうした作業の辛いところだ。

こうした作業はどうやったらアウトソースしていく事ができるだろうか。「自分でやった方が早い病」に陥っている事はある程度自覚があるのだが、単純に作業指示をするにしても、その指示「作業」の方が時間がかかってしまう。つまりはもっと上流の仕事の進め方自体を見直す必要があるという事だろう。

やや微妙なのは、単純に作業自体は自分が一番早いのに加えて、逆に「仕事」の方は比較的誰でもできるものだという事だろうか。つまり全体最適を考えれば「作業」ではなく「仕事」の方をアウトソースというか、委譲した方が良いのではないかという疑問がある事だ。そもそも今の作業は「自分が」仕事を進める上で最適化された作業なのだが、その仕事が他の人の進め方になれば、自然と作業も見直される事になるだろう。

同じ仕事を同じ人が続けるリスクみたいなものだよな・・・などと思いつつ、今年も結局ズルズルとそんな作業を積み重ねてしまったのだった。

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2012年8月 1日 (水)

無私

無私ねぇ・・・ソーシャルビジネスそのものを否定する気はないのだが。

「ソーシャル・ビジネス」は日本を変えることができるのか(1)
http://www.data-max.co.jp/2012/07/30/post_16447_dm742_2.html

最後の方にこのように書いてある。

あくまでも忘れてはならないのは"無私"に軸足を置いて行なうということなのだ。

個人的に、「無私」という言葉は「他人にそのようなあり方を求める」際に使われる事が多いように感じていて、その時点であまり良い印象を持っていなかったりする。

そもそも、「社会に貢献したい」という気持ちは「無私」なんだろうか。自分がそうしたいという何ものにも負けない強い気持ちがあるのであれば、それこそ究極の「私欲」ではないのか。

もっとも、やや「経済用語」的に捉えて定義するのであれば、この「無私」というのは、「(投資家が)利益を求めず資金提供する事」みたいに捉える事ができるかもしれない。大切なのは「労働者が労働対価を求めず労働力を提供する事」ではない事だ。利益と対価は全く異なり、そもそも賃金はそのサービスのコストに包含されている。

確かに、「ビジネスを目的として社会貢献すること」と「社会貢献を目的としてビジネスを行なうこと」との違いは、一見わかりにくい。

違いが分かりにくいのではなくて、そもそも違いがないものを無理やり違うものにしようとしているから分かりにくいんじゃないかという気がしてならない。


ちなみに、辞書を調べてみたらこう書いてあった。

ビジネス【business】
1 仕事。職業。また、事業。商売。「サイド―」
2 個人的な感情を交えずに利益の追求のみを目的として進める仕事。「―に徹する」
(goo辞書 デジタル大辞泉)

個人的な感情を交えずに・・・まさに「無私」の境地かもしれない(笑)

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