« 目を使わない車内の過ごし方 | トップページ | 迷惑とサービスの類似性 »

2012年9月10日 (月)

大学時代の練習

今朝はヘッドフォンを忘れて来てしまった。
電車の中でiPhoneを覗かずに済ませるには、音楽は必須のはずだったのだが、そんな訳で何となく車外を眺めながら通勤。

普段あまり見る事のない車窓から新たな発見が・・・ある訳もなく、そもそも5mも離れると人の顔の判別がつかない裸眼状態で窓の外を眺めたって何が見えるわけでもないのだが、とりあえず目には負担をかけないよう手元を見るのは我慢する。
実際、気分的なものかもしれないが、そう決めて以降、多少目の調子は良いのだ。


さて、そんな話は関係なく、昨日の練習の話。弦分奏だったのだが、ドヴォルザークの8番の第1、第4楽章をじっくりと練習する。

ドヴォルザークの8番は、大学時代と府中の計2回、すでにやった事のある曲だ。つくづく思うのだが、大学時代に練習した曲というのは、練習の絶対量が違っていて、結構指に残っている。難しいパッセージなどはもちろん弾けなくなってしまっているのだが、何ともないところで、目が楽譜を追いきれていなくても、勝手に指が反応する瞬間が時折あるのだ。

目と頭は初見に近い状態で楽譜を捉えているのに、体は勝手に弾いてしまうという感じだろうか。その体の動きをトレースしながら、ああそういえばこういう楽譜だったと何処かで再認識しているような感覚だ。(認識できずにどうやって弾いたか分からない時もある。)

大学時代にやった(メインの)曲は4曲。

ベートーヴェンの9番
ドヴォルザークの8番
チャイコフスキーの4番
ブラームスの1番

第九は府中でも定期的に演奏しているので別だが、これらの曲は、卒業後に取り組んだ曲とはやはり違う感じがする。それは7月のJBPでも感じた事だ。

もっとも、同じく大学時代の演奏曲として、コンチェルトは、

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番
アルチュニアンのトランペット協奏曲
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番

序曲は、

スッペの軽騎兵序曲
ベートーヴェンのエグモント序曲
ブラームスの大学祝典序曲

というのがあり(第九は1曲プロ)、多分これらの曲も近い状態なのではないかと思うのだが、こちらはあまりそのように感じた事はないような気がするな。

そうした大学時代のような弾きこみをするのは今は無理だろう。先週は少し気合をいれて平日夜に3日練習をいれたのだが、思った以上に集中力が続かない。そういう意味では自分が思ったほど「楽器を弾く(だけの)事自体は好きではないかもしれない」という事が分かった(アンサンブルは楽しい)のだが、それでも練習は必要だ。

辛い事を無理にする必要はないのだが、いかに楽しんでできるようにするかという事は必要だろう。もっとも、スキーなども楽しいのか楽しくないのか良く分からない状態で滑り込みをしていたりするので、そんな状態を楽器でも作り出す事ができると良いのかもしれない。

|

« 目を使わない車内の過ごし方 | トップページ | 迷惑とサービスの類似性 »

コメント

「勝手に指が反応する瞬間が時折あるのだ」私も、趣味レベルですが、母親がピアノを教えていることもあり、昔からピアノを習っていました。今でも、指が勝手に反応することもありますので、頷きながら読みました。

投稿: 短時間睡眠法に挑戦 | 2013年1月 8日 (火) 20時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/55621876

この記事へのトラックバック一覧です: 大学時代の練習:

« 目を使わない車内の過ごし方 | トップページ | 迷惑とサービスの類似性 »