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2012年10月31日 (水)

オケ老人!

今日は休みを取っている・・・のだが、いつも通りに起きて、いつもの電車に乗り、会社のある渋谷を通り過ぎて、平河町ライブラリーへ。昨日書いたように、シーズンに向けてトレーニングを兼ねたサイクリングという選択もあったのだが、結局身体が楽な方を選んでしまった。
もっとも、夜練習をするつもりで府中で練習場所を予約してしまったということもある。そういえばドライブとかでも気持ち良いだろうなとふと思ったが、まぁ夜の予定を考えるとそういうのはややしんどい。

そんな訳で今日のブログはノータイトル・・・ではなくて、昨日の夜に「オケ老人!」(荒木源/小学館文庫)という本を読んだので、ちょっとその感想など。日曜日の飲み会でオケのメンバーに勧められ、とりあえずamazonで注文しておいたのが届いたので、一気に読んでしまった(昨日は帰宅が早かったせいもある)。

あらすじなどの紹介は省くが、半年でそこまで劇的に変わらないよと思いつつ、アマオケっていいよなぁなどと改めて思ってしまった。とはいえ、物語は物語で、現実はこんな感動的には進まない。防音室を購入して夜な夜な練習というのも、ちょっと無理。

ただ、「楽器」ではなく「音楽」を楽しむのであれば、やはりスコアを読んで勉強とかって重要だよなぁなどとも考えさせられたりして、そのあたりは反省もする。結局演奏会にせよ、練習にせよ、より深く「楽しむ」ためにはただ場に参加するだけでなく、予習復習とは言わないまでも、準備というのが必要なものなのだ。個人練習はもちろんなのだが、それはアンサンブルに参加する最低条件のようなもので、「楽しむための準備」は他にもまだあるような気がする。

もう一つ改めて思ったのは、本の内容とは関係ないが、やっぱり自分は本が好きなのかもしれないということだ。ビジネス書にはなかなか食指が働かないのだが、小説はやはり読んでいて楽しい。
このところ本を読んでいないのは、読む時間がないのに加えて持ち歩くのがやや面倒ということがあったのだが、やっぱりkindle paperwhiteとか欲しいな・・・とか思ったのだった。
(まぁそれにしたって読む時間の確保は問題なわけだが。)


・・・結局物欲かよとか言うな!

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2012年10月30日 (火)

スキーのシーズンに向けて

ぼちぼち寒くなってきたので、そろそろスキーの話でも。
毎年やろうと思ってできないことの一つに、シーズン突入前の準備がある。

トレーニング・・・は、もちろんやれるに越したことはなくて、せっかく自転車もあるのだから(結構出費して買った割には乗っていない)、涼しくなる秋にかけて少しは乗り回しておくと、スピードやバランス感覚を培うことにつながる。普段の街乗りではなく、できれば長距離が良いが、なかなか時間が取れないというのが正直な所だろうか。

ただ、オケの練習の方もピークで、オレイユの年末アンサンブルなどの練習も加わるため、休日の時間をそのために投入するのは正直難しい。時々乗ると想像以上にふらついて不安定だったりするので、本当はスキーのことなどなくても乗る機会を持っておきたいのだが、夜は危険なので、明るい時間となるとどうしても限られてしまう。

という訳で次善策という事になるが、先日会社で健康イベントがあった際に、普段歩く時に足の裏を意識してきちんと歩くだけでずいぶんとバランスは改善されるという話を聞いたので、これを生かす事を考えてみる。

実際、スキーに関しては筋力よりもバランスと柔軟性が重要と感じる場面は少なくない。そもそも滑っている最中に過剰に力を使うのは、バランスが崩れた時だけだ。ハードなバーンをガンガン攻めるような滑り方をするのであればともかく、基本はスキーに任せて流してる訳で、大切なのはポジションを安定させるためのバランスと斜面の変化を吸収する柔軟性と考えていい。(若くないんだから・・・。)

そんな訳で昨日の夜から歩く時にちょっとだけ意識を向けるようにしてみた。改めてやってみると、それだけでも結構負荷がかかる事が分かる。気づいた時だけでもやっておくと、多少なりとも違いそうだ。

柔軟性に関しては、特に股関節が重要になるが、これは普段の座り方とかで工夫するしかない。ストレッチはなかなか習慣づかないというのが過去の経験だ。

さて、もう一つシーズン前の準備として、毎年やろうと思ってできない事がある。
それはスキー靴の慣らしだ。靴を慣らすというよりも、靴に脚を慣らすという感じだろうか。

スキー靴はハードな履物だ。一方でこれが脚に馴染んでいるかどうかで、スキーの操作性が決まってくるといっても過言ではない。きちんとカスタマイズすればまったくストレスなく履けるそうだが、プロでもない身にそこまでの手はかけられない。

そこで何年か前に読んだ記憶があるのだが、シーズン前から靴を履き、可能なら多少歩くといった事をしておくと、かなり馴染むのだそうだ。確かにスキー場に行った時にだけいきなり履いても、脚は驚くばかりだ。(ちなみに足ではなく脚と書いているのは、下半身全体を慣らすという意味を込めている。歩き回るのはそのためだ。)

とはいえ、これも結構面倒な作業ではある。靴を履くだけでも結構大変だし、その間は他の事がほとんどできない。家の中を歩くといっても限界があるし、かといって外を歩いたら変人である。

そういった意味では、ストレッチと同じぐらい「習慣づかない」ものではあるのだが、ここ数年靴を履くのも大変になってきているし、練習で実家に帰った時に少しは履いてみる時間を確保した方が良いのかもしれない。自転車ほどの時間がかかるわけでもない。


・・・もっとも、そろそろマテリアルを新調するという選択も考えなければいけない頃だ。製品寿命などを考えるといつまでも使えるものではない。特に靴については、前回板を購入した時に替えてはいないはずなので、結構長く使っている感じがある。

そうだなぁ、マテリアルの進化も著しいようだしウェアも結構長く着ている気がするし、そろそろ一式替えても良いかもなぁ。

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2012年10月29日 (月)

スケール練習用の音源

昨日の府中の練習は分奏。今更ながら曲の感じがつかめてきた気がする。

今頃かよ、という気もするが、結局こうした丁寧な練習をどの段階でどれだけこなしたかで決まってくるのかもしれない。もっとも、今回の場合、難しさは管楽器との絡みに潜んでいるような気もしているので、分奏で出来たような気になるのは勘違いの可能性もある。

そんなわけでオケの練習の方は成果があったが、土曜の夜に(少々待ち時間があったので)新たに作成してみたスケール練習用の音源の出来はいまいちだった。頭の中で考えながら色々詰め込みすぎて失敗したという感じだろうか。

このスケール練習用の音源というのは、スケールを練習する際のガイドにするためのリズムと音階をセットにしたものだ。そんな音源をわざわざ作っているのは、そのままの音階ではなく、自分が弾く音階と3度ずらすといったように、自分の音を和音の一部として捉えながら弾く練習をするため。そのため音源だけを聞くとやや違和感のあるスケールになっていたりする。

当初は3度ずらしただけのものを作っていたのだが、何やら途中で色気が出てしまい、4オクターブのスケールを弾く中でオクターブ、5度、4度、3度と変化させていくものにしてしまった、これが何だか訳の分からないものになってしまい、実際試しに弾いてみたのだが、いまいちしっくりこない。

まぁ作りなおすのは簡単なので、やはりシンプルなものに戻そう。とりあえずは3度のパターンでと考えているが、実は5度の方が気持ちは良いかもなぁと思ったりもしている。一度それで作ってみても良いかもしれない。

元々の構想は、それを使った練習をすべての調性において行う事なのだ。今のところ自分が楽譜なしで迷いなく運指ができるスケールは、C、D、F-durといったところで、G、Aになるとやや迷いが生じ、EやEsは安定せず、DesやFisとなると全く覚束ない。ましてやmollとなるとほとんど手付かずだ。

実はそうした基本的な部分が欠落しているような気がするので、きちんと見直しをするというのが、当面の(個人)練習テーマになるだろうか。結構先は長い。

とはいえ、曲の方もそれはそれで目白押しで、昨日はオレイユのチェロアンサンブルの曲が決定したという連絡があり、それも楽譜が届き次第譜読みをしなければならない。そしてもう一つのアンサンブルであるレーガーもそろそろ楽譜に目を通しておかなければ・・・。

楽しいような、苦しいような(笑)

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2012年10月26日 (金)

統合レポートを読む理由

今日は報告書を読む会に参加するため、今朝はとりあえず予定されていると案内されてきたレポートを片っ端からダウンロードしてざっと目を通す。今頃・・・という感じではあるが、案内されてきたのが昨日の深夜だから仕方がない(笑)
逆にいえばそれは「参加した時に読めば良い」か「普段から読んでおけ」という主催者からのメッセージだろう。

今回はテーマが統合レポートになっているため、案内されてきたレポートはどれも大ボリュームだ。正直、細かく読むのは限界がある。

こうした統合レポートを制作する目的は何だろうか。

読んでもらうため?しかし、多くのレポートが抱えている「読んでもらえない」課題の一番は、ボリュームが大きすぎることだ。だからハイライトやダイジェストが登場するわけだが、統合レポートはそうした流れに逆行しているともいえる。
もっとも、各社ともダイジェストは用意しているようで、ようはそういう棲み分けをしたという事なのかもしれない。

では広く読んでもらう事が目的ではないとしたら、一体何が目的なのか。

説明責任を果たすため?それなら網羅性を高めて企業活動のすべてを記載する統合レポートを制作するのは納得できる。しかし、多くのレポートにはアニュアルレポートではお馴染みともいえる免責事項が書かれている。統合レポートだから当たり前といえば当たり前かもしれないし、リスクを考えれば分からなくはないのだが、何だか釈然としない気もする。
(免責事項のような記述が生まれるのは、読み手のリテラシーがその程度だという事なのだが、余計な言質を取られないためのものでもあるので、止むを得ない事は理解できる。)

内部的な事情を挙げるなら、制作コストを下げるためという要素もあるかもしれない。手を抜くという意味ではなく、リソースを集中する事でより高いクオリティのものを作るという事だ。複数の部署や担当者で似たようなものを別々に作るよりも、ずっと内容の充実が図れるのは確かだろう。

意外とそんな事情が大きいのかもしれない。正直読み手にとってどんなメリットを見込んでいるのか、実際に読者がどのように評価しているのか、アンケートの結果などが知りたいところではある。

・・・社員の評価でも良いな。
(でもこういうのは意外に社員の評価は良かったりする。大きな企業ではこうした情報は社員もなかなか把握できない事が多く、一方でもっとも興味感心を持つステークホルダーだからだ。)

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2012年10月25日 (木)

信頼感と信頼関係

企業が顧客や社会からの信頼を得ようとする目的は、身も蓋もない言い方をすれば提供するサービスや商品に価値を上乗せするためだが、もう一つ考えられる要素として、失敗や苦境に陥った時に許容して助けてもらえるようにというのがあるのではないかと思う。

なんらかのミスが発生した時に「まぁ今回は仕方ないけど次はよろしく」と言われるのと「こんなことがあるようでは今後取引はできない金返せ」と言われるのでは大違いだ。信頼関係を構築するというのは、多分にそうしたクッションを積み重ねる要素があるのではないか。

ただ、ここではたと考えてしまうのは、「ミスをしない」という結果を積み重ねることで、その関係は作れるのだろうかという問題だ。「あそこはミスをしない」という信頼感の獲得は、1回のミスで「信頼を裏切られた」に逆転するリスクを孕んでいるのではないか。とはいえ、だからといってミスが多かったら信頼関係を築くどころではない。

ミスをしない、問題を起こさないことは、信頼感を育む上で重要な要素だ。でもそれだけでOKということはなくて、それを大前提とした上で、何か別の要素を積み重ねる必要がある。必要条件だが十分条件ではないとか、衛生要因だが動機付け要因ではないといった捉え方をすると良いのかもしれない。

では、何を積み重ねるか・・・というのが信頼関係構築の上での大きな命題になる。

答えがあるわけではないのだが、一つ考えるヒントになりそうなのは、信頼「関係」という言葉だ。これは双方向性を感じさせる言葉だが、例えば「ミスをしない」というアクションには、そうした双方向性がない。企業は顧客や社会から信頼を得たいと思っているが、そこにも双方向性があるようには感じられない。

以前あるインタビューで、企業に必要なのは信頼されることをより信頼することではないかという話をした事があるのだが、社会が企業に寄せる信頼と同じかそれ以上に、企業が社会に寄せる信頼とはなんだろうかという事を考えてみると良いのかもしれない。

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2012年10月24日 (水)

精神状態

昨日は練習の後、久しぶりに平河町ライブラリーに行く事ができた。やはり落ち着くというか、いや落ち着いてはいけない様な気もするのだが、行くと何かしら片付くのですっきりする。まぁ大半は書類の整理なのだが、考えの整理などもできたりするので、もう一つのブログを書く余裕が生まれたりする。

このブログはほぼ毎日のルーチンなので、内容はさておき自分の状態に関わりなく書き続けられるのだが、もう一つのブログはその時の状態で変わってくる。テーマを絞り込んだブログを書くには、そのテーマにフォーカスして情報を入手したり、考えを整理したりする必要が生じるため、それをその日意識できたかどうかで、書けるか書けないかが決まってくるのだ。

これは会社のブログも同様で、書けるネタを拾えるかどうかは、多分にその日の状況による。コンスタントに発信していくためには、本来そうではない仕組みを自分の中に作り上げる必要がある。特に会社のブログについては書き手としてのキャラがやや自分とは異なるので、それなりに意識をしなければ書けない。

で、こんなことを書いているってことは、今日の状態はイマイチってことだな。

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2012年10月23日 (火)

アンサンブルにアジャストする

先日来iPadのバッテリーの減りがやけに早いなと思っていたら、自動ロックをオフにしていたのだった・・・。

そんな話はさておき、今日は休みをとったのだが、朝から通常通り活動中。もちろん会社のある渋谷に出たわけではなく、実家に移動して、このブログを書き終えた後はまず練習をする。ドヴォルザークの交響曲7番は、ややまとまってきた、というか、何とか通せるようにはなってきたが、もちろん「演奏」というレベルには程遠い。

何なんだろうか、この難しさは。

思い当たる節は二つある。

一つは音の進行がこれまでの自分の経験にない形である事だ。理論的に実証できないのだが(楽譜が読めない所以だ)、どういう訳か自分の経験に当てはまらない音の進行を要求される感覚がある。全く違っていれば最初からそういうものとして対応できるのかもしれないが、ある程度自分の感覚で処理できる中に、時折思いもかけない形でその進行が襲ってくるのだ。

きちんとした形で楽譜を読めれば、その辺りは整合性をもって捉えられるのかもしれないが、感覚と慣れで対応する事しかできない自分の場合、馴染むまでは我慢の連続である。そして困った事に、この感覚は個人練習では掴む事ができない。チェロパートという単独の楽譜の流れの話ではなく、アンサンブル全体の流れの中でのチェロの位置づけのようなものから流れを捉えているからだ・・・多分。

よく「合奏の中で弾けるようになる」という書き方をするのだが、要するに自分が合奏の中でやっているのは、そういう自分のポジションをアジャストしていく作業なのだろう。楽譜をきちんとさらえるのであればそんなステップは必要ないのかもしれないが、アンサンブルの流れの中で自分が出すべき音はこれという感覚を掴む必要があるのだ。

それができれば、後は個人でさらう領域になる。謝肉祭や8番はそういう状態で、後は指が回っていない所を地道にさらう段階なのだが、7番についてはその前で足踏みをしている気がする。

で、そこでもう一つが深刻な壁となって立ち塞がる。想像だがオケの他のパートも実は同じ様な状態にあり、結果としてアンサンブルの正解が見えていない気がするのだ。つまり弾いていて自分のポジションが分からないという状況にある。例えば第2楽章に1プルトだけで弾く所があるのだが、楽譜はほぼさらえている(こういう箇所はそれなりに必死になる)にも関わらず、弾いていてアンサンブルが成り立っている感覚がない。なんだろうこの不安感は、というか「収まっている」感覚が得られないのだ。

この辺りは、例えば前回演奏会のエル・サロン・メヒコなどは、メカニカルに自分の役割をこなせばきちんとアンサンブルに収まる感覚があって、それが楽しかったのだが、今回はその辺りが異なる。楽譜以外の領域で互いにアンサンブルに収めるための調整が必要で、その部分がまだ手探りになってしまっているような感じなのだ。

それも音楽の楽しさと言ってしまえばその通りで、多分この時代の音楽に特にそうした要素があるのだろう(例えばバロックの通奏低音はかなり機械的だし、逆に新しい曲もそうした印象がある)。

実際、ドヴォルザークはテンポの感覚も曲の中でかなり変化する。前回のアメリカプログラムの曲などは、テンポが変わらない所はメトロノームで練習してもそれほど違和感がなかったのが、ドヴォルザークの曲は譜面上はテンポの変化がなくても、それをメトロノームの一定のリズムに当てはめようとすると、ある所では遅く感じたり、逆に早く感じたりする。それだけ感覚の中でのテンポの変化が激しいという事だ。

そんな訳で、7番に関しては、もう少し合奏の時間が欲しい所。ただ、こうした自分のアプローチはむしろ特殊な方で、一般的には個人でさらってからアンサンブルの練習をするものだ。そんな訳で、休みの日はのんびりしたかったのだが、朝から練習に来ているのであった。


・・・もっとも今日は夜に予定を入れているので、結局夜は都内にも出ていかなければならないんだけどね。風邪気味なんだから多少は休めよという話ではある。

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2012年10月22日 (月)

レポートラインの役割

仕事の情報を共有したり、可視化したりする目的は、重複の無駄を省いたり、組み合わせにより新たな価値を生み出していくためだろう。評価を高めるという目的もあるかもしれないが、それは当人にとっての目的であって、組織にとっての目的ではない。

つまり可視化の評価指標は、そうした重複の削減や連携の発生件数やインパクトによってある程度定量化できる事になる。互いのことが分かってスムーズに仕事が運ぶようになるといった効果は、やや副次的なもので、やはりそうした価値を生み出してこそ意味があるものだろう。

で、改めて思ったのだが、マネージャー、というか「上司」の役割というのは、結局そこなのではないだろうか。もう少し限定して「上司に仕事の報告をする目的」というとより具体的かもしれない。

部下から仕事の報告を受ける。問題点をアドバイスし、効果を最大化する。これはこれで大切なことだが、それはあくまでも仕事をする当人のパフォーマンスを上げるという領域に留まる。アドバイスを受ける当人にとってはそれで良いかもしれないが、組織側から見た場合はやや物足りない気がする。

そうやって受けた報告を組み合わせて、相乗効果や新たな価値を生み出してこそ、組織における「上司」としての役割を果たした事になるのではないか。当人にフィードバックするだけでは、部下に対する役割を果たしただけでしかないからだ。

このように考えると、レポートラインの柱になる組織デザインの役割は重要だ。どの「上司」の階層で、どういった相乗効果を生み出していくのか、組織としての方針を示す事にもつながるからだ。その頂点にいるのが社長ということになる。

部下からの報告を束ねるというのは、そこから新たな価値を生み出してこそ意味のある仕事なのだ。

一方で、組織がフラット化し、互いの情報共有が進んで当人同士で連携ができるようになったというのは、上司がそうした役目を果たしてこなかったか、果たせないと判断されたという捉え方もできる。現場同士の連携が進むようになってよしよしとか言っている役員というのは、実は自分がレポートラインにおける上司としての役割をきちんと果たせていなかった事に気づいていないだけなのかもしれない。

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2012年10月18日 (木)

インプットを断捨離する

昨日は結構遅くまで「真面目に」iPadに向かって原稿作成などをしていたせいか、今朝はやや飽和状態で書く事が出てこない・・・。

この所、インプットの量がやや溢れた状態になっているような気がしている。メルマガやRSSを眺めていても、あまり頭が反応しなくなっている気がするのだ。

思い切って(別に思い切るほどのものでもないが)バッサリ減らしてしまうのも手かもしれない。特にニュースというのは、それに反応する自分の頭があって初めて価値を持つ。一番まずいのは、おそらく惰性で「眺めて」しまう事だろう。自分のキャパシティを超えたインプット負荷を続けていると、そんな状態に陥りやすい。

読みたくなったらまた復活すれば良い訳で(その時探せるかはまた別の話だが、探せない情報は価値がないと割り切る事もできる)、断捨離と同じようにすっぱり切ってしまえば良いわけだ。

コミュニケーションの土台として知り合いと共有しておきたい情報なども、最近はソーシャルメディアでだいたいチェックできる。メディア系の情報は切ってしまって、そのインプットにかける時間を別の事に費やした方が良いのかもしれない。

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2012年10月17日 (水)

ISO26000を読んで話す会

昨日はISO26000についての勉強会。自分から呼びかけたので、一応主催者という事になるだろうか。

個人的な反省点としては、あまり他の人の話を聞けなかった事だろう。ファシリテーターとして考えると当然失格なのだが、最初からそうではないと宣言していたし、元々は自分が考えるときっかけとして開催しているので、(他の人には迷惑かもしれないが)やむなしといえばやむなしなところではある。

それにしても、つくづくこの手の話題では自分がよく喋る人間だなと実感する。ようは発散欲求が強いというか、それだけ普段押さえ込んでいるという事かもしれない。

昨日のテーマは、ISO26000の7つの中核主題のうちの「消費者課題」。内容は先日メモとしてエントリーした通りだが、簡単なレジュメを作成し、一つ一つについて感じた事考えた事を話していくという形式。振り返ってみると、そこで順繰りに話す機会を作れば良かった。

参加者には、それぞれ気になる企業のCSRレポートを持ち寄って付き合わせながら、と案内していたのだが、やってみて思ったのは、ISO26000はレポーティングのガイドラインではないため、必ずしも記載するような課題ばかりではないという事だ。CSRレポートはあくまでも参考読本として扱い、なるべく取り組みや役割をベースに考えていく方が良いように感じた。

参加者からは、各自バラバラではなく同じCSRレポートを持ち寄ると話しやすいのではという意見も出た。これも検討事項の一つだろう。実際昨日はほとんどCSRレポートを使っていない。少人数だからいざとなれば回し読みは可能なのだが、確かに全員同じレポートを読んでいれば、議論は進めやすい。

さて、まぁまぁ面白くなりそう感触を得たので、近日中に第二弾の案内を出す予定。やや面倒なのは場所の確保なのだが、なるべく定期開催する形で、せめて中核主題ぐらいは読み込みたいものだ。

残る課題は、これをどうやって仕事にフィードバックしていくかだろうか・・・。

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2012年10月16日 (火)

ISO26000を読んで考える会

ふと思いついて、表題のような自主勉強会を行うことになった。

ISO26000については、勉強しないとな・・・とは思いつつ、なかなか実現できていない。読むだけでもつまらないし、実感が無いからだ。そんな事ではいけないと思っても、現状では仕事で強く求められている訳でもなく、やる気が出ない事にはどうにもならない。

そこで、無理矢理にでもその気になるような仕掛けとして考えたのが、勉強会だ。複数人でやる、しかも自分から声をかけたとあれば、やらない訳にはいかない。極めて勝手なことをいえば、自分が勉強するために他人を巻き添えにするようなものだ。もっとも、一人で読んで考えるよりも、複数の視点でそれぞれの考えを交換したほうが、知識としても身につきやすいはずなので、参加した人にとって損という訳でもない。

幸いにして、Facebookのグループで声をあげたら、手を挙げてくれた人がいた。

そんな訳で、今日その1回目を開催する。先日のメモはそのための準備の一環だが、今朝ようやく配布用のレジュメも作成した。こういうことを自分でやるようになるのも、こうした勉強会の効果だろう。受身で話を聞くだけと、資料まで作って主体的に参加するのとでは、インプットの質も大きく異なってくる。


・・・もっとも、勉強会として成功するかどうかはまた別の話。
1回で終わるボリュームではないので、できれば定期的に開催していきたいものだが・・・。

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2012年10月15日 (月)

別ジャンルのオケに参加するという事

金曜日からの東北訪問も含めた週末が終了。東北訪問についてはすでに書いたので、昨日のオケについて振り返ってみる。(別に無理に振り返る必要はないのだが。)

府中の練習は、メインのドボルザーク8番とアンコール。もっともアンコールについては、本番の演奏がダメだったらやらないよとコンマスに念を押されてしまった。実際、それぐらいの危機感はある。特に中プロの7番はかなり危ない。

例えば人間は歩く時に足元を見るという事はあまりないだろう。よほど足場が悪ければ足元に注意が必要になるが、基本的には進む方向を見ていて、時によそ見をして周囲の様子を楽しみ、同行者がいれば会話をしながら歩くものだ。

練習していて思うのは、まだ足元を見ている状態だという事だ。足元だけを見ていると、先を見て事前に備える事もできず、目の前の足場の変化に対応するだけで精一杯になる。もちろんこの先の地図や周囲をみる余裕もなく、同行者など目に入ってもいない。

確かに足場は少々注意が必要かもしれないが、そこは慣れの問題でもある。まずは足元を気にせず歩けるようにならなければアンサンブルにならない。それも機械のように決められた足の運びではなく、細かに変化する状況に対応できなければ意味がない。

一方で、演奏会が近づいてきて、演奏以外の事を考えなければならない時間も増えてきた。本来自分の場合、いくらレイトスターターでも、今の時期までには自分の演奏についてはある程度決着をつけていなければならないのだ。そうでなければ最後の1ヶ月に他の事をする余裕がなくなってしまうからだ。

だったら土曜日に予定なんかいれずに練習しろよ・・・というのはまた別の話。先の予定を見るとこれが意外に埋まってしまっている。もっとも集中すれば良いというものでもなく、むしろ少しづつでも継続と蓄積が重要ではあるので、平日の練習をどう確保するかの方が大きな課題かもしれない。


・・・で、そんな状況にもかかわらず、午後は知り合いに誘われて別のオケに見学に行ったりする。以前参加したゲーム音楽オケの関係で、アニメ音楽(という理解で良いんだよな多分)のオケだ。誘われるとホイホイ誘惑に乗ってしまうのが自分の問題点かもしれない。

もっとも、まだ乗ると決めたわけではない。こう書くのは失礼かもしれないが、練習なし初見でもある程度対応できるようでなければ、掛け持ちは無理だ。実際クラシック音楽だったら多分断るだろう。もっとも、ゲーム音楽やアニメ音楽が簡単というわけではなく、編曲の関係もあって役割が明確で、通奏低音に近いため、自分にとっては対応しやすいという話ではある。

また個人的にこうしたジャンルのオーケストラにも興味があるという事もあるだろう。ゲームやアニメという事ではなく、古典的なクラシック音楽以外のジャンルという事だ。現代音楽となると技術的についていけないのだが、自分にとってのオーケストラが奏でる音楽の範囲が広がる感じが楽しいのだ。

そういった意味では、他の参加者と動機はかなり違っていて、例えば昨日の曲なども基本的には知らない曲だ。勝手な推測だが、他の参加者の多くは「知っているあの曲」を演奏したくて参加していると思うのだが、自分が期待しているのは「自分が知らない曲」に触れる機会なのだ。
(そしてそれになるべくストレスなく接する事ができると良い。オレイユだと少々ストレスが強くなってしまうんだよね・・・それはそれで良いのだが。)

そんなわけで、実はもう1件声をかけてもらっているのだが、こちらも迷いどころではある。
昨日の曲ぐらいだと(一箇所手が出なかったが)、府中の練習に影響を及ぼす事もなく、むしろ良い刺激材料となるんだがなぁ・・・。

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2012年10月13日 (土)

石巻~亘理~仙台

今日は連投になるが、明日は休みで書く予定がないので、帰りの新幹線の中で今回の東北訪問を振り返ってみる。

昨日の陸前高田~登米~女川に続き、今日は石巻~亘理~仙台というルート。午前中は石巻で活動するNPOの話を聞き、昼食をとってから亘理に移動、同じく現地で活動するNPOの話を聞き、仙台に戻ってまた話を聞いてから解散というスケジュール。昨日同様、移動時間も結構長いハードなスケジュールではある。
(ちなみにバスで移動中も同行するNPOの話を聞いていた。)

その前に昨日の女川向学館の話。コラボスクールは、学校教育と家庭教育の補完をする役割を担っている。塾に似ているが、営利目的ではもちろんない。民業圧迫にならない様に、塾が再開できる様になったら閉鎖する予定だそうだが、これまで塾に通わなかった子どもたちも通っているという事で、やや迷いのあるところだそうだ。

今回の訪問で改めて感じたのは、子どもたちの教育という課題にはあらゆる要素が絡んでおり、企業を含め誰にでも取り組む理由があると同時に、いかにユニークさを出していくかが課題になるという事だ。

最後に話を聞いた団体の話にあったのだが「民間にできるのは不公平」というのが、実は結構重要なキーワードになる様な気がした。

公平な教育・・・公の役割
不公平な教育・・・民の役割

不公平というとやや語弊があるかもしれない。ユニークとかフレキシブルといったポジティブなニュアンスの言葉を使った方が良いだろう。ようは子どもたちの個性や状況にどうフィットするかという事だ。

もう少し踏み込めば、教える側で決めたプログラムに子どもたちを合わせるのが「公平な教育」、子どもたちに教える側のプログラムを合わせるのが「不公平な教育」と捉えると良いかもしれない。

その話は別にまた考察するとして、今日の行程で個人的に良かったのは、10月頭の訪問では中途半端に終わってしまった気がする仙台以南の状況について話を聞く事ができた点だろうか。やはり一人でウロウロするのと、きちんとアテンドしてもらうのとでは雲泥の差がある。

山の近い三陸では、住居を高台に移転するという選択肢になるが、平野部ではせいぜいそれまでよりも内陸に移動するしかない。代わりに、いかに津波を防御するかという話になる。注目されているのが、伊達政宗の時代に構築が始まった防潮林だ。

防潮堤は一定の高さまでの津波は防げるが、それを超える津波の勢いを止める事ができない。一方防潮林は、波を遮断する事はできないが、その勢いを弱める事ができる。そうする事によって、浸水はしてしまうかもしれないが、破壊され流される危険を減らす事ができるらしい。

今回の津波ではそうした防潮林も多くは流されてしまったが、それによって波の勢いが弱まったと考えられているそうだ。減災という事を考えれば、それはそれで必要なものだし、何よりも緑が増えるというのが良い気がする。

不謹慎な感想かもしれないが、そうなった事情を知らなければ、草が生い茂る平原となったその土地は歩いていて気持ちよかった。防潮林にまで近づく事はできなかったが、日差しを遮る林の中は、もっと気持ち良かったかもしれない。(見た所歩けそうにないほどに下草が生い茂っていたが・・・。)

もっとも、そう思えるのは、すでに瓦礫についてはあらかた片付いているためでもある。そこにあったものを考えれば、それにかかった労力は並大抵ではなく、自分はその後を眺めているだけにすぎないと思わせられるのも確かだ。

やや散文的な内容になってしまった(いつもだが)。後日メモを読み返しながら、会社に報告するレポートを作成する訳だが、とりあえず直後のインプレッションとして残しておく事にする。


さて、切り替えて明日はオケの練習。午後はちょっと誘われた別のオケの見学に行く予定。車が使いにくいので、雨が降りませんように・・・。

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陸前高田~登米~女川

東北訪問の1日目の昨日は、新幹線で一関に集合した後、バスでまずは陸前高田へ。

・・・ちょっと衝撃的だった。先日訪問した際の女川もそうだったが、波が届いた高さが想像を絶する。ビルの4階まで届く高さはもちろんなのだが、驚くべきはその範囲の広さだ。一体どれだけの範囲が建物4階分波に飲まれたのか・・・。

これは写真などではなかなか想像できない。いや、現地に足を運んでもいても、多分本当の所は想像できていない。なんというか・・・言葉が出てこない。

陸前高田から登米への移動は沿岸沿いで、走っていると時折「何もない」地域がぱっと視界に開けたりする。よく見ると建物の基礎だけが残っていたり、堤防らしきものが崩れているのが見えたりする。

途中通り過ぎた南三陸では、がれきの撤去が他に比べて遅れているような印象があった。「杉の木以外は流された」と表現していたが、その杉の植えられた山林沿いまで波が到達したのは、車の中からでも分かる。南三陸には昨年の夏にも訪問しているのだが、津波に流された地域はあまりその頃と変わった様子がない。

ただ、陸前高田でも聞いたが、浸水した地域の多くは地盤沈下の影響もあって土地の嵩上げが必要な場合が多く、それが終わらないと建物の再建もままならないらしい。高台に宅地を造成する際に出てくる土などを使ったりするそうなのだが、そういった理由もあって手つかずで残っている場合があるそうだ。

登米では震災後電子部品製造から高級バッグ製造へ転身した事業者の話を聞いた。

一つ印象的だったのは「自分たちはチリ地震津波を経験していたので、あの地震で津波がこない訳がないと即座に逃げ出した。でも周囲にはそうした緊迫感がなかった」という話。以前気仙沼の方に「警報は聞いたが津波が来るとは思っていなかった」という話を聞いたのと対象的だ。

こうした「経験」をいかに「知識」として実践出来るようにするか・・・「歴史に学ぶ」というが、こうした経験には恐怖が伴うものだから、可能であればそうした恐怖を伴わない知識に転換していく必要があるような気がする。

女川入りしたのはすでに暗くなってから。以前から関心のあったコラボスクール「女川向学館」を訪問して話を聞く。

・・・が、2日目がスタートするのでその話は後日。さて、今日の移動距離も長そうだ。

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2012年10月12日 (金)

実名の方が主張ははっきり書ける

今日明日と東北へ。NPOの主催する東北訪問プログラムに参加するためで、先日に続いて立て続けの訪問になる。宿泊は石巻でこれも同じ。本当なら少し時間を置いて変化を知りたい所だが、やや間が悪いと言えるかもしれない。

その話はさておき(今日の段階では特に書ける事がない)先日考察した別のブログへの本名の記載を昨日行った。多少勢いのような所もあるが、すでにFacebookやTwitterのリアルな知り合いには知られている話だし、あまり困る事はないだろうと判断した。

個人的な感覚としては、知らない人に自分の名前が知られる事よりも、自分が知っている人に書いている事を知られる方がプレッシャーが強い。という事は、知っている人はだいたい知っているとも考えられるので、すでに一番強いプレッシャーの段階は通り過ぎてしまっているのだ。

本来、相手の名前や人となりを知っている方が、意見は言いにくいものだろう。特にブログの場合、知らない相手の書いている内容の方が遠慮なしに突っ込みやすい。書かれている内容だけに向き合えるからだ。これに書き手の属性情報が加わると、その辺りへの配慮も必要になってきたりする。

ちなみに書き手側として考えると、自分の正体を明かしている方が遠慮なく書きやすいというのが個人的な感覚なのだが、これはあまり一般的な感覚ではないかもしれない。多くは匿名である方が遠慮ないと考えているだろう。

匿名というのは、自分の側に突っ込まれる要素がないもしくは薄い状態とも言える。だから本来意見を表明する際には「相手が反論できない」事に配慮する必要がある(そういった意味では先のブログを自分は匿名とは考えていなかったが、人によってはそう見えるのだろう)。

匿名でない場合、その事に配慮する必要がない。反論があれば受ける事が出来るのだから、より突っ込んだ意見表明ができると考えるべきだろう。

という訳で、これからはさらに遠慮なく絡んでいく事を考えているのだった。もし逆の反応を期待していたのだとしたらその期待を裏切るようで申し訳ないが、伏せている間はどう暴露されるか分からないリスクがあったので注意をしていたが、個人であると宣言した方が書きやすくなる事もあるのだ。

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2012年10月11日 (木)

感謝表明システムとしてのお金

昨日のエントリーがなかったのは、タスクリストが乱れているからではなくて単に近隣事業所に直行だったからだが、それはさておき昨日の一連のTweetの続きなど。

もう少し突っ込んでおくと、お金を感謝の表明システムとして考えた場合、社会的な地位や立場に応じてむしろコストが上昇する傾向があるとも考えられる。先の例でいえば、お礼として平社員が100円払う場合と、社長が100円払う場合の印象の違いがそれだ。
一般的にいえば、同様に得られる感謝(対価)も比例するはずなので、理屈上は大きな損得の差は無いはずだが、通貨によらない感謝表明に比べればその差は歴然たる違いだろう。

成金(言葉のイメージはともかく)が嫌われる理由は、おそらくそのお金の「受け取り方」の問題よりも「渡し方」の問題が大きい。成金というのは、立場を利用した感謝表明ができない分、感謝の表明としてお金を積極的に使う人のことだ。だから「金で何でも買う」みたいなイメージで語られやすい訳だが、これは立場を利用することで相対的に低いコストで感謝を表明してきた人たちの優位性を脅かすことにつながる。

だから、そうした「お金を感謝表明のシステムにしたくない」人たちにとっては、お金は「汚いもの」であった方が良いということになる。お金よりも価値のある感謝表明システムがあった方が有利だからだ。

「お金が人生を狂わせる」のではない。「お金は汚いもの」という考えこそが人生を狂わせるのだ。

自分の受け取ったものが「相手の感謝の気持ち」であり、自分の渡すものが「相手への感謝の気持ち」であったら、そうそう人は狂えるものではないのではないだろうか。汚いのはそうした人の気持ちであって、お金ではないよ。

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2012年10月 9日 (火)

タスクリストの乱れ

あまり三連休らしくない三連休が終了。土曜日、月曜日と出社していれば気分的に休んだ感じはないのも仕方がないかもしれない。もっとも、元々仕事でなくても休んだ感じはしないので、たまたまやることがいつもとちょっと違っただけの話ではある。

とはいうものの、その間にタスクリストがまたぐちゃぐちゃになってきた。あまりタスクリストでの管理にこだわるつもりはないのだが、経験上リストが乱れる時というのは、もろもろも乱れていて、会社の仕事以外の領域にも影響が出る事が多い。オケの連絡で伝えるべきことを忘れてしまうといった具合だ。(あとはゴミ出しとか公共料金の支払いとか・・・。)

そうした状態の立て直しには、平河町ライブラリーのような場所で一旦落ち着く必要があるのだが、今週はなかなかその時間がない。府中も本番まで2ヶ月をきったのだが、どうにも弾く方が安定しないので個人練習を増やす必要がありそうだし、今週は営業日が少ないのに外出や夜の予定、週末にはまた東北へ行くというおまけまである。

・・・と思ってカレンダーを見ると、意外に空き時間があった(笑)普段月間のスケジュールで一覧しているのだが、週間のバーチカルの表示にしたりすると、意外に空いているような気分になる。

とはいえ、この気分というのが実は曲者で、実際にはちょっと作業をするとあっという間に消えていく時間だ。タスクリストが乱れている時というのは、登録自体が抜け落ちているタスクも多数存在するので、あれを思い出した、これを思い出したとやっているうちに、ズルズルと時間がなくなっていく。

・・・まぁ、こんな事をブログに書いている間に、やれる事を少しでもやれという話ではある。とりあえず会社以外のメールをいくつか対応しておかなければ。

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2012年10月 5日 (金)

ISO26000に関するメモ:消費者課題

勉強会が近づいてきたので、項目と気になる点だけでもメモしておく事にする。

6.7 消費者課題は、商業的な目的で購入する顧客ではなく、私的な目的で購入する消費者に関する課題を取り扱う箇条。ここでいう「消費者」は、製品やサービスに対して金銭を払う消費者を意味しておらず、組織の意思決定および活動の成果を使用する個人及びグループをさす。
当然ながら、消費者に便宜を提供するあらゆる組織が対象になる。

(原則)
消費者の権利として提示されているのは以下のようなもの。
-安全の権利
-知らされる権利
-選択する権利
-意見が聞き入れられる権利
-救済される権利
-教育を受ける権利
-健全な生活環境の権利

追加原則としては以下のようなものがある。
-プライバシーの尊重
-予防的アプローチ
-男女の平等及び女性の社会的地位の向上
-ユニバーサルデザインの推進

こうした権利を確保する基本的責任は国家にあるが、組織もこの権利の実現に貢献することができる。特に国家がそうした責任を満たせない地域においては、組織はその影響に細心の注意を払う必要がある。

消費者課題
1.公正なマーケティング、事実に即した偏りのない情報、及び公正な契約慣行
2.消費者の安全衛星の保護
3.持続可能な消費
4.消費者に対するサービス、支援、並びに苦情及び紛争の解決
5.消費者データ保護及びプライバシー
6.必要不可欠なサービスへのアクセス
7.教育及び意識向上


とりあえず消費者課題についてメモをしたが、そもそもの社会的責任の原則も併記しておこう。

4 社会的責任の原則
-説明責任:組織は、自らが社会、経済及び環境に与える影響に説明責任を負うべきである
-透明性:組織は、社会及び環境に影響を与える自らの決定及び活動に関して、透明であるべきである
-倫理的な行動:組織は、倫理的に行動すべきである
-ステークホルダーの利害の尊重:組織は、自らのステークホルダーの利害を尊重し、よく考慮し、対応すべきである
-法の支配の尊重:組織は、法の支配を尊重することが義務であると認めるべきである
-国際行動規範の尊重:組織は、法の支配の尊重という原則に従うと同時に、国際行動規範も尊重すべきである
-人権の尊重:組織は、人権を尊重し、その重要性及び普遍性の両方を認識すべきである

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2012年10月 4日 (木)

雑感

昨日の清掃活動は雨で今日に延期になったため、今日も手短に・・・したいところ。
・・・と思ったのだが、ネタが思い浮かばなかった。無理やり書く気力もなし。
まぁそんな時もあるさね。

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2012年10月 3日 (水)

石巻〜仙台

今朝は会社の清掃活動イベントがあるので手短に。
日曜の午後から昨日までの石巻〜仙台めぐりは無事終了。台風も(自分にとっては)大きな影響もなく、特に月曜日は良い天気だったので助かった。
この日は、NPOの方にアテンドをしてもらい、
・門脇献花台
・門脇小学校
・日和山公園
・寿屋
・Yahoo!石巻復興ベース
・石巻まちなか復興マルシェ
・ピースボートセンターいしのまき
・湊第二小学校
・蛤浜
・女川町地域医療センター
・女川町清水地区(がれき置き場)
・きぼうのかね商店街
・高政「万石の里」
などを見て回る。
火曜日は雨の中帰るだけだったのだが、石巻からなるべく海岸沿いに南下。松島、塩竈あたりまでは良かったのだが、そのあとは関係者以外立ち入り禁止の区域が多く、海沿いまで行く事はできなかった。
結局山元町まで南下し、そこでは常磐線の坂元駅にまで車を入れることが出来たが、駅舎は見る影もなかった。仙台以南の海岸沿いは、がれき処理なども含めてまだまだ一般人が近寄れる状況ではないように感じた。
全体として感じたのは、津波に襲われたエリアとそうでないエリアとの落差だ。女川町でも感じたが、がれきの撤去が終わった場所は、住宅の基礎などが草で覆われてしまうと、最初から何もない更地のように見えてしまう。
所々傷んでいる道路を走っていると(未舗装もある)、時折残っている1階がぶち抜かれてしまった建物が痛々しく、さみしげに映る。
間近で見たり、高台から眺めると、実はそこが住宅地であったことが分かるのだが、こうしたエリアは今後どうなるのだろうか。そう思うと、復興はまだまだという気がしてくる。
その後は白石まで移動して、東北道で帰ってきた。
運転距離もそこそこあるのだが、精神的にも少々疲れるドライブだった。昨日はさっさと寝てしまった。
さて、今日からは休んだ分などを取り戻していかなければ。

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2012年10月 1日 (月)

石巻の朝

今日は石巻に来ています。

昨日の練習終了後に移動。台風に先行できたので道行きの天候は問題ありませんでしたが、宿泊は旧北上川の近くだったため、エリア的には避難勧告がでました。実際には避難はしませんでしたが、冠水の可能性がなかったわけではないので、車はやや心配でした。

結果としては特に問題もなく、今朝はよい天気です。
ただ、テレビを見ていると多くの学校が始業時間を遅らせるといった案内が流れていて、注意が必要だったのは間違いありません。

Img_0318

今日はこれからこちらで活動しているNPOの方に市内を案内していただき、夕方は仙台支店に入ります。

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