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2012年10月23日 (火)

アンサンブルにアジャストする

先日来iPadのバッテリーの減りがやけに早いなと思っていたら、自動ロックをオフにしていたのだった・・・。

そんな話はさておき、今日は休みをとったのだが、朝から通常通り活動中。もちろん会社のある渋谷に出たわけではなく、実家に移動して、このブログを書き終えた後はまず練習をする。ドヴォルザークの交響曲7番は、ややまとまってきた、というか、何とか通せるようにはなってきたが、もちろん「演奏」というレベルには程遠い。

何なんだろうか、この難しさは。

思い当たる節は二つある。

一つは音の進行がこれまでの自分の経験にない形である事だ。理論的に実証できないのだが(楽譜が読めない所以だ)、どういう訳か自分の経験に当てはまらない音の進行を要求される感覚がある。全く違っていれば最初からそういうものとして対応できるのかもしれないが、ある程度自分の感覚で処理できる中に、時折思いもかけない形でその進行が襲ってくるのだ。

きちんとした形で楽譜を読めれば、その辺りは整合性をもって捉えられるのかもしれないが、感覚と慣れで対応する事しかできない自分の場合、馴染むまでは我慢の連続である。そして困った事に、この感覚は個人練習では掴む事ができない。チェロパートという単独の楽譜の流れの話ではなく、アンサンブル全体の流れの中でのチェロの位置づけのようなものから流れを捉えているからだ・・・多分。

よく「合奏の中で弾けるようになる」という書き方をするのだが、要するに自分が合奏の中でやっているのは、そういう自分のポジションをアジャストしていく作業なのだろう。楽譜をきちんとさらえるのであればそんなステップは必要ないのかもしれないが、アンサンブルの流れの中で自分が出すべき音はこれという感覚を掴む必要があるのだ。

それができれば、後は個人でさらう領域になる。謝肉祭や8番はそういう状態で、後は指が回っていない所を地道にさらう段階なのだが、7番についてはその前で足踏みをしている気がする。

で、そこでもう一つが深刻な壁となって立ち塞がる。想像だがオケの他のパートも実は同じ様な状態にあり、結果としてアンサンブルの正解が見えていない気がするのだ。つまり弾いていて自分のポジションが分からないという状況にある。例えば第2楽章に1プルトだけで弾く所があるのだが、楽譜はほぼさらえている(こういう箇所はそれなりに必死になる)にも関わらず、弾いていてアンサンブルが成り立っている感覚がない。なんだろうこの不安感は、というか「収まっている」感覚が得られないのだ。

この辺りは、例えば前回演奏会のエル・サロン・メヒコなどは、メカニカルに自分の役割をこなせばきちんとアンサンブルに収まる感覚があって、それが楽しかったのだが、今回はその辺りが異なる。楽譜以外の領域で互いにアンサンブルに収めるための調整が必要で、その部分がまだ手探りになってしまっているような感じなのだ。

それも音楽の楽しさと言ってしまえばその通りで、多分この時代の音楽に特にそうした要素があるのだろう(例えばバロックの通奏低音はかなり機械的だし、逆に新しい曲もそうした印象がある)。

実際、ドヴォルザークはテンポの感覚も曲の中でかなり変化する。前回のアメリカプログラムの曲などは、テンポが変わらない所はメトロノームで練習してもそれほど違和感がなかったのが、ドヴォルザークの曲は譜面上はテンポの変化がなくても、それをメトロノームの一定のリズムに当てはめようとすると、ある所では遅く感じたり、逆に早く感じたりする。それだけ感覚の中でのテンポの変化が激しいという事だ。

そんな訳で、7番に関しては、もう少し合奏の時間が欲しい所。ただ、こうした自分のアプローチはむしろ特殊な方で、一般的には個人でさらってからアンサンブルの練習をするものだ。そんな訳で、休みの日はのんびりしたかったのだが、朝から練習に来ているのであった。


・・・もっとも今日は夜に予定を入れているので、結局夜は都内にも出ていかなければならないんだけどね。風邪気味なんだから多少は休めよという話ではある。

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