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2012年11月12日 (月)

他のパートを気にするという事

いよいよ本番が間近に迫ってきた府中のドヴォルザークだが、昨日の指揮者からの指摘は非常に示唆的だった。個人的に反省させられたといって良いだろう。

おおよその趣旨としてはこんな感じだろうか。

「曲に慣れて一人ひとり音は出せるようになってきたけれども、それぞれが自分勝手にやっているように聴こえるので、慣れた分だけ他のパートを気にするようにしましょう」

最後の「気にする」というのは、実際にはもう少し言葉を重ねていたのだが、ああ自分にはそれができていないなと顕著に実感する事がある。

それは練習後に(練習中でも良いが)に、「あのパートって○○だったよね」という意見がほとんど出てこない事だ。良かった事でも、悪かった事でも良いのだが、他のパートに対する感想や要望が出せない。他のパートを気にするよりもまず自分の音をしっかり出す、というのは聞こえは良いかもしれないが、単なる言い訳にすぎない。

他のパートを批判するといった事ではなく、一定の音楽的意思を持ってオーケストラの中で演奏していれば、他のパートがどう聞こえているかというのは、自ずと気になって良いはずだろうという事だ。それを言う言わないはまた別の話で、むやみと口にすれば良いと言う訳ではないだろうが、意見がないというのは、全然次元が違う。

自分の場合、練習を振り返った時にそれがない。もっと踏み込むと、自分の出していた音にすらそうした事があまりない。一体全体「音楽として」何をやっていたのか、という気分になる事も少なくない。

一方で、より刹那的というか、瞬間瞬間を大切にしているのかもしれないと考える事もある。気が回らない時もあるが、基本的に自分のスタンスが、「事前に」こう弾きたいとか、「事後に」こう弾きたかった、ではなく、「今」こう弾く、にあるのは確かだ。その際には当然、他のパートとの関係がどうありたいという事も含まれてくる。

ただその場合問題なのは、周囲の音が「聞こえた場合」のみアンサンブルが発生するという極めて受動的姿勢である事だろう。事前にスコアを読み、後から振り返るのは、その時は(たまたま)聞こえないような領域にも意識を広げて、アンサンブルに広がりと深みをもたせるための行為だとも言える。

多分それが自分には決定的に欠けているのだ。

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