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2012年11月19日 (月)

指揮者は指導者か

怒涛の土日(・・・というほどでもないか)が終了。金曜の夜の個人練習に始まり、土曜の午後にアンサンブル、日曜は午前午後とオーケストラ。流石にこれだけ連続して楽器を鳴らしていると、日曜の午後あたりには調子良く響くようになり、鳴りすぎだから抑えろと言われてしまった。

アンサンブルの練習は何とかのりきったが、次回までにはもっと高いレベルになっていなければならない。当面の課題は他のパートを把握して、自分がどう解釈するかを明確に(するのは無理でも多少なりともクリアに)する事だろうか。オケのように指揮者がいる訳ではなく、解釈も含めて自分たちで考えていくのが、アンサンブルの醍醐味でもある。

と、そんな事を考えながら、昨日のオケの練習を振り返って、ああうちのオケはそうした「自分たちで考えてアンサンブルを作っていく」という意識が欠けている人が多いのかもしれない、と思ってしまった。

昨日の午後は、指揮者のスケジュールが合わずに、コンマスの指導による合奏となったのだが、その指示を聞きながら、こんな事を感じたのだ。

「うちのオケが指揮者に求めているのはこれ(指導)で、一方指揮者がうちのオケに求めているのはこの先の領域(指揮)なのかもしれない」

指揮者によっては、両者を一体化させて行う人もいるのだが、今回の指揮者はおそらくそうではない。だからなんとなくかみ合わない感じがあるような気がするのだ。

指揮者と指導者は必ずしも一緒ではない。学生オケであれば一緒である事が多いだろうし、市民オケでも指揮者が固定であればそうした関係にある程度なってしまうだろう。指揮者が「オケの音楽」を統括する立場になるからだ。

だが府中は必ずしもそうではない。指揮者を固定していないのは、その演奏会において指揮はお願いするけれども、オケの音楽を一定の方向性を持って高めていく指導的立場は必ずしも求めないという事でもある。むしろオケの側にどう成長し音楽集団を作っていくかという意思があって、それに合致した指揮者をその都度選ぶというスタイルに近い。

スタイルはそうなのだが、実態はそうではないのだろう。集団としては受け身にも関わらず、指揮者の選び方などはその逆という状態なのかもしれない。

一方で面白いと思うのは、昨日の午後のコンマスの指導の中心は「自らでアンサンブルを作り、指揮者がそれをドライブする」というもので、それはまさに今回の指揮者が求めている事と合致しているだろうという事だ。その点では一致しているのに、実際にはかみ合っていない。それは
おそらく、多くの団員がアンサンブルは指揮者に「指導して作ってもらうもの」と思ってしまっているからではないか。

昨日のコンマスによる練習は、指揮ではなく指導だ。指導として「互いに聴きあえ」と指示されれば、それをこなすだけの技量が府中にはある。でもそれは「指示されたから」であって、そうした指導をするのが指揮者の役割と捉えてしまっている節はないだろうか。

そうした指導に応えるのが喜びだから、そういうスタイルの指示をされると喜んで応え最大限の能力を発揮する。一方、そこまでは自分たちでやってくださいと投げ出されると、どうしたら良いか分からないから戸惑う。そんな状態にあるような気がする。

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