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2012年11月20日 (火)

意思のあるディミヌエンド

日曜日の練習の録音を聞きながら、つくづく思う事がある。

意思のある強弱を表現するにはどうしたら良いのか。

特に音を弱くしていくディミヌエンドは録音で聞くととても悲惨だ。もちろん音源としての荒さ(そもそもiPodのボイスメモで録音してそれを圧縮変換している)に起因している可能性もあるのだが、それにしても意思が感じられない。何というか「息を潜めていく」ような気配が感じられない。

管楽器の方がそうしたニュアンスの付け方は上手い傾向がある。楽器の特性なのか、府中のメンバーが上手なのかは不明だが、小さくしていく、あるいは大きくしていくという意思が音に込められている感じがある。

弦楽器は・・・強弱がない訳ではなく、自然と「そうなってしまった」という感じで、意思が感じられない。その意思のなさは、おそらくつける強弱の不足からきているものだ。最弱と最強の幅が狭いため、落差が不足しており、そのために「何となく大きくなったり小さくなったり」という印象から脱しきれていない。

おそらくこれは気持ちの問題というよりも、技術の問題だろう。弦楽器は人数が多いため、全員が同じようにしなければ、どんなに一部の人間ががんばっても曖昧な表情になる、ということもある。そういった意味ではパートの全員が同じようにできる必要がある。

ではそのためにはどのようなトレーニングをすれば良いだろうか。パート練習でやるようなものではなく、個人で身につけるものだろうが、はっきりとそのためのトレーニングが必要な気はする。

かくいう自分もそういったトレーニングを受けた事はない。だから、どのように練習したら良いかが分からない。楽器を弾く際の身体感覚として、音の強さをどのように感じ取りコントロールするかといった事はあまり考えた事がなく、「何となく」でしか処理していないのだ。

意思のある強弱ができるかは、気持ちの問題というよりは、技術の問題だ。気持ちを表現できるだけの技術(テクニックというよりも「使い分けている」という感覚)があって成り立つものだろう。

そう考えると、まずは客観的な音量と自分の感覚を一致させるという作業が必要になる。こう弾いた時はこの音量という感覚がきちんとチューニングされてくれば、求められる音量に対してどう弾くかという事が高い精度で調整できるように・・・なるかもしれない。

音量計みたいなものでモニタリングしながら弾いてみたりすると良いのだろうか。録音を聞くのではなく、リアルタイムに分からないとトレーニングにはならないだろうとは思うんだよね。

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