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2012年11月16日 (金)

育児休業は甘えか

個人的に育児休業というのは、労働者の権利ではなく子どもの権利の一環で企業と親の義務、みたいな受け止め方をしていて、企業としては少子化という社会課題への貢献という側面もあると思っているのだが、そうした話はさておき、なんとなく釈然としない。

子育て社員甘やかさず「制度使う以上仕事で貢献を」:日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO48367160T11C12A1WZ8000/

電子版は購読していないので、本紙で内容を確認(14日夕刊)したのだが、企業側の姿勢としては正論だとは思いつつ、何だろうかこの違和感は・・・記事の取り上げ方の問題なのか、斬り込み方がしっくりこないのか。

まず一つ気になるのは「甘やかす」「甘やかさない」という文脈でこの問題を捉えている事だ。制度の利用が「甘え」で、企業はそれを「働く側の権利で妨げられない」と容認・・・みたいな捉え方は本当に企業との従業員との関係としてあるべき姿なのだろうか。

別のブログで日本企業の家族的経営(家族経営ではない)について、このように書いた。

(少々うがった見方をすると、「家族的」を「家父長的な体制」に置き換えれば、子どもに位置する労働者の権利がどれだけ正当なものかにもやや疑問が生じます。家族的というのは、一見良いイメージで語られますが、子どもは親の絶対的支配下にあり、反論など許されない関係、という捉え方も出来るわけです。)

甘えという表現も、この「企業=親、従業員=子」という文脈が背景にあるような気がしてならない。対等と捉えていれば、少なくともこのような表現は出てこないはずだ。当事者がそのように捉えてしまっているのはともかく、それを記事として客観的に描く際にその表現を当たり前に使ってしまうのはどうなのだろうか。


二つ目は、そもそも問題の捉え方が違うのではないかという疑問だ。育児休業が企業や現場の負担となるのは、それが長期化するためだ。長期化するのは何故かといえば、働きながらの子育てが難しい環境と風土にある。枠記事で指摘されているが、男性の家事分担が当たり前の文化としてある米国や(何かでも実態はそうではないという話も読んだ気がするが)、メイドを雇うアジアと違い、日本では女性の家事負担が大きい。

いやもう少し別の捉え方をした方が良いかもしれない。育児期の家事分業率が低く、専任にならざるを得ない社会的・文化的背景があるとでも言えば良いだろうか。その専業負担が働く女性だけに押し付けられているという事だ。その部分を変えるようなアプローチや、変えないのであれば、別の対策が必要なのではないか。

例えば父親に必要なのは、一時的な育児「休業」よりも、時短勤務やフレックスによる日常的な家事・育児への参加のしやすさかもしれない。そうした対策なら男女問わず平等に運用できるし、そもそも「甘やかす」という発想にはならないだろう。

あるいは扶養手当をどーんとあげて専業負担を支援するというアプローチもあるかもしれない。もちろんその場合は、育児期間中だけでなく、途切れてしまう相方のキャリアも補填できるだけの手厚さがなければならない。逆に男性も含めて扶養手当なんて「甘やかし」をそもそもやめてしまうといった発想もあるかもしれない(これはでも脱線だな・・・。)


三つ目は、企業にとってこうした制度は、本来優秀な従業員を「手放さない」ためのものであるはずなのに、従業員が「ぶら下がる」ためのもののような受け止め方になっている事への疑問だ。そこに対する踏み込みがない事への疑問と言ってもいい。

実態は「キャリアが途切れてしまう」以上に「雇用が途切れてしまう」事の問題が大きいような気がするのだ。


余談だが、長期の休業の場合に「同じ職場に戻る」という条件は意味がないし、そこは互いに割り切る必要があると考えている。そもそも働き続けていたって、2年後3年後に同じ仕事をしているとは限らないのだ。長期の休業というのは、そもそもそれ自体が異動という捉え方で、企業も労働者も臨めば、もう少し違ってくる(残った人員で業務分担なんて問題が「異動」で発生する訳がない)のではないだろうか。

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