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2012年12月 5日 (水)

防げたかもしれない事故の責任

笹子トンネルの事故は衝撃的だった。中央道は利用頻度が高く、特に冬場は毎週走ることも珍しくない。復旧には年明けまでかかるようだが、冬のスキーについては別方面も考える必要があるかもしれない。

そんなレジャーの話はさておき、こうした事故(検査が不十分だったといった「対策をしていれば防げたかもしれない」ような事故)の話を聞くたびに最近考えてしまうことがある。

「自分はそのサービスの受益者として応分のコストを負担していただろうか」

今回の事故では、点検が不足していたことが指摘されている。これを不手際と責めるのは簡単だが、何かをするにはコストがかかるとなれば、誰がそのコストを負担すべきだったかという問題になる。それは受益者以外にはあり得ない。

高速道路には通行料金がかかる。その通行料金の一部を使ってメンテナンスが行われる。業者はその限られた資金の中から検査のコストを捻り出す。よりコストをかけるべきだったという議論はあるだろうが、余裕があれば当然行われる可能性は増す。

それはつまり、間接的には事故の責任を自分も負っているかもしれないという事だ。サービスが不足する、安全管理が不足する、そういった不足には当たり前だがコストの問題がつきまとう。何に振り分けるかはサービス提供者の問題で、その意思決定には異論もあるだろうが、そもそも受益者側のコスト負担が不足していて、その限られた資源のやりくりを提供者に強いていたという可能性はないのか。

高速料金が安いと思ったことはないし、もちろん安いにこしたことはない。高かったとして、事故が防げるような検査が行われたかどうかは定かではない。だが、老朽化し、よりメンテナンスが必要になる中で、それを十分に行ってもらえるだけのコストを自分が負担していたか、と問われると自信がない。要求してもらえれば負担した、というのは簡単だが、無言のプレッシャーでその要求を封殺していたかもしれない。

別にNEXCO中日本を擁護する訳ではないし、彼らに責任がないというつもりもない。
社会の一員として、受益者の一人として、何か自分にも責任があるのだとしたらそういう事だろうなと思うだけだ。今後そのために利用料金があがっても、自分は必要ならば高速道路を使う事で、そのコストを負担する事を選択するだろう。

お亡くなりの皆様のご冥福をお祈りいたします。

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