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2013年1月31日 (木)

手書きの理由

考えを整理したい時には、手書きにすることが多い。

このブログも含めて、以前はキーボードを叩きながら考えをまとめることが多かったと思うのだが、ここしばらくは手書きも増えている。意外に手書きのメモをスキャンした資料も結構残っている。

で、手書きだったらiPadでできないのか、と考えてしまうのだが、不思議とそういう気にはならないようだ。

基本的に文字ばかりで、イラストや図形を書くこともほとんどない(せいぜい矢印と枠囲いぐらい)ので、そもそもあまり手書きのメリットがあるようにも思えないのだが・・・字は汚いし、読み返しても判別できない場合すらある。

それでも手書きをするのはなぜかと言えば、文字を書く時のペンを持つ手指へのフィードバックの感覚が心地良いのではないか。

今使っているのはパーカーのエスプリという万年筆だが、実際ペンを変えるとあまり書く気が生まれてこない。最近新調したラミーのサファリも、なんとなくペン先の滑りが気に入らず、あまり使っていないし、ボールペンに至っては使いたいとも思わない。
(ラミーに関していえば、前に使っていたアルスターは良かった。同じサファリで多用していたものもあるし、一本一本でもペン先に違いがあるのだろう。)

そう考えると、iPadで手書きメモをするようになる事はまずなさそうだ。慣れの問題などもあるのだろうが、フィーリングの領域だし、別に慣れたいとも思わない。

現状であえて不満をいうなら紙が・・・考えを書き殴るのに使っている会社のA4のメモ用紙(昔FAX用紙として使われていて、今は使われていないので大量にもらったもの)は良いのだが、ちょっとしたメモ帳として使っているモレスキン(カイエ)の紙は、やや使っているペンとの相性が悪い。ペン先の滑りがやや引っかかる感じだし、インクがやや裏写りしてしまうという問題もある。もっとも字の太さの関係でサファリを使っているからという事もあるのかもしれない。

持ち歩きのサイズとしては悪くないのだが、他になかなか良いものに巡りあわないんだよねぇ・・・。

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2013年1月30日 (水)

慣らしの時間

昨日は上野の森(交響楽団)の練習。大分慣れてきたとは思うのだが、やはり巨人は難しい。というか合奏の時だけで弾けるようになろうというのがそもそも甘い訳で、楽譜もいただいたことだし、そろそろきちんとさらわなければならない。(今頃言うな。)

それとあまり自覚がなかったのだが、夜になると若干視力が低下しているのかもしれない。言い訳ではなく、本当に楽譜が読みづらい瞬間が何度かあった。目をかっと見開いて楽譜を凝視すれば見えるのだが、結構楽譜に対して乗り出してしまっていた。

その辺りは、楽譜の読み込みが進めばある程度解決できるだろう。そもそも初見みたいに楽譜にかじりついていたってアンサンブルにはならない。

さて、弦の張り替えをしたので、響きが劣化した感じはなくなったのだが、今回張ってみたhelicoreは、柔らかい感触でやや頼りない。悲愴を弾いている時もそう感じたのだが、弓の圧力を強くしても音量が出にくいような感じだ。ソフトな音は出しやすく感じるのだが、張りのある音が出ている気がしない。

もっとも、それは弾き方の問題という可能性もある。というか、多分弾き方の問題だろう。無駄な力をかけすぎなのだ。おそらく自分が感じている以上に(客観的には)音量は出ていて、弦への圧力はもう少し弱めても良いような気がする。課題はむしろそうした全体のテンションを少し下げた時に、小さい音をきちんと響く形で出せるかどうかだ。

昨日の練習でいえば、ペレアスとメリザンドは特にそうした響きを丁寧に作る必要がある気がする。フォルテの音量をこれ以上あげるのではなく、ピアノの音量を今以上に下げて、その上で音が潰れたりかすれたりしないように弾けなくてはならない。

そうした音作りは、逆にアンサンブルの中では難しい。自分だけの音が聞こえる環境で響きを確認しながら、弓の圧力や速度のバランスをとるトレーニングが必要だからだ。その辺り、少し新しい弦にアジャストするための慣らし(鳴らし?)の時間を確保しなければならないだろう。

でも今週末土曜日はもちろんスキーの予定。ま、午後はまた練習をするだろうから、そこでがんばることにする。

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2013年1月29日 (火)

右手のトレーニング

日曜日は悲愴の合奏だったのだが、何というかむき出しの感情に無理やり掴まれたという感じでやたらと疲れた。もっともそれ以前に、弓も折れよとばかりに力を込めても思ったような大きな音が出るわけではないのだから、その辺りもう少し冷静になる事が必要だろう。

今回は右手の使い方がとても重要になる気がする。楽器を弾くという事において弓を動かす右手が重要であることは元々言うまでもないのだが、特殊な奏法というよりも、緻密な計算とコントロールが要求されるとでも言おうか。

その場合、どのようなトレーニングが必要だろうか。

基礎部分はもちろん重要だが、楽譜の習熟も必要だろう。「頭文字D」の最新巻で、コースを知り尽くすことで驚くほどスムーズに走るドライバーが出てくるのだが、それに似ている。今この音にどれだけ弓を使うか、どれだけ圧力をかけ、どれだけ速く動かすか、という事を、先の先の音までのつながりを意識しながら行う必要がある。

それも理想は「反復練習で毎回同じに弾けるようになる」事ではない。弾き方を固定してしまったら、刻々と変化する状況に対応できない。音楽というのはライブだから、時々の状況にあわせて微調整をしなければならないからだ。その時のテンポ、周囲の音量、はては自分自身の精神的なテンションまで含めて緻密にコントロールすることが求められる。

・・・本来ならば(笑)

いやもちろんそうした状態をめざしはするのだが、勝負事ではないのだから、そこは割り切ることも可能だ。というか、アマチュアだからある程度割り切るしかない。その上で、どこまで理想に近づけるかだろう。

あとはどういったトレーニングをするかだ。右手のトレーニングというのは、あまり意識してやったことがない。左手は楽譜を「さらう」事が、そのまま指を動かすトレーニングにもつながるが、右手はそれほど単純ではないような気がする。

難しいのは、教則本などを読んでも、出すべき音のイメージができないことだ。右手の使い方は奏でる音の質に直接関わってくるのだが、そのトレーニングで出すべき音、出るようになる音というのが分からないから、結局曖昧な練習になってしまう。

何か良い方法はないだろうか。

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2013年1月28日 (月)

早期退職と退職金

ようするに会社員としてはこういうことを突きつけられたと考えれば良いと思うのだ。

・定年までに勤め上げたら退職金を減額します
・早期退職すれば退職金は満額払います

・・・で、早期退職したら「無責任」「裏切り者」と全社をあげて糾弾するけどどっちにする?と。

“早期退職”7県で450人余に
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130123/k10015007351000.html

政治家だったらこんな感じ。

・任期まで勤めあげたら同一選挙区からの再選は禁止されます
・解散もしくは辞任をした場合はその限りではありません

・・・で、残り2ヶ月でまだ大事な法案の審議も残っているけどどっちにする?と。
(残り1日とかで解散しそうだけど・・・きっと万歳して解散するんだろうなぁ。)

お金の多寡の問題ではなく、結局のところ彼らに何が求められていたのかが曖昧なのだ。

退職金の民間との格差是正、という目的があったことはよく分かる。でもそれが目的であれば、早期にやめようが定年まで勤めようが目的は達成されるのだから、何も問題にする必要がない。教師の場合、期中でやめると現場に混乱が起こるのは確かだが、それも折り込みで行うのが制度設計というもので「やめないと思っていた」というのは設計側の甘えにすぎない。

というか、格差を是正するなら下方ではなく上方に合わせていくような工夫をして欲しい。

それにそもそも「お金」が原因で辞めたんだろうか。

先のような命題を会社から突きつけられたら、自分はどう思うだろう。お金が減るとかいう以前に、会社に裏切られたと思うんじゃないだろうか。仕事に対するモチベーションをどれだけ保てるだろうか。「もういいや」と見切りをつけてしまうのではないだろうか。

それでも、抱えている仕事への責任感が優先されるかもしれない。でも逆に仕事への愛着が強いほど絶望感が大きくなる可能性もある。それは人それぞれだし、それについて自分は何も言えない。

「お前の仕事は退職金を減らされる程度の仕事だった」という烙印を受け入れて退職するのか。
「お前は仕事を途中で投げ出した裏切り者だ」という烙印を受け入れて退職するのか。

何だかやるせない話だなぁと思ってしまった。

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2013年1月25日 (金)

前例主義のあるべき姿

昨日聞いたPodcastの「ラジオ版 学問ノススメ」で、社会学者の古市憲寿氏が「失敗はパターン化できるが、成功はパターン化できない」みたいな事を言っていて、なるほど、と思ってしまった。
言い換えれば「失敗は必然、成功は偶然」みたいな感じになるだろうか。

失敗がパターン化できるというのは「同じことをやったら失敗する」ということだ。一方成功がパターン化できないというのは「同じことをやっても成功するとは限らない」という事だろう。厳しいようだが、確かにそんな感じはする。

失敗はパターン化できると考えれば、失敗事例を共有するのは「同じ失敗を繰り返さない」ためだ。失敗の原因を分析するのも「同じパターンに陥らないため」という事になる。

では、成功がパターン化できないとすれば、成功事例を共有するのは何のためだろう。

会社でナレッジマネジメントに取り組んでいた頃に、他社との情報交換で「成功事例の共有を進めているが、他人と同じことはしない、と共有事例を生かさない社員が多くて困っている」という話があった。常なる進化を図るという良い取り組みではないかと思ったのだが、成功がパターン化できないものだとすれば、「真似しない」ために共有するというのも、実は立派な「成功事例の生かし方」なのだろう。

しかしそのように考えると「前例」というのは、それが良い例であれ悪い例であれ、本来は「踏襲しない」ためにこそあるものということになる。だとするとよく言われる「前例主義」って・・・ねぇ。

「前例に習う」のではなく、「前例を踏襲しない」こそ、前例主義に求められる姿なのかもしれない。

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2013年1月24日 (木)

平河町ライブラリーでの勉強

昨日は何だか久しぶりに平河町ライブラリーへ。
最近はやや通う回数が減っている気がするし、行ってもたいした事はしていない。

季節的なものもある。この時期は毎週定番の予定も入るし、その一方で改めて机に向かってやらなければいけないような作業は少ない。そもそも、平河町ライブラリーを使い始めた頃に時間を割いていた作業は、ある程度他の人にふることができるようになって、去年はそれほど追われることはなかった。

そういう意味では、次は更新しなくても良いのかもしれない。たまに使う程度だと、やや躊躇する額の年会費ではある。

ただ一方で、多分一度退会したらまた入るのは難しくなる。実際、契約している平日利用のメンバーは、現在は募集していなかったはずだ。いざという時に使える施設として、切れてしまうの惜しい気もする。

であれば、もう少し有効に活用する方法を考えた方が良いのだろう。多くの利用者は、そこで勉強することを目的にしているが、自分はそうではない。同じように勉強に使えば、自分自身のレベルアップにだってつながるのだ。

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2013年1月23日 (水)

11インチのMacBook Air

物欲の話といえばその通りなのだが・・・。

今日はiPadではなくMacBook Airを持ってきている。普段のブログ更新ぐらいであればiPadで十分なのだが、平河町ライブラリーで何かをするとか、オケ絡みで何かをしようという場合、微妙にiPadでは力不足で、結局MacBook Airの出番となってしまうのだ。

であれば、11インチのMacBook Airをメイン使いにしてしまっても良いんじゃないか?

現在の13インチは、それでも普段から持ち歩くと考えるには大きすぎる。重すぎるというより、大きすぎるのだ。11インチもiPadに比べれば大きいわけだが、まぁ小脇に抱えて持ち歩いてもそれほど違和感は無さそうに思える。

画面サイズ、つまり作業領域の広さを優先して13インチにしたのだが、意外とそのメリットを感じる場面は少ない。もちろん小さくすることでストレスは感じるだろうが、比較の対象は必ずしも現行の13インチではなく、むしろiPadだ。

もっとも、その結果iPadを持ち歩かなくなるのだとすれば、わざわざ3Gモデルで購入したのは何のためだよ、という話にはなる。現実問題として最近はWi-Fi環境がかなり整ってきたので、3Gモデルがその強みを発揮する機会はそうはないのだが、通信費は毎月発生してしまう訳だし・・・。

こんなことを考えてしまうのは、iPadを利用する場面が思った以上に少ないからだろう。正直な話、生かせていないのは確かだ。アプリがそう入っているわけでもないし、実際のところそれほど利用場面があるわけではない。そのくせ、重要な作業においては微妙に使いづらい。何なんだ・・・。

もちろん、購入を後悔するといった事があるわけではなく、あって助かった場面というのも多々ある。MacとiPadは違うものだし、双方に互いにはない利点がある・・・はずだ。

現状iPadに関しては、普段使いを優先しているためにあまり思い切った事はしていない。固定的に使いたい環境を優先しているので、そこに手が入るのを嫌うからだ。そう考えると、もう何か色々試してみるというのもありかもしれない。ゲームマシンにしたら思わぬ形で利用機会が増えるかもしれないし(多分増えない)、とりあえず使ってみるといったことはもっとあっても良いはずだ。

何だか脈絡のない話になってしまった・・・まぁ元々そういうブログなんだけどさ。

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2013年1月22日 (火)

アンサンブルの課題

今日は平日練習のオケ・・・一応入団ということでしばらくお世話になることにしたので名前を挙げておくと、上野の森交響楽団(以降上野の森)の練習に参加する。毎週火曜日の練習で、元々は先週からの予定だったのだが、その先週がどんな状況だったかは先日書いた通り。

一度見学という形で参加はしているが、本格的な参加は今日からである。もっとも「本格的」というのがどんな感じかはやや微妙。

入団、とは伝えたが、正直次の演奏会以降がどうなるかはまだ流動的だ。申し訳ないと思いつつそのこと自体は伝えてある。そのまま居つく可能性もあるし、無理となるかもしれない。冷静に考えてみたら、10月以降は別の事情も発生する。

それでもこうした形で楽器を弾く機会は増やした方が良いように感じている。個人練習嫌いという事もあるが、結局ある程度の緊張感を持って弾く時間があって、初めて技術がある程度維持されるように感じるからだ。明確な根拠はないが、楽譜に追いついていける限りは、「どれだけさらったか」よりも「どれだけアンサンブルに参加したか」が自分の場合は重要なのだ。
(ただし、オレイユの場合は「楽譜に追いついていけない」ことがままあるのも確かで、これはまた別の話。)

本当は、楽譜をさらうのがそれほどしんどくなく、譜面を追いかける以外のことが色々考えられるような曲をたくさん合わせていく機会がもっと必要なのだろう。日曜の午後の練習などでそう感じた。調和の霊感3-11は、やや面倒なソロもあるが、基本的にはシンプルで音楽的に戸惑うような局面がない。最終的に弾きこなせるかという話はさておき(本番でミスる可能性もある)、もう少しこなれてくれば、他のパートをより気にする事ができるようになる。

アンサンブルというのは、結局全体の響きの中で、自らの音を「消していく」作業だ。合奏中「あなたの音がよく聞こえました」という評価は、楽器弾きとしては良いかもしれないが、アンサンブルプレイヤーとしては全然ダメなわけで、その辺りは自分自身の課題でもある。音はしっかり出さなければいけない。でもそれが自分の音だとして周囲に聞こえてはいけないのだ。それは、突出しているか外しているかのどちらかで、どちらもアンサンブルにとっては害でしかない。

その辺りを当面の課題として練習に参加していくことにする。まずは自分自身に自分の音が聞こえないようにしていくことだろうなぁ・・・。

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2013年1月21日 (月)

充実の冬季シーズン

月曜日にあんな目にあったばかりなのにと言われればその通りなのだが、土曜日は同じスキー場に行ってきた。とはいえ、荒天の予報もなく、前日が雪だったわけでもないのだから、別におかしいことではないだろう。流石に先週の月曜日のような天気が金曜日に発生していたら、土曜日に行くのは躊躇したかもしれないが、とにかくシーズン中行ける日は限られているのだから、行ける時に行くのは当たり前だ。

ちなみにカレンダーには今シーズンの「行ける日」が予定として書き込んである。現時点で3月末までにいける日数は14日。土曜日はその5日目にあたるから、すでに1/3は消化してしまっているのだ。(そしてトータルの14日というのは予定の入り具合で減っていく。実際には今の時点で2日ほどは減ってしまう可能性がある。)

そんな話はさておき、土曜日はシーズン5日目にして初の晴天だった。今年はめずらしく雪の日にあたっている。


さて、それでは行ってきますか。ふじてんも考えたけどふじパラだろうなぁやっぱり。
2013年1月19日 5:42:35 HootSuiteから

ゴンドラ+急斜面で攻めるか、リフト+緩斜面で整えるか、それが問題だ。
2013年1月19日 8:48:19 HootSuiteから

午前中だけだし、前半攻めて後半整えよう。逆だとしんどいし(笑)
2013年1月19日 8:58:43 HootSuiteから

さすがにノンストップで降りてくるときついね・・・。
2013年1月19日 9:18:40 HootSuiteから

ショートターンで丸々一本ノンストップはもっときつい・・・。
2013年1月19日 9:39:10 HootSuiteから

流して滑ってしまった。それはつまり急斜面を攻めて滑るのにもう飽きてきたって事だ。
とはいえ、まだコースはかなりクリアなのでもう少し滑っておきたいところ。
2013年1月19日 9:59:43 HootSuiteから

少し人が増えてきた。スクールがスタートしたのでまとまって止まっているグループも多い。そろそろ整える方に移るかな。
2013年1月19日 10:19:23 HootSuiteから

緩斜面は緩斜面で人は多いんだけどね。
2013年1月19日 10:36:52 HootSuiteから

さあ、帰って練習しよう。とりあえず3-11。それから悲愴。リベルタンゴの楽譜も作らないと・・・。
2013年1月19日 12:20:40 HootSuiteから


いつものような逐次Tweetはしなかったのだが、土曜日の呟きはこんな感じ。「午前中だけだし・・・」から、「少し人が増えてきた・・・」までは、ゴンドラ内でのTweetなのだが、ほぼ20分間隔で、滑り方を変えていてもノンストップであれば大体同じペースであることが分かる。1本20分だと2時間で6本・・・思ったより少ない。リフトの方が本数は稼げるし、実際トレーニングにもなるのは確かだ。

土曜日は午前中できりあげ、午後は翌日の府中に備えた練習。最近は土曜日の日帰りはこうしたパターンが多い。
日数にこだわってたくさん滑りたいなら1日フルに滑れば良いのだが、翌日を考えれば楽器の練習は練習でしなければならない。夕方まで滑って夜帰ってきて練習という選択がないわけではないが、夕方まで滑ると渋滞のリスクが高くなる。それは流石にしんどい。

楽器の練習を平日に回せば良いのだが、それもなかなかままならない。とかく冬場はやることが多いのだ。その上無謀にも平日練習のオケを追加してしまったからなぁ・・・。


で、日曜日は午前中が定期演奏会に向けた悲愴の合奏。午後がミニクラシックコンサートに向けた調和の霊感(3-11)のソロ合わせ。午後は知り合いのオケのコンサートを聴きに行こうと思っていたのだが、他に日程がなく不義理をしてしまった。2月3日にも別のオケのコンサートがあるのだが、これも怪しそうな雰囲気が漂い始めている。

なんというか、自分でいうのも何だが充実していますな・・・。

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2013年1月18日 (金)

やる気と忠誠心

やる気というのは捉えるのが難しいね・・・。

世界でダントツ最下位! 日本企業の社員のやる気はなぜこんなに低いのか?|『社会貢献』を買う人たち|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/30488

日本の会社員のやる気が低いのは当然だ - 脱社畜ブログ
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/01/17/204331

やる気というのは、何か行動を起こす際のファクターの一つではあるが、基本的にパフォーマンスにはあまり関係がないのではないかと思っている。やる気があっても弾けない曲は弾けないし、やる気がなくても滑るスピードは変わらない。ただ、やるかやらないかのトリガーとして(そして多くは「やらない口実として」)存在しているのが「やる気」というものではないだろうか。

また、こうした「モチベーション」が「人生の楽しさ」みたいなものに結びついていると考えるのであれば、最初のコラムで紹介されている調査の結果は、「従業員エンゲージメントの高い国は仕事以外で自己実現を図ることが難しい(から仕事でのやる気が高くなる)」みたいな捉え方もできるだろう。日本人が人生を楽しんでいるかどうかはさておき、人生における「やる気」というものが仕事でしか成り立たない訳ではない。
(特にヨーロッパでの低さとかはその辺りに起因するような気もする。)

ちなみに、この調査で問うているのは「仕事に対するやる気」ではなく「組織に対する忠誠心」だろう。「働くことに楽しさを感じる」ことと「組織に貢献する」ことというのは微妙に違っていて、特に日本では滅私奉公型の「組織への忠誠」が問われてしまう事が多いから、「組織に対する忠誠心が低い」というのは、それだけ組織との接し方が個人型にシフトしてきたのかな、といった読み方もできる気がする。

じゃあアメリカとかとの違いは何なんだと言えば、それは「組織選択の自由が低い」という事に尽きる。ようするに個人と組織のマッチングがスムーズではないということで、組織への忠誠心を高める上で大切なのは、理念が立派であることではなく、それが個人の価値観とマッチすることだ。逆にいえばマッチする組織を選べることが大切で、そうした流動性の結果が、インドなどの「やる気」の高さに結びついているのではないか、という気がする。

ようするに「今は」現在の組織に対する貢献意識が高くても、「明日は」より自分の価値観にマッチした別の組織に向けられる可能性があるということだ。日本ではそれを組織に対する忠誠心とは捉えないだろうが、そうした社会であれば、あるタイミングで切り取った際の「やる気」は高いに決まっている。高くなければその組織にいる意味がないんだから。


後に紹介した方は・・・まぁ一面ではその通りなんだが、99%は言い過ぎなんじゃないかという気がするし(自分の周りにいる人たちが残りの1%ばかりだとしたら幸せなことではあるが)、そうやって会社に環境を整えてもらおうと思っているうちは、結局やる気はあがらないだろうなとは感じる。文字通り「やらない理由」としてしか「やる気」という言葉がワークしていないような状態。

労働環境というのは衛生要因なので、整っていないことが不満につながっても、整うことが動機付けにはつながらない。この二つのコラムは、動機付け要因を語る前者と、衛生要因を重視する後者という時点であまりかみ合ってはいないのだが、あえて合わせて紹介しながら、やる気について考えてみた。


そもそも、「やる気が成功を生む」のではなく「成功がやる気を生む」のであって、やる気は結果のバロメーターでしかないような気もするんだけどね。

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2013年1月17日 (木)

体罰の理屈

少し前にこんなTweetをした。

そういえば体罰ってその罰にあたいする罪が事前に規定されているのかな。ないならそれは罰じゃなくて単なる暴力だよね。
2013年1月11日 23:08:33 HootSuiteから

百歩譲って体罰が教育上必要なものだったとしよう。その場合、教育効果があったという結果で体罰かどうかを判定すべきで、自殺に追い込んだのは体罰ではなく単なる暴力だったと判定すべきって事になるんだよなぁ。
2013年1月13日 22:33:07 HootSuiteから

そう考えるとなんで体罰擁護論が出てくるのか分からん。「あれは体罰ではなく暴力です」と切り捨てれば良いだけじゃないか。そうではなく擁護するってのは「(自殺に追い込むような)あれも体罰だ」と認めたいって事なのか?
2013年1月13日 22:35:44 HootSuiteから

その後ちょっと調べてみると、そもそも学校教育における「体罰」は法律で禁止されている(学校教育法第11条)ので、罪のあるなしに関係なく「体罰」である時点でアウトという事が分かったので・・・

結局「体罰」なんてさも「受ける側に罪がある」かのような物言いはやめて、「暴力」とか「拷問」といった、「する側の問題しかない」事が明確な言葉で議論をした方が良いのではないか、などと改めて考えてしまった。

もっとも大辞林では「体罰」は次のように説明されていた。

【体罰】たいばつ こらしめのために,身体的な苦痛を与えること。日本の学校教育では,法律によって禁止されている。「━を加える」
三省堂 大辞林 第三版
http://www.monokakido.jp/iphone/daijirin.html

「暴力」はこうだ。

【暴力】ぼうりょく ①乱暴な力。無法な力。「━を振るう」「━に訴える」 ②物理的強制力を行使すること。特に,それにより身体などに苦痛を与えること。
三省堂 大辞林 第三版
http://www.monokakido.jp/iphone/daijirin.html

「こらしめる」にしても、「強制力を行使する」にしても、そこには「する側の理屈」しかない。そういう意味では体罰だろうが暴力だろうが、行使する側の一方的な押し付けであることに変わりはなく、そこに「指導的効果」があるなんていうのも、行使側の恣意的な願望にすぎないのだろう。

ようするに「体罰」というのは、「自分がしたくてふるう暴力」について何となく相手に責任転嫁したい時に使う幼稚かつ粗暴な理屈にすぎないということだ。

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2013年1月16日 (水)

休んだ理由

月曜日(一昨日)に富士見パノラマにスキーに行ったのだが、大雪による高速道路の通行止めという交通網の混乱のため、


家に着いたのが翌日(昨日)の昼12時になってしまった。


昼にはあがって帰路についたので、そこからだとほぼ24時間。実際には撤収に時間がかかったり、途中でチェーンを巻いたりやらコンビニに立ち寄ったりやらしているのだが、まぁ20時間以上は車に乗っていたのは間違いない。

月曜日はいつも通り5時に起きたので、帰って寝るまでに起きていた時間は30時間以上。こんな事で徹夜なんか経験したくなかった・・・。

みなさんも雪には気をつけましょう。

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2013年1月11日 (金)

音量のコントロール

今更ながら、昨年の府中の秋の定期演奏会の録音を聴いた。
通勤途中で聴いているので、まだ途中までなのだが、ここまでで感じた事など。

強弱がない。いや音量の強弱はそれなりにあるのだが、音楽の強弱がないように感じられる。何といえば良いのだろうか、単にオーディオのボリュームを変えているような感じと言えば良いだろうか。

ようは表現力ということなので、アマチュアの宿命といえば宿命かもしれない。年末のオレイユのアンサンブル大会でずば抜けた表現力をみせた(魅せたという感じ)某ヴァイオリニストはさておき、どうしても音量の「大きい」「小さい」になってしまって「強い」「弱い」という感じにならないのだ。
(もちろん、加えて「小さくても強い」とか「大きくても弱い」といった組み合わせもある。)

もう一つは、練習中にも感じていたことだが、やはり全体のアンサンブルの中での「自分のポジション」が互いに分かっていないようなところが時々顔をのぞかせる。全部ということはなくて、所々そういった事があって、「あれ?」というちぐはぐさを感じるのだ。

所謂「縦が揃わない」とか「バランスが悪い」というのを、指揮者の責任にするのは簡単だ。揃えるための合図を出し、全体を聴いている指揮者には、実際にその調整をする責任がある。

だが、それを「指揮者の問題」だけにしてしまうのは、自分を「音を出す道具」と位置づけるならまだしも、アマチュアとはいえ「演奏者」「音楽に親しむ者」と位置づけるのであれば、どうなんだろうかという気もしている。

そもそも我々は道具に徹する事もできない。求められた表現を完璧に再現できる訳ではないからだ。むしろ出来ないことの方が多い中で、何ができるか、何を表現するかを考えるのがアマチュアリズムというものだろう。

さて、そうなると次に向けて何が出来るだろう。テクニカルな面でいえば、音量のコントロールをより細かくしていくことは必須だ。それも大切なのは、楽譜や楽器の都合や周囲の空気ではなく、自分の意思でコントロールをしていくことだろう。縦軸に音量の大小、横軸に音の強弱(だと大小との違いが曖昧になってしまうので硬軟と捉えたほうが良いかもしれない)を持ったマトリクスを設定し、楽譜で求められている音、自分が(パートが)出そうとしている音がどの象限に位置しているかを意識できるようになると、かなり変わってくる気がする。

まずはそのあたりから練習方法を考えてみるかなぁ・・・。

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2013年1月10日 (木)

やめるという変化

年明けからそういえばスキーとオケの話題しかエントリーしかしていないな〜という訳で、そろそろ少しは仕事の話なども。

数年間(多分7〜8年ぐらい)イントラネット上でほぼ毎週続けてきたコラムを書くのを今年からやめることにした・・・のを決めたのは昨年末の話。ほぼ毎週といってもここしばらくは休みがちになっていたし、仕事と呼ぶには微妙な位置づけであったことは確かだ。

その週の出来事を取り上げてつらつら思うことを書く・・・というものだったのだが、今の仕事と関係があるか、といえばないし、そこを結びつける程の努力はしていなかった。結びつけることができない訳ではないので、それは単に努力不足という話だ。そこまでのプライオリティはなかったという事でもある。

ただまぁ逆にやめてしまうと気になってしまったりするものなので、これをきっかけに新たなアイデアが生まれてくるかもしれない。その辺りは自分の天邪鬼的な性格に期待している。

考えてみたら、「変わる」というのは何かを新しく始めるだけでなく、何かをやめることによっても生み出せるものなのだ。

今年は・・・という時には、ついつい新しいことを始める発想で考えてしまうのだが(それはそれで良いことなのだが)、一度「今年はこれをやめる」という発想で考えてみても良いのかもしれない。

・・・もちろんそれはタバコとかお酒のような習慣的な話ではなく、もう少し意識的に行っている何かのタスクをやめてしまう、という話。やめるというよりも、やらないことを決めるという感じだろうか。

今年はやらない仕事を決める。ちょっとタスクリストを見直してみますかね。

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2013年1月 9日 (水)

平日練習のオーケストラ

昨日はとあるオケの練習を見学&参加してきた。
以前参加したJBPと同じく、平日夜を練習日とするオケだが、JBPが短期集中なのに対して、こちらは府中と同じく基本毎週練習がある。

現在の状況を考えれば、これ以上掛け持つには平日に練習するオケしかないと考えているので、知人に誘われたのを良いことにホイホイと出かけて行ったのだが、その前にそもそも掛け持ちをする必要があるのか、掛け持ちできるのかという問題はあるだろう。

考えうるメリットというか、プラスになるのは、単純に楽器に触れる機会が増えることだ。個人練習をすれば良いのだが、集団の中で弾くある種の緊張感は個人練習では得られない。スキーでいえば、レッスンを受けたり、制限滑走をするようなもので、一人でフリーで練習するよりも、単純に「楽器を弾く」という事に関しては確実に質の高い時間が得られるのは間違いない。

一方でマイナスとなるのは、間違いなく個々の曲への練度は下がるだろうということだ。当たり前だがさらう曲数が増えれば、それぞれの練習時間が少なくなるのは避けられない。個人練習をやるにしても、一通りチェックするだけで時間がかかってしまうようでは、難しい箇所をじっくりさらうといった時間を確保すのが難しくなる。

・・・もっとも、冷静に考えればほとんどそんな事はしていないのだが(笑)

過去の経験から考えれば、弾ける弾けないは別にして、複数のオケに並行して参加していた方が、楽器に対するモチベーションや地力の維持に役立っていたと感じられるのは確かだ。そう感じているから平日練習のオケというのに興味があったのだが・・・

・・・あったのだが、実際に参加するとなるとこれは安易に即決できない。

今はオレイユの季節ではないので、3団体並行して練習という状態になった時にどうなるかという問題もある。以前そうなったことはあるが、その時のもう一団体はほとんど楽譜を読むのに苦労することがなかった。今回はそうではない。

さて、どうしたものか・・・。

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2013年1月 8日 (火)

秋の演奏会

先日の総会後にちょっと面白いアイデアを聞いた。

府中では秋の定期演奏会は市の芸術文化祭に参加する公演となっている都合上、無料公演になっている。それ自体は非常にメリットのあることだし、何よりも市のバックアップを受けているという意味でも参加すべき話なのだが、無料公演が足枷となって団の財政を圧迫するという課題を抱えている。

予算編成でも頭を悩ませるのは結局その部分だ。団費収入とチケット収入が団の収入の柱なのだが、1回分の演奏会分のチケット収入がないというのはやはり大きい。

そこで聞いたアイデアというのが、冬に行っているミニクラシックコンサートを文化祭参加公演として登録し、定期演奏会は別にしてしまうというもの。2年に1度の第九のある年は流石にスケジュール的に難しいが、そうでない年ならできるのではないかというものだ。

市や市民が文化祭の一部として団に期待している「公演」は、オーケストラを対象にしたものだろうから、小編成のアンサンブルが中心となるミニクラシックコンサートを文化祭参加公演とするアイデアを直接採用する事は多分難しいだろう。が、アレンジはできそうな気がする。

第九のない年に行っているファミリーコンサートをあてるのだ。

大雑把にいえば2年のサイクルを次のように組むことになる。

1年目
5月 定期演奏会(有料)
9月 ファミリーコンサート(文化祭参加公演 無料)
12月 定期演奏会(有料)

2年目
5月 定期演奏会(有料)
9月 定期演奏会(文化祭参加公演 無料)
12月 第九演奏会

ファミリーコンサートのプログラムに、定期演奏会の序曲や一部の楽章をかぶらせてしまえば練習自体は並行して行うことができる(対象が違うので直前の定期演奏会のプログラムを組み込むこともできる)。市民のための無料公演でファミリーコンサートと銘打てば、大手を振って子どもを受け入れることも可能だ。それが不満な人には有料の定期公演が控えているし、いずれにせよ2年に1回の話だ。

このようにすると、少なくとも2年に3回の有料公演が行える(第九は有料だが別会計)ので、もう少し余裕が出てくる事になる。もちろんファミリーコンサートの経費の問題(特に指揮者やトレーナー)などはあるが、そこは調整次第だ。

もっとも、ファミリーコンサートについては、現在のござスタイルの方がオケとの距離が近くて良いという意見もあるだろう。ホールについても、大ホールではなく小ホールの方が良いかもしれないし、何かオケともう少し接する機会のようなものがあっても良いかもしれない。
(ロビーでのアンサンブルなど。)

もちろん他にも色々考えなければならないことはあるだろうが、一つのアイデアとして頭の片隅にいれておこう。

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2013年1月 7日 (月)

総会終了

オケの総会は何とか無事に終了。もう少し議論が白熱しても良かったとは思うのだが、用意した資料では限界があったかもしれない。事前の準備が不足していたのは確かで、来年の総会は議題も含めてもっと事前に用意をしておく必要があるだろう。

総会後の新年会では「大変だったね」と声をかけられたりしたのだが、大変「だった」というのはすでに過去の話で、リアルタイムに大変なことは間違いないのだが、過去のこととして振り返ると、まだまだ余裕があって、できたことはあったのではないかという気がしてくる。

いずれにせよ、これでオケの方は昨年の事が一段落し、今年の事がスタートする。予算的な面での苦労はあるが、演奏会や運営という視点で考えれば、過去に比べて今年は「普通の年」とも言えるだろう。こうした「普通の年」をスムーズに運営できるかどうかが、組織としての地力で、そこがきちんと固まれば「特別な年」にはもっと色々なことができるようになるに違いない。

逆にいえば、新たに導入したいルーチン的な事は、今年のような年にこそ試しておいた方が良いとも言える。さらに、これまでとりあえずお試しでやってきたような事を、毎年毎回当たり前にやることとして正規に定着させていく必要がある。そうでなければスッパリやめてしまうかだ。

その辺りを少し考える時間が欲しいところだなぁ・・・。

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2013年1月 4日 (金)

年末年始のスキー

あけましておめでとうございます。

今日から仕事がスタートということで、ブログもスタートの予定だったのだが、いつもの朝のプロントが年末年始シフトで使えなかったため、そのまま会社へ。いつものiPadであれば更新は可能だったのだが、今日はMacBook Airだったので、とりあえず昼の更新にしてみた。

今年の年末年始は、予告したように福島にスキーに行ってきた。裏磐梯に4泊3日。グランデコスノーリゾートに通う。元々は猫魔などエリアのスキー場をハシゴをする予定だったのだが、降り続く雪に負けた。グランデコはすべてのリフトがフード付きのため快適なのだ。

雪が降っているぐらいのほうが、バーンコンディションは良いのだが、リフトは辛い。ヘタレな感じだが、体力を消耗しないためにも、風雪はしのげた方が良いに決まっている。

それにしてもよく降った。朝スキー場に向かう前、帰り宿に向かう前、その都度10数センチは車に降り積もった雪を落とす。今回はチェーンも使ったのだが、そもそもチェーンを使うのは車に乗り始めてから初めての事だ。

移動日だった12月30日は雨で、これはダメかな〜どうも泊まりの場合雨に遭遇するな〜と去年だか一昨年の事(わざわざ休みをとって前泊をしながら雨で全く滑れなかった事がある)を思い出したのだが、考えてみれば日帰りの場合は天候を見て行く行かないを決めているのだから、悪天候に遭遇しないのは当たり前だ。泊まりは予定として組まれているため、そうした調整ができないだけに過ぎない。

グランデコは緩斜面が多かったので、昨シーズンからの課題である内足主導のターンの練習をひたすら繰り返す。外足に乗るのは、バランスをとる上でも自然で、しかも長年の経験で無意識レベルに刷り込まれてしまっているのに対して、内足に乗るのは不自然な上に常に意識しなければならない。

ようするに気が抜けない。逆にふっと気を抜くと、外足に荷重してしまっているのだ。ターンは左右の重心移動の連続で成り立っているため、そのリズムが狂うと元に戻すのが難しくなる。リズムを意識して内足から内足へ体重をシフトさせていくと思ったよりスムーズにターンしていけるのだが、ちょっとギャップなどで足を取られると、外足に荷重してバランスを取り戻す事になり、そこからまた意識して内足荷重に戻さなければならない。

加えて2日目以降は筋肉痛にも悩まされた。とはいえ、普通に歩くよりも滑っている方が楽だった事を考えると、それだけ力が抜けて滑れているということでもあるのだろう。実際、何事も無くスムーズに滑れている時がもっとも足への負担が少なく、ちょっとバランスを崩すととたんに筋肉が悲鳴をあげていた。

さて、そんな訳で今シーズンはまず3日。幸先の良いスタートだとは思うが、シーズン中どれだけ行けるだろうか。本当は現状の内足主導のターンも見てもらいたいのだが、今年もスケジュールが合うかどうかは微妙な状況だ。

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