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2013年1月11日 (金)

音量のコントロール

今更ながら、昨年の府中の秋の定期演奏会の録音を聴いた。
通勤途中で聴いているので、まだ途中までなのだが、ここまでで感じた事など。

強弱がない。いや音量の強弱はそれなりにあるのだが、音楽の強弱がないように感じられる。何といえば良いのだろうか、単にオーディオのボリュームを変えているような感じと言えば良いだろうか。

ようは表現力ということなので、アマチュアの宿命といえば宿命かもしれない。年末のオレイユのアンサンブル大会でずば抜けた表現力をみせた(魅せたという感じ)某ヴァイオリニストはさておき、どうしても音量の「大きい」「小さい」になってしまって「強い」「弱い」という感じにならないのだ。
(もちろん、加えて「小さくても強い」とか「大きくても弱い」といった組み合わせもある。)

もう一つは、練習中にも感じていたことだが、やはり全体のアンサンブルの中での「自分のポジション」が互いに分かっていないようなところが時々顔をのぞかせる。全部ということはなくて、所々そういった事があって、「あれ?」というちぐはぐさを感じるのだ。

所謂「縦が揃わない」とか「バランスが悪い」というのを、指揮者の責任にするのは簡単だ。揃えるための合図を出し、全体を聴いている指揮者には、実際にその調整をする責任がある。

だが、それを「指揮者の問題」だけにしてしまうのは、自分を「音を出す道具」と位置づけるならまだしも、アマチュアとはいえ「演奏者」「音楽に親しむ者」と位置づけるのであれば、どうなんだろうかという気もしている。

そもそも我々は道具に徹する事もできない。求められた表現を完璧に再現できる訳ではないからだ。むしろ出来ないことの方が多い中で、何ができるか、何を表現するかを考えるのがアマチュアリズムというものだろう。

さて、そうなると次に向けて何が出来るだろう。テクニカルな面でいえば、音量のコントロールをより細かくしていくことは必須だ。それも大切なのは、楽譜や楽器の都合や周囲の空気ではなく、自分の意思でコントロールをしていくことだろう。縦軸に音量の大小、横軸に音の強弱(だと大小との違いが曖昧になってしまうので硬軟と捉えたほうが良いかもしれない)を持ったマトリクスを設定し、楽譜で求められている音、自分が(パートが)出そうとしている音がどの象限に位置しているかを意識できるようになると、かなり変わってくる気がする。

まずはそのあたりから練習方法を考えてみるかなぁ・・・。

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