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2013年3月22日 (金)

NDS症候群の不幸

NDS症候群なるものが提唱されているようである。
NDSというのは「N=何かあったら D=だれが S=責任を取るんだ?」の略だそうだ。

大元はオルタナの編集長コラム。

編集長コラム)「何かあったら誰が責任を取るんだ?」
http://www.alterna.co.jp/10715/2

検索するといろいろと出てきた。

日本を覆う「NDS症候群」—あなたの職場は大丈夫?
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/22063

(N)何かあったら(D)だれが(S)責任とるんだ!-「NDS症候群」
http://ichihashi.seikatsusha.me/blog/2013/03/19/4952/


そうそう、あるよね・・・と思いかけたのだが、冷静に考えるとこの「何かあったら誰が責任を取るのか」というのは、物事を進める上で極めて重要な問いかけだ。それも「事前に」決めておくことが求められるものだろう。それは「起きてしまってから」想定外だなんだと「誰が責任を取るのか(取れるのか)」ですったもんだした福島原発の事故からも容易に想像できる。

この問いかけの不幸は、何故か日本ではこれが「アイデアを頓挫させる」阻害要因扱いされてしまう事だろう。なんというか、「みんなの責任=無責任」でいたい国民性を感じさせる「阻害要因」だ。


「何かあったら誰が責任を取るのか」という問いは本来次のような意図を持って発されるものだろう。

「お前それ自分で責任取る気あるのか」

元気とやる気があれば「自分が責任をとります」と答えるかもしれない。しかし、先の問いは暗に次のような意図が含まれている。

「お前が責任を取れば世間は納得するのか」

責任というのは、自分が認めれば成り立つものではない。20歳成人の責任というのは、本人が認めれば成り立つわけではなく、社会の合意として成り立っているものだ。

「何かあったら誰が責任を取るのか」で頓挫するというのは、厳しい言い方をすれば、自分の責任だと社会に認めてもらえていないか、その責任を社会から認められている人を説得できなかったかのどちらかという事だ。

ようするに「何かあったら自分は責任が取れないのであなたが責任を取ってください」という甘えに立脚したアイデアだから頓挫したのだ。NDS症候群は、さらにその頓挫の理由を相手に押しつけようとしているだけにすぎない。

実行する方法は二つ。責任を取れる人を説得するか、自分が責任を取れる人になるかだ。

NDS症候群などという「空気」に理由を求めて頓挫を嘆いているうちは、多分いつまでたっても頓挫し続けるだろう。だってその空気は「(N)何かあったら(D)だれかに(S)責任とってもらうんだ」と同じ色をしているんだから。

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