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2013年3月21日 (木)

モーツァルトのディベルティメント

昨日は昨年の春分の日同様スキー・・・ではもちろんなくて、4月のバレエ公演の伴奏に向けたアンサンブルの練習をした。弦楽五重奏でモーツァルトのディベルティメントを弾くのだ。

モーツァルトは楽しい。そして難しい。

正直にいえばモーツァルトはほとんど聴かない。今回のディベルティメントも、曲は知っていたが音源は持っていなかったので探して(探すまでもないが)買ってきた。聴けば良い曲だと思うが、ヘビーローテーションで聴こうとは思わない。なんというか、心地よすぎて、ざらりとする感じがないんだな。インパクトが弱いというか、いや弱いということはないのだが、突き刺さるような感じがないとでも言おうか。

だからモーツァルトなんだといえばその通りかもしれないが。

モーツァルトを弾く機会というのは滅多にない。オケとしては編成的に難しいということもある。弦楽アンサンブルであればもう少し機会はあるだろうが、そこにもう一つの壁が立ちふさがる。

モーツアルトは難しい。

テクニカルな難しさとは違うだろう。少なくともチェロに関していえば、楽譜だけをみれば簡単な部類と言えるかもしれない。今回のディベルティメントに関していえば、ほとんどさらっていない(もともとほとんどさらわないが)。それで、楽譜は追いかけることができる。バロックの通奏低音に近い要素もあるから、それほど飛び抜けたテクニックは要求されない。

難しいのは、その先だ。

遊ぶだけなら楽しいで済むが、人に聴かせる演奏になるかというと、途端にハードルがあがってくる。ごまかしが効かないというのもあるし、らしさがでない。そもそも、地の音色が良くなければ話にならない。濁ってはダメ、引っ掛けてはダメ、ダイナミックレンジは広さが要求され、発音した後の減衰には繊細なコントロールが必要になる。

それができるかどうかではなく、それを音楽から求められていると感じさせられるのだ。ある種の強迫観念のように迫ってくるのだが、殴るような圧力ではなく、あくまで撫でるようなソフトな圧迫感。楽譜は簡単に追いかけられるのに、一音一音出すたびに、そうじゃないと言われるような緊張感。

なのに楽しいというのは矛盾しているようだが、例えばオケでやる悲愴の難しさとは異なる難しさがモーツアルトにはある気がする。

などと言いつつ、事前の練習は昨日だけで、あとはバレエとの事前の合わせが1回で、前日と当日舞台でのリハーサルで本番を迎える事になる。もっと弾いていたいような、弾きこんでも無駄なような・・・。

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