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2013年3月12日 (火)

アンサンブルでゆっくり練習するということ

上野の森の本番の翌日は府中の練習だったのだが、結果は・・・まぁ翌週の練習予定が前中プロの予定だったのが後プロに変更することになった程度に悲○だったという事にしておこう。

確かに今のままでは問題があるのだが、少し気になるのは、練習の目的、特に本番指揮者でない時の練習の目的をどこにおくかだ。

「弾けるようになること」が目的になってしまっていないだろうか。
いやもちろんそれは大切なのだが、弾けるようになるための練習は個人でもできる。実際「100回さらえ」「1000回さらえ」といった指示が出ることがあるし、それは着実に成果にもつながる。

だが、弾けるようになるための練習というのは、本質的には個々人の反復練習だ。それを合奏や分奏でやるのは、緊張感という意味あいや、そもそも個人でさらってこない(自分のような)人間を練習させる事にはつながるけれども、何だかもったいないような気がしなくもない。

アンサンブルの練習というのは、そういうものではないのではないだろうか。

もちろん、本来は求められるテンポできちんと弾けるようになってからアンサンブル練習に臨むべきなのだが、そうではないからといって、テンポで弾けるようになるための練習をするというのは、ちょっと違うような気がするのだ。

何故そのような事が気になったかというと、振り返ってみると、本番の指揮者の時の練習が一番ゆっくりだったような気がするからだ。もちろんそれが本番のテンポという訳ではなく、「まずはこのテンポでしっかり作っていきましょう」という趣旨のことを言われていたような気がする。

本来、それをやっておくのが、それ以外の練習の役割ではないか。

テンポに追いついてとりあえず弾けるようになるための練習を力任せにやるのではなく、ハーモニーがどうなっているとか、バランスはどうするとか、音はどのように出すとかといった音楽のメカニズムを、互いに聴きあえる余裕のあるテンポで理解しておくことが必要なのではないか、という気がする。

前回のチェロのパート練習で、悲愴の第三楽章で表裏に分かれるところをゆっくり弾いて聴きあうという練習をした。それは「弾けるようになる」ための練習ではなく、チャイコフスキーが「どんな響きを求めているかを知る」練習だ。目の前の楽譜を弾くのに必死になるのではなく、音楽がどのように響いているかを感じる事に必死になるという事だ。
ゆっくり「アンサンブル」をしてみることで、こんな響きなのかという発見もあった。残念ながら「弾けること」にはまだつながっていないけれども。

実際、現状がそれ以前の問題と言われればその通りで、プロなら個人の練習段階でそこまで済ませているものだし、アマチュアでもレベルが高ければ、わざわざ手取り足取りやらなくても通常の練習の中で掴んでしまうものだろう。だが、少なくとも今の状況は、要求されたテンポで何とか弾くのが精一杯で、他のパートに気を使っている余裕などない状態で「アンサンブル」の練習をしてしまっているような気がしてならない。

もちろん、そんなことをやっている時間はない、という考え方もある。実際それほど時間はないのだ。でも一方で、だからこそここできちんとベースの部分を固めておいた方が良いような気がする。

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