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2013年4月 5日 (金)

子育てのシステム

「子は親が育てるもの」という価値観がある。

それは「当たり前」だろうか。昨日のTwitterでこんな呟きを見つけてふとそんな事を考えた。

Tweet from 宗像淳 (Innova CEO)(@sunaomunakata)
女性が、育児と仕事の両立に悩むのは、母親が子供と接する時間が長い方が、子供が健全に育つのではないか、という社会通念。ベビーシッターとか、託児所とかに任せると、子供の発育に問題があるのではないかという心配。
2013年4月4日 23:05:17 Twitter for Androidから
See More: http://twitter.com/sunaomunakata/status/319812922601791489

Tweet from 宗像淳 (Innova CEO)(@sunaomunakata)
でも、実は、母親が育児をするのと、他の大人が育児をするので、子供の発育に差はないという、調査があるのだそうだ。認知能力、言語能力ともに問題なく育つのだとか。
2013年4月4日 23:07:07 Twitter for Androidから
See More: http://twitter.com/sunaomunakata/status/319813386248523776

育児と仕事の関係はさておき、二つ目に引用したTweetを読んだ時にちょっと感じたのは、子どもの認知能力や言語能力の発育に差はなくても、親に対する感情のような部分には差が出るのではないか、という事。

だとすれば、こういう図式が考えられるのではないか。

親による子育て・・・家族の一員を育てる
他者による子育て・・・社会の一員を育てる

もちろん、前者は後者の要素を包含したものになるが、ヒトの社会性を育む上では、後者で十分、あるいは「社会的な健全性」という視点では、後者の方がより高いといった事は言えるかもしれない。

乱暴な言い方をすれば「家族を優先する子を育てるか」「社会を優先する子を育てるか」という事でもある。家族というのを最小単位の社会と考えれば、両者を分けて考える必要はないのかもしれないが、何となく両者は違うような気がしなくもない。

例えばこれを会社組織にあてはめた場合、新卒採用は「家族の一員を育てる」で、中途採用は「社会が育てた者を迎える」だ。どちらも同じと割り切っているのであれば、どちらでも問題ないということになるが、実態としてはどうだろうか。

で、何を考えたかというと、家族という単位に頼らない子育てというのは、子孫を養育するシステムとしては実は高度な社会性を備えた取り組みなんじゃないだろうか、ということ。家族で子育てというのは、生物本来のやり方かもしれないが、むしろ「人間としては」長くに渡って培ってきた独自のやり方からの退化にあたるのかもしれない。

そんなことを考えながら「地域で子育て」と「核家族化」という言葉を並べてみると、何だか意味深な感じがするのだった。

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