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2013年4月 4日 (木)

語れるということ

今日は昨日から延期された朝の清掃活動があるので、手短に(ブログの更新を)済ませたいのだが、あいにくネタがない。

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・・・・・・・・・昨日は急なお誘いをいただいて、知り合いの方とお酒を飲んだのだが、その場でもスキーの話をしていた。考えてみると、音楽の話というのは、スキーほどはしていないことが多い気がする。機会の有無というよりも、そこで語れる自分なりの考えがないということだ。

昨日のエントリーにもつながるのだが、それはつまり自分の中でそれほど言語化ができていないということなのだろう。「こういうものなんです」という確たる考えがないとでもいおうか。

知識の問題もあるが、語るためには、それについてある程度自分なりの考えを持っている必要がある。考えを持つというのは知識を持つことではない。知識をベースに自分なりに納得のいく論理体系を創り上げるという事だ。それには時として実践が伴い、場合によっては反証も自ら行っている必要がある。

もちろん、はっきりそれらを意識して組み立てるというものではないのだが、そうした積み重ねを経て、「語れる」考えというのは生まれてくるのだろう。

スキーは自分にとって自問自答の繰り返しだ。時たまインストラクターのお世話になることもあるが、基本的に滑るのは1人であり、自分で組み立てなければ1ミリも進まない。

一方音楽はそうではないのだろう。実際、練習にせよ本番にせよ、音楽を組み立てるのは指揮者やトレーナーに「お任せ」になっている。その指示を咀嚼し、実践する事は意識していても、そもそもどうした音楽を創りたいのかという点において、自問自答するという事がない。チャイコフスキーやドヴォルザークが「こうだよね」という感想を抱く事はあっても、それは単に受け身で「感じている」だけで、「考えている」訳ではない。

なるほど、こんなところにも違いというのが出てくるものだ、と思ったりした。
・・・その時に、ではなく、「今」思ったことだけれども。

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