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2013年5月27日 (月)

府中の譜読み

府中の秋定期に向けた練習がスタートした。まずは「リエンツィ」序曲と交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の譜読みから。しかし「ティル〜」は曲名が長いな・・・。

団員が多く、出席率も高めな府中の弦は、人数による音の厚みのおかげで、譜読みの段階でもあまり弾く側が不安になることがない。よく聞けば合っている訳ではないのだが、萎縮して音が出ずに薄くなるという事が起こりにくいのだ。言い方は悪いが、静寂の美術館ではなく、喧騒のカフェで会話をするようなものと言えるだろうか。

結果として、練習だからこそ許される「失敗」を良い意味で重ねる事ができるとも言える。そのまま気づかずに矯正されない失敗を本番まで引きずるリスクもあるが、きちんと気づくことができれば、周囲の正解に耳を傾けるだけなので修正は容易だ。少ない人数で、恐る恐る弾いていては、そうした「失敗」や「修正」は生まれにくい。その点だけでも、有利な条件を抱えているといえるだろう。

さて、リエンツィは、そうは言ってもその喧騒感が気になった。何というか、かしましい感じがする。もう少し全体の響きがスッキリするのではないかと思うのだが、60人から80人という出席団員(多分)が、皆バラバラに騒いでますよーという状態なのだ。最初だから仕方ないといえば仕方ないのだが、これをスッキリとした響きにまとめていく必要がある。

まずはパートとしての音の統一だろうか。人数はいるのだから、音程と音量をそろえさえすれば、それほど無理しなくてもしっかり聴こえるはずなのだ(それが難しいのだが)。細かいパッセージはまぁ多少諦めるにしても、ベースラインについては、なんとかしてそろえ合わせられるようにしたいものだ。

ティルに関しては、もう少し楽譜に対する慣れが必要な状況。まずは迷いなく弾ききれるようにしなければならない。で、その時に有効なのが「失敗できる環境」なのだ。特にこうした曲は、個人練は個人練で大切だが、それでアンサンブルがそろう訳ではないから、そうしたアンサンブルの中で自分のポジションを確立するプロセスがどうしても必要になる。言い方は悪いが、個人練習で弾けるようになった人というのは、上手いのに伴奏とはずれたカラオケのように、アンサンブルの中でも浮いたまま自分の音楽を弾き続けるようになりかねないからだ。

とはいうものの、コンサートマスターの評価も上々で、この2曲に関しては初回の練習にしてはまとまったという感じだろうか。もちろん今後の(個人)練習を前提としての話だが、来週譜読み予定の運命のほうが、色々課題は多いのかもしれない。

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