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2013年6月14日 (金)

国民の義務

最初にタイトルだけに反応して考えたのは、国民の義務を論じる視点って「他人である国民の義務」を語るばかりで「国民である自分の義務」の話はあまり聞かないよな〜というもの。

【正論】駒沢大学名誉教授・西修 憲法への忠誠は「国民の義務」だ
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130612/plc13061203100005-n1.htm

読んでみてもさほど印象は変わらなかったが、文中で触れられている「近年、憲法は国家権力を縛るものであって、国民を縛るものではないという議論が多くみられる。」とかみ合わないのは、

「自分たちにその義務はない」
「お前たちにその義務はある」

という主張のぶつかり合いだからなんじゃなかろうか、と思ったりした。

「自分たちにその義務はない」
「自分たちにその義務はある」

だったら、もう少し論点は変わってくる気がする。少なくとも国民の義務を論じる場合は「自分の義務」として語るようにした方が良い。他人の問題ではなく、自分の問題なのだ。


余談だが、以前某コーヒーチェーンの人の話を聞いた時に、お客様へのサービスを店員としての「義務(あるいは責任)」ではなく「自由(あるいは権利、どちらか忘れた)」と考えているという話があって、なるほどと思ったことがある。

「国民の義務」というのも、そういったコンテキストで語れると良いのかもしれない。

「子女に教育を受けさせる自由」があります(でも受けさせない自由はないよ)
「勤労の自由」があります(でもしない自由はないよ)
「納税の自由」があります(でもしない自由はないよ)

()を加えてしまうと、形を変えた義務論になってしまうだけなのだが、勤労や納税はさておき、「子女に教育を受けさせる自由や権利」がなかった時代は確かにあるのだ。それに納税だって、例えば奴隷にはその自由はなかったかもしれない(そもそも納税は「市民である」証明でもある)し、勤労というのも「自らのために働く」権利と考えれば、強制労働をさせられる人はそれにあたらない。

「自分に義務がある」という語りは「自分に自由がある」という語りに近い。対して「他人に義務がある」という語りは「他人に自由はない(あるではなく)」に流れやすい。だから反発する。

できればそういう方向での義務論を望みたいところだ。

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