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2013年6月20日 (木)

不完全なアンサンブルにおける練習

昨日の続きになるのだが、市民オケが本番直前まで不完全な体制で練習をしなければならないのは避けられない事態として、それまでの間にどのような練習をしておくべきだろうか。

身も蓋もない考え方だが、「個人練習の場」と考えるしかないような気がしている。100人のオーケストラで、1人欠けても不完全なアンサンブルであるのなら、1人の練習も程度の差はあれ不完全なアンサンブルだ。そもそも楽譜は自分だけで完結するように書かれていないのだから、1人であっても、それはアンサンブルの一部なのだ。

ただし、その上で気をつける事はある。アンサンブルにおける個人練習はそもそも「ソロの練習」ではない事だ。

以前、指揮者に「合奏は個人練習の発表をするところではない」と指摘されたことがある。これは言い換えれば、いわゆる1人で練習する「個人練習」が、アンサンブルではなくソロの練習になってしまっているという事だ。ソリストの集まりでは、アンサンブルにならない。

もちろん昨日書いたように、自分でアンサンブルの全体像をイメージできて、1人であってもアンサンブルとして音楽を把握できるならそうはならない。プロの音楽家というのは、言ってしまえばそのための訓練を受けた者ということだ。だが、アマチュアすべてにそのレベルを求めるのは難しい。オーディションでも徹底するなら話は別だが、それができるのは限られた市民オケだろう。

こうした人たちには(自分も含めてだが)、むしろ周りの音をいやでも意識しなければならない状況で「個人練習」をさせた方が効果的だ。それ自体がアンサンブルの練習につながっている。

例えばこうした場合に、非効率だ、という意見がある。弾けない人間が弾ける人間の足を引っ張っているという指摘だ。だが、そうした指摘をする「弾けている人」が、アンサンブルの意味で弾けていたという例は、寡聞にして知らない。そうした人たちの意見の多くは「自分のソロの邪魔をするな」「自分の個人練習の発表の邪魔をするな」であることが多い気がする。

ソロの練習や発表の場であれば、「自分が弾いていない」時間は無駄以外の何物でもないだろう。だが、アンサンブルの練習に無駄などない。自分が弾いていない時にやらねばならないことなどいくらでもある。

隣の人が弾けない時にどう補うか、あるパートが弱い時にどうバランスをとるか、それらはすべてアンサンブルプレイヤーとして考えなければいけないことだろう。もちろん、自分が弾けてないうちは、どうやって弾けるようになるか、弾けないならどうやってアンサンブルを乱さないようにするかを考えるのもプレイヤーの役割だ。

そして、それは究極的には「アンサンブルにおける個人練習」にすぎない。その積み重ねが、最終的なハーモニーを生み出すのであって、個人練習とアンサンブルを切り離していては、いつまでたっても「(別に)練習しておいてください」をやるだけで、アンサンブルとして磨かれることはない。

もちろん、先に書いたように、プロであればそれらの大半はアンサンブルの場に臨む前に済ませておくものだ。だから彼らは短時間の限られた最終調整だけで、アンサンブルを完成させることができる。

アマチュアは、そうではない。だから長い時間をかけて練習し、調整をするのだ。


さて、合奏で個人練習をするからと言って、では「1人で練習する」時間が不要という訳ではない。

個人的に重要だと考えているのは、アンサンブルに向けた「曲の練習」よりも、トータルの技術や対応力向上を目的としたトレーニングだ。実はアマチュアに足りていない本当の意味の「個人練習」はそういう部分であり、楽譜をさらうのはアンサンブルの場でやるようにした方が、トータルでの完成度は高くなるような気がする。

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